ふたりだけの 5
どう考えても、生命を脅かされるレベルのまずい状況だというのに、エルは平然としていて。わたしはそんな彼の腕にしがみつくと「と、とにかく逃げよう!」と声を掛けた。
けれどそんなわたしを、彼は鼻で笑って。
「すぐ終わる」
何故かそう言い切ると、エルは左耳のピアスに触れた。途端にピアスは粉々に割れ、ぶわりと眩い光が彼を包み込む。
「……久しぶりだな、この感覚」
そんな彼の言葉の意味もわからず、わたしはただ、整いすぎた横顔を見つめることしかできない。
形のいい唇で弧を描き、エルは右手の人差し指を炎猪に向ける。そしてほんの少しだけ、指先を動かした瞬間だった。
「…………え、」
ドオン、という耳を劈くような轟音が鳴り響き、地面が揺れ、土埃が舞う。……何が、起きたんだろう。
やがて視界が晴れ、わたしは自身の目を疑った。先程まですぐ目の前にいた巨大な炎猪の姿が、忽然と消えたのだ。
戸惑いながらも視線を泳がせていると、木々をなぎ倒した先、かなり遠くにその姿を見つけることが出来た。大きな氷が身体の中心に突き刺さっていて、動く気配はない。
一瞬すぎて理解が追いつかなかったものの、どうやらエルがあれを倒したらしいことだけは、なんとなく分かった。
……何もかもが、桁違いだった。魔法を繰り出すまでのスピードも、その威力も。
どこからあんな魔力が、と呆然とするわたしの隣に立つエルは「やっぱり雑魚だな」なんて言って笑っている。
「あ、今のうちに連絡しておくか」
彼はいつもと変わらない調子で、ぷちりと自身の髪を一本引き抜くと、息を吹きかけた。するとそれはあっという間に鳥のような形になり、くるくると彼の上空を舞い始める。
それに向かってエルが何かを呟くと、鳥のような何かは目にも留まらぬスピードで、どこかへと飛び立っていった。
「ひっでえアホ面」
驚きの連続で声ひとつでないわたしを、エルはやっぱり小馬鹿にしたように笑う。当たり前の反応だと言いたかったけれど、やっぱり言葉は出てこなかった。
「おい、戻るぞ。騎士団の奴らなんかが来て、色々聞かれても面倒だし。三つ編み、お前も立て」
どうやら三つ編みというのはリネのことらしい。彼女はいつも前髪を半分、編み込みにしているのだ。
リネも我に返ったように「は、はい!」と言うと慌てて立ち上がる。そうして、訳が分からないままわたし達はエルの後をついていき、リネの家へと戻ったのだった。
◇◇◇
「ねえねえ、昼間のあれ、なに?」
「なにって何だよ」
「いきなりすごい魔法使えるようになってたでしょ」
その日の晩。わたしは寝泊りさせてもらっている部屋で、エルと共にベッドに腰掛け、そう尋ねた。
ちなみにリネは「バーネット様は本当にすごいです!」とひたすらに言うだけで、疑問を抱いている様子はなかった。
「もしかして、ユーインさんに作らせたって言ってた、あのピアスの魔道具の力とか?」
わたしがそう尋ねると、エルはやっぱり鼻で笑った。
「バカ、あれは俺の────だ」
「…………?」
けれどお得意のもやがかかり、聞き取れない。エルは苛ついたように舌打ちすると、改めて口を開いた。
「とにかく、あれくらい驚くようなことじゃない」
「だってあんなすごい魔法、見たことないよ」
「フン、だろうな」
そう言ったエルは、ひどく自慢げに口角を上げた。
「とにかく、かっこよかった! 助けてくれてありがとう」
「別に、お前のためじゃない」
「それでも、助かったのは事実だもの。怖かったけど、エルがいてくれて本当に良かった」
「……あっそ」
するとエルはぷいと顔を背け「もう寝る」と言うと、突然部屋を出て行ってしまって。そんな態度を不思議に思いながらも、わたしはぼふりとベッドに倒れ込んだのだった。
そうしてウトウトし始めた頃、不意にコンコンと窓をノックする音が室内に響いた。ここは3階なのを思い出したわたしは、まさかと思いつつ飛び起きて窓を開ける。
「こんばんは、ジゼルさん」
するとそこにはやはり、ユーインさんがいた。何故こんな王都から遠い場所にいるのだろうか。相変わらず謎すぎる。
「エルヴィスはもう寝てしまったようなので、貴女の所に来てしまいました。すみません」
「い、いえ……」
ユーインさんはそう言うと「お邪魔します」と言って部屋の中へと入ってきて、ピアスをひとつ手渡された。
エルが付けていたもの、つまり今日の昼間に粉々になっていたものと同じピアスだった。
「実は昼間、エルヴィスからお手紙が届きまして。ちょっとした調べ物のついでに、これを届けに来たんです」
「……あの、これ、何なんですか?」
「それは内緒です」
彼は人差し指を唇にあてて、微笑んだ。
「何かあった時に身を守る為の物、ですね。数分しか効果はないんですが、エルヴィスがどうしても欲しいというので」
「身を守る、ため」
「はい。……本当はマーゴット様も、頼まれたとしてもエルヴィスにはこういった物は与えないつもりだったんですよ」
エルがどうしても欲しかった、身を守る為の物。
一体何故、そんなものが必要なんだろう。そんな疑問を抱きながら、わたしは尚も彼の話に耳を傾ける。
「エルヴィスには、強力な防御魔法がかけられています。それに今は、何かあった時にも一人で逃げるくらいの力はあるので、初めは不要だろうと断ったんですけどね」
黒曜石のような瞳を柔らかく細め、彼は続けた。
「でも、エルヴィスは言ったんですよ。一人じゃない、と」
「えっ?」
「いつも一緒にいる、貴女を守る力が欲しかったんでしょうね。そんなことを言われて、断れる筈がありませんでした」




