下を向かずに、ちゃんと云って!
「道草系」シニアのクリスマス・浪「漫」ティックストーリー。マドンナが放った衝撃のひと言とは!?
いまの六十代、七十代はぜんぜん若い! などと云われますが、当事者にしてみれば、中年期とはやはり違います。たとえば「うるおひ」が欲しくなったりする。
おばちゃんがスーパーのお兄ちゃんに気安く話しかけてるとか、ジイさんが常連さん気取りでレジの女の子に声をかけてるとか、そんな光景を見かけたことがあるかと思いますが、結構、切実だったりするんです。その日唯一の会話がそれだったりするわけですから。中年期を過ぎると、それが我が事になってくる。
さて、このエピソードの登場人物は二名。わたしの友人と彼が通うお店のマドンナです。友人の名前はお能の『通小町』になぞらえて「昔草」とします。
『通小町』とは、小野小町が、自分に云い寄ってきた深草少将に対して「百夜、通ってくれたなら……」と口にしてしまったがために起こった悲しい物語。わたしの友人は色男でもなく第一ジジイなのですが、そこはご愛敬。昔深草……「昔草」で手を打たせて下さい。
一方、マドンナは、さぞ美人だったろうなという女性なのですが、そこそこお歳を召されているということで、「こころ小町さん」とさせていただきます。
舞台は、師走のホームセンター。こころ小町さんは園芸コーナーの店員さんで、昔草はそこに通う客。といっても、慎ましい暮らしなのでそうそう買い物ができるわけでもなく、月に一二度訪れては、ひそかに和んでおりました。
先ほど、こころ小町さんが美人だと云いましたが、昔草が彼女にひかれるようになったのは、その話しぶりからだったそうです。なにしろ通りがかる他の従業員やお客が皆、こころ小町さんに声を掛けて行く。その都度、軽妙なやりとりが交わされるのですが、気さくさの中にも相手への細やかな気遣いが感じられ、次第次第に惹かれていったのだとか。
そうなると自分も声を掛けたくなるのが人の情。昔草は元来、偏屈者でしたが、こころ小町さんだけは特別だったと見えて、まず、挨拶に応えるようになりました。「いらっしゃいませ~」と云われて、思わず「こんにちは」と返してしまった。
若い娘さんなら、きょとんとされるところでしょうが、なかには挨拶を返してくれる店員さんもいる。うまくいくと、にこっと笑いかけてくれたりもして。こころ小町さんは、そういうよく出来た人だったようです。
それまで、わからないことがあるとネットで調べていた昔草が、こころ小町さんがいる時には質問するようになりました。たったそれだけのやりとりでも、あるのとないのとでは大違い。それがシニアの「うるおひ」なのです。
こういうと「男女のことは灰になるまでというから、」などと云われそうですが、百歩譲ってそういうものだとしても、若い頃と同じであるわけがありません。線香花火を思い出してみて下さい。最後はどうします? じっと見守るじゃないですか。あれ我慢してるわけでも、引っ込み思案なわけでもありませんよね。愉しみ方が変わってくるんです。
線香花火では、いよいよ最期みたいですので、別のたとえを探すと…… 「肉食系」、「草食系」というのが流行りましたが、歳をとると「道草系」になる人が多いと思います。もう「食」が外れてくる。
若者が外に出るのは何かを求めてのことで、刺激的な出来事がなければ、つまらん、となるかと思いますが、中年を過ぎると、眺めたり挨拶するだけでも気が晴れる。何歳からそうなるかは個人差がありますが、だんだんと人生が散歩のようになってくるんです。
さて、年も押し詰まり、昔草は正月の花飾りを準備することにしました。といっても、葉ボタンやらビオラやら安いポットを買い集めての「やりくり寄せ植え」です。自分で組めばお値段以上~♪ にも出来ますので。というか関西人にとってはそっちのほうが大事だったりもして。「素敵ねえ~」と云ってくれる人がいたら、つい値段を云いたくなる。後半の方が点が稼げる。フィギュアスケートの採点と同じです。失礼。
店には、さいわいこころ小町さんもいて、例によって相談に乗ってもらうことも出来たそうです。彼女はパートタイマーなので、居合わせる確率はいつも数分の一。昔草にとっては、それも運試し。ですから、一年の締めくくりとしては申し分のないものになったはずでした。
ところが、肝心の寄せ植えがうまくいかなかった。配色を気にするあまり、構図への配慮を失念していたからだそうです。高さのあるものが足りなかった。どうすればよいのか見当はついたものの、年末の忙しい時期、やり直すのはいかにも億劫。今年はこれで勘弁してもらおうと、一度は割り切ったそうなのですが、何しろ玄関の花、見ないわけにはいかない。見ると、もやもやする。数日して、とうとう我慢できずにやり直すことに……。
当日、昔草はめずらしく朝一番に出かけました。気がはやっていたのでしょうか。すると店の様子がずいぶん違う。日中とは違い、皆さん商品の入れ替えやら陳列に大忙し。こころ小町さんがいるのかいないのかもわかりません。目が良ければ、目渡せばいいわけですが、昔草は目が悪いくせに普段は眼鏡をかけないと来てますから、接近するか、声を聞かないとわからないのです。
買う物は決めていましたので時間はかかりません。昔草は、そのままレジを済ませました。何かにかこつけて時間を稼ぎ、お目当ての人を待っても良さそうなものですが、そういうことはやりません。あくまで偶然を愉しむのが「道草系」のこだわり。
残念、今日は空振りだったか……と、昔草が店を出ようとしたところでアクシデント発生。やや無神経な客と店員が出入り口をふさぐ形で会話をはじめて、店から出られなくなったのです。現役時代なら「通らせて……」と、隙間から強引に押し通るところですが、無職になるとそれが出来ない。譲り癖がついてしまってる。
さて、どうしようかと思ったまさにその瞬間でした。
「通れますか?」
出入り口の向こうから気を利かせてくれた人がいた。
「絶好のタイミングで、マリア様が救い主として現れたわけだよ。そういう偶然ってあるんだねえ」というのは、クリスマスにかこつけた昔草の精一杯のユーモア。よほどうれしかったと見えます。
「云い方が心憎いだろ? あれは間接話法だぜ。お客と男性店員に対して、『ご迷惑ですよ』とも云い難いので、オレに声をかけることで、二人に気づかせて道を開けさせたわけだ」
ほんとかよ~という深読みですが、確かにそう解釈すると、単によく気がつくという以上に、人の心の機微がわかった女性に思えてきます。
昔草が、その一言でうるおったことは云うまでもありません。それだけで十分、店に来た甲斐があったというものでした。
しかし、世の中、一寸先は闇。好事魔多しとも云いますが、その直後に奈落の底を見ることになったのです。誰あろう、彼女のこのひと言で……
「お客さま、チャックが開いてますよ」
(聞き間違いだろ?)
(しかし彼女、オレの股間を見てるぞ)
(少しも照れずに)
(いくら熟女でも それは云わぬが花でしょ)
(オレの立場はどうなるのよ……)
時間にすれば、コンマ一秒もなかったかもしれませんが、身体はカタマリ、頭の中は空ぶかし……。無理もありません。場所は店の出入り口、レジの近くでたくさんの人がいます。こころ小町さんの声は周囲に丸聞こえ。そこでズボンのチャックをあげるというのは、いかにジジイでも恥ずかし過ぎる!
どうする、昔草?
とっさに動いたのは、手ではなくて顔。考えてのことではなく、無意識、夢遊状態、ともかく下を見た。
すると目に飛び込んできたのは臍の下のウエストポーチ……
確かに、チャック全開…… 彼女が見つめていたのは股間ではなかったのです。
「中の物、落としらたいへん~」と、ふだん通りの彼女の声。さすがの、こころ小町さんも、この時の男心ばかりは、わからなかったようです。
昔草としては、それを先に云ってよ、と恨み言の一つも云いたくなりましたが、事情を説明するわけにもいきません。もれた言葉が、
「危ないところでした……」
以上、「道草系」シニアにしてはちょっと波乱のエピソード、「下を向かずに、ちゃんと云って!」の一席でした~