国王の頼みごと
高い空に秋の涼やかな風が渡る。木々が揺れるたびに木の葉を落とし、よく手入れの行き届いた庭が赤に黄色に色を変えていく。
狭い書斎では息が詰まると木陰に机を出し、ダグラス・ノイエンは冷めた茶をすすりながら書類を睨みつけた。道路の補修の申請書、小麦の仕入書、教会の寄付金、市民の要望、多岐にわたる書類をめくっては署名し、別の山に積み上げる。本当に全てに署名が必要なのかとうんざりした。
国王が代替わりしてほどなく、先代当主のハロルド・ノイエンは近衛隊長を辞し、家督を息子のダグラスに譲って田舎に下がった。いずれは継ぐものと理解していたが、こんなに早くと独り言つ。
軍人だったダグラスには、じっと座り続ける事務作業は苦痛でしかなかった。
ふと風が強くなり、書類が幾枚か飛ばされた。やれやれとため息をつき、ペンを置いて立ち上がる。芝生の上の書類を取ろうとしたときに、人影に気が付いた。
「やあ、ひさしぶり」
書類を拾い集めてダグラスに手渡したのは、美しい青年王アレン・トマ・ウェーザーだった。木漏れ日に豊かな赤茶色の髪が透け、甘い香りを放つ。
ダグラスは舌打ちして書類を受け取り、また席に着いた。
「忙しそうだね」
「親父が山ほど仕事を残していたからな」
「優秀な事務官を紹介しようか?」
「結構だ。どうせこれしかすることがない」
国王の好意に、さも迷惑そうに顔をしかめる。まったく、警備兵は何をやっているのだ。こうも簡単に不法侵入を許すとは。
もっとも、不思議な力を使うアレンには、どれほど強固な警備も通用しないだろう。そしておそらく、護衛も必要ないほどに。
アレンは優雅な笑みをたたえたまま向かいに座り、自ら茶を淹れる。
「ねえ、復職しない?」
「断る」
「そう言わずに。君しか適任者がいないんだ」
ダグラスは頭を抱えてため息をついた。もう、何度も同じ問答をしている。苛立ち、アレンを睨みつけるダグラスの右の肩から垂れ下がった上着の袖がひらりと揺れた。
「……どこの世界に、片腕の近衛隊長がいるって言うんだ」
シラーに捕らえられた時に、親友を助けるために犠牲にした右腕。後悔はしていないが、もう剣を握ることもない。
「もっと早くに気付いていれば、治せたかもしれないのに」
アレンの治癒魔法ならば、完全ではなくともせめて切断は免れたかもしれない。しかし、ダグラスはふんと鼻を鳴らした。
「俺は、魔法やまじないの類が嫌いでね」
自然の摂理を歪め、運命を変えようとすることを親友も嫌っていた。ひとならざる力で、いったい何をしようと言うのか。
魔法を日常的に使うアレンへの厭味のつもりだったが、気に留める様子もない。
「今のウェーザーなら、実際に戦うことなんてないから」
「だったら尚のこと、他のやつでいいじゃないか」
アレンは茶碗を置き、瞳を伏せる。遥か遠い日の記憶に想いを馳せて。
「……私はただ、君とカインの約束を成就させたくて」
まだ少年だった頃、夕暮れの中庭で交わした誓い、忘れるはずもない。
「あんたは俺に、お飾りの人形になれと言うのか」
それも、不完全な。さぞ見栄えも悪かろう。
アレンは自嘲気味に笑った。
「それなら、私はかりそめの王だよ。カインが戻れば、私の役目は終わる」
全ての人々を救うために精霊たちと契約し、行方知れずとなった兄を想い、アレンは美しい顔を曇らせる。
ダグラスもまた、親友の身を案じていた。耳に入るのは不吉の王だの災厄の王だのとよからぬ噂ばかり。いったいどこで何をしているのか。
ダグラスは高い空をふり仰ぐ。傾きはじめた日が疲れた目をしくしくと刺激した。耳元でささやく風の声はうまく聞き取れない。
「あんたのことだ、俺がどう答えるかは知っているんだろう? だが、俺はそれでは納得しないぞ」
わかっている、とアレンはうなずく。
「きちんと話すよ」
ダグラスは召使いを呼びつけ、書斎に茶と菓子を用意するように命じる。長い話になりそうだ。