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カラフルデイズ

作者: 日下千尋

1、きっかけはクレヨンで描いた似顔絵


 私は村山京子。16歳で今年の春、藤沢市内の公立高校の美術科に入学しました。

 もともと絵を描くのが大好きで、暇を見つけてはよく描いています。

 そもそものきっかけは保育園の時に両親に買ってもらったクレヨンで母の似顔絵を描いたことでした。


 ここからは回想シーンになります。

 私の家は共働きで親のお迎えが遅く、保育園では私が最後になることが多いのです。

「京子ちゃんのお父さんとお母さん、帰りが遅いわよね。」

「お仕事が忙しいんだよ。」

 他の友達は家族の迎えが早く、私よりも先に家に帰っているのですが、私の両親はいつも遅かったので、帰りが7時を過ぎることがよくありました。

 祖父母や親せきが迎えに来てくれた時には早く家に帰れるのですが、ほとんどが両親だったので、帰りがどうしても遅くなってしまいます。

 待っている間、絵本を読んだり、積み木で遊んだりしていますが、たまたま余った画用紙を見つけて絵を描き始めました。

 道具箱から24色のクレヨンを取り出して、一人黙々と描き始めていきました。

「まあ、お上手。誰の顔を描いているの?」

「お母さん。」

「すごいね。絵を描くのが好きなの?」

「うん!」

 私の組を受け持った武村みどり先生は絵を見るなり、褒めちぎっていました。私は褒められたことの嬉しさを知って、夢中になって描き続けました。

「武村先生、画用紙ある?」

「ええ、あるわよ。今度はどんな絵を描くのかな?」

 武村先生は事務室から画用紙を1枚取り出して私に渡してくれました。

「京子ちゃん、次は誰の絵を描くの?」

「お父さん。」

 私は夢中に描き続けました。

「できた!」

 私が満足げに描き終えたとたん、武村先生が横から覗くように見てきました。

「どれどれ。すごーい!京子ちゃんって、もしかしたら絵の才能があるかもしれないよ。」

「さいのう?」

「そう、才能。大きくなったら絵描きさんになれるかもしれないよ。」

「私、大きくなったらお花屋さんになりたい。」

「お花屋さんかあ、それもいいかもしれないね。京子ちゃんがお花屋さんになったら、毎日お花を買いに行くからね。」

 私はその言葉にうれしくなって、少し照れてしまいました。

 7時ごろ保育園の入口で車を停めて母が駆け足で私のところにやってきました。

「村山京子ちゃんのお母さんですか?」

「はい、そうです。遅くなってすみません。」

「お待ちしておりました。京子ちゃん、お母さんがお迎えに来たわよ。」

「先生、ばいばーい!」

 うまく「ばいばーい!」と言えない私は思わず「ばいなーい!」と言ってしまいました。

 私は先生に大きく手を振りました。

「ばいばーい、京子ちゃん。」

 先生も小さく手を振って私を見送りました。

「それでは失礼します。」

「お気をつけて。」

 帰りの車の中、私は疲れたのかそのまま眠ってしまいました。

 目が覚めた時、私はパジャマ姿で自分の部屋にいました。

 私は保育園で描いた絵を部屋中探して見つからないことに気づき、居間に向かいました。

「お母さん、今日保育園で描いた私の絵、知らない?」

「もしかして、これのこと?」

 母は私が描いた絵を見せました。

「今日、保育園で描いたの?」

「うん。」

「すごく上手よ。これがお母さんで、こっちがお父さん?」

「うん。」

「よかったらこの絵、お父さんに見せてもいい?」

「うん、いいよ。」

「じゃあ、もう遅いから寝なさい。」


 翌朝私は着替えを済ませて朝食を食べていたら、父がネクタイを結びながら私の絵を褒めていました。

「京子、絵を見せてもらったけど、とても上手だったよ。」

「本当に!?」

「ああ。今から将来が楽しみだよ。」

 父は笑いながら私を褒めていました。

 私も食事を済ませて、母に保育園まで送ってもらいました。

「今日お父さんもお母さんも帰りが遅くなるから、帰りはおじいちゃんの車に乗って帰ってくれる?」

「うん、わかった。」

 母は急ぐかのように、車に乗って会社へ向かいました。

 その日の午後、私はみんなが外で遊んでるいるにも関わらず部屋で一人、クレヨンで絵を描いていました。

「京子ちゃん、今日は誰を描いているの?」

「おじいちゃん。」

「お上手だね。」

 私は褒められた時の快感を覚えてしまい、つい夢中になってしまいました。

 4時ごろ祖父がお迎えにやってきて、私は描いた絵を見せました。

「これ京子が描いたのかい?」

「うん、おじいちゃんの顔なんだけど・・・。」

「どれどれ。」

 祖父は私が描いた絵を真剣な目つきで見ていました。

「ほう、なかなか上手じゃないか。特に目の部分と髪の毛がきちんと特徴をとらえているよ。」

「本当に!?」

「おうちに持って帰って、みんなに見てもらおうか。」

「うん!」

 褒められるたびに私は自宅でも保育園でも絵を描き続ける日々を過ごしてきました。

「うわあ、京子ちゃんって、絵上手だね。」

 次の日の午後、保育園で絵を描いていたら、近所に住んでいる土屋朱美さんは私の絵を見て褒めていました。

「ありがとう。」

「私、お絵かき苦手だから京子ちゃんがうらやましい。」

「そんなことないよ。」

「ねえ、今度はこのアニメキャラ描いて。」

「ごめん、もう画用紙がないから描けなくなった。」

「じゃあ、私の画用紙あげる。」

 朱美はロッカーから画用紙を一枚取り出して私に一枚差し出しました。

 私はアニメキャラが載っている絵本を見ながら描き始めました。

「すごーい!」

 保育園を卒園して、小学校に入学してからも私は絵を描き続けるようになりました。



2、初めての絵画コンクール


 入学式、私は空色の新しいランドセルを背負って母と一緒に校門をくぐることになりました。

 桜の木を見た私は、あまりのきれいさに見とれてしまい、思わず絵を描きたい気持ちになってしまいました。

 校舎に入るなり、教室に入ると朱美が声をかけてくれました。

「京子ちゃん、また一緒になったね。」

「うん、よろしく。」

「京子ちゃんは、今日お母さんと来たの?」

「うん。朱美ちゃんは?」

「私もお母さんと一緒だよ。」

「今日、4人で帰らない?」

「いいよ。」

 入学式を終えて、先生とみんなの自己紹介が始まりました。

 先生は黒板に平仮名で「つくい はるこ」と書きました。

「みんな初めまして。先生の名前は津久井春子です。実は今まで上級生のお兄さんやお姉さんたちを教えてきたので、みんなのように可愛い1年生を教えるのは初めてなの。先生が難しいことを言ったり、間違ったことを言ったら、みんなで言ってね。」

 みんなは大きい声で「はーい!」と返事をしました。

「みんな、元気な返事をありがとう。」

 そのあとみんなの自己紹介が始まり、出た保育園や幼稚園と自分の名前、好きなことを順番に言ってきました。

 そして私の順番が来ました。

「湘南台保育園から来ました、村山京子です。好きなことはお絵かきです。」

「はい、ありがとうございます。」

 入学初日を終えて、私は母と朱美とそのお母さんと一緒に家まで帰りました。

 夕食の時、仕事から戻ってきた父から入学式のことで根掘り葉掘りと聞かれました。

「京子、新しい学校はどうだった?もうお友達は出来たか?」

「うーん、まだ分からない。でも、保育園の時の土屋朱美ちゃんと一緒になった。」

「そうか、それはよかった。」

「新しい先生はどうだった?」

「女の人で優しそうだったよ。」

「うまくやれるといいな。」

「うん。」

「何かやってみたいことってある?」

「お絵かき!」

「京子はお絵かき好きだよな。今度はどんな絵を描いてみたい?」

「まだ分からない。」

「そっか、とにかく頑張れよ。」

 食事を終えて風呂に入り、次の日の準備を済ませて寝ることにしました。


 入学式から4か月が経って、小学校に入ってから初めての夏休みを過ごしていました。

 宿題も終わって、私は画用紙と画板、クレヨンを持って近所の児童公園に向かいました。

 空いているベンチに座って、滑り台で遊んでいる子供たちの絵を描いていたら、担任の津久井先生が私のところにやってきました。

「あ、先生こんにちは。」

「京子ちゃん、こんにちは。何を描いているの?」

「滑り台で遊んでいる子ども。」

「どれどれ。すごい!これ京子ちゃんが描いたの?」

「うん!」

「実はみんなにまだ話していないんだけど、藤沢市で市内の小学校の絵画コンクールがあるの。よかったら出してみない?」

「コンクールって何?」

「描いた絵を飾って、一番上手な絵を決める大会みたいなものかな。どう?出してみる?」

「うん。」

「じゃあ、この絵出してみようか。」

「でも、まだ出来上がっていないから・・・。」

「出来上がったら、先生に持ってきてくれる?」

「もう少しで終わるから、待って。」

「先生、このあと用事があるから、明日の登校日に持ってきてくれる?」

 津久井先生はそう言い残して、急ぐかのようにいなくなってしまいました。

 私は残りを仕上げて、家に帰りました。

 翌日の登校日、私は手提げ袋に描いた絵を入れて学校に持っていきました。

 教室へ入ると日焼けした人が何人かいましたので、おそらく海水浴に行ったのかなと私は思いました。

 クラスの会話を聞いていると、両親の実家へ帰省したとか、島の別荘へ行ったという話が出てきて、少しうらやましく感じました。

 もともと、東京出身の両親をもつ私は帰省することもなく、かと言って遠くへ行く機会もありませんでした。今年の夏休みは熱海の温泉旅行に一度行ったきりで、それ以外は遠くには行っていませんでした。

 津久井先生がやってきて、みんなの出欠をとり終えた後、絵画コンクールの申込用紙を渡されて、名前を書いて、描いた絵と一緒に提出をしました。

「京子ちゃん、絵は預かったよ。」

「ありがとうございます。」

 あとは当日を待つだけでした。

 先生は私の絵を預かって職員室へ戻りました。

 登校日なので、特別なことは何もなく、出欠をとり終えたあとは、帰るだけになりました。

 外はセミがうるさく鳴いていて、男子はサッカーボールを持って校庭で遊んでいました。

 私は特にやることがなかったので、残りの時間は家でのんびりと過ごすことにしました。

 帰り道、朱美が私に声をかけてきたので、一緒に帰ることにしました。

「京子ちゃんは今日提出したんだね。私、どうしようか迷っているの。」

「何が?」

「コンクールに出す絵を描くかどうか迷っている。」

「描きたいものってあるの?」

「まだ分からない。」

「夏休みはまだあるんだし、時間をかけて考えればいいよ。」

「うん。」

 朱美は残りの夏休みを、絵を描かずに私と一緒に過ごすことになりました。


 夏休みが終わり、2学期最初の日曜日、駅前のショッピングセンターのエントランスホールで藤沢市内の小学校の絵画コンクールが行われました。

 審査する人は一般の買い物客の他に、市の教育委員会の人たちでした。

 みんな厳しい表情で描いた絵を見て、投票していきました。

 翌日、朝会の時に絵画コンクールの金賞で私が選ばれたと発表がありました。私は体育館の壇上に上がり、校長先生から賞状を受け取り、満面な笑顔を見せました。

 教室に戻り、私は皆から「すごい」の一言を言われていました。

 しかし、全員がそれを喜んでいたわけではありませんでした。

 さらに翌日、図工の時間にクレヨンで動物の絵を描いていた時、近くの席にいた内山洋子が、私の絵を見て面白くない顔をしていました。

(こんなのがコンクールの入賞作品に選ばれるなんて納得いかないわ。私だって夏休みにスイスへ行っていなかったら、応募していたのに・・・。)

 内山さんは心の中でそう呟いていました。

 出来上がった絵は教室で飾ることになっていましたが、私の絵は下の位置になってしまいました。

 放課後みんなが帰宅した後、内山洋子が私の絵を破いてごみ箱に捨ててしまいました。

 次の朝、教室に入ってみると、みんなが私の席に集まって何かを見ていました。

「これ、村山の絵だよな。」

「ひでえな。誰がやったんだよ。」

 私は自分の席に座ろうとした瞬間、破られた絵を見て何も言えなくなりました。

「ひどい、誰がやったの?」

 私は椅子に座るなり、涙が止まらなくなってしまいました。

 それを離れた場所で内山さんは顔をニヤっとさせて見ていました。

(いい気味だわ。調子に乗っているからこうなったのよ。)

 津久井先生が教室へ入って、朝の学級会が始まりました。お話の題材は言うまでもなく、私の絵を破いた人間のことでした。

「先生も、正直これには非常に残念に思います。もし、この中で京子ちゃんの絵を破いた人がいたら、正直に手を挙げてちょうだい。このままだと、お勉強が出来ません。」

「先生、昨日の帰りの学級会が終わって、一番最後に教室に残った人が犯人だと僕は思います。」

「私もそう思います。」

「先生、昨日私教室に忘れものをとりに行ったとき、内山さんが教室から出てきたのを見ました。」

 須藤さんが内山さんの目撃情報を発表しました。

「そういえば、朝もみんなが集まっている時、内山だけが自分の席でニヤついていたよな。絶対に怪しい。」

「内山さん、昨日みんなが帰った後、教室で何をやっていたの?」

「私も忘れ物を取りに行っていたのですよ。」

「何を忘れたのですか?」

「教科書ですわ。先生は私が犯人だと言うの?」

「では聞きますが、最後にあなたが教室から出た時に京子ちゃんの絵が破られて、ごみ箱の中に捨てられたのはなぜですか?」

「知りません。そのあと、男子が入ったのはありませんか?」

「内山、でたらめ言ってないで正直に言えよ!」

 内山さんはクラスのみんなに攻め立てられて何も言えなくなりました。

 そんな時、内山さんは何かを思いついたように須藤さんに責任をなすり付ける発言をしてきました。

「先生、村山さんの絵を破いたのは須藤さんですよ。」

「おい、でたらめ言うな。須藤がそんなことするわけねえだろ。」

「昨日私と入れ替わる感じで、須藤さんが村山さんの絵を破いたのですよ。」

「なら、須藤さんがやったと言う証拠を出せよ。」

「それでは、私がやったと言う証拠はあるのですか?」

「証拠も何も、お前しかいねえだろ。須藤は忘れ物をとって、そのままいなくなった。しかし、お前は違う。教室に長時間いたよな?」

「長時間って、どれくらいよ?」

「そんなの知るか!」

「はーい、分かりました。これ以上言ったって犯人は見つかりませんので、この話は一度これで終わりにします。最後に聞きますが須藤さん、間違いなくやっていませんよね?」

「はい。」

「内山さんもやっていませんよね?」

「はい。」

 その瞬間、内山さんが先生から目をそらしました。

「内山さん、先生から目をそらしたけど何か知っているの?」

「内山、正直に言えよ!」

 またしても男子のヤジが飛んできました。

「・・・・がやりました。」

「きこえねえよ!」

「ちょっと静かに。」

「私がやりました。ごめんなさい。私、村山さんがうらやましくなって、絵を破いてしまいました。」

「わかりました。内山さん、のちほどこの話はお父さんとお母さんにはきちんと話しておきます。」

 

 その日の夜、内山さんの両親が家にやってきて、私に謝ってくれました。

「このたび、娘がご迷惑をおかけしてしまい、本当に申し訳ありませんでした。今後このようなことがないよう、きちんと言い聞かせておきます。」

「いいえ、もう済んだことですし・・・。洋子ちゃんも反省しているみたいだから・・・。」

「おい、謝れ!」

 内山さんはおじさんに頭を叩かれながら、謝っていました。

「ごめんなさい。」

「もうしないよね?」

 内山さんは無言で頭を下げました。

「これ、つまらないものですが、良かったら召し上がってください。」

「まあ、ご丁寧にありがとうございます。」

 内山さんはそのままいなくなってしまいました。



3、限られた色の絵の具


 6年生になって、新しい担任になった大田浩二先生はまだ30代で、子供たちに大変人気のある先生です。今までの先生と違って給食を残すことも許されるし、休み時間には積極的に私たちと一緒に遊んでくれます。

 

 新学期が始まって2週間が経った時、図工の時間で絵の具を使うことになりました。大田先生は絵の具の色を指定して、その使える色は赤、黄色、青、白、黒の5色だけでした。それらの色を使っていろんな色を作ってほしいと言ってきましたので、正直難しいと感じました。

 私は無難なところからピンク、レモン色、黄緑、朱色、藍色などをどこにでもあるような地味な色を作っていきました。

 後ろにいた朱美は若竹色、ライトイエロー、梅色、濃いピンク、500円玉の色、チョコの色など作っていました。

 さらに隣の林田君は血が固まった色、さびた色、サボテン色、ポテチの色、いたんだバナナの色などを作っていました。

 近くを通った大田先生は林田君が作った色を見て、「おまえ、もう少し品のある色を作れよ。」と言った瞬間、クラスのみんなは笑い出しました。

 みんなの作った色は教室に展示されることになりました。

「朱美、男子ってユニークだよね。」

「うん。特に林田君の色は発想力がすごいよ。」

「私なんか、かなり地味すぎるよ。」

「私も似たようなものだよ。」

 その時、私の中で何か違和感を覚え始めました。それは1年の時から一緒だった内山さんの作った色でした。明らかに他と違って作った色ではなく、元からの色を使ったものと感じました。

「ねえ朱美、この黄土色って、作った色にしては不自然だよね。」

「確かに。でも、証拠がない以上、先生に告げ口が出来ないから無理よ。」

「そうよね。」

 私の中では悔しさがこみ上がってきました。


 その1週間後には藤沢市のはずれにある自然公園で校外学習があり、5色だけの絵の具を使ったスケッチ大会がありました。

 描くものは自由でしたので、私は朱美と一緒に噴水のある場所で絵を描くことにしました。

 しかし、本当の目的は内山さんがインチキしてないか確かめることでした。

 あまり離れていても確認しづらいし、かと言って近づきすぎると警戒されてしまうので、程々の距離で見張ることにしました。

 絵の具は5色だけなのに、なぜか次々といろんな色の絵の具が出てきたので、私はこの一部始終をスマホのカメラで撮影していきました。

 明らかに動かぬ証拠、これを大田先生に見せれば間違いなく現行犯出来る。そう思って今度はカメラをズームで撮影していきました。

 さらに水道に行く時、パレットの中をチラ見してみましたら、明らかに指定された5色以外の色が載っていました。本当は写真を撮りたかったのですが、それは我慢しました。

 私の頭の中では、今すぐ先生に告げ口をしたい気持ちでいっぱいでした。

「朱美、今すぐ先生に告げ口をしよ。」

「気持ちは分かるけど、今は我慢した方がいいよ。」

「しかし・・・・。」

「今は絵を完成させる方が先だよ。」

 私と朱美は絵を完成させて、先生に提出しました。

「お、2人ともなかなか上手にできているじゃないか。」

「ありがとうございます。」

 私たちが提出した直後、今度は内山さんが提出をしました。

「お、内山もなかなか上出来じゃないか。」

「ありがとうございます。」

 大田先生は何も知らずに内山さんの絵を見て褒めていました。

 私が本当のことを言おうとした瞬間、朱美が私の手首をつかんで内山さんから少し離れた場所まで連れていきました。

「気持ちは分かるけど、今は抑えて。今にボロが出るから。」

 私は無言で首を縦に振りました。

先生が出発の合図をしたので学校へ戻り、翌日には絵は教室へ貼られました。

 次の日の放課後、大田先生は私たちの描いた絵に順位を付けました。

 3位が朱美、2位が私、1位が内山さんでした。みんなは内山さんを褒めていましたが、私と朱美以外で納得のいかない顔して見ていた人がいました。

 男子の林田治夫君で、最初の図工の時間にユニークな色を作っていた人でした。

「林田君、どうしたの?」

「俺思うんだけど、自分で作った色にしては不自然過ぎると思わないか?」

「林田君もそう思った?」

「明らかに噴水の色といい、空の色といい、芝生の色といい、明らかに作った色じゃなくて、買ってきた色を使っていそうだと思った。」

「実は私、内山さんがライトブルーとライトグリーンの絵の具を使った瞬間をカメラで撮ってみたの。」

 林田君は私が撮った写真を見ましたが、気難しそうな顔をしていました。

「正直言わせてもらうけど、これだとピンボケだし、証拠としては成り立たないよ。もっと決定的な瞬間を見つけないと内山を先生に告げ口するのは難しいよ。」

 確かに林田君の言う通りでした。改めて自分のスマホの画面を見ていたら手元が狂ったせいか、明らかにピンボケになっていました。


 しかし、新たに証拠写真を撮るチャンスが巡ってきました。日曜日、ショッピングセンターで新しい靴を買って店を出ようとした瞬間、内山さんが親と一緒にエスカレーターで上がっていくのを見たので、こっそり後を付けて行くことにしました。

 向かった場所は4階の文房具屋さんでした。何を買うのか気になっていたので、こっそりのぞいてみましたら、内山さんが取り出したのは、まぎれもなく茶色と紫の絵の具でした。

「お母さん、明後日の図工の時間に使いたいから買ってもいい?」

「ええ、いいわよ。」

 明からに衝撃的なスクープだと思ってスマホを取り出して動画撮影をしましたが、その直後店員に注意をされてしまったので、店をあとにしました。

 月曜日、私は朱美と林田君を教室の隅に呼んで、ショッピングセンターでの一部始終の映像を見せました。

「うーん、正直これだけだと証拠にならないと思うよ。それに買っても使わなければ先生には報告できないよ。」

「私も林田君と同じ考えだと思うよ。もしかしたら絵画教室で使う絵の具だったらどうする?」

「確かに図工の時間で使うって言っていたんだよ。」

「気持ちは分かるけど、もう少し様子を見た方がいいよ。」

 私は2人に言われて、内山さんの様子を見ることにしました。

 

 そして運命の火曜日がやってきました。

 給食の時に、私は朱美と林田君と一緒に机を囲って一緒に食べることにしました。

「ねえ、今日の午後って図工じゃん。その時に内山さんが間違いなく茶色の絵の具を使うと思うから見た方がいいと思うの。」

「でも、あまり見ていると警戒されるから、さりげなく見た方がいいかもしれないよ。」

「俺もそう思うよ。うちらが見ていたせいで、使わなかったらスクープが台無しになるし。」

 牛乳を飲み干して食器を下げた後、私たちは内山さんの行動を観察していましたが、特に変わった様子がなかったので、私たちは午後の授業まで校庭で時間を過ごしていました。

 午後の図工の時間になり、その日は鶏のスケッチをすることになりました。

 私と朱美は大田先生に頼まれて飼育小屋から鶏一羽を教室に連れてきて、教卓の上に載せました。

 みんなはそれを見てスケッチするのですが、絵の具を使う時、内山さんは太田先生の目を盗んで茶色の絵の具をパレットに載せました。みんなはスケッチに集中していて気づいていませんでした。

 私はさりげなく内山さんのパレットを覗こうとしましたが、私の席からは覗けませんでした。

 大田先生は窓の景色を見ながら、みんなの絵の完成を待っていました。

 一方、内山さんは周りの目線などお構いなしに満足げな顔をして絵を仕上げていきました。

 しかし、林田君が絵を提出しに行こうとした瞬間、たまたま内山さんの机の上を覗き、大声で「ああ!内山さん、茶色の絵の具を使ってる!」と叫びました。その瞬間、教室は騒然となり、みんなは内山さんの席に集まりました。

「おい、見ろよ。黄土色もあるぜ。」

「マジ!?本当だ。水色やピンクもあるよ!」

「じゃあ、この間の写生大会で1位になったのも、この色を使っていたのか。許せねえよな。」

「内山さんって、最低よね。」

「本当よ。私なんか時間かけて色を作っているのに、内山さんは買ってきた色を使うなんて最低よ!」

 それを見ていた大田先生は、ホイッスルを1回鳴らしてみんなを静かにさせました。

「お前たち席に着け!」

 みんなが席に戻った瞬間、大田先生は内山さんの席に向かいました。

「なんで、みんなと違う色を使ったんだ?」

「だって、何度作ってもできなかったから。」

「そんなの理由にならないだろ。他の人だって同じ条件で絵を仕上げているんだ。一人だけ特別扱いは認められないよ。」

「ごめんなさい。」

 内山さんの目からは涙がこぼれました。

「もういい。今日のことはあとで家に電話しておくから。」

 教室ではこれ以上内山さんを責めることがなくなり、みんなは静かになりました。

 授業は中止になり、先生の説教になってしまいました。

「先生はルールや約束を守らない人間は最低だと思っている。それって相手を傷つけるのと同じになる。お前たちだって、友達から約束を破られた時のことを考えてほしい。内山、みんなの前できちんと謝れ!」

「ごめんなさい。」

 内山さんが謝っても、みんなの視線はとても冷ややかな感じでした。

 帰りの学級会も簡単に済ませて、大田先生はそのまま鶏を飼育小屋に戻していなくなってしまいました。

 

 次の日、内山さんは1人しょんぼりした顔をして席に座っていました。

 昨日は少しやりすぎたかなと内心そう思っていましたが、私としてはそれくらいがちょうどいいと思いました。

教室では昨日の一件でざわついていましたが、噂だけ広がって特に嫌がらせをする気配などはありませんでした。

 大田先生も特にみんなの絵の具をチェックすることはなく、内山さんも昨日の今日で、用意した絵の具は5色だけになっていました。

 本人も相当こたえたのか、図工の時間も無口のまま絵を描いていました。

 内山さんの幼馴染の丸山君に事情を聴いてみましたら、先生に注意されたその夜、親に怒鳴られて、指定された5色の絵の具以外の色を親に没収されたみたいなのです。

 給食の時間も1人黙々と食べていました。

 そのまま卒業を迎える日まで内山さんは誰とも口を利かず、孤独の日々を過ごしていました。

 

 そして、迎えた卒業式。卒業証書を受け取って、教室で泣きながら大田先生の最後の話を聞いていました。

「みんな、卒業おめでとう。実は今回初めて卒業生を迎えることになって・・・。」

 先生は話している途中に泣き出してしまいました。

「大田先生、泣かないでください。」

 朱美が泣きながら大声で言いました。

「先生、こう見えて泣き虫なんだよ。小さい時からよくいじめられて、泣きながら家に帰ると親に叱られたことが何度もあったんだよ。みんなには泣かない強い人間になってほしいと思っている。もし、誰かが自分のそばで困っていたら、自分から進んで助けてあげられる優しい人間になってほしい。4月から中学生になり、今以上に厳しくなる。自分が何になりたいのかきちんと目標を立てて頑張ってほしい。先生から以上になる。あと、いい忘れたけど、3月31日までは君たちはこの湘南台東小学校の児童だから、電車やバスも子供料金で乗れるけど、4月になったら大人料金になるから気をつけるように。」

 そのあと教室で記念撮影を済ませて、校舎の外で在校生に見送られながら校門を出るだけとなりました。

 私たちがスマホやデジカメで最後の撮影をしていたら、内山さんがいないことに気が付きました。どこを探しても見当たりません。

 私は丸山君に聞いてみたら、たった今親の車に乗って帰ったと言っていました。

 詳しいことはよくわかりませんが、丸山君の話によれば親の実家がある所沢に引っ越したそうなのです。

 所沢と言えば埼玉、私たちの小遣いでは無理だと判断したので、会いに行くのをあきらめました。



4、先輩の意外な言葉


 私と朱美、林田君は自宅から徒歩10分にある湘南台東中学へ通うことにしました。

 中学生になり、勉強も本格的に難しくなり、部活も3人そろって美術部へ入部しました。

 部活も授業も使える色は自由なのですが、題材が難しくなったので非常に苦労しています。

 その日の授業では赤茶色の壺をスケッチすることになりました。しかし、光の角度によっては赤く見えたり茶色に見えたりするので、この微妙な色加減も表現しなければなりませんでした。

「この絵の大事なところは光の色加減だから、間違っても全部同じ色を塗らないように。」

 美術の松本奈津代先生は無理難題を押し付けてきたので、完成までに時間がかかりました。

 結局時間内に終わらなかったので、放課後美術室を開けてもらって仕上げることにしました。 

「あ、京子。いたいた。絵の方は順調?」

 朱美は気になったのか美術室にやってきました。

「林田君は?」

「彼なら、用事があると言って先に帰ったよ。」

「そうなんだ。」

「一緒に帰りたかった?」

「そうじゃないけど・・・。」

「それより絵はどんな感じ?」

 朱美は私の絵を覗き込むように見ました。

「いい感じじゃない。」

「本当にこれで大丈夫?」

「この微妙な光加減がいいと思うよ。」

 私は正直納得がいきませんでしたが、朱美の言葉を信じてそのまま仕上げていきました。

「終わったよ。」

「どれどれ、いい感じじゃない。じゃあ、早速職員室へ行って提出してこようか。」

 私と朱美は職員室へ向かいました。

「失礼しまーす!」

 私と朱美はあたりを見渡して松本先生を探しました。

「松本先生は?」

「松本先生?ああ、たぶん校内の巡回をしていると思うよ。何の用?」

「実は美術の時間に間に合わなかった絵を提出しに来たのです。」

「ちょっと僕にも見せて。」

 数学の岡崎先生がコーヒーを飲みながら、私の絵を見ました。

「これ、君が描いたの?」

「はい。」

「僕も昔、中学の時には美術部にいたからわかるけど、この微妙な色加減がなかなか素晴らしいと思うよ。」

「ありがとうございます。」

「もうじき、戻ってくると思うから少し待っていたら?」

「そうさせてもらいます。」

 私と朱美は松本先生が戻るのを待っていましたが、10分ほど待っていたら職員室に戻ってきました。

「松本先生、遅くなってすみません。先ほど絵を完成させました。」

「どれどれ。」

 松本先生は私の絵をしばらく見つめていました。

「うん、とてもいいと思うよ。これは先生の方で預かっておくね。」

「よろしくお願いします。」

 私と朱美は職員室をあとにして家に向かいました。


 あれから2週間後の話です。

 日曜日、私たちは部活で藤沢市のはずれにある自然公園に向かいました。

 ここはかつて小学校の写生大会の時に行った場所で、内山さんがズルをして、みんなと違う色を使って仕上げた場所でもありました。

 スケッチする場所は自由でしたので、私と朱美、林田君は噴水のある場所を選んで描くことにしました。

「ここで絵を描くと内山さんを思い出さない?」

「確かに、俺たちが真面目にルールを守っている時にインチキしたんだよな。」

 朱美と林田君と一緒に内山さんのことを愚痴っていたら、部長の影森綾子さんがやってきました。

「君たち、絵は順調?」

「まあ、そこそこです。」

「おしゃべりもいいけど、ちゃんと絵も仕上げてね。それよりちょっと気になったけど、さっき内山さんの話が出てきたけど、内山さんって内山洋子さんのこと?」

「知っているのですか?」

「あの子、有名だよ。一年生で所沢市内の絵画コンクールで優勝したんだよ。」

 部長は私たちにスマホの記事を見せました。

 記事には<内山洋子、所沢市絵画コンクール優勝。>と書かれていました。

「僕、彼女を許せないのです。」

「どうして?」

「小学校の写生大会の時や、教室の授業でズルをしたのです。」

 林田君は体を震わせながら部長に話していきました。

「どんなズルをしたの?」

「当時僕らの担任の先生は『赤、黄色、青、白、黒以外は使うな』と言ってきたのです。それなのに彼女はそれを無視して水色や黄土色、茶色の絵の具を使ったのです。正直、それが許せなかったのです。」

「要するに、あなたたちの担任は『指定された色以外は使うな』と言ってきたわけだよね。私なら内山さんと同じことをしていたかもしれない。」

「どうしてですか?」

「あなたたち、真面目すぎるのよ。例えば遠足に持っていかれるお菓子は300円までとする。しかし、遠足当日になって500円、あるいは1000円を超えた分のお菓子を用意した人がいた時に、先生はみんなのリュックの中身をチェックをするかな?」

「しないと思います。」

「絵の具だって同じなんだよ。絵を仕上げちゃえばズルをしたってことがわからないと思うの。もちろん、ズルをした内山さんだって決して褒められることではないけどね。」

 私たちは部長の言葉が正論に聞こえてしまったので、これ以上は何も言い返せなくなりました。

「じゃあ、帰りまできちんと仕上げてちょうだいね。終わらなかったら、月曜日の放課後までにきちんと終わらせること。」

 部長はそう言い残していなくなってしまいました。

 残りの時間を利用して絵を仕上げて帰宅したあと、私は改めて部長の言葉を思い出しました。

 小学校の時に真面目にルールを守った私はなんだったのか。内山さんはみんなに責められて、どんな気分をあじわったのか。卒業式の時、何も言わず黙っていなくなった時、どんな気分だったのか。その日の夜、私は布団の中で一つ一つ当時のことを思い浮かべていきました。


 話は翌年に飛びます。

 3月の2週目、3年生は卒業を迎えました。

 校門の前で、卒業証書を片手に3年生たちが記念撮影をしていました。

 その中に影森部長の姿が見えましたので、私たちはみんなで出し合ったお金で買った花束と、美術部全員の寄せ書きを渡しました。

「部長、卒業おめでとうございます。この花束は美術部全員で出し合って買いました。それとこれは美術部全員の寄せ書きです。よかったら受け取ってください。」

「みんな、ありがとう。」

「よかったら、全員で記念撮影をしたいので、部長も来てもらえませんか?」

 私たちは先生にスマホやデジカメを渡して写真を撮ってもらうことにしました。

「よーし、みんな撮るぞ。」

 先生は全員のスマホやデジカメで写真を撮っていきました。

「一応何枚か撮ったけど、これでいいのか確認してくれ。」

 確認し終えて、私たちは先生にお礼を言ったあと、部長と最後のお別れをしました。

「部長がいなくなると、とても寂しいです。」

「家はこの近くなんだし、休日は家にいることが多いから、連絡してくれたらいつでも会えるようにするよ。」

「ありがとうございます。」

 そして4月からの新しい部長は私に決まりました。

 

 卒業式から1週間後、かなり衝撃的な話が教室に入ってきました。

 帰りのホームルームの時、担任の先生から朱美の転校の話が出てきたのです。

「急な話ではございますが、土屋朱美さんは親の仕事の都合で大阪に転校することになりました。本当に急な出来事なので、先生もびっくりしています。それでは土屋さん、みんなの前でご挨拶をお願いします。」

「みなさん、急な話でびっくりされているかと思いますが、親の都合で大阪へ転校することになりました。春休みの間に引っ越しなので、こうやってみなさんと一緒にいられるのも残り数日となりました。ここで過ごした時間は思い出という形で残しておきます。少し早いですが、今日まで本当にありがとうございました。」

 朱美の挨拶が終わった直後、みんなから拍手が送られました。

 放課後、私と林田君はクラスのみんなを集めて、終業式の次の日にサプライズで「朱美を見送る会」をしようと声をかけていきました。

 その日から少しずつ買い出しをして、みんなで準備をしていきました。

 そして終業式を終えて、朱美が帰ったころを見計らって教室の飾りつけを済ませて、残った時間でスーパーに行って、お菓子やジュースを買って終わりとなりました。

 翌日、私は制服を着て朱美の家に行って、学校まで連れていきました

「ちょっと京子、制服を着てどこへ行くの?今日から春休みじゃん。それに私だって引っ越しの準備があるんだよ。」

「いいから、来てよ。」

 私は朱美の手を引っ張って学校まで連れていきました。

「ここって、学校じゃん。私上履き持って帰ったよ。」

「じゃあ、スリッパに履き替えて。」

 私は朱美をスリッパに履き替えさせて、教室に連れていきました。

「じゃあ、ドアを開けてみて。」

 朱美はそうっと教室のドアを開けたとたんに、みんながクラッカーを鳴らして出迎えてくれました。

「朱美、主役は向こうだよ。」

 みんなで朱美をお誕生日席に連れていきました。

「まずは乾杯の音頭から行きましょう!」

 林田君がみんなの紙コップにジュースや炭酸を入れていきました。

「先生は何を飲みますか?」

「先生はこれにするよ。」

 担任の先生はサワーの入った缶を用意しました。

「先生だけ、お酒ってズルいです。」

「大人の特権だよ。お前たちもこれを飲みたかったら、早く大人になりな。」

「みなさん、乾杯をしたいと思います。それでは、土屋さんの新しい旅立ちに乾杯!」

 みんながいっせいに「乾杯」と言った瞬間、机の上に置いてあるお菓子を食べはじめました。

 飲んで食べて騒いで中盤を迎えた時に、私と林田君でクイズをはじめとする様々なゲームをやりました。

 しかし、楽しい時間はあっという間に終わってしまいます。

 終盤になって、みんなから朱美にプレゼントと寄せ書きの贈呈をして、最後に朱美からみんなへ挨拶がありました。

「本来なら春休みなので、家でゆっくりしたい人が多かったと思います。それなのに今日私のために、こんなに素晴らしい見送る会を開いてくれて本当にうれしいです。4月から大阪の学校へ転校して、新しい友達を作って頑張りますので、みなさんも頑張ってください。」

 朱美の挨拶が終わったとたん、みんなから盛大な拍手が送られました。

 その直後、先生からも挨拶がありました。

「みんな、先日のホームルームでも話したように、土屋は4月から大阪の学校に転校する。これから寂しくなるけど、その分きちんと頑張るように。それと私から土屋への最後の言葉だ。決して無理だけはするな。それと戻りたくなったら、いつでも戻って来い。私もみんなも待っているから。」

「ありがとうございます。」

 そのあとみんなで「今日の日はさようなら」を歌い、最後に片づけをして終わりになりました。


 その3日後、朱美の家には引っ越しのトラックが来ていました。

 引っ越し業者が忙しそうに家の中を行き来していたので、家に近寄れなかったのですが、ちょうど朱美のお母さんがやってきて、私たちの前にやってきました。

「こんにちは。今日見送りに来てくれたの?」

「あの今日朱美さんに渡したいものがありましたので、良かったら本人に渡して頂けますか?」

「ちょっと待ってくれる?」

 朱美のお母さんは家の中に入って朱美を外に連れてきました。

「忙しいのに来てもらってごめんね。」

「ううん、大丈夫だよ。」

「実はこれ、3人でおそろいにしようと思って買ってみたの。」

 私はハートのネックレスを朱美と林田君に渡してその場でつけました。

「これ高かったんじゃないの?」

「ううん、実は雑貨屋で買った安物だから気にしないで。」

「ありがとう。」

 そのあと私はスマホを取り出して3人で記念撮影をしました。

「みんな動かないで。3人で写る最後の写真だから。」

 3人でくっついて、スマホの画面に入りました。

 それを見ていた朱美のお母さんはみんなのスマホを預かって写真を撮っていきました。

「おばさん、ありがとうございます。」

「いいえ、こちらこそ今まで朱美と仲良くしてくれてありがとう。」

「すみません、そろそろ出発しますけど、準備はいいですか?」

 引っ越し業者の人が出発を促してきました。

「じゃあ、行くね。」

「うん、気を付けて。着いたら連絡ちょうだいね。」

「わかった。」

「土屋、向こうでも元気でやれよ。」

「林田君もね。」

 朱美は両親と一緒に車に乗っていなくなってしまいました。

 新学期が始まって最初の日曜日、私と林田君の家に朱美から写真付きの手紙が届きました。

 朱美は新しい学校でもすぐに友達が出来て、写真には楽しそうに写っていました。



5、新しいことへの挑戦


 長い回想シーンが終わり、ここからは高校生になった私の話です。

 私と林田君は藤沢市内の公立高校の美術科に入りました。義務教育のころと違って、絵も本格的になってきて、覚えることが多くなり、毎日が大変です。

 今までの水彩絵の具の他に、油彩絵の具、ポスターカラーなど様々な絵の具に挑戦していきました。

 高校に入っても私と林田君は美術部に入って絵を極めてみようと思いました。

 部員は5人だけですが、先輩たちはとても優しくて、一つ一つ丁寧に教えてくれました。

 5月の大型連休が終わって最初の日曜日、部活で顧問が用意したワンボックスカーに乗って義務教育時代に行った藤沢市のはずれにある自然公園に向かいました。

 私と林田君は噴水のある場所を選んで、絵を描き始めました。

 もはや私と林田君にとって、ここは指定席みたいな感じになりました。

「この公園に来たら、やっぱりここを選ぶよね。」

「そうだね。ここに来るといろんなことを思い出すよ。」

「小学校の時には内山さんがズルをしたり、中学校では部長から意外な言葉をもらったり・・・・。」

「とにかく思い出すよね。」

 私と林田君の会話を聞いて、部長の江夏香織さんがやってきました。

「二人とも会話が弾んでいるけど、ちゃんと絵は進んでいるの?」

「まあ、それなりに。」

「どれどれ。」

 香織さんは私たちの絵をしばらく眺めていました。

「1年生にしては上出来じゃない。」

「ありがとうございます。」

「これチャラメル・・・、じゃなくてキャラメル。よかったら食べて。」

「ありがとうございます。」

 私は香織さんからもらったキャラメルを口に入れながら絵を完成させて、残った時間で景色を眺めていました。

「そういえば、内山さんって所沢に引っ越したって言っていたじゃん。」

「うん。」

「中学に入ってコンクールで受賞したでしょ、そのあとってどうなったのかなって思ったんだよ。」

 私と林田君は空に浮かんでいる雲を眺めながら、考えていました。

「あなたたち何をしているの?出発するから早く車に乗ってちょうだい!」

 気が付いた時には出発時間になっていて、香織さんが私と林田君を呼びにやってきました。

 私と林田君は急いで車に戻った時には他の人はすでに乗って待っていました。

 顧問はそのまま学校へ戻らず、車でみんなを家まで送りました。


 4か月後、学校では文化祭の準備が少しずつ始まっていました。

 美術部は平凡にも絵の展示だけでしたので、準備に時間をかけることはありませんでした。

 当日は私たちの作品だけでなく、卒業した先輩たちが残した絵も少し展示することにしました。

「お前たち、ここはいいからクラスの出し物を手伝ってきなよ。」

 私と林田君は香織さんに言われて、教室へ行ってクラスの出し物の準備の手伝いをしてきました。

 クラスの出し物はビデオ上映会でしたので、放送委員からビデオカメラを借りてきて、CMのものまねの撮影をすることにしました。

 内容としては、いたってシンプルで、実際のテレビCMにそっくりの撮影をするだけになっています。

 私は洗濯洗剤、林田君は音楽プレーヤーのCMのものまねをしました。

 他にも生命保険や調味料、学生服のCMのものまねをして、それを次々に撮影していきました。

「京子、もう1本行ける?」

 クラスメイトの竹川夏美さんが私に撮影の依頼をしてきました。

「何のCM?」

「化粧品のCM。これ男子に頼むわけにいかないし、他の人は2本以上撮っているから。」

「わかった。」

 私は翌日、化粧ポーチを用意してそこからピンクのルージュを取り出して、ビデオカメラで撮影をしました。

「じゃあ、カメラを回すよ。」

「いいよ。」

 私はピンクのルージュを塗って、「春色に染めて、飛び切り可愛くなろう。」という決め台詞をカメラの前で言いました。

 しかし、竹川さんは納得いかない顔をしていたので、撮り直しになりました。

「京子、もう少し可愛く写ってくれない?」

「可愛く?」

「うん。あんたの場合、表情が硬いのよ。」

 私は言われるまま、カメラの前で可愛い笑顔で写るようにしました。

「ごめん、いい忘れたけど、このCMってルージュを塗った後に、軽くウインクするんだった。」

「ええ!しないよ。」

「するって、ちょっと待って。」

 竹川さんはスマホを用意して、動画でチェックしていました。

「京子、見なよ。左目をつむっているじゃない。」

「本当だ。」

「じゃあ、悪いけど撮り直すよ。」

 私は改めてルージュを塗った後に、左目をつむって笑顔を見せました。

「OK!京子、おつかれ。」

 私は完成した映像を見て、少し恥ずかしくなってきました。


 そして迎えた文化祭当日、クラスはビデオ上映会、美術部は絵の展示でしたので、ほとんどやることがありませんでした。

 私は林田君と一緒に校内を回っていたら、香織さんが息を切らせながら走ってやってきました。

「あ、林田君、悪いけど今すぐ美術室まで来てくれる?」

「どうしたのですか?」

「林田君の絵を見ていたら、本人に会わせてほしいと言う人がいたの。」

「どんな人?」

「かなり年配で、偉そうな人だったよ。」

 私と林田君は香織さんに言われるまま美術室に向かいました。

 中へ入ってみると、奥でスーツ姿の年老いた男性が立っていました。

「あの、お連れしました。」

「この噴水のある公園の絵を描いたのは君かね?」

「はい、そうですが・・・。」

「実に懐かしい。私はかつて藤沢に住んでいて、この学校の美術部のOBでもあるんだよ。」

「そうだったのですか。」

「今は妻と一緒にパリで暮らしている。久々にこの学校を訪ねてみれば校舎は当時のままだったから、とても懐かしかったよ。それに今は手の込んだ出し物がたくさんあったから驚いたよ。」

 私と林田君はただ黙っておじいさんの話を聞いていました。

「私はパリの大学で日本語の講師をしながら、絵も教えている。君さえよかったら私と一緒に来てくれないか?返事は急がなくてもいい。明後日まで駅前のビジネスホテルにいる。その気になったら連絡してくれ。」

 おじいさんは私と林田君に名刺を差し出しました。名刺には<パリ美術大学 講師・押木 浩一郎>と書かれていて、下の方を見ると携帯電話の番号が書かれていました。

「あの、誘ってくれて本当にありがたいのですが、僕たちまだ1年生ですので、この話は卒業したあとでもよろしいですか?」

「そっか、君たち1年生だったのか。それは悪かった。では2年後にまたここにやって来る。その時にきちんと君の返事を聞かせてくれ。」

 おじいさんは、そう言い残していなくなってしまいました。


 文化祭が終わって2週間後、私と林田君は本格的に付き合うようになってきました。

 放課後も一緒に寄り道をしたり、休日には一緒にお出かけをする機会も増えてきて、部活も2人で同じ場所で絵を描くことこが多くなってきました。

 教室で私は林田君に声をかけてみました。

「ねえ、今日予定どうなっている?」

「特に何もないよ。」

「じゃあ、付き合ってほしいところがあるから、一緒に来てほしいの。」

「どこ?」

「学校の裏側に出来た新しい画材屋さん。」

「別にいいけど。」

「本当に!?やったー!ありがとう!」

 放課後、私は林田君を連れて画材屋さんに行くことにしました。

 店の中は目移りするほど多種多様の絵の具や筆などがたくさん並んでいました。

「ここって種類が多いよね。」

「そうだね。」

 店の中で私は、一人テンションを上げていました。

「林田君も見たいものがあったら、自由に見ていいからね。」

「わかった。」

 私は茶色と灰色と黄緑の油彩絵の具の他に、太い筆と細い筆を1本ずつ買いました。

「私、ちょっとレジに並んでくるね。」

「うん。」 

 店を出た後、林田君が疲れた顔をしていたので、通り沿いにあるコンビニに立ち寄って休憩させました。

「私がおごるから、食べたいものがあったら何でも言ってね。」

「大丈夫だよ。自分で出せるから。」

「いいって、付き合ってくれたんだし、私が出すよ。」

「じゃあ、これ。」

 林田君はサイダーを1本取り出して、私に渡しました。

「これだけでいいの?アイスもお菓子もあるよ。」

「今は炭酸を飲みたい気分だから。」

 私はレジに持って行って会計を済ませました。

「悪いな。」

「気にしないで。」

「今度何かお礼をするから。」

「そんなお礼なんて・・・。」

「そう言えば村山は卒業したらどうするんだ?」

「まだ分からない。林田君はパリへ行くの?」

「俺もまだ分からない。でも、これだけは言える。今よりも絵を上手になりたい。将来は個展を開きたいと思っている。」

「素敵な夢じゃない。」

「そんなことないよ。絶対親に反対される。」

「本当にやりたいことがあるなら、親の反対を振り切ってでも、夢を実現させるべきよ。」

 児童公園に差し掛かった時、私と林田君は別れることしました。



6、その後の話


 高校を卒業したあと、林田君は押木さんのいるパリの美術大学へ留学することになり、私は都内の美術短大へ進学することにしました。

 またお互いの呼び名も私は林田君のことを「治夫君」、林田君は私のことを「京子」と呼ぶようになりました。

 お互い会える機会が激減してしまったため、定期的にエアメールで近況報告することにしました。

<京子、新しい生活には慣れたか?僕は毎日慣れないフランス語で新しい友達と仲良くやっているよ。先日の美術の時間は画用紙いっぱいに縦線ばかり、その次の日には横線、それを毎日だから、もううんざりだよ。僕ね美術の先生に抗議しちゃったんだよ。そしたら、「君は窓の向こうにあるビルを正確に描けるか?」と言われて、正直何も言い返せなくなったよ。でも、僕は絶対にあきらめないで最後まで頑張るから、京子も東京で腕を磨けよ。 治夫より>と書かれていました。

 先生に抗議をするなんて、治夫君らしいと私は思いました。

「京子、また彼氏からのエアメール?」

「彼、パリで頑張っているの。だから私も頑張ろうって思っているの。」

「頑張るって何を?」

「絵。」

「絵なら毎日授業で頑張っているじゃん。」

「それだけだと、足りない気がするの。」

「何が足りないの?」

「私の才能。」

「授業で私より上手に描いておきながら、それ以上何を望むって言うのよ!」

 ルームメイトの長谷川清美はアイスを食べながら少しひがんだ態度をとっていました。

「私ね、卒業したら彼と一緒に個展とアトリエを開いてみようと思っているの。」

「それいいじゃん。どうせなら2人で同じ道を歩いてみたら?ついでだから、結婚してもいいんじゃない?」

 その時の私は結婚なんて考えてもいませんでした。

 しかし、日数が経つにつれて私の考えは結婚という方向に変わろうとしていきました。

<治夫君、パリでの生活は慣れましたか?私は短大で毎日油絵を描いています。来る日も来る日も、違う課題を用意されるので大変です。実は手紙のやり取りをしながら考えたのですが、私治夫君と一緒に結婚したいと思いました。返事は急いでいませんので、考えがまとまったら是非お返事を下さい。お待ちしています。 京子より>

 その後、3週間が経ちましたが手紙の返事が来ていません。もしかしたら、断られるのではないかと心配してしまいました。

 私が寮の部屋の中をウロウロしていたら、清美がスマホをいじりながら私の方を見て言ってきました。

「京子、そんなことをしていても彼からの手紙が来ないよ。」

「だって、3週間がたって返事が来ないなんて変だよ。」

「彼氏だっていろいろ忙しいんだよ。少しぐらい待ってあげな。」

「3週間って長すぎるよ。」

「私なんて彼からの手紙、1か月待たされたことがあったんだよ。」

「清美の彼氏って、どこにいるの?」

「ドイツのミュンヘン。そこで靴職人になるための修行をしているんだよ。あんたも待つなら2か月くらい待つ覚悟を決めた方がいいわよ。」

 私は再び考えました。3週間は果たして長いのか短いのか。

 翌週になり、待ちに待った治夫君からのエアメールが届きました。

<京子、手紙を読んだ時には驚いたよ。確かに結婚も悪くないと思ったけど、その件については僕が日本に戻ってから決めようと思う。だからそれまで待ってもらいたい。だからと言って京子のことを嫌いになったわけではないから、それだけは分かってもらいたい。 治夫より>

 この手紙を読んだ時には少しだけがっかりしました。しかし、治夫君の意見も一理あると思いました。

 その後は手紙のやり取りはしているもの、結婚の話はしていませんでした。


 そして卒業式を迎えました。

 私は友達と一緒に校舎の中や校門の近くで写真を撮っていきました。

「京子、写真撮るから中に入って。」

「うん、わかった。」

「京子、笑って。」

「うん。」

 私は無理やり笑顔を作って写真に写りました。

「京子、なんか無理をしていない?」

「そんなことないよ。」

「そう?」

「あ、ごめん。忘れ物をしたから先に帰ってくれる?」

 私は教室に戻って、自分の席で泣いていました。

「やっぱりここにいたんだね。」

「清美・・・・。」

 清美は教室に入って私のところにやってきました。

「無理しなくていいんだよ。」

「私、もう少しここにいたい。」

「そろそろ、行こうか。校門でみんなが待っているから。」

「うん。」

 そのあとファミレスに行って、みんなで打ち上げをして騒ぎました。私と清美は一度寮に戻り、段ボールを用意して実家へ帰るための準備をすることになりました。

「清美、終わった?」

「あともう少し。」

「教科書とか参考書どうする?」

「私、処分する。だって卒業したら邪魔になるじゃん。」

「私は残しておこうかなって思っているの。」

「マジ?」

「ここで勉強した証拠にもなるし、何より教科書って一生の財産って言うから。」

「そうなんだ。じゃあ、私も実家に持ち帰る。」

 私と清美は段ボールに荷札を張って、運送業者に運んでもらい、残った着替えはキャリーバッグに詰めて、翌日には電車に乗って帰ることにしました。

「私、東海道線で横浜に出て、そこから相鉄に乗り換える。清美は?」

「私家が奥沢だから、京浜東北線で大井町に出て、そこから東急に乗り換えるよ。」

「じゃあ、私も京浜東北線に乗るよ。どうせ横浜に出るわけなんだし。」

「帰りが遅くなっても責任とれないわよ。」

 私と清美は京浜東北線に乗って、大井町まで一緒に行くことにしました。

「そういえば、清美は4月からどうするの?」

「私は知り合いの絵画教室で先生をやってみようと思っているの。収入は低いけど無理なくやっていけるかなって思って。」

「そうなんだ。」

「京子は彼氏と一緒にアトリエをやるんでしょ?」

「まあね。」

「いいなあ。私も彼氏と同じ仕事に就きたい。」

「別々の職業も悪くないと思うよ。私も最初はアルバイトをしながら一人で始めてみようと思っているし、彼の帰国はもう少し先になりそうだから。」

「そうなんだ。じゃあ、私降りるね。」

「うん、またね。後でLINEするから。」

「京子も彼氏とうまくやりなよ。」

「清美も頑張ってね。」

 大井町で清美と別れた後、音楽プレーヤーを起動してイヤホンで音楽を聴きながら家まで向かいました。


 卒業式から1か月が経って、私はスーパーでアルバイトをしながら自宅から少し離れた小さなマンションでアトリエを開いていきました。

 その間、私は治夫君と手紙のやり取りを続けていきました。

 その夜、私はスーパーのアルバイトから戻り、治夫君からの手紙を開けてみました。

<京子、毎日お疲れさま。バイトをしながらアトリエは大変だね。僕は来年には卒業できるよ。今日も授業でエッフェル塔を描いてきたよ。エッフェル塔は簡単そうに見えて、意外と難しかったから苦労したよ。また手紙を出すから、無理だけはするなよ。 治夫より>

 手紙とは別に、治夫君と一緒に写っている絵の写真も送られてきました。

 私は疲れた体で手紙の返事を書き始めていきました。

<治夫君、写真ありがとう。とても素敵な絵だね。今度はどんな絵を描くの?私はシフトの関係で夜間勤務だから大変だよ。でも来週から昼間勤務なので少しは楽になれそうです。アトリエも順調に準備が進んでいます。帰国の日には迎えに行きますので、連絡ください。 京子より>

 私はエアメールの封筒に入れてそのまま眠りました。

 翌日私は切手を貼って近くのポストに投函したあと、スーパーでアルバイトをしました。


 翌年の春、私は成田空港の到着ロビーで治夫君の到着を待っていました。

 待つこと1時間、キャリーバッグとお土産をたくさん抱えて私のところへやってきました。

「お帰り。」

「ただいま。」

「パリはどうだった?」

「何もかもすごかったよ。」

「描いた絵はあるの?」

「小さいの何枚か持って帰ってきたよ。」

「あとでいいから、見せてくれる?」

「いいよ。」

「今日レンタカーを借りてきたの。」

「せっかくだけど、バスにするよ。」

「失礼ね。こう見えても運転には自信があるんだから。」

「冗談だよ。乗せてもらうよ。」

「ガソリン代と高速代は私が持つから。」

「それじゃ悪いから僕も少し出すよ。」

 私は治夫君を乗せて湘南台まで向かいました。

「疲れているでしょ?ゆっくり休んでいいからね。」

 治夫君は助手席で静かに寝息を立てながら眠ってしまいました。

 横浜に入って20分経ってから、治夫君はゆっくり目を開けました。

「ここはどこ?」

「いずみ野駅の近くだよ。」

「そこまで着いたんだね。」

 治夫君は少し眠そうな顔して、窓の景色を眺めていました。

「着いたら起こすから、もう少し寝ていなよ。」

「いや、大丈夫。充分寝たし、ここまで来たら起きていられるから。」

 車は藤沢市に入って、湘南台の駅前を通過し、治夫君の家に向かいました。

 玄関に到着したあと、荷物を降ろすのを手伝って、出発しようとした瞬間、治夫君が私にお土産を差し出しました。

「これお土産だから、良かったらみんなで食べて。」

「ありがとう。」

「じゃあ、おじさんとおばさんによろしく。」

「うん、わかった。」

 私は車を一度返してから、お土産を持って家に戻りました。

 お土産を取り出してみると、チョコレートやクッキーなどが出てきたので、私は両親と一緒に食べることにしました。


 さらに翌年には私と治夫君は結婚することになり、新居はアトリエから近い小さなアパートにしました。

 本当は挙式をしたかったのですが、予算の都合上、籍だけ入れて終わりになりました。

新居には短大時代の清美がやってきて、にぎやかになりました。

「京子、苗字が林田になった気分はどう?」

「まだ実感がないよ。」

「子供は何人欲しい?」

「まだ、分からない。」

「ええ!だいたいでいいから。」

「2人かな。」

「おお!いいね。」

 清美は私に根掘り葉掘り聞いてきました。

「そういえば、清美も結婚したんだよね。」

「そうよ。」

「苗字が臼井になった感想は?」

「とても新鮮な感じ。」

「子供は何人欲しい?」

「実は私、もう妊娠しているの。」

「マジ!?」

「男の子?それとも女の子?」

「まだ分からない。産まれるまでの楽しみにしておこうかと思っているの。」

「その方がいいよね。おめでとう、清美。」

「ありがとう。」

「京子も幸せになってよね。」

「うん。」

「そういえば、知っているか?土屋も大阪で結婚したみたいだよ。」

「相手は?」

「大学の先輩みたい。とても幸せそうだったよ。」

「治夫君、朱美の情報どこで仕入れたの?」

「土屋から連絡が来た。」

「治夫君には連絡して、私には連絡しないんて許せない。」

「まあ、怒るなよ。土屋にも何か事情があるみたいだし。」

「じゃあ長居すると悪いから、そろそろ帰るね。」

「私、駅まで送るね。」

 私は清美を駅まで送っていきました。

「清美、新しい生活には慣れた?」

「うん。」

「新居はどこにしたの?」

「武蔵小山。」

「そうなんだ。」

「じゃあ、ここでいいよ。」

「清美、気を付けてね。落ち着いたら遊びに行くから。」

「待っているね。」

 私は改札で清美を見送った後、家に帰りました。

 夕食を済ませて、テレビを見てくつろいでいた治夫君に、思い切って子供の話をしました。

「そろそろ私たちも子供作ろうか。」

「そうだな。」

 治夫君は特に驚いた様子もなく、素直に受け入れてくれました。


 さらに2年後の春、私は1人目の子供を産みました。女の子でしたので、名前を「彩咲(あやさ)」とつけました。

 私と治夫君は彩咲(あやさ)を連れて、かつて美術の写生で行った藤沢市のはずれにある自然公園に向かいました。

「懐かしいなあ。」

「そうだね。ここに来ると決まって内山さんのことを思い出すの。内山さんどうしたか知ってる?」

「内山のやつ、国際絵画コンクールで優勝して、パリに行ってたみたいなんだよ。でも、俺がパリに行ってた時には全く会わなかったから、そのあとに行ったのは確かだよ。」

「内山さん、どんどん成長していくね。」

「そうだな。」

 私たちは春風に吹かれながら、噴水のあるベンチでゆっくりと静かに時間を過ごしていきました。



おわり


みなさん、こんにちは。

いつも最後まで読んでいただいて、本当にありがとうございます。

さて、突然ですが私の知っている有名人が昔こんなことを言いました。

「赤信号みんなで渡れば怖くない。」

なぜ、このようなことを突然書いたのかと言いますと、作中に出てきました内山洋子さんが6年生の図工の時間にズルをして指示された以外の色を使ってしまったのです。

結果的には林田君が授業中に大声で先生に告げ口をしてバレてしまいました。

中学へ入り、村山京子、林田治夫、土屋朱美は美術部へ入部します。

しかし、自然公園で写生していたら先輩から意外な言葉が来ました。

それは「私なら内山さんと同じことをしていたかもしれない。」という言葉でした。

さらに先輩は「例えば遠足に持っていかれるお菓子は300円までとする。しかし、遠足当日になって500円、あるいは1000円を超えた分のお菓子を用意した人がいた時に、先生はみんなのリュックの中身をチェックをするかな?」という例えを言ってきました。

3人は何も言い返せませんでしたが、結果的にはズルなので他人に褒められることではないと思っています。

読者のみなさんはどのように感じたでしょうか。

それでは次回の作品も是非期待して待っていてください。



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2021/04/26 09:01 退会済み
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