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歴史探偵アケチ  作者: 橘晴紀
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ミルク③

「腹減っているだろう?」

 小さく頷いた桃香を明智は近くの食堂に連れて行った。昨夜から何も食べていなかったという桃香は、明智に進められるまま結構な量を食べて恥じらった。

「さっき、キミは衣装って言っていたな?あの店に関係があるのか?」

「はい。ヒメちゃんに私がつくった衣装を見て欲しかったのですけど、今となってはもうどうにもならないです」

「アイツと知り合いか?」

「ヒメちゃんですか?いいえ。彼女はコスプレ業界では有名人です。みんなの憧れです。探偵さんはヒメちゃんと知り合いですか?」

「ああ」

「いいなぁ!」

「ところでキミは武道をやっているのか?」

「はい。父が空手道場をやっていまして、幼い頃から稽古をしています」

 食堂を出て、桃香は明智に礼を言った。

「どこか行くあてはあるのか?」

「いいえ。知り合いはいません」

 明智は財布から札を数枚出して、遠慮する桃香の手に握らせて言った。

「今夜はどこかに泊まりなさい。明日、警察に行ってカバンが届けられているか、確認して家に帰ればいい」

「そんな、見ず知らずの方にここまでしてもらっては申し訳ないです」

「気にするな」

 明智はタバコに火を付け歩き出した。ヒメビルに着き、二階への階段を上ろうとした時、後方から桃香が走ってきた。

「あのぉ、お話を聞いてもらえますか?」

 振り返る明智は返事をしない。桃香は構わず尋ねた。

「あなたは探偵さんですよね?」

「ああ。何か困っているのか?」

「はい」

「他を当たれ」

「どうしてですか?お借りしたお金は必ずお返しします。だから、これでお願いします」

 そう言って桃香は明智に渡された札を出した。

「カネの話をしているんじゃない。それはキミが帰るためのものだ。親父さんも心配しているだろう。なるべく早く帰りなさい」

「ダメですか?」

 桃香は懇願の眼差しで明智を見つめた。明智は二階の窓を指さして言った。

「暗くて見えにくいが読めるか?」

 桃香は声に出して読み終えたあと言った。

「歴史探偵…ですか?」

「そうだ。解ったら帰りなさい」

 動き出す明智の袖を引っ張って、桃香は知り得る限りの歴史ネタを語った。しかし、それは全く話になっていなくて、呆れた明智を苦笑いにさせるほどであった。

「わかった。もういい。どうして、そこまで必死になるんだ?」

「先程『サムライ』って言っていましたよね?私の家は代々、武士の家系で幼い時から祖父や父によくその話を聞かされました」

「出身はどこだ?」

「愛媛の宇和島です」

 暫く考えた明智は桃香を見つめて言った。

「話を聞くだけだぞ」

「あ、ありがとうございます」

 喜ぶ桃香を連れて明智は階段を上った。その後、事務所で桃香の話を一通り聞いた明智はタバコを吹かしていた。

「要するにキミは逃げてきたわけだな?」

「はい。好きでもない人と結婚なんて、今時そんなことありえませんよ」

「付き合っているヤツはいないのか?」

「えっ?…は、はい」

「好きなヤツは?」

「いません…」

 急にしおらしくなる桃香。

「先週高校を卒業したんだな?進路は?」

「父が言う許嫁の人が経営する会社で働く予定です」

「それで、キミはどうしたいんだ?」

「はい。このまま、言われた通りになるのが嫌で半年前から服を作り始め、ようやく完成して、ヒメちゃんに見てもらおうと思ったのです。出来ればその道でやっていきたいと思います。父に話したら当然反対されました。昔堅気の人で絶対許してくれません」

「諦めるのか?」

「イヤです」

 窓を閉めた明智は桃香を見つめた。それに溜まらず桃香は目を反らした。

「黒船は知っているよな?」

「えっ?はい…ペルー…でした…よね?」

「ペリーだ。彼らアメリカ人は黒船で世界中を周った。浦賀に来た時、多くの日本人が見物に行ったという。再び日本に来た彼らは驚いた。わずか数年で黒船とそっくりなものを造った藩が三つもあった。薩摩藩、佐賀藩、そしてキミの故郷、伊予宇和島藩。世界中のどの国もしなかったことを日本は国どころか、藩単位でそれをやり遂げた。それも三つ」

「すごいですね?」

「どうして、そんなことができたと思う?」

「え~、やっぱり技術力があったからじゃないですか?」

「それもそうだが、その前に情報収集、分析をして、立案をしなければならない。なにより、造る目的と確固たる信念。それには莫大な資金と強力な統率力が必要だ。幕末の混乱期にそれができた三つの藩の精神を、今の日本人がどれほど受け継いでいるか?おそらくキミの父親は数少ないそのひとりだろう」

 話終わると明智は窓際に向かった。夜風が事務所の中をすり抜けると、机の上に無造作に置かれた紙が数枚落ちた。それを拾った桃香は明智の側に寄った。

 しかし、明智は手に挟んだタバコを桃香に目の前で見せ、彼女に席へ戻るよう合図した。桃香は明智が席に戻るのを見計らって、口を開いた。

「わたし…明日、家へ帰ります。今日はいろいろありがとうございました。どうやってお礼をしたらいいか…」

「そんなことは気にしなくていい。今後、困っている人を見かけたら、出来る範囲でキミが手を差し伸べればいい」

 春の夜風は大人になっていく少女を包み込んで、新たな道へやさしく誘った。夏の風が生温かく木々を揺らした。桃香の話を聞き終えた小林は昨日目撃した事柄を振り返って、無性に確かめたかった。

 しかし、いまひとつ聞く勇気がでなかった。

「よく、お父さんは許してくれましたね?」

「そうなのよ。かなり説得した。でもね、決め手になったのは業平様から聞いた伊予宇和島藩の話をしたら、父は凄く興味を持って聞いてくれた。最後には渋々了解してくれて、条件付きで認めてくれた」

「どういった条件だったのですか?」

 小林の問いに桃香は躊躇った。

「すいません。つい調子に乗って聞いたりして、プライベートな事ですからねぇ」

「う、うん、いいの、小林くん。別に隠すような事じゃないから…京都に居たいなら、業平様のそばから離れるな!って言われた」

 桃香はモジモジして恥ずかしがった。それを聞いた小林も何故か同じ気持ちでいた。

 それを感じた桃香は慌てて付け加えた。

「ヘンな意味じゃないんだからね?父もここに来たわけじゃないし…父にしては珍しくものわかりがいいって思ったから…」

「あっ…はい…」

 小林はしどろもどろな桃香にこれ以上恥ずかしい思いをさせるのも忍びない上に、自分もこれ以上何を言っていいのか分からない。しかし、一番気になっていた事をこれ以上ほっておく事もできないので、この混乱に乗じて勇気を振り絞って尋ねた。

「あの~、桃香さん。昨日の朝、桃香さんの部屋の前で先生に会ったのですけど、先生は泊まったのですよね?」

「ええ。そうだよ」

 小林はあっさりした返事に拍子抜けした。

「先生に聞いたら、よく泊まるって言っていましたけど…」

「うん。そうねぇ、月の半分くらいかな?」

「えっ?そんなに?」

 驚く小林に桃香はやっと気づいたようだ。

 そして、小林の腕を叩いて言った。

「イヤだ!小林くん。まさか、業平様と私の事、そういう風に見てたの?昨日もそうだけど、その内の半分はヒメちゃんもいるのよ。昨日もヒメちゃんと飲んでて、宗我さんから酔っ払った業平様を連れて帰るように頼まれたの。ベイルートで飲んで、動けなくなったら私の部屋まで連れてくるの。普段、業平様は事務所で寝ているけど、事務所は冷えるでしょ?だから、そうしているの」

「はぁ。そうだったのですか…」

「…業平様はたとえ私が裸でいても、指一本触れないと思う…」

 何故か淋しそうな表情の桃香に小林は返す言葉がなかった。小林は間を置いて言った。

「そんなことないと思いますよ。桃香さんは魅力的な人だから…先生だって男だし、分かりませんよ。僕だったら…いや…ごめんなさい」

 慌てる小林を笑って見守る桃香。

「でもね、小林くん。業平様の周りには素敵な人が多いから…」

「そう言えば、昨日金物屋の前で…」

 小林は慌てて話を途中で止めた。

「ああ…沙織ちゃんでしょ?彼女は直球勝負だからね」

「沙織さんとアンジーさんは金物屋さんに下宿しているのですよね?」

「ええ。沙織ちゃんは女優の卵でアンジーはモデルの傍ら英会話を教えている。彼女たちは問題ないけど、聞くところによると業平様はどこかの小料理屋に通っているっていう噂。そこの女将が物凄くできた人で評判らしいの。私が知っている中では涼音さんだね」

「一番の要注意人物ってとこですか?」

「う~ん、でも実は身近に怪しい人がいるのよ」

「あっ、もしかして一条先輩ですか?」

「ブ~!ヒメちゃんは大丈夫!だって彼女は業平様の親戚だから…遠いらしいけど」

「そうだったのですか?どうりであの二人は違和感がないんだ!」

 そう言った小林だったが一瞬、桃香の目が鋭くなったのを見逃さなかった。

 小林はそれを誤魔化すかのように尋ねた。

「えっと~、その身近な人っていうのは誰ですか?」

「小林くんはまだ会ってないかな?そこの家に住んでいる貴紫子さん」

 桃香が指したのは河原に下りる石段の正面に建っている綺麗な町屋だった。

「はい。会っていません」

「斎藤貴紫子さん。書道家だよ」

「あ~、それで子供たちが家に入っていくんですね?」

「そう。凄くキレイで素敵な人なのだけど、業平様とそりが合わないっていうのか、どうなのか分からないけど、いつもヘンなのよね。貴紫子さん、他の人にはそうでもないのだけど、どうも業平様には冷たいっていうか…だから、逆に私はあの二人には何かあるような気がしてならないのよねぇ」

 そう言って桃香はもはや小林の存在を忘れて、ひとりの世界に浸っていた。桃香がそれに気づくまでは、もう暫く時間を要した。上空で舞うトンビの泣き声に桃香が空を見上げると、小林もつられてそうした。

「珍しいね。あまり三条より南では見ないのに、私のヘンな話が聞こえたかな?」

 桃香の独りごとに小林は参加した。

「ちっともヘンな話じゃないですよ。僕にとってとても有意義で為になる話でした」

「そう?そんなこと言ってくれるの、小林くんだけだよ。ありがとう」

「そんな…こちらこそ、ありがとうございました」

 気恥ずかしくなった小林は向き合っていた顔を戻し、鴨川を眺めて気を落ち着かせた。次の瞬間、小林は頬に温かく柔らかいものが触れたのを感じた。それは一瞬であったが、とても長く感じた。そして、その気配がなくなったと同時に右前方から馴染の声が聞こえてきた。

「こんなとこで、何サボってんだ」

 橋の真ん中あたりで明智がそう言って、こちらに向かって歩いてきている。

「え~~~!業平様」

 そう叫んだ桃香は素早く明智の元に駆け寄った。小林は立ち上がって動けなかった。桃香は明智の横にピタリとついて、あたふたしながら何か言い訳染みた事を言っている。

「業平様。どの辺から私たちが見えていました?」

「どの辺って、その辺」

 桃香はその答えよりも、もっと肝心な事を聞きたいが中々踏み込めない。橋の袂で小林に合流したが、桃香は困惑の眼差しを彼に送った。

「この時間は忙しいんじゃないのか?」

「あ~!」

 明智に指摘されて、ふたりはやっと本来の業務を思い出した。慌てて戻りながら桃香は小林に何度も言った。

「どうしよう!どうしよう!」

 小林にはそれが仕事のことを言っているのではないと、すぐに解った。

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