第三話 黒天
読んでいただけたら嬉しいです。
暗い薄紅色の瞳と背中まで伸びる真白の髪。
常に浮かべている笑みは見る人の警戒心を無条件で取り除くようでーー。
「・・・誰だ?」
一瞬、状況を忘れて見惚れかけたイザナだったが、何とか思考を取り戻す。
「私はシャルティーユ。さっき、君が床に落としたこれの製作者さ」
そう言って地面を指差すシャルティーユ。
そこにあるのは、小さな時計だった。
「この時計は、これが置いてある空間を守ってくれる。ただし、二人以上の人間が空間にいる時は効果が消える。さっき、無理だといったのは、それが理由だ」
「どういう・・・」
「ま、今はそういうのはどうでも良いだろう。今、大事なのはあの子を助ける事だ。違うかい?」
「助けられるのか!?」
話の半分も頭に入ってはいなかったが、「助ける」という言葉はどうにか理解できた。
「ああ、ただし、私は何も出来ない。君が助けるんだ」
「どうやって・・・」
「簡単さ。まずは、その使い物にならない腕を切り落とすんだ」
倒した敵の数が百を上回った辺りで数えるのはやめた。
今にも解けそうになる『転身』を何とか維持しながら、無心で脚を動かす。
銀子は八歳の頃、交通事故で両親と両脚を失った。
両脚の無い子供を引き取る親戚はおらず、退院した後、彼女は施設に送られる事になった。
だが、明言は避けるが、施設や学校の生活は彼女に何をしても無駄という無力感を与えるには、十分過ぎる環境だった。そして、中学校卒業と同時に、その人生の幕を下ろそうとした瞬間、彼女はこの世界にいた。
最初は地獄に落ちたのかと思ったが、この世界に来た時、傍にあった小さな時計から現れた人がここが地獄ではない事を教えてくれた。
彼女は教えてくれた。
この世界での生き残り方、そして、この世界からの戻り方を。
だが、正直なところ、銀子はそれら全てがどうでもよかった。
もう、どうだっていいのだ。確かに、この世界で脚は取り戻せたが、向こうに戻ったところで何もない空虚な人生が広がるだけだ。
家族も友人もいない。そんな世界に戻ったところで何があるというのか。
そんな時、あの少年がこの世界に来た。
その時点で彼女は決めたのだ。自分の無意味な命をここで使うべきだと。
「乱閃散華!」
無数の銀閃が世界を抉り取る。
同時に『転身』が解けて、地面に倒れ込んだ。
懐かしい、義足を付けたばかりの頃、何度も味わった感覚だ。
「ナカマ・・・シンダ」
「イッパイー」
「コノコモテンシ?」
クチダケを筆頭に、まだ化け物は残っている。
だが、もう身体が動かない。
力を使い過ぎた影響か、目は霞み、肌の感覚も消えていく。
「コロス、コロス!」
ああ、けれどーー良かった。
最期に自分の命に意味が出来た。
僅かな心の充足を抱えて深い暗闇に落ちていく。
その時、風が吹いた。
冷たい向かい風では無い。
春の陽気のような、包み込んでくれる暖かな風が。
「すまん、遅くなった」
霞んだ瞳の焦点が合っていく。
そこに居たのは、自分が助けたはずの少年だった。
「まずは・・・全員倒す!」
少年の腕が炎を纏う。
「『転身』!」
「迷いの無い選択、これも運命かな」
廃マンションの一室、血で汚れた床には二本の腕が転がっていた。
その切断面は、何かで切ったものではなく、強引に引きちぎったかのような跡が残っている。
「それにしても、刃物が無いからって自分の腕を迷いなく千切るとはね」
呆れたように言った美女、シャルティーユはその言葉を最後にその姿を薄れさせていき、完全に消えた後、時計が砕け散った。
「大丈夫か?」
周囲の敵を倒した後、少年が倒れたままの銀子に駆け寄ってくる。もう死ぬつもりだったのに、何故か生きている。そんな疑問を浮かべながら、勝手に口が動く。
「どうして・・・」
すると、彼は「どうして助けに来たのか?」と受け取ったのか、困ったように笑った。
「君に生きていて欲しかったから、じゃ駄目か?」
少年が、今度はちゃんと持ってやれるな、と銀子の身体をゆっくりとお姫様抱っこで持ち上げる。細身な筈なのに、軽々と持ち上げたのは『転身』の副作用か、などとどうでもいい事が頭を過るが、それよりも今はもっと気になることがあった。
「・・・私に、生きていて欲しいの?」
尋ねる。
誰も、銀子の事を必要としなかった。無意味な人間だったのに、どうして。
銀子の中には恐怖と、自分でも気づかないほどのほんの僅かな希望があった。彼ならば、他と違う答えを返してくれるのでは無いかという。
そして、少年は当然のように答える。
「え?当たり前だろ?」
世界が色づいたような気がした。
世界は相変わらず灰色だけど、差し込む僅かな陽光が美しいと思えた。瓦礫の下に覗く若葉が尊いと思えた。
かつて自分がいた世界をもう一度、見たいと思えた。
そう気づいた時には、涙が溢れていた。
「え、どうした?ごめん、何か気に触る事を・・・」
焦る少年の横顔を見る事が出来ない。
その優しげな瞳が綺麗だ、少し長めの黒髪に触れたい、色んな欲望が溢れそうになる。
手を伸ばしかけたその時、大地が揺れた。
そして、絶望が顕現する。
「侵入者、発見」
機神ヘクトル。
この世界を作った者達が世界中にばら撒いた兵器の一機。
その強さは不明。シャルティーユ曰く、銀子を含めたこの街にいる全ての生物が束になって掛かった所で、勝てる見込みは無いらしい。
折角、生きてみたいと思ったのにこの世界はどこまでも銀子の事が嫌いなようだ。
せめて、この少年だけでもと思うが、今の銀子は動く事すらままならない。
「私を置いて・・・逃げて」
「いや、逃げないし、君を置きもしないよ」
「ッ、なら・・・」
この優しい少年がそう言うであろう事は分かってた。
だが、ヘクトルはどうにかなるような相手では無い。どうにかしてーー自分の事を嫌いにさせてでもーーそんな事を考えた瞬間、少年の身体から爆発的な力が発せられる。
凄まじい、なんて言葉では言い表せない程の。
「片手だけ空けてもいい?」
「きゃっ」
驚愕していると、少年が片手で銀子の身体を持ち上げる。
そしてーー。
「『転身』」
片手だけの『転身』。
少女を持つのとは逆の腕が、黒鱗を纏った、神話の竜を思わせるそれへと変化する。
その力は、先程よりも更に強い。
「戦術変形・モード『アサルト』」
対して、ヘクトルが巨大な剣を構える。
以前、遠くから見た時、その一撃は山を二つに分けた。
圧倒的過ぎる力、間違いなく人が抗っていい存在では無い。
だというのに、この少年がいると不思議な程に負ける気がしないのは何故だろう。
「排除します」
剣が振り下ろされる。
直撃すれば二人ごと大地を斬り砕くその一撃を、少年は竜の右腕で受け止めた。
少女の眼前で止まった刃は、今も途轍もない力が込められているのか、ガタガタ震えており、受け止めた少年の足元を中心に周囲一帯は沈下している。
だが、少年は全くの無傷だ。
「今なら、何でも出来る気がするよ」
少年が剣を押し返すと、ヘクトルの巨体がひっくり返った。
最早、町の原型が無くなるほどの衝撃が周囲に広がるが、少年が腕を振るだけで衝撃波が相殺される。
「終わりだ」
手刀にした腕を縦に振り下ろす。
その瞬間、ヘクトルの機体が真っ二つに裂けた。
「凄い・・・」
それしか言葉が出てこなかった。
そして、彼への想いも。