足りないものを、埋めていく 6
エルの部屋を出た後、支度を終えたわたしは時間通り王城へ行き、クライド様にお会いした。
そしてすぐに「最近引き取ったばかりの執事見習いの子供が、熱を出していて心配だから付き添っていてあげたい」ということを素直に話し、必死に頭を下げた。
とても失礼なことをしている自覚はある。それでも今は、少しでもエルの側にいたかった。
そもそも、貴族令嬢が一介の使用人が風邪を引いたくらいで、看病したり付き添うこと自体、あり得ないのだけど。
『そうだったんですね。顔を上げてください。そんな中、わざわざ来てくださってありがとうございます』
それなのにクライド様は、わたしに対し怒るどころか、そんな優しい言葉をかけてくださったのだ。
『僕も子供の頃は、具合が悪い時にはいつも母や姉に付き添ってもらいましたから。きっと彼も不安でしょうし、ぜひ一緒に居てあげてください。すぐに帰りの支度をさせます』
『……せっかく呼んで頂いたのに、本当にごめんなさい』
『気にしないでください。そんな顔をしないで』
そう言って柔らかく微笑んだ彼は、丁寧に見送りまでしてくださって。『彼の具合が良くなったら、連絡をください。また君に会いたいです』とまで言ってくださった。
クライド様は噂通り、涙が出そうなくらい良い人だった。
こんなにも失礼なことをしてしまったのだ。先程の言葉だって優しい彼の、社交辞令に違いない。二度と声をかけて頂くことはないだろうけれど、今後は心の中でひっそりと、クライド様の今後の幸せや成功を祈り続けようと思う。
「……おまえ、ほんとバカじゃねえの」
「うん」
「ほんと、おかしい」
「うん。貴族令嬢失格だと思う」
先程の出来事を全て話せば、エルは心底呆れたような表情を浮かべ、そんな言葉を何度も繰り返し呟いた。
ちなみに即帰宅したわたしを、サマンサは何か粗相をしてすぐに帰されたのだと勘違いしたらしく、「やはりお姉様のような人間には、分不相応な話だったのよ」とかなんとか言い、朝とは別人のように機嫌が良くなっていて。
ルビーは「そんな気はしていました」と笑っていた。
「ずっと側にいるから、安心してね」
そう声をかけて頭をそっと撫でれば、エルは何とも言えない顔をして、頭まですっぽりと布団を被ってしまった。
「なにか軽いものでも食べる?」
「いらない」
「お水は飲む?」
「ん」
やがて顔を出した彼の身体を起こし支えながら、ゆっくりと水を飲ませれば「……水って、うまかったんだな」なんて言うものだから、思わず笑ってしまう。
再びベッドに寝転がった彼に多めに布団をかけ、その手を握る。エルはわたしの手を、振り払おうとはしなかった。
「子守唄、歌ってもいい?」
「……あのなあ、俺は」
「ジゼル、歌います」
彼が少し眠たそうなことに気が付いたわたしは、母が昔よく歌ってくれた子守唄を歌ってみる。
「音痴」
「ご、ごめん」
エルはやっぱり、そんなわたしを鼻で笑ったけれど。
「俺が寝るまで、そのまま練習してろ」
「うん、ありがとう」
本当に素直じゃない彼に、また笑みが零れる。
わたしはエルの小さな手を握りながら、歌い続けた。彼の体調が早くよくなりますように、どうか良い夢を見られますように、と祈りながら。
「……おやすみ、エル」
そしていつの間にか寝息を立てていた彼の手は、しっかりとわたしの手を握り返してくれていた。
◇◇◇
それから、一ヶ月が経った。
2日程で風邪が完治したエルは、執事見習いとしての仕事を続けている。わたしも魔法の練習をしたり料理の練習をしてみたりと、今出来ることを模索する日々だ。
いつの間にか、エルとは仕事の時間と寝る時間以外は、ほとんど一緒にいるようになった。相変わらず、義母やサマンサのせいで多少辛い思いをすることもあるけれど、エルの存在にとても助けられている。
そんなとても天気の良い、ある日のこと。厨房のおじさんがたまには外で食べてきてはどうかと、バスケットにわたしとエルのお昼ご飯を入れて持たせてくれた。
わたしは早速、屋敷から少し歩いたところにある花畑で食べようと、エルに声を掛ける。
「……行こうも何も、俺の昼飯はその中なんだろ」
「うん! それに外で食べたら、きっと美味しいよ」
やっぱり素直じゃないその物言いに、笑ってしまう。
バスケットを抱えて花畑まで歩いて行き、そこで並んで座ってお昼を食べた。やっぱり外で食べると美味しいね、と言えば「さあ」とよくわからない返事をするエル。
食べ終えた後は、周りに咲いている花を摘み、久しぶりに花冠なんて作ってみようと思ったのだけれど。
「……あれ、どうだっけ」
いまいち作り方が思い出せず苦戦していると、エルは作りかけのそれを、パッと取り上げて。そして器用に花同士を編むと、わたしの手にぽい、と置いた。
「わあ、すごい……! 上手だね!」
「こんなの、少し考えればわかるだろ」
彼の真似をしたお蔭で完成した花冠を、エルの頭にひょいと乗せてみる。すると彼はひどく嫌そうな表情をして「本当にクソガキだな」と呆れたような顔をした。
「エル、いつもありがとう」
「は? 何だよいきなり」
「大好き」
そしてわたしは最近、好きだという素直な気持ちを、よく口にするようになった。
母もいつも「ジゼル、大好きよ」と言ってくれて、わたしはそれがとても嬉しかった。それに、好きだという気持ちを口に出すことは素敵なことだとも、母は言っていたからだ。
エルはいつものように「あっそ」なんて言うと思っていたのに、彼は何故か戸惑うような表情を浮かべるだけで。何も言わずにじっと、透き通った瞳でわたしを見つめていた。
その後は、湖の周りを少しだけ散歩をして帰ろうと言うわたしの提案を、エルは受け入れてくれた。
「最近のエル、ちょっと優しいよね」
「お前の勘違いだろ」
そんな会話をしながら歩いていると、浮かれていたわたしは思い切り、何かに躓いてしまった。間抜けにも程がある。
ぐらりと身体が傾いた先には、案の定湖があって。わたしは思わずエルに向かって手を伸ばしかけたけれど、過去に避けられたことを思い出し、慌てて引っ込めた。
幸い、この湖は深くない。落ちた後は帰って大人しく風呂に入ろう。そう思っていたのに。
エルはそんなわたしの手を、しっかりと掴んだのだ。
けれど悲しいことに、わたしと彼には体重差が存在した。
結果、耐えきれなかった彼と共に、二人で思い切り湖に落ちてしまったのだけれど。
それでもエルがわたしに手を伸ばしてくれたことが、何よりも嬉しくて。すぐに水から顔を出したわたしは、笑顔になってしまうのを抑えきれないまま、エルの方を向いた。
「…………?」
いつもと同じ高さに目線を向ければ、何故かそこには顔ではなく、真っ白な肌に浮かび上がる鎖骨があって。
たまたま彼だけ高い場所にいるのかと、そのまま水の中の足元に視線を落としたけれど、そんなこともなく。
戸惑いながら顔を上げたわたしは、息を呑んだ。
「…………エル……?」
そこにはわたしよりも少しだけ背の高い、つい先ほどよりも大人びた顔つきをした、エルの姿があった。