上洛①
都内のホテルロビーにある喫茶店で中原兼男は打ち合わせを終えた。相手は小太りの男で封筒を手にして冗談を言っている。男はスーツを着ているが、一目でサラリーマンとは違う感じであった。業界関係者もしくは、その筋の者といった雰囲気で、身につけているモノも見るからに高そうである。男は去り際、中原兼男に封筒を見せて確認し、サングラスを掛けてその場を去った。
中原兼男はイスにもたれて携帯電話を取り出した。
「もしもし、かあさん。これから東京を出るから夕方には着くと思うよ。大方、こっちの希望通りにいきそうだよ。…そうか…。わかった。帰ったらもう一度僕が話をする。じゃあ、またあとで」
電話を切った後、中原兼男はボストンバッグを手にしてホテルを出た。中原兼男は新幹線を降り、コートの襟を立てて、寒い雪の街を実家へ向かって歩いた。
「ただいま~、かあさん。やっぱりこっちは寒いなぁ。朋絵はいる?」
「まだ、帰ってないよ~」
玄関口と台所で話す親子は家中に響き渡るように声を掛け合った。この家は古い農家で広い敷地に母屋、離れがある。中原兼男は鍵を持って、敷地奥にある蔵に向かった。古びた錠前を開けると、湿った空気と何世代にも渡って保管されている、この家の歴史の香が漂ってきた。笑顔の中原兼男は上機嫌で灯りを付けた。
中に入り目当ての場所に行きつくと、背後に人の気配がして振り返った。
「なんだ!脅かすなよ!ビックリしたじゃないか!」
立っていたのは妹の朋絵であった。
「驚くほど何か疾しいことでもあるの?実家なのに…」
「そんな事はないけど、こんな所で背中に何か感じたら誰でも驚くに決まってるだろ」
「お兄ちゃんは相変わらず臆病。子供の頃から全然変わってないね」
そう言って笑う朋絵に兼男は言い返した。
「いい大人を捕まえて臆病はないだろ?お前は物怖じしない性格だから、そう思うだけだ。俺は至って普通の男さ」
「ところで、お兄ちゃん。正月休みにしては早いね?どうして今頃帰ってきたの?」
「あ~。ちょうどよかった。いよいよ買い手が決まりそうなんだ。だから、その前にもう一度見ておこうかと思ってね」
ふたりは蔵の外に出た。
「本気なの?私は反対って言ってるでしょ!そんなのダメだよ。お父さんが亡くなったからって、お兄ちゃんが勝手に決めていいわけないでしょ!」
「何言っているんだ!どうせ、俺達が財産を分けるからいいじゃないか!」
「財産なんて、そんなになかったでしょ?それにお母さんもまだ元気なのにどういうつもりなの?」
朋絵は兄を睨みつけた。それは兼男が言うように朋絵の気の強さを表していた。
兼男は朋絵の肩を両手で掴んで言った。
「よく聞け、朋絵。かあさんも年だ。親父が死んでこの家も農家としてはもうやっていけない。俺もそろそろ身を固めようと思っている。その時にかあさんを東京に呼ぼうと思っているんだ。先祖代々から預かったこの地を売り払うようなことはしない。だけど、このままでは維持するのも大変だ。折角残そうと思っているのに、それでは台無しさ。だから、この蔵にある売れそうな物を処分しようと思ったんだ。俺が言っていることが解るよ
な?朋絵」
「じゃあ、お兄ちゃん。もう家に戻る気ないの?」
「ああ。家は朋絵に任せる。前から言っていたようにこの家を離れる気はないんだろ?」
「うん。お兄ちゃんが帰ってこないなら尚更そうしないと…でも、家はまだしも、蔵の中の物は私たち兄妹だけの物じゃないのよ」
「それは大丈夫さ。保文おじさんの了解も取ってある。あの人が味方なら親戚一同も文句はないだろう」
「えらく、手回しがいいのね。この間言っていたこと本気なの?」
「もちろんさ。アレがこの中で一番いい品だから、買い手も多い。ただ骨董屋に売るだけじゃなくて、然るべきところに鑑定してもらってから出そうと思っている。だから、こうやってリストを確認するために見にきたんだよ。それに明後日には鑑定士も呼んである」
「お兄ちゃん…でも私…アレだけは…ここから出してはいけないと思うんだ!アレは中原家の歴史だよ」
唇を噛みしめる朋絵に頷いた兼男は言った。
「心配するな!それは俺も重々承知の上だ。確かにアレはこの家だけでなく、先祖代々守ってきた中原家の歴史かもしれない。しかし、その歴史を埋もれさすことが果たしていいことか?こんな薄暗い中に置いてあるより、もっとたくさんの人にその歴史とやらを、見てもらった方がアレも喜ぶだけじゃなく、俺達も救われるんだよ。なぁ、朋絵。悪いようにはしない。だから、お兄ちゃんを信じてくれ」
兼男の必死な説得も朋絵には届いていないようで、彼女は兄の顔をジッと見て眉をしかめ、そのまま蔵から立ち去った。兼男は首を数回振って蔵の中に戻った。
いつもの午後、喫茶ベイルートでは大学から戻ってきた小林が参考書を前に、オレンジジュースを飲んでいる。
「小林くん。これ、ありがとう。やっと読み終わったよ。やっぱり聞くのと本で読むのとは違うね」
そう言って桃香は小林から借りていた源氏物語の本を返した。その本は小林が同立大准教授の木村から譲ってもらったものである。桃香は小林が来てからというもの、助手として彼が経験した歴史物語を、時間が許す限りレクチャーしてもらっていた。
「桃香さんは今まで歴史に興味がなかったのですか?」
「いいえ。凄くあった。でも、業平様には中々聞けないし、自分でコツコツ勉強してきたけど、わたし頭よくないから全然ダメなの。前に織田信長と豊臣秀吉を逆に覚えていて、愛媛からきた友達を本能寺に案内した時、間違って笑われたぐらいだから…。さすがに小林くんは現役K大生だけあって頭もいいし、何より教えるのが凄く上手で、こんな私でさえ理解できる。だから、忙しい小林くんにお願いしているの。迷惑だってわかっているの
だけど…」
「そんな、迷惑だなんて全然思っていないですよ。僕も歴史が苦手だから桃香さんと一緒に勉強出来て嬉しいですよ。だけど、どうしてそこまで歴史を学びたいのですか?」
カウンター越しに話すふたり。座っている小林の後ろを帰りがけの常連客、金物屋の荒木が来て小林に言った。
「小林はん。それは野暮な質問やおへんか?桃香はんがそこまでする理由いうたら、ひとつしかおへん!」
ニタっとして金歯を覗かせた荒木は後ろ向きで手を振りながら立ち去った。小林はすぐにハっとして桃香を見た。桃香は肩をすくめ、ひたすら皿洗いに専念した。
「ガリガリ…ツー…ガリガリ…ガリ…」
その音は桃香にとって天の恵みであった。
「こちらファルコン。オオガラス、オオガラス。応答せよ」
桃香と小林は顔を見合わせた。そして、マスターが素早く無線機を手にした。
「こちらイーグル。オーバー」
「アオサギが羽を広げた。ヒナにメジロを連れて巣に戻れと伝達されたし。オーバー」
「ラジャー!」
厳しい表情のマスターは無線機を充電器に納めるといつもの穏やかな表情に戻った。
小林はカウンターに入り、用意を始めた。
「だいぶ慣れたね?」
「お陰さまで鳥の種類と羽の色を結構覚えました。でも、抹茶は珍しいですね」
「おそらく、京都以外の人じゃないかな?」
「どうしてですか?」
「京都に来たら抹茶を飲みたくなるんだと思うよ。業平様の計らいで六歴探にもここと同じようにメニュー置いてあるし」
「そうですね。じゃあ、いってきます」
「いってらっしゃい」
小林は抹茶と付け合わせの菓子、それと水を持って、事務所の扉を開けた。
「おまたせしました。どうぞ」
小林はこの瞬間が一番緊張する。依頼者が事務所を訪れ、明智の正面に座り何を話しているのかは分からない。自分が飲み物を運ぶ時間は早くても三分はかかる。
自分がそれを届けなければ本題に入れない。一刻も早く話したい依頼者もいるだろう。実際、以前イライラしていた者もいた。明智に言わせれば、この時こそが依頼者をよく観察できる時間だという。
明智は小林を待つ間、自ら飲むコーヒーを事務所内で点てる。その間、依頼者はジっと待っているしかない。幸い今日の依頼者は穏やかそうで、特に急いでいる様子もない。小林はソファーに座る明智と依頼者を横から見るようなかたちで机の前に座った。
「それでは改めて詳しくお聞きします」
「はい。妹を探していただきたいのです。私は中原兼男といいます。東京に住んでいるのですが、今は休暇で実家の長野に帰っています。五日前、突然妹がいなくなりました」
そう語り始めた兼男は一通り話し終えた。明智は話を聞き終えると、中原兼男に断って事務所の一番奥の窓を開けタバコに火を付けた。
中原兼男も例に漏れず驚いた。
「確認させていただきます。あなたがご実家に戻られた翌日の早朝、妹さんがいなくなったということですね?」
「はい。その通りです」
「どうして、失踪と思われるのですか?失礼ですが、大人の妹さんが五日連絡取れないだけで、そうお思いになる理由は?」
「昨年、私たちの父が他界しました。今は母と妹の二人暮らしです。昔から彼女は真面目でどこへ行くにも、必ずちゃんと行き先と帰る時間を母親に伝えていました。父が厳しい人でしたから、子供の頃からそうしていました。父が亡くなってからもそうです。それが母には何も言わず出て行った。しかも、妹は小学校の教師をしています。学校には暫く休むと連絡はしたようですが、師走のこの時期に何日も休むというのも考えられません。
責任感の強い妹ですから尚更です」
「そうですか。話は変わりますが、どうして、ここをお知りになったのですか?」
「はい。何か手掛かりになるものはないかと、妹の部屋を探していたところ、こういうモノが出て来まして…」
中原兼男は一冊の大学ノートを明智に見せた。中には全国各地を周った史跡の感想や、これから訪れる予定の場所などがメモされてあり、その中にひと際記述が多い京都の項目に『六条歴史探偵事務所』の名があった。
明智はざっと読み終えると、小林にノートを渡し中原兼男に尋ねた。
「妹さんはかなり歴史が好きなようですね?ノートに私共の名があるから、それで先程ここに来るなり、妹さんが訪ねてきていないか、お聞きになったのですね?」
「はい。慌てていまして失礼いたしました。妹は何でも、いま流行りの歴女っていうやつですか?友達とよく日本全国の歴史に関する所を周っているみたいです」
中原兼男は苦笑しながら答えた。
「あなたはどうですか?」
「いいえ。私はエンジニアという職業柄、未来と機械には興味ありますが、過去には疎いですね」
照れる中原兼男にソファーへ戻ってきた明智は尋ねた。
「妹さんは何度か京都にも来られているようですが、どうして今回京都だと思われたのですか?」
「ここ数日、妹が行きそうな心当たりを方々に尋ねたのですが、家族に一言もなかったのに、妹は自分の親友にメールを送っていたのです。その人から転送してもらったのがこれです」
そう言って中原兼男は携帯電話を取り出し、メール本文を明智に見せた。
『苦労かけるので上洛します。新しい浄水器つけます』
そう書かれてあった。明智は小林にそれをメモするよう指示した。
「あなたはこの意味をご存じですか?」
「いいえ。わかりません。これを送ってくれた人は妹の親友で、城田紗佳さんといいます。彼女に聞いたところ、ふたりでよく歴史巡りに行っているのだそうです。ふたりの間では京都に行くことを『上洛』と言っているそうですが、他の言葉の意味は分からないと言っていました」
「そうですか。他に何か気づいた事は?」
「そうですね…大体そんなところですね…見つかりますかね?あっ、そうだ!肝心の妹が、どんな顔かわかりませんよね?」
そう言って中原兼男は一枚の写真を出した。そこにはゲレンデにいる三人の男女が写っていた。左端に中原兼男、残りは女性ふたり。三人共スキーウェアで帽子にゴーグルをかけて、楽しそうに肩を組み笑っている。
「最近のものがこれしかなかったのですが、真ん中が妹の朋絵、右が先程お話した城田紗佳さん。彼女は妹の幼馴染でもあります」
明智は再び奥に行き、タバコに火を付けた。
「もう一度お聞きしますが、連絡も告げず五日間帰っていない妹さんは今日帰るかも知れません。ひょっとしたら今頃、長野の家に戻っているかも知れません。妹さんの他に何かお急ぎの用があるのですか?」
窓を開け外に向かって煙を吐く明智は横目で中原兼男を見た。兼男は落ち着き払うように水を一気に飲み干し言った。
「実は…私の家は代々続く豪農でした。それは昔の事で、今は自分たちが食べる分ぐらいしか農業を営んでいません。父が亡くなってからふたり兄妹の長男である私が家業を継がなくなったいま、母と妹だけでは心もとないので、先祖から受け継いだ品を処分しようということになりました。その中に詳しい由緒は分かりませんが、かなり古い時代の短刀がありまして、生前父が言っていたのは、昔先祖がどこかの侍に頂いた刀らしいということでした。それを鑑定してもらうとしていたのですが、その前日、刀を妹が出て行く時に持ち出したようです」
「妹さんが持ち出したというのは間違いないのですか?」
「はい。前日、蔵にあったのを確認しました。その事で妹と話し合っていて、彼女は売ることに反対していました」
明智は話し終えた中原兼男の顔をジっと見た。それは明智が依頼者に行うある種の品定めである。細身で背が高く、整った顔立ち。黒のスーツに緩めた細い黒のネクタイ。必要以上のことはあまり聞かず、話さない。
それに冗談と思えるほどの火柱を上げて、タバコをよく吸う。そんな男に見つめられれば、例え男性であっても目を反らしてしまう。ほとんどの依頼者がこの何を考えているか分からない明智に、この場以外では接点を持
ちたくないと考えていてもおかしくない。
明智による「品定め」に耐えかねた中原兼男はポケットから出した手帳を開け確認した。
「もう一度お聞きします。妹さんがいつまでも帰って来ない事はおそらくないでしょう。それまで待てないのですか?」
「私は明後日、東京に戻ります。妹はもちろんその事を知っていますから、それ以降に帰ると思います。でも、持ち出した刀を持ち帰って来ないかもしれません。実家に置いてれば、いずれ私が売り払うと思ってそうするでしょう。だからといって妹が売ることは考えられないので、刀をどこかに隠して決して他言しないと思います。この二日で妹を探しだすのは難しいかもしれません。妹が刀を持ち出したのには相当な理由があるはずです。彼女は感情や迷いに流されて行動するような事は絶対しない。それにはおそらく歴史が関係していると思い、こちらに相談させていただきました。できれば私がこちらにいる二日間で見つかればいいのですが、そもそも京都にいるかどうかも分かりません。無事妹が帰って来ても、私は頻繁に長野へ帰ることができません。妹はそれを見計らって行動しているのでしょう。そこで先生には刀の行方を探していただきたいのです。どうか、よろしく
お願いします」
そう言って中原兼男は頭を下げた。




