信濃路③
それから明智と朋絵の歴史話に花が咲いた。朋絵は自らに送った絵葉書を明智に見せ、結果、今回の悲しい上洛を憂いながら語った。
「義経が来ることもなくなりましたから、もう新しい盛衰記を付ける必要はないですね」
「えっ?どうしてそれを?」
「あなたが城田さんに送ったメールをお兄さんに見せていただきました」
「そうですか…」
突然、朋絵は影を落とした。明智にはそれがどういうことか理解できた。朋絵には兄が明智に見せたことよりも、兄が誰からそれを聞いたことが問題であった。
「兄は暗号を誰が解いたと、言っていましたか?」
「それについては何も。解いたのは私です」
「そうだったのですか。さすがに探偵さんですね?」
そう言われた明智は照れた。
「新しい盛衰記は必ずつけ加えます」
「それでは再び上洛するのですね?」
「はい」
朋絵の返事は短いながらも決意に溢れ、明智は彼女の並々ならぬ思いを感じ取った。
「明智さんは先程、犯人がもうすぐ捕まるとおっしゃいましたが、どうしてですか?」
「事件の真相に辿り着いたからです」
「えっ?…」
朋絵の驚きは当然である。話が弾んだとはいえ、ほんの数時間前に知り合った男の言葉に驚きを隠せずにはいられない。それが世間話ならともかく、殺人事件でその上、朋絵は被害者家族である。朋絵はもう一度明智の言葉を咀嚼した。自分が引きとめなければ、明智はそのまま帰っていた。線香をあげ、写真を返しに来ただけだと言った。それに今聞くまでかなりの時間を要した。
自分が被害者の妹と知っての上で一番肝心な事に触れず数時間を過ごした。それが突然、犯人を知っているという。目の前の明智は本当に知っているのだろうか。
それにしてはのんびりしすぎではないか。他人事だから、そうなのか。朋絵は急転直下で明智に対して見る目が変わった。
「明智さん。どうして、先に話してくれなかったのですか?」
「・・・」
答えない明智に朋絵は更に畳み掛けた。
「警察には通報したのですか?」
「いいえ」
「そんな、悠長な!」
「ある人に頼みました」
「えっ?」
朋絵の反応は当然である。明智の言葉の意味がわかるはずがない。
「朋絵さん。お兄さんが何故、八坂の塔に向ったのかご存じですか?」
朋絵は首を横に振った。
「あなたと別れたあと、行き詰ったお兄さんは城田さんに連絡して、彼女から聞いたそうです」
「紗佳が?どうして?」
「おふたりが連絡を取り合っていたのは、その時だけじゃなかった。それについてはあなたもご存じだったのでしょう?」
朋絵は独りよがりで疑念を抱いたまま、兄と親友を見ていた。それを初対面の男に指摘されて正直ホッとした。全くの他人から確認できたことの方が良かったとさえ思った。朋絵の口元が少しだけ緩んだのを見て明智は言った。
「こちらにお邪魔する前に城田さんのところに伺ってきました」
「えっ?紗佳に?それじゃあ、頼んだというのは…」
「はい。そうです」
朋絵は口を半開きにして固まってしまった。
明智は首を横に振って答えた。
「ご心配なく。城田さんは事件についてはご存じないようです」
「えっ?では…どうして…でも、本当に紗佳じゃないのですね?」
「はい」
「良かった~。そうか…」
表情が明るくなった朋絵に明智は言った。
「先程、城田さんもあなたと同じように言っておられました。おそらく、あなたと同じ思いだったのでしょう」
朋絵は感慨深げに頷いた。その後、明智は城田紗佳に話を聞いた上で、自分なりの推理を朋絵に語った。
兼男から朋絵の所在について尋ねられていた紗佳は、京都にいた彼にどうしても会いたくてそちらに向った。しかし、同行していた奥平直也がいる手前会う訳にもいかず、兼男をつけるかたちで後に続いた。
朋絵と別れた兼男から連絡が来て、紗佳の助言通り八坂の塔に向った彼を奥平が尾行した。その時、紗佳は朋絵の後を追ったが、見失ったという。
一方、兼男を追う奥平の後にもうひとり男がつけていた。それは探偵の佐々岡であった。佐々岡は兼男と刀売却交渉をしていた太田雅嗣から雇われた男である。
八坂の塔で兼男に近づいた奥平は何らかの理由を用いて彼の所持する刀を出させた。そこでふたりは言い争いになり、奥平が兼男を刺した。その後、奥平は何事もなかったように紗佳のところに戻り、ふたりは長野に帰った。しかし、八坂の塔での一部始終を見ていた佐々岡が奥平を東京に呼び出して、自らの事務所で殺された。
一連の話を終えた明智は朋絵に断って家の外に出てタバコを取り出した。雪景色に吐き出した白い息とタバコの煙。どれも同じ白色ではあるが、その性質は全く違う。暗くなった信州の冬空、数時間前に出会った男と女の心情は同じ色ではない。明智が家の中に戻ると、朋絵が湯気の立ったお茶を運んできた。
明智はそのまま玄関に座り、温かいお茶を啜った。
「どうして、直也は兄にあんな事をしたのだろう。ふたりともよく知った仲だったのに」
そう呟く朋絵は壁にもたれた。
「だから、お兄さんは何の疑いもせず、奥平に刀を見せたのでしょう。城田さんは奥平に刀の事を話したそうです。奥平は城田さんと一緒になるため、どうしても資金が必要だった。そこに舞い込んだ金になる話。しかし、当の城田さんはまだ兼男さんに未練があった。奥平にしてみればそれらを一度に解決できる方法が目の前に転がってきたというわけです」
「そんな…」
壁にもたれていた朋絵は床に座り込んだ。
「刀は私が持っていたのに…私が兄に嘘を言わなければこんな事にならなかった」
「どういうことですか?」
「兄に会ったあの日、刀の所在をしつこく聞かれた私は持っていたのに、ある所に隠したと嘘をついたのです。それで兄が諦めてくれればいいと思いました」
「だから、お兄さんは城田さんに聞いて八坂の塔に向った。城田さんはどうして、そこにあると?」
「以前、私が紗佳に言ったからです。それにしても何故、兄は刀を持っていたのでしょうか?」
「お兄さんはおそらく、中原家の刀を守りたかったのでしょう」
明智の言葉に理解できない朋絵は尋ねた。刀の事は幾度となく兄妹で話し合った。朋絵にしてみれば兼男が到底明智の言う通りだと思えなかった。それについて明智は解説した。数か月前、兼男は骨董店を介して中原家の宝刀のレプリカ製作を依頼していた。
それを事件当日受け取りに行ったと、骨董店の主人から明智は聞きだした。
「私、そんなこと兄から聞いていません」
「そうでしょう。お兄さんはあなたに内緒で事を進めていたわけですから」
「どうして、そのようなことを…」
「すり替えようとしたのです」
「そこまでして…」
「違いますよ。だから、お兄さんは守りたかったと言ったじゃないですか」
大きく首を横に振る朋絵には理解できない。明智は玄関扉の方を向き、朋絵は明智の背中を見ている。そんな状況でも時折明智は後ろを気にしながら語った。
明智は長野に来る前に東京で太田雅嗣に会った。太田によると、兼男は刀の売却よりもレンタルを望んでいたという。それは貴重な品の場合、寄贈や売却はせず所有者が所蔵したまま、広く人々に見てもらうという事がある。しかしそれでは当然、纏まった金を手にすることはできない。そんなジレンマの中、兼男は太田と売却も含めた交渉をしていたという。
太田はイベント会社を経営していて、そういったノウハウを持っていた。兼男が刀のレプリカ製作を依頼したのも太田の指南であった。
「どうして、言ってくれなかったのよ!」
朋絵は上を向いてそう言い、唇を噛んだ。
「お兄さんはあなた同様に刀を守りたかったのでしょう。全て独りで動いて、まだ結果が出ない内は例え身内でも話さない。それに奥平のように刀を狙う者もいる。悲しい結果にはなりましたが、本物の刀は守られた」
「わ~!お兄ちゃん~!」
朋絵はまるで子供のように泣きだした。あまりの大きな声に奥から朋絵の母親が飛んできた。明智は母親に事情を説明して、お茶を淹れてもらうよう頼んだ。
それから数分後、母親がお茶を運んできた時には朋絵は落ち着きを取り戻していた。
「ごめんなさい。取り乱しまして…お恥ずかしい限りです」
目を腫らした朋絵はもう笑顔になっていた。
「明智さん。紗佳に頼んだというのは?」
明智はここに来る前、紗佳の家で奥平の行動を彼女に全て話した。その上で奥平を紗佳の家近くに呼んだ。
奥平が来たことを確認した明智は分からぬよう、その場を後にした。
「朋絵さん。実は私、お兄さん殺しの参考人として、警察に連れていかれたのです」
「え~!そうだったのですか?」
「幸いすぐに帰されましたが、それからずっと尾行されています。どういうことか、お解りですか?」
朋絵は暫く考えて、頷いた。
「城田さんには奥平を説得して自首させるよう頼みました。万が一、奥平が逃げることがあっても大丈夫です」
朋絵は更に明るい笑顔の後、頭を下げた。
「明智さん。先程は知らぬとはいえ、本当に失礼なことを言いまして、申し訳ありませんでした」
「気になさらないでください」
何度も謝る朋絵に明智は逆に困った。
「明智さん。何度もしつこいようですが、あなたは線香を上げるのと、写真を返すためにこちらに来られたのですよね?」
「そうです」
朋絵は明智の顔をジッと見た。それはまるで明智の真意を確認するようにも見える。いつも明智が依頼者に行う一種の儀式にも似ていた。普通、男であれば美しい女性に見つめられると、それほど長く目を合わしていられない。しかし明智は一向に朋絵から目を反らさないので、仕掛けた朋絵が反らした。
「ついてきていただけますか?」
朋絵は明智を伴って廊下を進み奥へと案内した。廊下が途切れた先には離れがあり、そこへは母屋から渡り廊下で繋がっていた。そこは単なる離れではなく、土蔵であった。建物の割には近代的な扉のカギを開けると、もう一枚古い扉が出てきた。それこそが本来の土蔵の扉である。
とても大きな錠前を開けると、朋絵ひとりでは重そうな扉なので明智も手伝った。中から独特な匂いと空気が漂ってきた。朋絵は奥に進み両手で桐の箱を持ってきた。ふたを開けると紫色の布で包まれた短刀が出てきた。至ってシンプルで飾り気はないが、所々に花の模様が施され、どこか気品がある。明智は朋絵に促されながら鞘を抜いた。ちゃんと手入れされていたのであろう、刃こぼれはもちろん、サビひとつない。隅々まで十分に確認した明智は短刀を朋絵に返した。
代々続く名家らしい品々が所狭しと、並ぶ蔵は専門家ではない明智でもその価値を十分に理解できる。
朋絵はあえて口にはしないが、おそらくこの短刀がこの蔵一番の品なのであろうことは容易に想像できた。
朋絵と明智は大きな箱をイス変わりにして、時代の香りを味わった。それは歴史を好む者を唸らせる贅沢でもある。
「明智さん。この刀は中原家代々受け継がれた宝で、先祖が大切に守ってきたものなのです。平安末期、平家討伐のため発ち上がった源氏は東国から都を目指しました。関東では源氏の嫡流、頼朝。信州では義仲。義仲軍は挙兵時、数百騎でしたが日本海に出て北陸を下り、平家に連勝する内数万の大軍になりました。その勢いでとうとう都の平家を追い出しました。義仲は従兄弟でありライバル、また父の仇であった頼朝より先に都を制圧、
支配した。しかし、その後がまずかった。天下を取ったと勘違いした義仲軍は都でやりたい放題。平家討伐で纏まっていた軍はその敵がいなくなった途端、凧の糸が切れたようになった。それらを纏め切れなかった義仲が都人や朝廷、同じ源氏までも敵に回し、今度は自らが討伐の対象になった。義経によって都を追われる事となった義仲軍は五万人以上もいたにもかかわらず、最後は数騎になって終焉の地、大津ではわずか五騎だったとも伝え
られる。そこにいたのが幼馴染でもあり、後に妾になったという巴御前でした。彼女は義仲との間に子供がいたともいわれていますが本当のところはわかりません。義仲は大津で死を覚悟した後、巴御前に故郷へ帰るよう命じました。当然、巴御前は断った。女性ではあったが、女大将として義仲軍の中でも大いに活躍した巴御前が独り帰れるわけがない。しかし、義仲は巴御前を説得して結果、彼女は故郷に単身戻った。その理由は色々言われ
ています。一番有名なのは義仲が女連れで死んだとあっては忍びないというもの。他に義仲の子を身籠っていたとか、後世に伝えるためだとか、色々ありますが全部そうかもしれません。でも、ほとんど伝えられないのが…」
薄暗い蔵の中は真冬でも真夏でも左程温度は変わらない。冬であれば他より暖かい。明智は一旦、休止した朋絵の話を待った。一瞬、タバコに手がいったがすぐに戻した。朋絵は歴史と名の付く探偵の明智を前に、堂々と語っていたが、そこから先は躊躇っているのであろう。明智は朋絵に付き合った。
静まり返った蔵の中は数々の品と共に悠久の歴史を感じさせるだけではなく、朋絵の話によって物語が走馬灯のように駆け廻った。明智には零れる灯りに照らされた朋絵は背筋が伸び、ポニーテールにした髪型で語って
いた姿は、まるでタイムスリップしたように歴史の中の登場人物にも思えた。朋絵は続けた。
「私は父から聞いたのですが、父は祖父から、祖父はその父からと…中原家では代々この刀と一緒に先祖の話をしてきたそうです。巴御前が故郷に帰ったあと、義仲から託された短刀を大切に保管していたそうです。ただ、巴御前は自分の身分と義仲に纏わる話などは一切語らなかったというのです。それは頼朝の追手を恐れたからでしょう。隠れていた巴御前はいずれ、自分の正体がバレる事を考えて、大切な刀だけは何人の手にも渡らぬよう親類に当たる私たちの先祖に託したそうです。真偽のほどはわかりませんが、本当であれば八百年以上前の話です。例え作り話であっても、先祖たちは長い年月を語り継いできた。私はそこにこそ価値があり、真実があると信じています。なので、兄がしようとしていた世間に公開するというのも反対していました」
話し終わると朋絵は桐の箱を奥に片付けた。
戻ってきた朋絵に明智は質問した。
「刀に銘はあるのですか?」
「はい。『鬼斬り』と聞いています」
「確か、その名前は…」
「ご存じなのですか?」
「はっきりと覚えていませんが、源氏の秘刀にそのような名があったような気がします」
「それじゃあ、私どもの刀は偽物?」
「それは調べてみないとわかりません。私の勘違いかもしれませんし、いま私が言った刀自体、本物かどうか分からないですから」
そのあと蔵を出た明智と朋絵に会話はなかった。お互い何か思うことがあったのだろう。
廊下を歩きながら突然朋絵が叫んだ。
「明智さん。お願いがあります!」




