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死ノ国  作者: 月島 真昼
五章
96/110

ギ・リョク 9



 ライ達は翅の国に戻る。

「疲れた」

 ユーリーンの元へハクタクがやってきて「肩見せろ。坊主もこい」と言う。有無を言わせない口調だった。ハクタクは視線を彷徨わせて「ギ・リョクは一緒じゃねえのか?」と尋ねた。ライはきょとんとして、首を横に振った。

「いないの?」

「ああ、国の方でもないらしくて、あちこちであいつのことを探してやがるんだ。てっきりお前らについていったんだと思ってたんだが」

 ギ・リョクが消えた。

 彼女はあらゆる事業に出資者として顔が効いて調整役として駆けずり回っている存在だったが、不在になっても今はまだ大きな混乱には陥っていなかった。周辺の人物にこれからの手立てをよく言い聞かせていたからだ。ギ・リョクの失踪は彼女自身の意図したことだということは伝わってきた。

 けれど、誰も彼女の行先を知らなかった。



 キ・シガが帽子を目深に被って顔のわからないようにして街へ出た。草の国にある一件の茶屋に腰を下ろして、適当に注文を告げる。しばらくすると六尺はある大きな細身の男性がキ・シガの向かいの椅子に腰かけた。挑発的な笑みを作ってキ・シガを見る。

「よお、久しぶりだな」

 男装したギ・リョクだった。さらしを巻いて胸を潰して長い赤髪をばっさりと切り落としている。化粧で顔を変えていたのでよく見なければ彼女を知る人であっても、それがギ・リョクだとはわからなかった。

「いまさらなんのようですか。どうやってここまで」

 どこか敵意のある口調でキ・シガが言う。キ・シガの元に届いた一通の手紙には、無数の数字だけが並んでいる。最後に1 61 .59 28と書かれていた。二人が子供の頃に作った暗号だった。簡単な法則によって並べ変えただけの内容だが解法を知っているキ・シガとギ・リョクにしか読めない。そこには今日の日時とこの場所が示されていた。キ・シガは随分迷った末にここに来た。

「賄賂で関所を骨抜きにしたんだよ。あたしの商隊はいまじゃフリーパスさ。シンの野郎が王の国に出張ってるいましかチャンスがねえと思ってな。こうして遥々やってきたってわけだ。久しぶりにてめえと話がしたくてよ」

 ギ・リョクは一片の紙片を差し出した。

 そこには草の国の中央部やや西方に位置する山の名が書かれている。

「これは」

「てめえのところの君主様へのシルバーバレットさ。アキレス腱を切り裂くナイフだ。てめえならあたしの言ってる意味はわかるだろ?」

 シンを撃ち抜くための弾丸。

 草の国を支えているとある要素を一撃で破壊できる、今、キ・シガが血眼で探しているとあるものの在り処。

 ——シンの母親の子宮を移植されたサンロウの居場所。

 サンロウやシエン、ゴエイは生殖能力を持っていて、交配して増えるが、他の壊獣はそうではない。陸戦の主軸を担うタンガンやシンが懐刀として忍ばせるシチセイ。圧倒的な暴威であるヤツマタ。これらはある一頭のサンロウの胎から生まれている。これを殺すことができれば、シンは今現在所有している以上の壊獣を生み出すことができなくなる。

 ギ・リョクはその居場所を提示したのだ。

「なぜ、あなたが知っているのですか」

「この国で商売やっていくと決めた際に、最初に国のトップの首根っこを押さえとこうと思ったのさ。それで『壊獣』ってのはどこから来てるんだろう?って思ってたな、調べたんだよ。金を使って。この国の全土を隈なく」

「なぜ、私に渡すのですか、これを。他ならないシン王の臣下である私に」

「蒼旗会を失ったいまとなっちゃあ、あたしにはこの国で動かせる勢力はない。金で繋がってた連中もてめえに切り離されてるし、他の連中はいまいち信用ならねえ。で、一番信用できる旧友に声かけたってだけの話だ」

「そうではないでしょう。私が、これをシン王に話せばっ」

 激しかけたキ・シガをギ・リョクはそっと唇に指を当てて制した。

「内緒話は公の場所で堂々と、つっても限度はあるぜ。声を荒げるなよ。耳がいてえだろ」

「っ……」

「で、なんでてめえだったか? 答えは簡単だ。てめえ、いま欲求不満なんだろ。なぁ。誰よりも暴力と貧困、それから差別の前に晒されてきたお前が、同性愛者の弾圧に病人の根絶? イナ族の迫害? んなもんに手を貸したいわけはないよなぁ」

 ギ・リョクはなにげなく通りに視線をやった。イナ族の物盗り少年が向かいの店で私刑にされていた。周りの人間がそれを囃し立てるように囲んで見ている。盗んだ少年の方が悪いのだ、と彼らは口を揃えて言うだろう。けれど、差別に晒されている彼らにはまともな仕事がない。仕事がないから食べ物を買えない。買えないから飢えれば盗むしかない。盗まなければ死ぬしかない。彼らには盗む他に選択肢がないのだ。

 カイが公共事業という形でクグ族に与えた活路が、この国では機能していない。

「よお、金持ちに買われて奴隷になって殴られて顔の形が変わっちまったキ・シガ。泥を啜って生きてきて、学を頼りにしてようやっと人生を買い戻したてめえから見て、この国はどうだよ? ファック」

「……」

シルバーバレット(そいつ)をどうするかはてめえ次第さ。もうあたしの知ったこっちゃねえよ。あたしの話はそれだけだ。あとはなんだ。昔話でもするかい?」

「……政に関わるのを嫌っていたあなたが、なぜいまさら翅の国に手を貸したのですか」

「おもしろいやつがいたからさ」

「……ニ・ライ=クル=ナハル」

「ちげーよ。てめえだよ」

「?」

「てめえがいろいろやってるのを見て、おもしろそうだと思っちまったんだよ。あたしが手ぇ出したらどうなるのか、見てみたくなっちまった。『なぁ、知ってるか。キ・シガ。民衆が求めてるのはてめえの行儀のいい頭から出てくる治世なんかじゃねえ。欲望を具現化する圧倒的な金の力なのさ』ってな。てめえに勝ちたくなったんだよ」

 キ・シガは思わず微笑んだ。

 それは二人が社会の在り方について散々話し合った時のギ・リョクの主張だった。

 キ・シガは昔と同じように、こう言い返した。

「『いいえ、違います。民衆が欲しているものはこれ以上悪くならないという保証。昨日と同じ今日が決して壊れることのなく続く、徳と治世の力なのです。ギ・リョク、あなたの強欲から生み出される社会は間違っている』……ふふっ。そうですか」

「結局のところあたしらは」

「ええ。どちらも正解の半分だったのでしょうね」

 金の力で社会を引っ張り、そこから得た税によって治世の力で日々を護る。

 国内総生産(GDP)を拡大させて税収を広げ、セーフティーネットを充実させる。

 だから二人が同じ国にいたころの草の国は、とても豊かだった。ギ・リョクが出資して様々な会社を興して経済を活性化させて、キ・シガが税を管理し住民に還元する。

 二人は知る人の中では『地龍デュロン』と呼ばれていた。

 大陸に二人といない優れた人物が『龍』と称される中で、唯一双頭の龍の名を冠した。

 ギリョクは立ち上がった。

「じゃあな、キ・シガ。二度と会うことはねえだろうよ」

「ええ、ギ・リョク。最後に貴女と話せて、楽しかった」

 二人は別れた。

 元々二人の道は決定的に分かたれていたのだ。

 キ・シガがシンを選んで、ギ・リョクがライを選んだ瞬間から。

 キ・シガの姿が通りの向こうに消えてから、ギリョクは建物の壁に背中を預けて蹲った。「にいちゃん。大丈夫か?」通りをいく気のいいジギの男が声をかけたが、手を振って大丈夫だと伝える。先ほどイナの少年を殴っていた男だった。拳に血がついていた。きっと普段は善良な男なのだろう。

 ただギ・リョクは泣きたくなったのだ。無性に泣きたくなった。ギ・リョクはしばらくの間だけ啜り泣いた。

 キ・シガはきっとあの怪物を殺すための銀の弾丸(シルバーバレット)を使う。

 あいつはいまの草の国を良しとしないはずだ。壊獣の源泉となっているサンロウを殺す。これより先に新たな壊獣は生まれなくなる。そして、シンはそれを成したキ・シガを許さない。処刑するだろう。親友が死にゆく背中を押したのは、他ならないギ・リョクだ。キ・シガの善良なやわらかい心を操ってギ・リョクがそうし向けたのだ。

 自分の悪辣さに身震いする。

 いったいどこで間違ってしまったのだろう。なぜ未来を語り合う子供のままでいられなかったのだろう。ああすればいいのだ、こうすればいいのだ、と外野から意見を飛ばしているだけではいられなかったのだろう。どうして二人でいつまでも語りあう仲ではいられなかったのだろうか。

 気づけばキ・シガも自分も大きな渦に巻き込まれていて、溺れないように泳いでいくしかなかった。ギ・リョクはその渦を上手に渡り切った。彼女は良家の生まれで、元々の資金力に長けていた。金がギ・リョクを護ってくれた。だけどキ・シガは貧しい生まれで、自分の他に頼みとするものを持たなかった。キ・シガは溺れてしまった。そうして藁を掴んだ。ラ・シン=ジギ=ナハルという、いずれ沈む藁を掴んでしまった。

 涙を流したのはいつぶりだったかと思う。

 ああ、そうだ。

 あの時以来だ。キ・シガが王の国の金持ちに買われて塾を出て行った時。

 ギ・リョクは五分ほど蹲って泣き続けていた。

 しばらくして涙を拭うと立ち上がった。

 彼女にしかできないことがまだまだ山のように積み上がっているのだ。

 


作中の暗号……ギを1にして50音の続きにそれぞれ数字を割り振る。


ガギグゲゴだとガ70ギ1グ2ゲ3ゴ4 パピプペポは71 72 73 74 75

ョは .を挟んで59


1 61 .59 28 で「ギリョク」。

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