ミルク②
男は桃香の顔を舐めるように見て言った。
「ほう!ホンマお前らの言う通りやな。結構カワイイやないか、この姉ちゃん。姦りあきたら雄琴にでも沈めたらええ!」
桃香は男がそう言って手を緩めた瞬間を見計らって離れ、握り拳で構えをとった。ふたりの舎弟も河原に再度下りてきて、大柄な男の横に並んだ。
「気~つけてください、アニキ」
金髪の男が促した。
「アホか!お前らとちゃうわ、ボケ!」
近づく大柄な男に桃香は拳と蹴りを何度も繰り出した。「ピシッ!」乾いた音と共に桃香は石の絨毯に尻持ちをついた。大柄な男の合図でふたりの舎弟は桃香の両腕を掴んで立たせて言った。
「アニキ。早く姦りたいっすよぉ!」
そう言って目をギラギラさせている金髪に続いてスキンヘッドの男が言った。
「俺らの車、ワゴンですから広いっすよ。そこに停めてありますから、すぐできますよ」
そう言って笑う三人の男の横で桃香は唇を噛みしめて僅かな抵抗をした。
「放せ!放せや!」
桃香の叫びで逆に興奮するふたりの舎弟。
「慌てるな、お前ら!ホンマ猿やな」
大柄な男の目線は桃香の胸元に注がれた。それに気づいた桃香はなお一層の激しさで男を睨みつけた。
「なぁ、姉ちゃん。アンタ怖わないんか?」
「怖くない!」
桃香は言葉と同様、大柄な男に鋭い視線で睨みつけ、決して目を放さなかった。
「ええ根性しとるな!気にいった。俺の女にしたるわ!さぁ行こか!」
「え~!アニキ。そら、ないっすわ!」
ふたりの舎弟は合唱で抗議した。二人に両腕を掴まれた桃香は成す術もなく今日何度目かの不幸を呪うように空を見上げた。大柄の男を先頭に桃香と両脇に金髪とスキンヘッドの男。一行が石段を上ろうとした時、大柄の男の携帯電話が鳴った。
「はい。…すいません。ちょっとトラブルがありまして…はい。すぐ向います。え~っと、六条の橋です。いえ、そんな…すぐ行きますので…」
男は明らかに慌てている。おそらく目上の者であろう電話の主に何度も頭を下げている。電話を切った大柄の男は振り返り、舎弟ふたりに言った。
「お前ら!俺は急ぐからその女、預かっとけ!ただし、手~出すなよ!わかったな?」
「は、はい。アニキ」
大柄の男は石段を駆けあがろうと上を向いた。すると、そこに人影があり、それがゆっくり下りてきた。
それは明智であった。大柄の男はサッと下がり、明智を待った。明智の動作があまりにも遅いので、痺れを切らした大柄の男はイライラして言った。
「なにチンタラしとんじゃボケ!こっちは急いどんじゃ!早よ、下りんかぁ!」
下りきった明智を睨みつけ大柄の男は石段を掛け上がった。すると、下で鈍い音が数回した後、若い男ふたりの叫び声がした。
「どないしたんじゃ!」
大柄の男が河原に下りると、ふたりの舎弟がうずくまっていた。
「アニキ~、アイツが…」
男たちから離れて桃香が明智に支えられていた。
「ケガはないか?」
「はい。あの~」
桃香がそう言いかけると大柄の男が走ってきて叫んだ。
「なんじゃ、おのれは!」
「夜の京都に似合わない風体と言葉だな」
「いちびっとんのか!余所モンがぁ!」
大柄の男は自分の目の前で握り拳をして威嚇した。
遅れてふたりの舎弟が来て、金髪男が叫んで明智に言った。
「なんじゃ、その態度は!このお方がどなたか知っとんのか!」
「水戸黄門か?」
「なめとんかぁ!」
金髪男は明智に殴りかかってきた。明智は軽くかわしひざ蹴りで男を沈めた。今度はスキンヘッドが木の棒を振りかざしてきた。明智は棒を片手で掴み、持ったまま下げて態勢を崩した男の顔面を足蹴りした。スキンヘッドはかなり飛ばされ、川の中をころがった。
金髪男は何とか起き上がり、腹を押さえながら大柄の男に泣きついた。
「おのれ俺の弟分をようやってくれたな!」
上着を脱ぎ捨てて男は言い放った。男は指を鳴らしながら明智に近づいてきた。
横にいる金髪男が笑いながら明智に言った。
「お前もここまでやな!この人は青龍会の菅森さんや!ボクシングの学生チャンピオンやった人やぞ。もう終わりや!」
菅森は舎弟にそう紹介されて、満足気に笑いシャドーボクシングで威嚇した。しかし微動だにしない明智に業を煮やし、低い声でゆっくり言った。
「見たところおのれは武道の心得があるようやな!それに堅気やないんちゃうか?同業か?どこの組みのもんじゃ?」
尚も動かない明智に菅森は素早いステップで飛びこんできた。ジャブ、フック、ストレートとパンチを繰り出したが、いずれも明智はかわし、変わりにキックを見舞った。
「だから、おのれはどこのモンや!」
息を切らし叫ぶ菅森に明智は笑って返した。
「つくづく可哀想な連中だ。人に相対する時、威勢を張り、それを嵩にかけないと何もできないのか?」
「なんやと?」
菅森は怒りが頂点に昇ったようで、明智に飛び込んできた。明智がかわそうとした瞬間、後ろから金髪男が羽交い絞めにした。
「おう!テツ。そのまま放すな!」
菅森は明智の顔面を二発、三発と殴り、狂気の雄叫びを上げた。
「卑怯な!」
桃香がそう叫んで動いたところで明智が言い放った。
「来るな!そこでジっとしていろ」
「でも…」
一瞬、菅森と金髪男は桃香の方に気を取られた。その隙に明智は羽交い絞めされたまま少し屈んで、金髪男の頭を正面の菅森にぶつけた。それは相当なパワーを要する。ふたりが転がって立ち上がると、川に浸かっていたスキンヘッドがやってきて、菅森にドスを渡した。
形勢逆転とばかりに笑う三人。菅森はドスの鞘を投げ捨て、ゆっくり明智に近づき言った。
「もう一回言うぞ!俺は青龍会でも切り込み隊長と言われた男や!ここがおのれの墓場や!残念やったな。正義のヒーロー気取りで出てきたのはええけど、今から地獄行きや。そこの姉ちゃんは俺の真珠入りマラで天国や」
「ウマい!アニキ」
舎弟に褒められ御満悦の菅森。
「逝く前に聞いといたる。おのれはこのアマの何や?なんで出しゃばるんや?」
「ただの通りすがり。嫌がっている娘を助けに来ただけだ」
「何やと!やっぱりカッコつけてるだけやないか!ほんで、おのれは何モンや!」
「昔、サムライは名乗ってから闘った。それはお互い真剣勝負で、この世で最後に発する名前と言葉になるかも知れないからだ。お前のように簡単に名乗ることはなかった。それにお前のは名乗りではなくただの虚勢だ」
そう言って明智は徐に転がっている木の棒を拾い構えた。それは「下段の構え」である。
「サムライ…」
離れて静かに見守っていた桃香が呟いた。菅森はドスの刃を上に向けて走り叫んだ。
「訳のわからん事ぬかすな!死ねや~!」
目を閉じていた明智はパっと見開き、飛び込んできた菅森の手首を叩き、後ろに回り延髄を一撃した。あまりの早さに他の者はついていけず、声を上げる間もなく菅森は倒れた。すかさず舎弟ふたりは菅森に駆け寄り、明智の側に桃香が寄ってきた。
「大丈夫ですか?」
「ああ」
木の棒を捨てた明智の唇は少し切れていた。桃香がハンカチを出して拭こうとすると、明智は断って自分の手の甲で血を拭った。明智は桃香を伴って石段に足を掛け、上ろうとした。すると、上から暗闇の中に真っ白
に目立つスーツを着た男が下りてきた。
その男の目は鋭くジっと明智を睨んでいる。桃香が明智の袖を掴んで引き戻した。明智は振り返って桃香に頷き、男が下りてくるのを待った。下りきったところで男は再度明智を見た。明智も男から目線を外さず睨んでいる。お互い体は一ミリも動かず、瞬きもしない。
息さえしていないようである。少しの油断で血管が動くのも許さない状態である。その緊迫感は周りにも伝わり、立ち上がろうとした菅森やふたりの舎弟の動きも止まり、桃香もゆっくり明智の袖から手を放した。
そこだけ時間が止まって、鼓動だけが聞こえる。暗闇の中、ふたりの男の目だけが眩しく光っている。何かに反応した川の水の音が終了を告げた。明智と白いスーツの男は一度、大きく目を見開き、潤いを得るように目を閉じた。
「兄さん。強いな」
かすれたその音は声だけで皆を圧倒した。菅森を支えていたふたりの舎弟は直立不動になり、首を押さえながら菅森はジっとしている。桃香は明智の側にひっついた。
「見てたのか?」
明智の問いに男は上を見上げた。橋の上には黒い車が停まっていた。男は横目で三人の男たちを睨みつけると、三人は蛇に睨まれた蛙のように固まった。
明智は桃香の手を引いて石段を上り始めた。
「兄さん。ウチの若いモンが迷惑をかけてすまなかった。私は青龍会の加藤だ。何かあったらいつでも訪ねてきてくれ」
明智は振り返り、桃香を先に行かせ言った。
「俺は六条歴史探偵事務所の明智だ」
そう言って明智はヒメビルの方を指さした。
「ほう。探偵さんか!今後、会う事があるかも知れん。その時はお手柔らかに」
「ああ」
暗闇の喧騒が終了を迎えた後、明智と桃香は橋の欄干に腰掛け静かな時を味わっていた。何も聞かず、何も語らない明智に桃香は丁重に感謝の意を述べた。それでも、ただタバコだけに向き合う明智に桃香は尋ねた。
「事務所はそこですか?」
吐きだした煙の延長上にヒメビルがそびえ立っていた。
一階は「ハイミー」二階に「六歴探」
「そうだったのですか…」
ロクな返事もしないで明智は桃香に尋ねた。
「えらく軽装だが荷物はどうした?」
「はい?」
「観光客じゃないのか?」
「あ~…実は置き引きにあいまして…財布も衣装も何もかも…」
それから桃香は今日遭った災難の数々を語った。朝早く夜行バスで京都に降り立ったが、着いたと同時に警察署に連行された。それは隣の席の男を殴ったという罪であった。松山からバスに乗り、始終違和感があった。それが解ったのは京都到着寸前の出来事であった。
隣の席の男が音の出ないカメラで桃香を盗撮し、彼女が眠っている間は体を触っていたという。それに気づき、詰問したが開き直ったという。それに怒った桃香は男を殴った。連行されたが、他の乗客の証言により、男の非が判明した。また、男からも被害届が取り下げられたので帰された。
続いて自販機に千円札を入れて、ボタンを押しても飲み物が出て来なかった上に、札も戻って来なかった。
さらにカバンを下に置いて案内図を見ていたところ、その隙に置き引きにあったという。途方に暮れたまま記憶を頼りに目的地のハイミーにやって来たが閉店していた。そして今に至っている。




