ふたり手を繋いでゆっくりと 1
「ねえ、エル。わたし、気が付いちゃったの」
「……………」
「エルも一緒に、魔法学園に行けるんじゃないかって」
「…………は?」
わたしがそう言うと、エルは「バカか」と鼻で笑った。
……エルが突然大きくなってから、一ヶ月が経った。
彼がかけた魔法により屋敷中の人は皆、姿の変わった彼に対してもいつも通りで。その上、急にサマンサが大人しくなったかと思えば、自身を彼女が好まない姿に見える魔法をかけたんだとか。エルの魔法、便利すぎる。
そして最近、義母や妹からの嫌がらせが減った。エルが何かしてくれたのかと聞いても「知らん」の一点張りで。けれどわたしは、彼のお蔭ではないかと思っている。好きだ。
エルはどうして、こんなにも色々な魔法を使いこなせるのだろう。一度尋ねてみたけれど、やはりいつものもやがかかって、全く彼が何を言っているのかわからなかった。
そんな中、ふと気が付いたのだ。年齢も同じくらいだし、魔法が使えるのならばエルもわたしと一緒に、魔法学園に入学できるのではないかと。
エルと一緒に通えたら、どんなに楽しいだろうか。
「あのなあ、そんなガキまみれの所に行くわけないだろ」
「ちょっと大きくなったけど、エルだってまだ子供だよ」
「その上、この俺が今更魔法を学ぶって? アホか」
確かにエルは魔法に関しては十分な知識もあり、使いこなしているようだけれど。
「勉強もそうだけど、学園生活って絶対に楽しいよ? わたしにもエルにも、友達だって出来るかもしれないし」
「はっ、何が友達だよ。なんで俺がクソガキ共と、」
「良いじゃないですか、魔法学園。私は賛成です」
そんな言葉に「そうだよね!」なんて返したあと、わたしはぴしりと固まった。どう考えても、エルの声ではない。
恐る恐る声がした方へと視線を向ければ、すぐ近くの椅子に、見知らぬ男性が腰掛けていた。
「だ、だれ……?」
そう呟いた瞬間、わたしの目の前を大きな氷の塊が物凄い勢いで通り抜け、男性へと向かっていく。
エルから発されたらしいそれは、微笑んだままの男性の前でぴたりと止まると、パラパラと砕け消えていった。
「お久しぶりです、エルヴィス。可愛らしい魔法ですね」
「何しに来た」
どうやらこの男性は、エルの知り合いらしい。そして彼やわたしと同じく、魔法使いのようだった。
「こんにちは、ジゼルさん。私はエルヴィスの知人で、ユーインと申します。勝手にお邪魔してすみません」
「ど、どうも……?」
ユーインと名乗った、黒髪黒目が良く似合う美形の彼は、にっこりと微笑むとわたしに手を差し出した。歳は20代後半、といったところだろうか。
何故、わたしの名前を知っているのだろう。そもそも、彼はどうしてこの部屋にいるのだろうか。いつの間に。
とにかくエルの知り合いならば、と握手をしようとしたところ、エルはユーインさんの手を思い切り叩き落とした。
「だから何をしに来た。迎えに来た訳じゃないんだろ」
「はい。ジゼルさんにご挨拶をしようと思って」
「そんなもんいらねえよ、帰れ」
冷たくそう言い放つエルに、ユーインさんは「相変わらず冷たいですね」なんて言って笑みを浮かべている。
迎えに来た、ということはエルは元々、ユーインさんと一緒に暮らしていたのだろうか。けれど帰る場所はないと言っていたし、何か戻れない理由があるのかもしれない。
二人をじっと見つめながら、わたしは本当にエルのことを何も知らないなと、改めて実感していた。
「それにしても、まさか奴隷市場に商品として並べられているとは思いませんでしたよ。ふふ」
「は? 知っていたのなら、すぐに助けろよ」
「流石に危なそうなマダムなんかに売られそうになったら、助けるつもりでしたよ。そもそも貴方には命の危険はないよう、マーゴット様がしっかり魔法をかけていますし」
そんなことを言って優雅に笑うユーインさんが、少し恐ろしくなる。彼は知り合いなのに、エルが売られているのを知っていて見過ごしていたらしい。
マーゴット様、という初めて聞く名前も出てきた上に、二人の関係性が全く見えず、わたしは戸惑っていた。
「そもそもあれは、エルヴィスの自業自得でしょう。私達は十分なお金も何もかも持たせて、その上行き先まで用意していたのに、貴方が少しぶつかっただけのゴロツキに、あんな小さな身体で喧嘩をふっかけたせいなんですから」
「…………」
「最初からこれかと、マーゴット様も頭を抱えていました」
だからこそ、と彼は続けた。
「ですからたった数ヶ月で、こんな姿になっているとは」
「ババアもいよいよ歳か? かけた魔法が弱るなんて」
「いえ、彼女は元気ですよ。魔法の効果も続いています」
「は? それなら何で」
「まだ内緒です」
そう言って人差し指を唇にあてたユーインさんは、とても嬉しそうに微笑んだ。そんな彼とは対照的に、エルはかなり苛立っているように見える。
「貴方がこの姿になっていることを報告したら、マーゴット様は泣いていましたよ。彼女の涙は初めて見ました」
「はあ? だから何でだよ」
「内緒です」
再びユーインさんがそう言うと、エルは「お前のそういうところが嫌いなんだよ」と舌打ちをした。
「もういいだろ、ババアに早く解くよう言え」
「駄目ですよ」
「……あれは、まだなのか」
「そちらはご心配なく。まだまだ先のようですので、あれのために貴方のそれを解くことはありません」
「あっそ。それなら早く失せろ」
ユーインさんに向かって、エルは虫を払うような手つきをしている。どうやら、エルのこんな態度にも彼は慣れているようで、相変わらず涼しげな笑顔を浮かべていた。
「ああ、そうだ。魔法学園、是非通ってください。貴方自身の為にもオススメしますよ」
「お前までそんなバカなこと言うのかよ」
「きっと、それを解く鍵になると思います」
「は?」
困惑した表情を浮かべるエルに、ユーインさんは続ける。
「ああ、そうだ。エルヴィスが素敵な学園生活を送れるように、私からのプレゼントです」
そう言うと、彼はエルに向かって指先を向けた。それと同時に、エルの体が柔らかな光に包まれる。
「おい、何をした?」
「ですから、学園生活を満喫できる魔法を」
「だから何だよそれは」
エルの質問を無視すると、ユーインさんは立ち上がった。驚くほど背が高く、すらりとした身体つきをしている。
「入学の為の貴方の戸籍やなんかも、こちらで用意しておきますね。ジゼルさんと同い年の14歳にしておきます」
「おい、勝手に決めんな」
「それでは、そろそろ私は帰りますね。ジゼルさん、エルヴィスをどうかよろしくお願いします」
そう言い残すと、ユーインさんはあっという間に姿を消した。穏やかな笑顔とは裏腹に、嵐のような人だった。
「あの、エル、今のって一体」
「……苛ついてきたから寝る。気が向いたら後で話す」
それだけ言うとエルは立ち上がり、わたしのベッドに潜り込んでしまったのだった。