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光の女神  作者: L・Y
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6月20日(1) SIDE-A

 ――お願いだから、――を助けて!


 奪われそうになる酸素を口で掴むように、僕は目覚めた。霧が晴れるように視界が鮮明になり、見慣れた部屋の輪郭を認識する。


「なんだ、今の夢……」


 汗で張り付いた寝間着を剥がすように脱ぎながら、ため息を吐く。時計を見るとまだ朝の五時で、起きるにはずいぶん早い時間だ。


 隣を見ると藍の姿が見当たらない。トイレに行ったのだろうかと思っていたが帰ってくることはなく、僕はベッドから起き上がった。体調は悪くないのに、ひどく身体が重い。原因不明の不快感を背負いながらリビングに行き、水を一杯だけ飲む。


「藍、どこ?」


 グラスを持ったまま部屋を歩き回る。藍がどこにもいない。彼女は僕と同じ会社の他支店に勤めており、いつも同じ時間に起き、同じ朝食を食べて一緒に家を出る。出張がある際は早出のこともあるが、そんな予定は聞いていない。


 すぐに電話を掛けたが、彼女が出ることはなかった。予告もなく、突然朝のルーティンに散歩を始めるような性格ではないし、今は梅雨まっただ中で現在も雨がしとしとと降っている。次第に不安になり靴箱に行くと、上がり框にはパンプスがなかった。


【どこにいるの?】


 メッセージを送り、そわそわしている間に、外は梅雨空の間から日が仄かに差し込み、本格的な朝が来た。


 朝ご飯も食べず、スーツに着替えるためにタンスのある部屋に移動した。着替えながら、何気なく部屋の角に置いてある本棚を見ると、天板の上に置いてある写真立てに目がとまった。


 中には、伊豆の海で撮影した二人の写真が飾られていた。小さい顔を囲むような黒髪のショートボブの女性が、僕の肩に首を傾けながら笑みを浮かべており、首元には去年二十三歳の誕生日にプレゼントした、二つのリングが重なり合ったデザインのネックレスが光っていた。


「あれ?」


 写真を見て、不思議な感覚が芽生えた。いつもこの場所に置いてあるのに、何故か初めて見たような違和感を覚えたのだ。


 続いて、写真立ての隣にある置物に視線を移す。ガラス製の人形で、片足立ちの天使がラッパを吹いている構図だ。これはいつからここにあっただろうか。藍がいなくなったのに、何故かそんなどうでも良いことが気になった。


 少し手を伸ばし、ガラスの人形を掴もうとした。だが、右手が目線の高さの上で止まった。手を上げたくても、動かないのだ。僕の右手は何故か、昔から目線の高さ以上に上がらない。両親にちゃんと聞いたことはないが、昔怪我でもしたのだろう。


 僕は左手で人形を取った。改めて人形を見ると、今まで気にもとめなかったのに、人形には埃ひとつ付いていなかった。ちゃんと手入れがされているようだ。手をひねりながら人形の全体を見るが、特に変わった所はない。


 そうこうしているうちに、いつの間にか出勤の時間になり、慌てて部屋を出た。いつもなら、藍がそろそろ出ようと言ってくれるので、ついだらだらとしてしまった。結局、出勤するまで藍からは何の連絡もなかった。


 デスクに座り、会社の共有サーバに入っている仕事の進捗リストを見ていると、同期の安室が僕のところに来た。僕は片手を上げて挨拶をしたが、どうも様子がおかしい。


「成沢。おまえ、大丈夫なのか?」


「なにが?」


 他人事のように返すと、彼は青ざめた表情で幽霊を見るように僕の頭から爪先までを見ていた。何か仕事でやらかしたのか。そんなはずはないと思うが。すると安室は、突然僕の右肩に手を置いてその感触を確かめるように力を入れた。


「痛いよ。どうしたんだよ」


「ああ、悪い。でも、おまえ……」


 そこまで彼が言った時、右耳から左耳を巨大な針が貫通するような強烈な頭痛に襲われた。苦悶の表情をしながら頭を抑えていると、しばらくしてその痛みは消えた。顔を上げると、安室が惚けた顔をしながら辺りを見回していた。


「……で、どうした?」


 すると安室は、自分が何故この場所にいるのか分からないように首をひねった。


「あれ、何だったけ?」


「僕に聞かれても」


 結局、安室が何を言いかけたのか思い出そうとしていると朝礼が始まり、いつもの業務が始まった。正直、安室のことよりも藍の方が気になり、業務をしながらも度々メッセージが返ってきていないかを確認していた。


 仕事を終えて帰宅しても、藍はまだ帰ってきていなかった。今年の春、彼女は異動になり別の支店で勤務している。同棲を始めたのも同じ時期だが、僕らは早く帰宅できたほうが料理を作り、遅く帰宅したほうが風呂を掃除するというルールを設けていた。いつもはほとんど藍が早く、ドアを開けた瞬間に食欲をそそる匂いがして、そんな時はとても幸せな気分になった。


 有り合わせの材料で野菜炒めを作り、風呂掃除も終えて携帯電話を見ながら時間を過ごした。藍は九時になっても帰ってこず、彼女が務めている支店に電話してみた。


 だが、すでに営業時間が終了していて繋がらず、おまけにその支店には連絡先を知っている社員がいなかったので確認もできなかった。


 会社の人間には、安室を除いて僕らが交際していることも同棲していることも秘密にしていたのでなるべく大事にしないようにしていたが、こんなことなら日中に確認をしておくべきだったと後悔した。


 もしかして、彼女の親族になにかあったのだろうか。そう思うといても立っても居られず、彼女の実家に電話を掛けてみた。


「そちらに、藍さんは行ってないですか?」


「……はい?」


 電話に出たのは義母だったが、しばらく沈黙していた。藍の両親はこの町から一時間ほどの県境の町にあり、交際を始めてから頻繁に家を行き来していたので話しやすい。紹介された時から今まで気まずい思いをしたことはないが、何故か背中に嫌な汗が伝った。


「ええと、どちらさまでしょうか?」


 慌てて画面を見た。番号を間違えたのかと思ったが、ちゃんと『藍実家』と表示されている。何かがおかしい。そう思った時、


「……うっ」


 再び、強い頭痛に襲われた。手から携帯が落ち、頭を押さえてうずくまる。朝もこんなことがあった。一体、なんなんだ。僕は病気にでもなってしまったのか。


今朝と同じようにしばらく苦しんでいると、次第に痛みが消えて、気づいたら、落とした携帯からノイズのかかった声が聞こえた。


「――君? どうしたの? 大丈夫?」


 そこには、いつもの親近感のある口調に戻った義母の声があった。僕はすぐに携帯を耳にあて、「なんでもないです」と言った。


「ごめんなさい。最初、誰だかわからなくて。それでどうしたの?」


「はい、実は――」


 ものすごく他人行儀だった先ほどの対応は置いておいて、藍と朝から連絡が取れないということを説明した。予想通り、藍は実家にも帰っていなかった。


「藍の友達には電話した?」


「いえ、それはまだです」


 そもそも僕は彼女の交友関係をあまり知らない。友人の連絡先などもってのほかだ。


「とにかく、あなたが連絡できるところに確認してみて。私も、親戚とか知り合いの家に電話してみるから」


「分かりました」


 電話を終えた瞬間、胸に居座っていた不安が急速に膨張し、呼吸が早くなってきた。

いても立ってもいられず外に飛び出し、汗だくになりながら町中を走り回り、藍が行きそう場所を捜した。交番で相談もしてみたが、今のところ事故や事件の情報は報告されていない為、念のため見回りをしてくれるとのことだった。


結局何の手がかりもないまま帰宅したが、いくら待っても藍からも警察からも連絡がないままいつのまにか日付が変わった。


 たった一日音沙汰が付かないだけで、心配しすぎだろうか。僕も藍ももう大人だ。そう自分に言い聞かせるようにして、とりあえず床につくことにした。だが、どんなに眠ろうとしても、藍のことが気になってなかなか寝付けなかった。


 彼女がまだ警察が辿り着いていない何らかの事件に巻き込まれたり、どこかで一人苦しんでいると思うと、胸が締め付けられるようだった。


「どこにいったんだよ、藍……」


 意識がまどろんでいく瞬間まで、僕は藍のことを考え続けていた。



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