ちいさな世界をそっと開いて 2
これは本当に足くらい折れるかも、自身の魔法で治せるかなあなんて変に冷静になりながら、とにかくリンちゃんに怪我はさせまいと、彼女をぎゅっと抱きしめて目を閉じた。
けれどいつまで経っても痛みは来ない。それと同時に、浮遊感を感じたわたしは、恐る恐る目を開ける。すると浮いていたらしいわたしの身体は、そっと地面に下ろされた。
どうやら、誰かが魔法で助けてくれたらしい。一体誰が、と辺りを見回したわたしは、見覚えのある銀色を見つけた。
向かいの建物の窓から、ひどく呆れたような顔をして頬杖をつき、こちらを見ているエルと視線が絡む。
「何してんだ、クソバカ」
結構遠くにいるのに、何故かエルの声ははっきりとよく聞こえた。これも彼の魔法なのかもしれない。
……エルが、助けてくれた。
そう理解するのと同時に、じわじわと胸の奥から嬉しくて泣きたくなるような、そんな気持ちが溢れ出してくる。
「エル、どうして」
「窓から大きな猿が見えたから、見物してただけだ」
「寝てたんじゃなかったの?」
「お前の声、うるせえんだよ」
必死に探し回るうちに、気が付けば男子寮の近くまで来ていたらしい。そしてわたしは先程まで「リンちゃーん!」と大声で叫んでいたのだ。冷静になると恥ずかしい。
エルがわたしの声に気が付いて、窓から様子を見てくれていて、危ないと思った時には魔法を使って助けてくれた。彼には何ひとつ、得がないのに。それが、何よりも嬉しくて。
「エル、大好きーー!! ありがとうーー!!」
そう叫べば、エルはひどく嫌そうな顔をして、ぴしゃりと窓を閉めてしまった。そんなところも好きだ。
やがてわたしは、今にも泣き出しそうな顔をしているダウンズさんに、リンちゃんを渡した。
「びっくりさせてごめんね。リンちゃん、かわいいね」
「っ本当に、ジゼル様が無事で、良かったです……」
「うん。それじゃあ、また明日」
そう言って戻ろうとすると「あの」と声をかけられて。
「ジゼル様がよろしければなんですが、この後お時間があれば、一緒にカフェに行きませんか……? な、何か御馳走させてください。あっ、でも貴族の方に御馳走なんて、」
「行きます」
わたしはダウンズさんの手を取り、即答した。
◇◇◇
「えっ、怖がられている訳じゃなかったの?」
「怖がる……? ジゼル様は本当にお美しいですし、高貴なオーラがすごくて……その上バーネット様や第三王子様と仲良くされているので、私達平民なんてとても恐れ多くて、関われないと思っていました」
「こ、高貴……」
一体このわたしのどこから、そんなオーラが。エルが聞いたら鼻で笑い飛ばすに違いない。恐ろしい勘違いだ。
ちなみに話を聞くと「平民生活が長かったんだよ」という話も、新手のジョークだと思っていたらしい。わたし、めちゃくちゃつまらない冗談を言う奴になってしまっていた。
「ですから、木登りをするなんて思ってもいなくて」
そう言って、ダウンズさんはくすくすと笑う。それと同時に、わたしはこの流れならいけると確信していた。
「ダウンズさん、わたしと友達になってくれませんか!」
「え、あっ、はい。私なんかで良ければ、喜んで」
「本当に!? ありがとう……!」
こうして、生まれて初めて女の子の友達が出来た。
帰る頃には彼女のことをリネと呼べる仲になり、わたしはなんだか胸がいっぱいになってしまって。頼んだふわふわのパンケーキを、珍しく残してしまったのだった。
念願の友達が出来た、とルンルンで寮に戻りリネと別れたわたしは、ぼふりとベッドに倒れ込んだ。
「……エルに、会いたいな」
いつからかわたしは、嬉しいことがあると一番にエルに会って話したい、と思うようになっていた。「あっそ」と「へえ」しか返ってこないけれど。
まだ、夕食の時間までは時間がある。偶然会えたらラッキーくらいの気持ちで、散歩がてらエルの寮の近くまで行ってみようと、わたしは部屋を出た。
「やあ、ジゼル嬢」
「ク、クライド様」
けれどなんと、エルではなくクライド様に出くわしてしまった。その上、彼は珍しく一人だ。メガネくんはいない。
「どこかへ行くんですか?」
「ええと、散歩みたいなもので」
「ご一緒しても?」
「も、もちろんです」
そうして、授業の話や他愛ない話をしながら二人で並んで歩いていたけれど。時計塔の裏辺りに来たところで、なんと告白シーンらしきものに出くわしてしまった。
どうやら先輩同士らしく、成功したのか二人は抱き合っていて、わたしは両手で顔を覆うと慌てて背を向けた。小説なんかで見たことはあったけれど、なんだかすごい。素敵だ。
そんなわたしを見てか、クライド様は「可愛らしい反応ですね」と笑うと、違う道を行こうと提案してくれた。
「……君は、意中の男性はいないんですか?」
そして落ち着いた頃、そんなことを尋ねられて。こういう話をすることに憧れてはいたものの、まさか初めての恋の話の相手がクライド様になるなんて、思いもしなかった。
「はい、いません。恋愛には憧れますけど、実はわたし、今はそれどころじゃないんです」
そう。わたしはいずれ、家を逃げ出す。そのためには恋愛にうつつを抜かしている暇はないのだ。憧れるけれど。恋愛の話なんかは是非、聞き役に徹したい。
「僕もです。同じですね」
すると彼はそう言って、眉を下げ困ったように笑った。
きっとクライド様ほどの方となれば、お忙しくてそんな暇などないかもしれない。その上、立場上相手選びだって慎重になるのだろう。そう、思っていたのだけれど。
「でも僕、君のことはとても好みなんですよ。芯が強くて、まっすぐな女性が好きなので」
クライド様はそんなことを、先程と変わらない笑みを浮かべたまま、さらりと言うものだから。わたしの口からは思わず、間の抜けた声が漏れてしまったのだった。