すべての初めてを君と 3
「……暇ですね」
「ああ」
牢の中で目が覚めてから、どれくらいの時間が経っただろうか。1時間程な気もすれば、5時間くらい経ったような気もする。全く時間の感覚がない。
わたしはメガネくん、もとい元メガネくんと共に固く冷たい壁に背を預け、座り込んでいた。
そうしているうちに、食事らしいパンひとつが全員に配られた。とても固くて小さく、喉が渇いてしまいそうだ。元メガネくんにどうしてこんなに少ないんだろうと尋ねれば、抵抗する気力や体力を削ぐためだろうと教えてくれた。
同じ牢の中は同年代の少年少女が多かったけれど、中には兄妹らしい小さな子もいて。「お兄ちゃん、おなかすいた」と言っているのを聞いたわたしは、その子にゆっくりと近づいていき、そっと自身の分のパンを差し出した。
「いいの……? でもおねえちゃんの分、なくなっちゃう」
「わたしはさっき捕まったばかりで、お腹いっぱい食べたあとだったから大丈夫だよ。良かったら食べて」
「ありがとう!」
そう言うと、女の子は固いパンにかじりついた。余程お腹が空いているのだろう、ひどく胸が痛んだ。兄らしき少年にも何度も礼を言われ、逆に申し訳なくなったくらいだ。
「……お前、本当にお人好しだな」
「ありがとうございます」
「別に、褒めてない」
すると元メガネくんはパンを半分にちぎり、わたしに一方を手渡してくれた。それも少し大きい方だ。
「そんな、元メガネくんの分が……」
「なんだその呼び方は。俺は腹が減っていない、食え」
「じゃあお言葉に甘えて、いただきます」
固くて味のしないパンだったけれど、ゆっくり何度も噛めば、割と満腹感を得られることが出来た。
そうして昼食と呼べるか怪しいものを終えると、再び暇になったわたしは元メガネくんに話しかけてみる。
「元メガネくんは、何歳からお仕事をしてるんですか?」
「……物心ついた時には、教育を受けていた。あと、その呼び方はやめろ。クラレンスでいい。魔力を少しでも溜めるために、お前に掛けていた認識阻害の魔法も解除してある」
「えっ? クラレンス、クラレンス、クラレンス……あっ、本当だ! 名前を覚えられます!」
「そう何度も呼ぶな」
クラレンスさん、と呼んでみると、さん付けも敬語もいらないと言われてしまった。なんだか今日の彼はいつもよりフレンドリーだ。エルがいないこと、そして2日間ここにいることになってしまった罪悪感のせいだろうか。
「そんなに小さい頃からなんて、すごいね」
「別に。選ばれた者として、当たり前のことだ。それにエルヴィス様は俺なんかと比べ物にならないほど、すごい」
不意に出てきたエルの名前に、どきりとしてしまう。わたしの知らないエルの過去を、メガネくんは知っているのだろう。もちろん、本人のいないところで話を聞こうなどとは思っていないけれど、羨ましくもあった。
そして「選ばれた者」という初めて聞く言葉が気になったけれど、あまりお仕事のことを尋ねるのはよくないと思い、突っ込まないでおく。
「そういえば、どうしてあんなメガネをかけてたの?」
「別に、何でもいいだろう」
「隠しているなんて勿体ないよ、こんなに綺麗なのに」
じっと彼の瞳を見つめれば、ぱっと目を逸らされた。
「……他人と、目を合わせるのが苦手なんだ」
「あっ、そうなんだ。ごめんね」
「別に。それにお前だって、綺麗な瞳をしているだろう」
「えっ」
彼のこの謎の素直さには、時々驚かされてしまう。ちなみにわたしの紫と桃色が混ざったような瞳の色は、この国でもとても珍しく、自分でも気に入っている。
「なんだかお前は、貴族令嬢らしくないな」
「平民の方が長いからね」
「そうなのか?」
「うん」
そしてわたしは、自身の過去を掻い摘んで彼に話した。意外にも彼はしっかりと相槌を打ってくれて、最後まできちんと話を聞いてくれた。
「……なんと言うか、色々と大変だったんだな」
「でもそのお陰でエルと出会えたし、今は幸せだよ」
「その、お前はエルヴィス様を、」
「うわあああん!」
クラレンスが何かを言いかけた時だった。先程パンをあげた女の子が突然、大泣きし始めたのだ。兄が慌てて泣き止ませようとしているけど、酷くなるばかりで。
大丈夫だろうか、変に他人の自分が声を掛けない方がいいだろうかと心配になりながら見つめていると、牢の中に見張りをしていた男が入ってきた。
「チッ、うるせえなあ。その声、イライラすんだよ。そもそもお前は高値で売れねえんだ、捨ててきてやろうか」
苛立った様子の男は、女の子の前まで行くと右手を振り上げた。兄はそんな妹を庇うように、きつく抱きしめている。
そして気が付けばわたしは、そんな兄妹と男の間に飛び込んでいて、次の瞬間には頬に鋭い痛みが走っていた。
「な、なんだよお前! お前の顔に傷を付けたとなれば、俺が兄貴に怒られちまうだろうが! ふざけんなよ」
男はそう言うと、焦ったように牢から出て行く。つい割って入ってしまったけれど、結果的に良かったようだ。そしてほっとしたのも束の間、クラレンスがすっ飛んできた。
「っお前は馬鹿か! どうして、」
「わたしは慣れてるから、これくらい大丈夫だよ」
「何を言って……とにかく、危険が及ばないようにすると言ったのにすまない、俺のせいで」
「そ、そんな謝らないで! わたしがいきなり勝手にしたことだもの、クラレンスは何も悪くないよ」
男の人に叩かれたのは初めてだったけれど、サマンサに数発連続で殴られた時の痛みに似ている。これくらいなら、大したことはない。全然耐えられる。
「っおねえちゃん、ごめんね……!」
「庇ってくれて、ありがとうございました……」
「あっ、全然大丈夫だよ! 気にしないで!」
ぽろぽろと涙を流し、ぎゅっと抱きついてきた兄妹の頭を撫でるわたしを、クラレンスは戸惑ったような表情で見つめていたのだった。
◇◇◇
「……くしゅんっ」
それから、数時間ほど経っただろうか。夜になったのか牢の中は冷え込み始めていた。けれどもちろん、毛布なんてあるはずもなく。
これでは風邪を引いてしまいそうだと思っていると、こちらを見ていたクラレンスが口を開いた。
「寒いのか」
「うん、少しだけ」
「これを着ていろ」
彼は自身の上着を脱ぐと、わたしに掛けてくれた。けれどそれでは彼だって寒いはずだ。
そう思ったわたしはクラレンスに近づくと、上着を彼にもかかるようにかけ直した。
「へへ、あったかい。ありがとう」
「…………っ」
「眠たくなってきたから、ちょっとだけ眠るね」
「……ああ」
それからすぐに、わたしは眠ってしまっていたらしい。
エルとお腹いっぱいお菓子を食べる、幸せな夢を見ていたわたしは、突如建物内に響いた爆発音で目を覚ました。いつの間にかクラレンスの肩にもたれかかっていたようだ。
「あっ、ごめんね! なんだろう、この音……!?」
「……この魔力は、まさか」
そうしているうちに牢がぐにゃりと曲がり、人が出入り出来るような大きさの隙間ができていく。
やがて牢の中へと入ってきたのは、なんとエルだった。その後ろには、ユーインさんまでいる。
助けに来てくれたのだと、ひどく安堵するのと同時に、エルの片目が眼帯に覆われていることに気が付いた。
怪我でもしたのだろうかと心配になりながら見つめていると、やがて彼の片目は驚いたように見開かれた。
「……その顔、どうした」
「えっ? ええと、ぶつけちゃったような感じで」
ついそんな嘘をついてしまったけれど、他人の手によって叩かれたことなどきっと、一目瞭然だろう。
次の瞬間、エルはクラレンスのお腹の辺りを思い切り蹴り飛ばしていて。そして彼はわたしが止める間もないまま、倒れ込んだクラレンスをぐっと踏みつけた。
その瞳はぞくりとするほど、冷え切っている。
「おい、お前は何をしてた? その手足は飾りか?」
今までに見たことがないくらい、エルは怒っていた。




