助手決定③
店内には常連と思われる着物姿の老人が一人、サラリーマン風の男がランチを食べ、それと純喫茶に似合わないオタク風の若い男が二人、別々の席に座っている。
これは桃香目当ての客である。さらに奥には何やら変わった衣装を身に纏った若い女性ふたりがいて、これは向いのコスプレショップ関係の者と思われた。
すでに食べ終わった明智はタバコを咥え、轟音と共に上がる火柱にそれを近づけた。
「なぁ、小林くん。こんな所でも結構、客が入っているだろう?」
明智の問いに、タバコの煙から逃げるようにカレーを食べる小林は周りを見渡した。
「はい。こんな美味しいカレーなら毎日でも食べたいです。でも、みなさんはカレーとコーヒー以外を注文していますね?石田さんが全部ひとりで作っているのですよね?」
「ああ。作って運ぶ。だから、小林くんはミルクを手伝ってあげてくれ!」
「ど、どういうことですか?」
「探偵事務所もこんな時代だから中々依頼が思うように来ない。唯でさえ普通の探偵ではない我々は苦しい。だから仕事がない間、俺は一階にいるんだ」
「コスプレショップの副店長ですか?」
「ああ。誰が好き好んであんなオタク連中を相手に…とも思っているが、そうも言ってられない。店長がビルのオーナーだから、家賃代わりに手伝っているだけだ。そういう事で小林くんは仕事がない時、ここでウェイターとしてミルクの手伝いをしてやってくれ。ただ俺の助手ということは忘れるな!まぁ、アパートの家賃ぐらいにはなるだろう」
ようやく食べ終わった小林は紙ナプキンで口を拭いながら言った。
「ひとつ聞いてもいいですか?」
「何だ?」
「どうして僕なのですか?K大の理系で小林という理由は?」
明智は立ち上がってカウンターに向かった。丁度そこへ着物姿の老人がきた。
「金物屋。相変わらずアコギな商売しているのか?貯めたゼニでまた女を追いかけまわしているんじゃないだろうな?おかあちゃんを泣かすなよ!」
そう言って明智は老人の肩を叩いた。
「何いいますねん、先生。滅多な事を言わんといておくれやす。若い人が本気にするやおへんか?それよりも、此間の東三条殿の事件、お見事どしたなぁ。ここだけの話、わてもほんの少し恩恵を受けたさかい、先生に今度キレイどころのおるとこでも、ご招待しよか思とったとこですわ」
そう言って小太りの老人は金縁眼鏡を指で押し上げた。
「祇園か?確かアンタの贔屓は梅奴だったな?」
明智の言葉に照れながら老人は返した。
「まぁ、そうどすけど、これが中々一筋縄ではいかしまへん。それに比べて先生は涼音はんの大のお気に入り。どないしたら、先生みたいに好いてもらえるんでっしゃろな?」
最初控えめに話していた老人は次第に声が大きくなって、店内に響き渡る音量になった。
そこに桃香が近づき老人に言った。
「荒木さん。そろそろ戻らないといけないのでしょ?奥さんに叱られますよ」
「あ~、これは桃香はんを怒らせてしもたようですな?先生のことになると桃香はんは乙女になるさかい」
老人は手に持った巾着袋を揺らしながらニタっと微笑んだ。
「べ、別に私は…業平様を…そのよう…」
「まぁまぁ、桃香はん。そないに照れなんでも…。年寄りはこのへんで退散しまっさかい、あとは若いモン同士で仲ようしておくんなはれ!」
そう言い残して荒木は出て行った。扉の鈴の音が止んだと同時に、今度はカウンターの鈴が鳴り、桃香はその音に救われた。明智はカウンターから水を持って席に着き、小林に聞いた。
「江戸川乱歩を読んだことあるか?」
「はい。怪人二十面相ですね?子供の頃、よく読みました」
小林は目の前に火柱が上がるのを見て、何か閃いた。そして、叫んだ。
「あ~!もしかして、明智探偵の助手が小林少年だから、僕なのですか?まさか、それだけの理由で?」
驚いた小林は微笑むだけの明智だけでは信用ができず、立ちあがって桃香を見ると彼女はピースサインで小林を迎えた。うな垂れた小林が静かに席に着くと、タバコの煙と一緒に明智の声が彼を包んだ。
「歴史というのはただ、昔話を後世に伝えるだけのものじゃない。文献や資料を丹念に調べ上げ、時には現地調査や発掘などを行い、細かいピースを一つ一つ繋ぎ合わせていく。それは相当面倒な作業だ。何しろ何千年もの間の年表を作るわけだからな!賢者は歴史に学ぶと言うが、過去の偉人たちも歴史を学んだ。そしてそれを活かした。まだ来ぬ先を知るために歴史を参考にしてきた。どうしても埋まらぬピースには想像力も必要だが、それ
では不十分だ。それには論理的思考を持つ理系の人間が必要だ。K大は京都では一番だから、これ以上申し分ないというわけだ」
明智はそう言い終わると店を出た。小林が外を眺めていると明智は向いの店に入って行った。
「はい。小林さん、どうぞ」
そう言って桃香がパフェを持ってきた。
「えっ?僕は頼んでないですけど」
「ええ、これは私からのおごりです。甘い物お好きなのでしょう?」
「どうして僕が甘い物好きなこと知っているのですか?」
「さっき、業平様から小林さんに何か甘い物を出してくれと頼まれたものですから…これは私の自信作なのです。名付けて『みくるパフェ』みなさんに評判がいいんですよ」
そう言うと桃香は店内にいる若者たちに微笑んだ。小林が立ち上って見ると、確かにオタク風男子ふたりとコスプレ女子ふたりのテーブルの上にはパフェのガラス容器があった。
「ありがとうございます。それにしても『ミルクパフェ』とは、また思い切ったネーミングですね?」
小林はそう言ったあと、遠慮気味に桃香の胸元に目がいくのが恥ずかしかった。それを感じたのだろう桃香も恥じらいながら答えた。
「イヤだ!小林さん。『ミルク』じゃなくて、『みくる』です。好きなキャラクターの名前なんです。この衣装もその子が着てるのと同じものを作ってもらったんですよ」
「あ、そうなのですか?そ、それは失礼しました」
小林は恥ずかしさを誤魔化すように、パフェを食べる事に集中した。
夏の京都はとにかく暑い。それは盆地という地形のためであるが、冬の寒さも厳しい。海は日本海側にしかない京都の中心部にとって恵みの水は市内を南北に流れる鴨川。明智が事務所を開くこの辺りは六条というところであり、中世は政治の中心にもなった所だが現在では静かな佇まいである。喫茶ベイルートの客は明智と小林のふたり。店内は冷房が効いていてもふたりが座る窓側の席は外の熱気をガラスが吸収して暑い。
明智はマスター自慢のホットコーヒーをブラックで飲み、小林は桃香特製の桃ジュースを飲んでいる。ふたりに会話はなく、小林はどうしたらいいのか、わからないままでタバコを吸う明智を時々見ている。
何度か桃香に話しかけてはみたが、彼女は夕方の仕込みや近所に出前に行ったりと忙しくしているのでマスターに話しかけた。しかし、マスターは耳が遠いようで小林の言葉に頷くだけで会話が成立しない。
小林はまだ明智の助手になると承諾したわけではない。それならなぜ自分はまだ、この喫茶店で何も話さない明智の前に座っているか考えた。確かに、バイト先がなくなって運良く次のところが見つかったのはいいが、それは学生がするバイトではないところだ。
それに住む所もなくなったが、ここはアパートもあるという。迷ったまま傾きかけた心に扉の鈴の音が揺さぶった。
「暑い!もうダメ!桃ちゃん、炭酸、氷いっぱいでお願い!」
「はい。おかえり、ヒメちゃん」
桃香がそう答えると、続けて小林が言った。
「一条先輩。どうして先輩が、ここへ?」
外の熱気と共に店内へ入ってきたのは京子であった。驚く小林に京子はすかさず言った。
「よかった。ヘイちゃんの助手を引き受けてくれるんだね?」
「えっ?まだそうとは決まってませんよ」
「そうなの?さっきヘイちゃんから電話で早く帰れって言われたから、てっきり決まったと思った。だから、すっ飛んできたのに…」
残念そうな京子はそのまま明智の隣に座った。横で無言のままタバコを吹かす明智の顔を眺めて、今度は小林を見つめる京子。
一瞬ドキっとした表情で小林は言った。
「先輩はよくこちらに来られるのですか?」
そこへちょうど桃香が炭酸ジュースを運んできた。
「そう言えばさっき石田さんがおかえりって言ってましたけど、もしかしてここは先輩の家ですか?」
首を横に振る京子に代わり桃香が答えた。
「ヒメちゃんはここの大家さん。それに向いのビル、ヒメビルって言うんだけど、そこのオーナー兼ハイミーの店長なの」
「えっ!そうだったんですか?K大生で実業家でもあるんですね?凄いです。一条先輩」
「実業家って言っても、親が経営していたビルを引き継いだだけだよ」
恐縮する京子。再び桃香が言った。
「でもヒメちゃんは凄いんですよ。ハイミーで扱っている商品のほとんどを自分で作っているんです。外国からもお客さんが買いに来るぐらいだし、私が着るこの服もヒメちゃんが作ってくれたのよ」
そう言って桃香はスカートの裾を摘まみ上げてポーズをとった。
「やはり、一条先輩は凄いですよ。英語とフランス語も話せますし、今日僕たちが乗せてもらった車も先輩の車でしょう?それに比べて僕なんか…バイト先は潰れるし、家は立ち退き、まぁ最もこれは僕が悪いんですけど」
落ち込む小林に京子が励ました。
「でも、小林くんは未来のノーベル賞候補じゃない?」
「それは先輩が勝手に言ってるだけじゃないですか?」
「確かにそうだけど、強ちそうとも言えないよ。小林くんはK大に入学して、研究をしていくんだろうけど、もしヘイちゃんと居たらもっと世界が広がるよ。絶対将来役に立つ。それはヘイちゃんにとっても言えること。だからヘイちゃんは小林くんを選んだのよ」
「そうですかねぇ?」
小林はチラリと明智を見たが、相変わらず外を眺めてタバコを吹かしている。
明智は徐にタバコの火を消して小林の方を見て言った。
「まぁ、無理にとは言わん!ただ、ここのカレー代金を払えるかな?」
「な、何ですか?払えますよ」
そう言って小林はメニューで代金を確認して財布から千円札を出した。
「あ~、ちなみにその価格は一般料金だ。キミの場合は俺のK大への出張料と、ここまでの車代、それにミルクのミルク鑑賞代込みで、しめて七十二万円ってとこだな!」
「そ、そんなムチャクチャな!」
立ちあがった小林。京子が続けた。
「そうよ、ヘイちゃん。幾らなんでも酷すぎる」
「冗談、冗談だ。まぁ、好きにすればいい。勝手に連れてきたのはオレだから。でも、小林くん。これだけは言っておく。あんまり自分と人を比べるな!ましてミヤコと比べるのは意味がない。こんなお嬢さんと我々を比較するほうが間違っている。折角K大に入ったんだ。そこでしかできない事を見つけて自分を高め、ノーベル賞でもグラミー賞でも狙えばいい」
誰もが最後の箇所に突っ込みたかったが、それを察知したのか明智はひとり店を出た。