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死ノ国  作者: 月島 真昼
五章
97/110

ラ・シン=ジギ=ナハル 19


 シンは兵舎の中で休んでいたローゲンの元を訪れた。

「包帯を解け」

 ローゲンの傷を見たシンはすぐに言った。医者にローゲンの包帯を解かせる。と、そこには剣や槍でついた傷とはあきらかに異なる、爪と牙の痕が露わになる。シンの無遠慮な視線がローゲンの体をなぞり、瞳に止まる。

「屍兵と戦った傷ではないな。何とやりあった?」

「……」

 ローゲンには答えられなかった。ココノビはヤツマタに並ぶシンの切り札だ。そして他の壊獣と違ってココノビは単体しか存在しない。量産に成功していない種類の壊獣だ。ローゲンはそれを殺してしまったのだ。殺害があきらかになればローゲンの首が飛んでいてもおかしくない。

「申し開きもございません」

 ローゲンはこうべを垂れた。

「……まあいい」

 シンは「戻せ」と医者に命じた。医者が新しい包帯をローゲンの肩と腰に巻いていく。

「おまえをあてにしすぎていたのは確かだ。しばらく休むといい」

「はい」

 思いのほか優しい言葉がかかって、ローゲンは拍子抜けした気分になる。

「いくぞ、ココノビ」

 振り返ってシンが言った。「はい」と答える。ローゲンとそれの目が合う。「……シン王?」ローゲンは戸惑ったようにシンを見た。それはシンに見えないようにそっと唇に指をあてた。「言わないで」と言うように。

 シンのあとについてそれが出て行く。

「呼んだのだが、なぜこなかった」

「聞こえなかったから」

「次からは耳を澄ましていろ」

「はぁい」

 シンは自分の右肩を服の布ごしにがりがりと引っ掻いた。

「どうしたの?」

「無性に痒いのだ」

 苛立った口調で言う。

「……掻かない方がいいよ」

「わかっている」

 そう答えながらもシンは肩の近くに爪を立て続ける。

 皮膚の下に虫が這っているようなひどい痒みだった。

 それからシンは内外に向かって、ナ・カイ=クル=ナハルを殺したのがライだと喧伝しはじめた。ライを知るものはそれが違っていることにすぐに気づいたけれど、そうでないものはシンという「信じやすい実力者」の言う話に流されていった。実際にカイの殺害現場を見たものの話ですら誤まった情報の広がる速さに押しつぶされて届かなかった。ライが殺したのではない、という確たる証拠はなくて「カイが死んだときに共にいた」という事実だけが残っていた。

 一方でライが殺したという確証もまたなくて、状況から見てシンが殺したのではないかという噂もまことしやかに囁かれ続けた。

 しばらくの間、シンは王の国で流言飛語を行い、世論を誘導する。

 草の国の本国から軍を呼び、戦力を用意する。

 翅の国に軍を進めるための準備を進める。

 一月ほどの時間を掛けて、準備が万端に整い、翅の国に向けて十万の軍隊が出陣しようとしていた時に、それが起こった。


 ツギハギが用意した最後の一撃。

 屍の王が最後に生者に呪いをかける。



 シンの足を止めたものは流行り病だった。

 王の国からは可能な限りツギハギの用いた屍兵が除去されたが、床下や地下室などの見つけにくい場所に複数の死体が残っていた。それらが細菌や菌類を育み、見知らぬうちに不衛生な状況が出来上がっていた。それが兵舎や家に侵し、病を呼んだ。

 シンはすぐさまローゲンを草の国へと送った。負傷と不衛生は最悪の組み合わせで、致死率を著しく引き上げるからだ。病院施設内を酒や銀で消毒してどうにか病を押し留めようとしたが、できなかった。原因となる死体の行方がまるでわからなかったし、そもそも街のそこかしこで死体が腐っていることが原因だということがなかなか掴めなかったからだ。

 ツギハギの最後の呪いは実に効果的に、機能的にシンを追い詰めた。

 シンは苛立ち、がりがりと右肩を引っ掻く。血が滲んでいるがまるで気にしない。

 草の国は法によって重い病に罹ったものを、隔離、処断できることを定めている。取り込んだばかりの王の国の民への適用はされなかったが、草の国から引き連れてきた軍の内部では病に罹った者に対する差別と暴力が横行した。

 鏖殺すべきだという主張さえ出てきた。

 シンは会議の場で不意に、突然、「彼らはなにを言っているんだろう?」と思った。

 病を得ただけで処刑? まだ治る見込みのあるものを?

 確かに薬の量や面倒を見る側の労力には限界がある。

 だがそんな軽々に、同法の命を奪う議論がなされるべきではないだろう。できる限りの努力がなされるべきだ。

 と、こんな風に考えた。

「…………」

 それから彼らが考えの元としている法が、己の敷いたものであることを思い出して愕然とした。俺はいったいなにをやっていたんだ? 口元を隠して考える。そして病の蔓延を食い止めるために同胞を処刑すべきだという議論を聞いているうちに浮かんでくる、この口元の笑みはなんなのだろうか? なぜ俺はこの議論を止めずに楽しんで聴いているのだろうか? シンはココノビの支配から少しずつ醒めつつあった。

 痒みを覚えて半ば無意識に右肩を引っ掻く。

「殺す」

「殺すべきだ」

「殺さなければ」

 会議の喧騒の中で、シンが一人、褪めていく。

 机を囲む人々の姿を見つめる。

 彼らの姿は邪悪で、醜悪だった。

 そしてシンはそれらの人々の醜悪な姿を見て、自分が愉しんでいることにも気づく。

 俺が一番醜悪なのだと気づく。シンは混乱していた。吐き気を覚えて、立ち上がる。

「シン王、どこへ?」

「気分が悪い。風にあたってくる」

 室内を出て行く。

 部屋の外に小柄な少女が立っていて、シンを見上げた。「ココノビ、俺は」言ってから、シンはようやくそこに立っているのがココノビではないことに気づいた。それはスゥリーンだった。あたりを見渡す。ココノビはどこにもいない。

「スゥリーン?」

 名を呼ぶと、スゥリーンはひどく驚いた顔をした。

 名前を呼んだだけなのに。

「……俺は。俺はいつからおまえをココノビと間違えていた?」

 このところ、ずっとスゥリーンは「ココノビ」と呼ばれていたのだ。確かに体格は似ていたけれど、顔に傷のあるスゥリーンと容貌の整ったココノビには外見に似通ったところはまるでないのに。シンは自分の目を疑った。

 スゥリーンは少し躊躇ったあとで「王の国でツギハギと戦ったあとから」と言った。

「ココノビはどこだ?」

「わからないけど、九本の尾のある狐の死体を焼いたって、報告が上がってたよ」

「……そうか」

 気を抜くとまたスゥリーンとココノビが重なって見えてくる。幻覚。シンはまた右肩をがりがりと引っ掻く。背筋を不快感が登ってくる。頭の中を掻き毟られているような気がする。

 聡明なシンには自分を混乱させているものが何なのかすぐにわかった。

 麻薬の禁断症状だ。

 それからシンは混乱と覚醒を繰り返した。ひどく残酷な気分になることがあった。妙に冷静になることがあった。混乱している時間が次第に長くなっていった。自分が壊れていくのがわかった。

 流行り病に罹ったものが殺されて、焼かれるのを見てシンは「これが俺の作った国か」とぽつりと呟いた。

 死ノ国。

 焼かれた無数の死体の中へとシンは一人で歩いていく。その真ん中で立ち止まる。蛋白質の焼ける嫌な臭いが満ちている。流人の世界では1000度近い高温で焼かれるために臭いはほとんど発生しないがこの世界にはそんな技術はない。気化した人間の脂で唇がべたついている。シンはその匂いと感触を快く感じる。

 王の国を手中に収めたシンは確実にかつて仰ぎ見た天の座に近づきつつある。大陸の覇者。新たなる覇王。だというのにこの失望はなんなのだろうか。この絶望はなんなのだろうか。

「ライ、早く来てくれよ。でなければ俺は。俺は……」

 雨が降り始めた。

 シンは空を見上げて一人、大声で笑い始めた。

 いつまでもいつまでも、笑い続けていた。





 to be continued

今回の更新分はここまでとなります。ここまで読んでくださってありがとうございました。三章が終わりです。次章で最終章になります。よければもうしばらくお付き合いください。評価点やお気に入り登録、感想などいただけると真昼が泣いて喜びます。

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