優雅な朝
王都より馬車で半刻ほど進むと、都会の喧騒を離れて深い森が広がる。覆い茂る木々に外気は遮断され、静かに降り注ぐ木漏れ日、聞こえるのは川のせせらぎと小鳥のさえずりのみ。
森の奥にはウェーザー国王の別邸があるとされているが、たどり着けるものはいない。湖のほとりにまるで白鳥のように優雅にたたずむその城には、国王の強い魔法がかけられ、許されたものだけが入れるようになっていた。
シルヴァは窓を開けてうんと背伸びし、身体の隅々まで新鮮な空気を行き渡らせる。顔を洗い、短い黒髪を梳かし、着替えを済ませて階下の食堂へ向かった。すでに朝食の支度は整っているようで、焼き立てのパンと香ばしいバターの匂いが鼻孔をくすぐる。
「おはようございます」
用意された席につくと、給仕係が熱い茶を淹れてくれた。しかし向かいの席に座るひとは、短く返事をしただけで顔を上げようとしない。
「お茶が冷めますよ、アナベル様」
「ん……もう少しで仕上がるのよ」
美しい白金色の髪を邪魔にならないように緩く束ね、小さな毛糸玉を転がしながらせっせと手を動かしている。うっかり教えてしまった編み物に夢中になっているのだ。
「まさか、眠らずにずっとなさっていたんですか?」
「違うわ。途中で寝てしまったのよ。目が落ちてしまって……」
「針を持ったままだと危ないですよ」
シルヴァはやれやれと肩をすくめる。
「ああ、あなたは先に食べてちょうだい。私もきちんと食べるから」
「わかりました」
そうは言っても王妃より先に手を付けるのは失礼な気がして、ゆっくり茶をすすりながら見守った。
夏から秋へと季節が変わり、北の港町トマから次の街へと旅立とうとしていたカインとシルヴァに、突然下された帰還命令。渋々と戻るなり、それぞれに任務が与えられた。
カインには工業都市コルトで発生した内乱の制圧、そしてシルヴァには東の別邸で静養している王妃アナベル・ヴァッシュの警護だ。
もっとも、屋敷は国王の強い魔法で保護され、身の回りの世話をする小間使いも医師も厳選された者ばかり。騎士の称号を持つとはいえ、シルヴァが身を挺して護るような事態になるはずもなく、話し相手にちょうど良いと送り込まれたのだ。
シルヴァはふとため息をつく。
本当ならば、各地の収穫祭を巡り、美味いものを食べ歩いていたはずなのに。あるいは色を変える木々の葉に感動し、次第に冷たくなる風に身を寄せあい、冬を迎えるための準備をしていたかもしれない。
今ごろ、愛するひとはどうしているだろう。無理難題を押し付けられて困ってはいないか。人々を守るために自分を犠牲にしてはいないか。食事は摂れているだろうか。眠れているだろうか。
ほんの数日離れただけで、心配は尽きない。
「できたわ」
ぐるぐると頭の中に渦巻く不安を振り払い、目の前の貴人の方へ向き直る。小さな靴下を自慢げに掲げ、美しい王妃がさあ褒めろとばかりに見つめていた。
「かわいいです。上手くなりましたね」
「ふふ、そうでしょう」
アナベルは満足そうにほほ笑む。まもなく産まれてくる子のために、できることがあるのが嬉しい。
シルヴァもにっこり笑った。
「ね、アナベル様。御子の靴下はたくさんできましたから、次は国王様に何か作ってさしあげてはどうですか?」
「えっ!」
予想外の提案に、アナベルは素っ頓狂な声を出す。
「そんな、私が……陛下に……っ」
「はい。これから寒くなりますから、肩掛けとか」
アナベルは戸惑い、しかし顔を赤らめ、できるだろうかと窺う。もちろんと頷くシルヴァに、今度は逆に問うた。
「あなたもカイン様に編んでさしあげるの?」
「えっ! あ、カイン様は暑がりですし、その……」
作って贈りたい気持ちはあるが、はたして喜ぶだろうか。二人とも、想い人がどれほど感激するか知らない。
「では、新しい毛糸をご用意いたします。昼過ぎには届くでしょう」
給仕係は茶を淹れなおし、遅くなった朝食を済ませるように促す。アナベルとシルヴァはパンを頬張りながら、あれこれと図案を考えた。
優雅な朝が穏やかに過ぎていく。