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死ノ国  作者: 月島 真昼
終章
98/110

ラ・シン=ジギ=ナハル 20


 流行り病は草の国の本国をも蝕み始める。衛生状態の差から王の国ほどの酷い事態にはならなかったが、病人の取り扱いで大きく意見が割れて混乱に陥る。

 どういうわけか翅の国や河の国では流行り病によってそれほどの被害は出ていないらしい。ハクタクとギ・リョクが随分長い間力を注いできたペニシリンという物質が流行を食い止めたのだそうだ。ある種のカビから作られるその成分は他の菌の繁殖を抑える効果がある。現代では抗生物質と呼ばれている。河の国はこのことによって翅の国に大きな借りを作る。

 シンは彼らが呼吸をあわせて草の国に攻め入ってくる未来はそう遠くないのだろうと想像する。

(さて、国内を納めなければ外部への対処まで手が回らないのだが)

 ある日、シンは会議の場へ出て行き、出席している人々の顔を見渡してその中にキ・シガの顔がないことを見つけた。靄のなかったような鈍い頭痛がしていて、シンは額を揉み解す。国内の問題への対処にはあれの手回しのよさが絶対的に必要になる。

「キ・シガはどこだ? あいつがいなければはじまるまい。病欠か?」

 なにげなく問うと、全員が奇妙な表情でシンを見た。「シン王?」グ・ジルが怪訝な声で呟く。唐突にシンは思い出した。

 腹を裂かれたサンロウの死骸。血まみれのキ・シガの手。山中で捕らえられたキ・シガの姿。手錠。足枷。処刑場。(——以上の内容に相違はないか?)(間違いありません)(なぜこんな真似をした?)(わかっているでしょう? あなたを君臨させたままではこの大陸は地獄に変じます。かといって、わたしにはあなたは殺せない。だからせめてあなたの手足を削ぎ落してやろう、とそう思っただけのことです)(残念だよ。本当に残念だ)(ねえ、気づいていますか。シン王)(なんだ)(あなた、笑ってますよ?)……ああ、思い出した。俺がキ・シガを殺したのだ。

「なんでもない。済まない。すこし寝ぼけていた。はじめよう」

 議題に上る内容を片耳で聞きながら、頭では別のことを考える。キ・シガがあのサンロウを殺したことで、シンはこれ以上、壊獣を増やすことができなくなった。サンロウやゴエイは交配で増えるがあれらの戦力は武装した兵士に劣る。六百少しのタンガンと十八羽のソウヨク、リクコンが五体にシチセイが七匹、それから三頭のヤツマタがいまシンの所持している壊獣のすべてだ。

 シンの片耳に流行り病のことが入ってくる。民の生活や軍の足並みが乱れている。

 病そのものの影響だけではない。これまで病人や同性愛者に差別を向けてきた人々が病を得て、自分や家族に差別の目が向けられるようになってようやく、差別の目を向けられることの恐ろしさに気づきつつある。いまになってようやくそれらの根本となる法を敷いたシンに疑惑の目が向けられている。シンは口元を隠して邪悪な笑みを浮かべる。

(俺が促しはしたが、差別を行ったのは貴様ら自身なのだがな?)

 シンは確かに法を敷いた。けれど別に遵守しろとは言っていない。罰則を設けはしなかったし、特に奨励もしなかった。彼らを差別していい、という風潮が自然に作られて主流になっていっただけなのだ。これだから人間はおもしろい。きっと人間は暴力を振るいたい生き物なのだろう。社会的弱者を作り上げるとあとは勝手に追い詰めてくれる。

 はたしてイナの少年を殴り殺して無実となって釈放されたあの男は、それが誤まりだったと認められるのだろうか。社会のためにならないからと同性愛を根絶するべきだと息巻いて旗を振っていた女性は、今更同性愛を認められるのだろうか。未来に禍根を残さないために病人を屠った医師は同じ病の患者を診る資格があるのだろうか。

 思い悩むといいと思う。次に行き着くのはきっと正当化だろう。そういう風潮だったから。自分だけではない、同じように振る舞った人間はたくさんいたではないか。そもそもシン王があのような法律を敷いたからいけないのだ。わたしは悪くない。そんな風に考えるのだろう。

 そうかもしれない。すべての罪は理性と善性の仮面を捨てて邪悪に走ったシンにあるのかもしれない。狡猾に人の心を操って、そうと知られずに邪悪を伝心させた。でも、それでも。

(風潮がどうであろうと、おなじことを成した人間が千人、万人いようと、俺の敷いた悪法が原因だろうと、おまえ一人の罪は決して消えないよ)

 民の心がシンから離れつつある。もっとも、彼らにはなにもできない。軍部はシンが掌握しているし、民衆の生活に密接している壊獣がシンの指揮下にあるものだからだ。反乱を起こすほどには反抗心が育っていない。それに、そもそも現実的な生活の不満がないのだから、大部分の人間には踏ん切りがつかない。

 さて。今現在、シンの足下は今揺らいでいる。民の信が離れ、キ・シガの処刑によって文官達も大きく動揺している。壊獣にまで不安要素がある。そしてその不安要素は、シンが娘を作れば『喰』を継承させて解消されるやもしれないものだ。

(来るなら今だろう? ライ。こいよ。はやくこい)

 足音が聞こえる。軍靴の音だ。数は幾つだ? せいぜい二、三万。

 戦車の数は? なんだ随分少ないじゃないか。王の国で擦り減らしすぎたか。

 代わりに、なんだそれは。姿は朧気で見えないが、そんなものでヤツマタに対抗できるというのか? おもしろいな。見せてくれ。俺を滅ぼしてみせろ。

 乱雑に会議室の扉が開かれた。

「シン王! 国境警備隊からの伝令です。草の国からニ・ライ=クル=ナハル率いる一軍が出陣致しました。総数はおよそ二万」

(きた)

 シンは身震いを抑えた。

「同時に河の国の軍勢が雷河を越えて侵攻してきます。数は三万。先頭にはユ・メイ=ラキ=ネイゲルの姿もあります!」

 議場が騒然とする。

 シンは立ち上がった。

「さぁ、はじめようか。大陸の趨勢を決する、最後の戦いだ」

 ライとユ・メイが勝てばシンの邪悪がここで途絶える。

 シンが勝てば、ライとユ・メイを殺して邪悪が大陸中を包み込む。

 殺そう。と思う。

 殺して殺して殺そう。大陸に死を振りまこう。

 この死ノ国の王としてふさわしい戦いを成そう。







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