寝覚め前
目が覚めた。
最近のことは夢のような感覚があったが自分の部屋ではないこと、そして隣のベッドで寝ている少女がその現実を肯定していた。
部屋はまだ薄暗くカーテンの隙間から僅かな光が差し込んでいるだけだった。
「ぅん……」
少女、クロが寝返りを打つ。
床で寝ている俺は軋む体に鞭を打ち背中をむけるように寝返りを打つ。
目を閉じると最近のことが目に浮かぶ。
自殺しようとして失敗したこと。
恩人に激怒したこと。
死にかけの少年を助けようとしたこと。
恩人にまた助けられたこと。
自分の無力を痛感した。
正義感だけじゃ人は救えない。あの少年の時だってクロが居なければ少年は再起不能だったろう。
結局、俺に誰かを助けるだけの力は無かった。
ふと、クロの方へ向き直るとまだ寝ていた。穏やかな寝顔でその顔はまだ幼さが表れていた。
「すげぇ奴だな……」
パッと見俺より年下だろう、こんな子供が銃なんて持って魔法なんて力を使って誰かを助けている。
左手に巻かれた包帯を見て心が重くなってくる。
やはり、生きていても俺に出来ることなんて何も無い。
クロを起こさないようにゆっくり台所に向かう。
そして包丁を手に取り切っ先を腹に当てる。
チクッ……
金属特有の冷たさと弱い痛みを感じた。
柄を持つ手に力を籠める。
今度こそ、これで最後だ……。
「朝から何をしてるんですか」
「いっ!」
突如投げられた本の角が手に当たり包丁を落としてしまう。
起こさないように行動したつもりでいたがどうやら失敗したらしい。
クロは投げた本を拾い包丁を片付け俺と向き合う。
怒られる。反射的にそう思い、目を逸らす。
「本当に貴方は目を離すとすぐ死んでしまいそうですね」
「言ったろ、すぐにくたばるって」
「くたばりたくなったら私が責任をもって埋葬するとも言いました」
「埋葬ってことは死ぬ過程は関係ねぇじゃねぇか」
「じゃあ、責任をもって私が貴方に引導を渡します」
「後出しジャンケンかよ……」
乱暴に頭を掻きながら溜息をつく。
こりゃダメだ、あぁ言えばこう言う問答の繰り返しになる。
その流れを察した俺は両手を上げて降参のポーズを取る。
「ふふ、貴方は諦めるとしおらしくなりますね。さぁ、朝ごはんにしましょう」
俺は溜息をつきながら、クロは笑いながら朝食の準備をする。
働かざる者食うべからずということで俺も手伝わされた。
カチャカチャとフライパンや食器の音と共に朝日が部屋に差し込み、一日の始まりを告げていた。
「いただきます」
「……いただきます」
朝食のメニューは至って普通だった。
スクランブルエッグにサラダとトーストとコーヒー。
なんの捻りもない洋食の定番メニューだ。
一応、一人暮らしの経験もあり自炊もしていたのでスクランブルエッグを作ることくらいは出来た。
「結構美味しいですよ」
「そうかよ、誰が作っても一緒だろ」
久しぶりに作ったスクランブルエッグは少々不格好だが、クロはお構い無しに口に運んでいた。
思えば誰かに料理を作るなんて初めてかもしれない。
「ならこれからは貴方に台所を任せましょうか」
「なんでだよ」
「誰が作っても一緒なら私が楽できるからです」
「ちっ、分かったよ。やるよ」
自然と食べるペースが早くなる。
こいつには何を言っても勝てる気がしなくなってきた。
俺はどうにも居心地の悪い朝食の時間を過ごすことになってしまった。
〇
「今日は何か予定がありますか?」
「異世界に来てまだ数日しか経ってないやつにそれを聞くか」
寝間着から着替えたクロが覗き込んでくる。
朝食の片付けが終わり、特にやることの無い午前を送ると思っていたが違うらしい。
雑な返答にクロも「それもそうですね」と納得し俺の手を引く。
「待て、なんで俺を連れていく」
「なんでって貴方用の日用品を揃えるためですよ」
「んぐ…」
「さぁ、観念してください」
ふっと笑ったクロに引きづられるように、というより拉致される。
口の中が苦いのは朝食のコーヒーのせいということにしておこう。
〇
突然だが、女の買い物に付き合わされる男がすることと言えばなんだろうな。
……想像に固くないだろう。
そう、荷物持ちだ。
両手に抱えきれないほどの荷物を持たされ街を歩く。
足元が見えず扱けないか不安だ。
「にしても多いな……」
「半分は貴方のですよ」
「てことは半分お前の私物じゃねぇか、お前が持て」
「はっ! 寝床も朝ごはんも日用品も一体誰がお金を出してると思ってるんですか? 荷物持ち位が丁度いい雑用ですよ」
「ちっ!」
「おお、今までで一番大きい舌打ちですね」
「ちっ……」
「ふふっ」
くそ、良いように遊ばれる。
今日の晩飯のメニュー、こいつが嫌いなものだけで作ってやろうか。
「……そういえば、お前いくつだ?」
「十五、六歳位らしいですよ」
「らしい?」
「私、自分の誕生日とか知らないんですよ。親の顔も見たことがありません」
「……悪かった」
「なんで謝るんですか?」
「いや、俺も同じなんだ。だから、そういうことを聞かれるとすげぇ困った」
それを聞くとクロは意外そうな顔をして俺の顔を覗き込む。
反射と照れくささで一歩下がる。
「なんだよ」
「いえ、似た者同士だと思っただけです。貴方のことが放っておけない気がするのも納得できた気がします」
「そうかよ」
「それに、優しい人で良かったです」
「は、冗談だろ?」
「本心ですよ。あの子供が殴られていた時、貴方は真っ先に飛び出ました。どうでもいいと思っていたらあんな事出来ませんよ」
「どうだかな。ただの、気まぐれさ」
「ふふ、そういう事にしておきましょうか」
クロはふっと笑うとまた歩き始めた。
少し間合いを開けて俺も続く。
街の様子は昨日と変わらず、舗装された白い石畳に時折顔を見せる日光が反射して少し眩しい。
あまり気に止めてなかったが街の人の服装は洋服に近い感じだった。
男性は半袖のシャツに長ズボン、武器や防具を身につけている人もいる。
女性はワンピースの様な服装が多く、子連れの人も多く見られた。
それに比べ、クロは紺色のシャツに黒のホットパンツと周りの雰囲気から少し浮いていた。
ってワイシャツにスラックスの俺が言えたことじゃないか……。
「貴方はいくつなんですか?」
「ん?」
周りを観察していると顔だけ振り向き、こちらを見ていた。
「危ねぇから前向け」と注意すると「はーい」と気の抜けた返事と一緒に向き直った。
「それでいくつなんですか? 私は答えたんですから次は貴方が答えてください」
「二十三だよ」
「結構年上なんですね、ここのことを異世界って言ってましたけど元いた所とは違うんですか?」
「あぁ、まず魔法なんてものは空想の産物だ。街並みもこんな感じとは程遠い。それに、お前くらいの年の奴ならまだ働いてない奴の方が多いだろうしな」
「その人達は何してるんですか?」
「お勉強でもしてるんじゃねぇか? 夢に向かって努力する奴、大した自覚も無いまま育っちまった奴、色々だ」
「貴方はどっちだったんですか?」
「俺は……俺は、夢も何も持たずに努力もしてこなかった奴だよ」
そう、親の顔も見たことがない。
親戚をタライ回しにされ、最終的に預けられた施設の中で見たのは俺と同じ、夢も希望も持っていない奴らだった。
大人達は皆「また面倒なやつが来た」と俺達の前で堂々と言い、子供達もまた自分の価値を自分で決めれず施設を出ていった。
高校に入った時に一人だけ同じ施設出身の友人が出来たお陰で少しはマシな人間になれたとは思う。
だが、社会人になって社会の理不尽を思い知らされた。
仕事をしない上司、ミスをなすり付けてくる同僚。
それを乗り越えても誰にも褒められることも無く、ただ家に帰り冷めたコンビニ弁当で腹を満たし、狭い風呂に入って、冷たい布団て寝て、会社に行くの繰り返し。
そんな日常に嫌気がさしていた頃、友人が亡くなった。
それが原因で、死のうとした。
「なら、これから見つけてみてはどうですか?」
優しい顔をしたクロが俺の顔を両手で挟み目を合わせる。
石畳の街にバタバタと荷物が散らばるが、気にも止めず綺麗な紫の瞳が真っ直ぐ俺を見つめる。
「貴方の気持ちはよく分かります。いえ、貴方の不幸に比べたら私はまだ恵まれている方ですね。だから、私が貴方を褒めてあげます、今までの分も、これからの分も。それで、少しだけ元気が出たら、心の向くままに生きてみてください」
「わかんねぇよ……そんなこと」
「それなら、わかるまで一緒にいますよ」
「なんで……俺なんかに構うんだ」
「貴方は目を離すと、すぐ死んでしまいそうですから」
気づけば流れていた涙は今度こそ言い訳が聞かなかった。
――あぁ、ホント。こいつは敵わない。