目を閉じて、耳を塞いで 3
いま、彼は確かにわたしの「大好きだね」なんて言葉に対して「そうかもな」と呟いた。物騒なことを言ったり、泥に突っ込んだわたしを放置していた、あのエルが。
しばらく固まっていたわたしは、ゆっくりと顔を上げる。するといつも通り、エルは涼しげな表情を浮かべていた。
「……ほ、ほんとに?」
ようやく口から出たのは、そんな言葉で。彼の美しい瞳に映る、ひどく間の抜けた顔をした自分と目が合った。
「どう思う?」
「えっ? ええと、す、好きだといいな、とは……」
「なんだよ、それ」
彼はやっぱり、小馬鹿にしたように笑った。たったそれだけで、泣きたくなるくらいに心臓が跳ねてしまう。
「で? お前はいつ、俺のこと好きになんの」
「わたし、エルのことは大好きだよ」
「そういう好きじゃない」
エルはそう言うと、更に顔を近づけてきた。吐息がかかってしまいそうなその距離に、顔が火照る。視線を彼から逸らしたいのに、魔法のように深い青に囚われてしまっていた。
そしてきっと、今彼が言っている「好き」は恋愛の「好き」のことなのだろう。未だに、先日のわたしの発言を根に持っていたらしい。
「エルは、わたしにそういう好きになって欲しいの?」
「ああ」
「えっ……ど、どうして?」
「どうしても」
さも当たり前のように、エルはそう言った。これもやきもちとか、独占欲の一種なのだろうか。
「そもそもわたし、どこからが恋愛の好きなのかよくわかんないんだよね。エルは違い、わかるの?」
「ああ。分かったとこ」
「…………?」
なんだか不思議な言い方だ。けれどどうやら、彼はその違いを分かっているらしい。なんだか置いてけぼりにされたような気分になってしまう。
「ジゼル」
「うん?」
「早く、俺を好きになれよ」
そんな言葉に、胸が痛いくらいに締め付けられる。形のいい唇で綺麗に弧を描いたエルが、どうしてわたしにそういう「好き」になって欲しいのか、わからない。
けれどいつものように「返事は?」と急かされてしまい、わたしは慌てて頷いた。
……果たして今、この胸の中にあるエルが大好きだという気持ちは本当に全て、家族愛なのだろうか。一晩中考えてみたものの、やっぱりわたしにはまだ、わからなかった。
◇◇◇
「ジゼル、嬉しそうですね」
「はい、とても! 今は秋の果物が乗ったタルトが、とっても美味しいんですよ」
「そうなんですね。良かったら僕の分もあげましょうか?」
「えっ、いいんですか?」
「はい」
翌日の放課後、わたしはクライド様と共に学園祭での賞品を受け取りに、生徒会室へとやってきていた。
昨日、エルを無理やり連れ出して参加した後夜祭にて、わたし達のクラスは最優秀賞を貰うことができ、クラスの代表として賞品や賞状を受け取りにきたのだ。ちなみに商品は、全員分のカフェの回数券だった。何よりも嬉しい。
「寮まで送りますよ」
「ありがとうございます」
相変わらず、クライド様は紳士だ。そうして他愛ない話をしながら二人で歩いていると、何やら男女が揉めているような声が聞こえてきて、わたしはつい足を止めた。
少し先の校舎裏にいたのは、柔らかな桃色の髪をした私服姿の女の子と、この学園の制服を着た男子生徒で。
「だから、お前に文句を言われる筋合いなんてないの! 私は仕事で戻って来たんだから」
「そうだとしても、学園に通う必要なんてないだろう」
「はあ? もしかしたらエルヴィスと会えなくなるかもしれないのよ、少しでも一緒にいたいもの」
「このクソ女、縁起でもないことを言うな!」
「うるさいわねクソメガネ、本当のことでしょうが」
そしてなんと、男性の方はクラレンスだった。エルヴィスという名前が聞こえてきたけれど、もしや彼女もエルの知人なのだろうか。
やがてクラレンスはわたし達の存在に気が付いたらしく、バツが悪そうな表情を浮かべた。そして女の子もまた、ふわりとこちらを振り返る。
「わあ……」
視線がばっちりと合った彼女は、思わず息を呑むほどに綺麗だった。その美しい顔には、何故か既視感がある。
どうやらそれは向こうも同様だったらしく、わたしを視界に入れた途端、彼女は長い睫毛に縁取られた目を見開いた。
「あの時、エルヴィスと一緒にいた……」
「えっ?」
「お前、エルヴィスの何なの?」
いきなりずかずかとわたしの目の前までやってくると、彼女はそう言って、大きく美しいアメジストのような瞳でわたしを睨み付けた。なんというか、美人は迫力がすごい。
そしてあの時、とは一体いつのことだろうか。やはり彼女はクラレンスだけでなく、エルの知人でもあるらしい。
「ええと、家族、みたいなもので」
「は? エルヴィスにはそんなものいないけど」
「う、うーん……」
わたしは、エルの何なんだろう。ずっと家族だと思っていたけれど。今はもう、胸を張ってそう言えなくなっていた。
彼女はそんなわたしに「意味わかんない」と言うと、今度はクライド様へと視線を向けた。
「あら、今代の王子はとっても素敵なのね」
「失礼ですが、貴女は?」
「このクソメガネの知人で、シャノンと申します」
名前まで綺麗だなあなんて思いつつ、二人が話している隙にわたしはクラレンスに近寄ると、こっそりと尋ねた。
「あの、あちらは……?」
「俺やエルヴィス様、ユーインの昔からの他人だ。いいか、あいつは本当にクソみたいな女だから、絶対に関わるな」
昔からの他人なんて言葉、初めて聞いた。そしてクラレンスがそこまで言う彼女は一体、どんな人なのだろう。
「本当に気を付けろよ。あいつは昔からエルヴィス様を誰よりも好いていて、何でもするとんでもない女だ」
「えっ」
「そのせいで、つい最近まで隣国に飛ばされていた」
あのとても綺麗な女の子は、昔からエルを好きらしい。何故か胸の奥が、もやもやとしてしまう。
「シャノン嬢は何故、この学園に?」
「ふふ、明日からこの学園に編入するんです。よろしくね。で、クラレンス。私のエルヴィスはどこかしら?」
そして彼女はまるで同世代とは思えない、妖艶な笑みを浮かべたのだった。




