犬と暮らすということ
別にR15じゃなくても良かったか…
ニ頭のミニチュアダックスフンドと暮らしてきた。
一頭目は落とした物を拾ってくれるような賢い子だったが、破壊神でもあった。
時に家具をかじり、またある時は自分よりも大きなゴミ箱をひっくり返して中身をぶちまけた。
対抗するためにリビングからはゴミ箱は消え、最終的に蓋がロックできる45リットルの大きなゴミ箱(セサミストリートのオスカーが入ってるようなやつ)をキッチンに置くはめになった。
ニ頭目は猫のように気まぐれな子だった。
『お手』『お代わり』はイヤイヤ感満載で、『おすわり』は床が温かい場所まで移動してから、『伏せ』に至っては分かりませんという顔をする。アホなのかと思いきや、自分の入っているサークルの鍵を開けたりテレビ台のマグネット扉を開けるところを見ると、単に面倒くさいだけだったのだろう。
この子は破壊行為より、人が通りそうな場所におしっこトラップを仕掛ける方が得意だった。
そんな悪戯を抜きにしても、犬はとても手がかかる生き物だ。
夫は毎朝犬の世話だけで30分くらい費やしていた。
用意さえすれば自分で飲み食いできることを考えれば、人間の赤ん坊よりは楽だろうか。半日くらいならひとりで留守番もできるわけだし。
しかし、だ。
人間の子供は人間の大人に育つ。
育って自立して、親の手から離れていく。(まあ、たまに離れない奴もいるだろうが)
一方、犬は育っても犬のままだ。
年を重ねて知恵がついたとしても、足元が覚束なくなって1日の大半を寝て過ごすようになったとしても、犬のままだ。
『今日は残業だから、先にカップめんでも食べてて』――そんなわけにはいかない。
散歩には連れて行かなければならないし、自分で風呂には入れない。
永遠の3歳児がそこにいる。
そんな犬達と暮らして、気づけば20年たった。
6年前に初代の子を、昨年には2代目の子を見送った。
なんだよ。
20年なんてあっという間じゃないか。
かわいいままで去っていくのは、反則だと思う。