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死ノ国  作者: 月島 真昼
五章
93/110

ニ・ライ=クル=ナハル 9

 

 シンはすぐさま、ニ・ライ=クル=ナハルがナ・カイ=クル=ナハルを殺した下手人と喧伝して、ライを討とうと壊獣を動かした。が、カイの殺害の現場を見ていた王の国の重臣が、ライを擁護してラ・シン=ジギ=ナハルこそがカイを殺したのだと訴えた。

 どちらを信じればいいのかわからない王の国の人々は、戦いの予感に怯えて硬く鍵を掛けて家や避難所の中に閉じ籠った。

「逃げよう」

 キ・ヒコが言った。ライの肩を抱く。カイの死体をライの視線から隠す。ライは頭を押さえて蹲って震えている。感情の波を堪えている。

「我々の主力である戦車は市街戦に向いていない。シン王の軍勢とて、ツギハギの屍兵と散々に戦ったあとだ。疲労があるだろう。鉄の国付近の平原にまで移動できればむしろ補給路の近い我々が優位に立てる」

 ライが震えながらかくかくと顎を引いた。

「なんだ、この騒ぎは。ライは無事か?」

 そのうちにユーリーンが駆け付けてきた。

 キ・ヒコが事情を話すと「そうか」とだけ言う。

殿しんがりは引き受けよう。少年のことは貴女に任せる」

「相手にするのは壊獣なのだろう?」

 妙に感情のない声でユーリーンが言い、身震いを抑えるようにして自分の肩を抱いた。

「私が殿を。ライのことを貴方に頼む」

「……いいのかね?」

「というよりもあなたでは力不足だ。敵にスゥリーンがいるのだろう? あれは私にしか退けられまい」

 それに。ユーリーンは内心で思う。

 もうすこしころしたいきぶんだったんだ。

 相手が人間でなければ。壊獣が相手ならば存分に技を振える。

「なにかあったのかね?」

 いつになく殺気に満ちた剣呑な気配を放つユーリーンに思わず尋ねたが、ユーリーンは「べつに」と言って軽く笑った。その口元はわずかに歪んでいる。

 キ・ヒコはその表情を知っている。膝の負傷によって後方に下げられるまでは、自分がそれを被っていたからだ。ユーリーンが身につけようとしているのは「鬼神の仮面」だ。いまのユーリーンのそれは、ハリグモ=ヤグが戦場で見せた表情とよく似ていた。危ういな、と思う。二十歳にも満たないこんな子供に被らせるべきものではないと思う

 キ・ヒコは少し考えたあとで「いいや。やはり君が少年につくべきだ」ユーリーンの右肩を指さした。

「その腕で互角の腕前を持つ相手とは戦えまい? 私の方が幾分ましだろう」

「……わかった。そうしよう」

 結局ユーリーンが引き下がった。

「西門を破る」

 ユーリーンが判断を下した。西で屍兵と戦った戦車は大部分がまだ街の外に置かれている。合流して突破するのを目標にする。無論、シンの方もそれが一番現実的な手段であることはわかっているだろう。西門の警戒は濃いはずだ。それをあえて突き破る。

 ユーリーンがライを馬の前に乗せて走り出した。彼女の先導に街中に残していた戦車が追随する。

 壊獣達が、主に市街戦に向いた小回りの効くサンロウとゴエイが行く手を阻む。「弓を引けないのは不便だな」ユーリーンが片腕で剣を振るって、飛び掛かってくるサンロウを斬り殺す。ゴエイの小剣を馬に躱させて蹄で踏み殺す。

 西側の門に辿り着いたが、すでにタンガンとサンロウの混成部隊が門前を固めていた。

 えものがたくさんいる、とユーリーンは思った。

 鐙から足を抜いてライを抱いて鞍から飛び降りる。馬の尻を蹴りだす。ライを下ろして剣を抜く。蹴られた馬が前方に向かって走ってタンガンに叩き殺される。タンガンが腕を振った直後の隙を狙ってユーリーンは真正面からタンガンの胸を刺し貫いた。硬い胸骨と分厚い筋肉を突き抜けた剣の切っ先が心臓を抉る。剣を引き抜く。タンガンの体がぐらりと揺れて倒れる。「お、おおお!」ユーリーンが一瞬でタンガンを撃破したのを見届けた後方の兵達が士気をあげて突撃していく。

 サンロウが戦車を牽引する馬を狙う。ライが地面に手をついた。泥の魔法によって作られた剣や鎌がサンロウの首を切り落とす。腹を切り裂いて内臓がぶちまけられる。ライは妙に無感情な目をしていた。

(城壁に手をつけれたら壁を崩してみんなが逃げられる)

 ライは逸って前に出ようとするが、前方の敵は数多くてなかなか進めない。後方でもキ・ヒコが戦っている。追い詰められている。

 タンガンの豪腕が戦車の装甲に叩きつけられた。厚さ八十ミリメルトルの鉄板が大きくへしゃげる。二撃目が降り下ろされて、螺子が弾けて装甲が吹き飛んだ。タンガンがにいと笑う。戦車の中にいた人間が「ひっ」と怯えた声をあげた。タンガンの指が人間の体を握り潰した。サンロウが戦車を牽く馬の喉に食いついた。動力を失った戦車が敵のただなかで停止する。ライもユーリーンも自分の周りの壊獣を退けるのが精一杯で他にまで手が回らない。「ライ」数台の戦車が壁になって、ユーリーンが突出して道を切り開いた。ライがその狭い隙間を駆けて壁に手をつく。泥の魔法の力によって城壁が崩れる。

 そうして。

「……遅かったね」

 城壁が崩れて広くなった視界に待ち受けていたのは、絶望だった。

 装甲がへしゃげた戦車が何十台も転がっていた。数多の人間が死んでいた。

 潰れた戦車の上に腰かけて、スゥリーン=アスナイが退屈そうにライとユーリーンを見ている。翅の国の戦車戦力は、すでに壊滅していた。たった一人の少女の力によって。

 『飛龍フェイロン

 シンの方が一手か二手速い。

 状況を動かしたシンと、動かされたライの差だった。

「詰みだよ、お姉ちゃん」

 スゥリーンが立ち上がって、剣を構える。

 ライ達の背後から壊獣が襲い掛かってくる。ライが振り返って対処に追われる。

 ユーリーンが一歩、前へと踏み出す。

「雑魚に擂り潰されて死ぬなんてつまらないでしょ。最後に、私と踊ろうよ?」

 ユーリーンがちらりとだけ後ろを気にする。キ・ヒコが懸命に食い止めているが壊獣達がすぐそこまで迫ってきている。タンガンが車輪を破壊する。サンロウが馬の喉を食い破る。スゥリーンに視線を戻す。

 ……どうせこいつを突破しない限りは、なにもできないしどこにもいけないだろう。

 剣を握ったまま左手を耳元まで持っていく。指を鳴らそうとする。場違いに、少し楽しい気分だった。


「いやぁ、詰み(そう)とも限らねえんじゃねえか」


 どうでもよさそうに誰かが言った。咄嗟にスゥリーンが跳んで空中に逃げる。

 寸前までいた空間を、水龍が凄まじい勢いで駆け抜けていった。スゥリーンが足をかけていた戦車が水に流されて横転する。

「よお、がきんちょ。借りは返せそうか?」

 水龍から二人の人影が飛び降りた。無造作に近づいてきたユ・メイ=ラキ=ネイゲルがライの頭をぐしゃぐしゃに撫でまわした。後ろでシュウが目頭を押さえてため息を吐いている。

「なんで?」

 ライが思わず溢した。

「今回はこないって言ってたんじゃ……? シュウさん、止めなかったの?」

 シュウはげんなりした顔でライを見た。

「止めなかったと思いますか? ええ、止めたんですよ。いかない方がいいですって。河の国のためにはなりませんよって散々言ったんですよ、僕は! こんなの同盟の規約外のことだし、大将の得にはなにもなりませんよって。なんなら情報自体を差し止めたんですよ。でもどこかから漏れちゃって大将の耳に入って、そしたら大将も連中も基本的に脳筋だから。“あん? ライのやつが行くんだろ? 借りが返せるかもしれねえじゃねえか。受けた恩は返すもんだろ。なぁ、おまえら?”、“へい、お頭!”てな具合でっ」

 苛立ちをぶつけるようにシュウが言葉を吐き出す。

「せっかく助けに来たんだからおとなしく助けられてください! 船の用意があります。さすがに戦車までは載せられませんが」

「あ、ありがとう」

 遅れてやってきた河賊達がユ・メイに続いて、壊獣達を押さえつける。

 ユ・メイが空に立つスゥリーンを見上げる。傍らに水龍を侍らせた水龍の頭を左手で撫でる。二十メルトルほどの龍だが、河賊達が背後を押さえている状況でスゥリーン一人を相手にするならば十分な大きさだ。

(……勝てないとは思わないけど、あれと戦えば私に離脱のための力は残らないか)

 スゥリーンは嘆息した。

 シンは「帰ってこい」と言っていた。「まだおまえを使い潰すわけにはいかない」と。この場でユ・メイと戦って力尽きるのはスゥリーンの本意ではない。相手がユーリーンならばそれでもいいと考えていたのだけど。

 膝を撓めて、スゥリーンが跳躍し、王の国の内側へと。シンのいる場所へと逃げ去っていく。

 ユ・メイの水の魔法と河賊達、ライの泥の魔法とユーリーンが壊獣を足止めする。

 キ・ヒコと翅の国の兵達は戦車を捨ててユ・メイの用意した数台の大きな軍船に乗り込んだ。撤退しながらユ・メイたちも軍船にまで引き上げることに成功し、ライ達は王の国を離れていく。




 しばらく放っておいて。


 と言って、ライは借りた船室に閉じこもってしまった。

「……それで、何がどうなってシン王に追われていたんですか?」

 シュウがキ・ヒコとユーリーンに尋ねる。ユ・メイがさして興味もなさそうに耳を掻いていた。キ・ヒコが簡単に事情を話す。ツギハギのこと。カイの死。ことが終わった瞬間にカイを殺したのはライだと喧伝したこと。シュウは目頭を押さえた。

「思っていたよりずっと厄介なことになっていますね……」

「どういうことだ?」

 ユ・メイが手下に持ってこさせた干し肉を齧りながら尋ねる。

「シン王はこれからライさんのことを、カイさんを殺した朝敵だと大陸中に喧伝するでしょう。朝敵の討伐の名の元に、軍を起こして翅の国へ攻め入ろうとするはずです。例えそれが濡れ衣だとしても、晴らす手段がありません。ライさんとしては逆のことを、つまりシン王こそがカイさんを殺害したのだと喧伝する他ないのでしょうが。

 我々は既にライさんに手を貸してしまったんです。ライさんの側に立たざるを得ませんね」

「同盟があるんだから結局のところ俺たちのやることは一緒だろ?」

 ユ・メイがもちゃもちゃと口を動かす。

「最悪の話ですが、先ほど動かなければライさんを朝敵だと謳うシン王の流言に乗って同盟を破棄することもできたんですよ、我々は」

 干し肉をごくりと呑み込んだユ・メイが突然、殺気に満ちた目でシュウを睨んだ。

 慣れているようにシュウはその殺気を受け流した。

「ええ、大将が一度結んだ約束を簡単に覆さない人だということはわかっています」

「ならいい。……で、結局のところ、どういうことなんだよ?」

「翅の国と河の国が手を組んで、草の国と対立する。曖昧だったその構図がはっきりしてしまったということです」

 それはキ・ヒコとユーリーンにとっては随分心強い言葉だった。

 暴力と殺意の王、ユ・メイ=ラキ=ネイゲル。

 ロクトウが死に、大陸の西半分の勢力がツギハギによって壊滅し、王の街がシンの手中に収まったいまとなっては、ユ・メイと河の国の軍勢はシンに対抗できる唯一の勢力だ。

「わかりやすくていいじゃねえか」

 ユ・メイは軽く笑う。

 シュウが眉間に皺を寄せる。

 次に起こる戦いは、雷河を挟んで行われた先の戦いとは違う。翅の国を舞台とした本格的な陸戦となる。陸戦において大陸最強の勢力である草の国に陸戦を挑まなければならない。そして翅の国は陸戦戦力の要である戦車の大半を、王の国で失った。草の国も屍兵との戦いで多くの壊獣を失っているのだろうが。シュウは髪を掻き上げる。この若い才人の頭の中で戦いの趨勢が目まぐるしく動いていく。

「きっと時間はシン王の味方ですね」

 王の国の混乱が収まってシンがそこに住まう民を手掌の内に収めたときに、翅の国と河の国は滅び去る。平野部の多い王の国を手に入れたいまの草の国の食料の生産力は、他の国とは比較にならない。食料の生産力は抱え込むことのできる兵数に直結する。

 考えれば考えるほど悪い材料ばかりだった。

「……みんなそんなに僕に殺されたいのかなぁ」

 ぽつりと呟く。

 キ・ヒコが目を丸くしてシュウを見た。

「とにかく、草の国との本格的な戦地は翅の国になるでしょう。こちらの軍隊の幾らかをそっちに送ります」

「おう、そのうち行くから、首洗って待ってろ」

「いえ、大将は河の国にいてください」

「あん?」

「いくらうちの水軍が優れていても、雷河の護りが手薄になっては元も子もありません。大将は河の国の防衛の要ですから」

「なんだよ、つまんねえな」

「一ついいかね?」

 キ・ヒコが口を挟んだ。

「貴女がたは少年が本当にカイ殿を殺したとは思わないのかね?」

「あいつ、そんなことやるやつじゃねーだろ?」

 ユ・メイがあっさりと言った。シュウは「大将がこう言うから疑うだけ無意味です」とユ・メイの見解を遠回しに肯定した。

「ありがとう」

 ユ・メイは何に対して礼を言われているのかよくわからなかったが、とりあえず頷いておいた。

 ユーリーンがそっとその場を離れた。ここはキ・ヒコに任せておけばいいだろうと思う。

 ライが閉じ籠る船室に向かい、手の甲で小さく扉を叩く。

「誰?」

「私だ」

 鍵が開いた。ユーリーンが静かに扉を開き、体を滑り込ませて、閉める。

 後ろ手に鍵を掛ける。ライの目を見る。随分と泣き腫らした目をしていた。

「ちょっといろいろあって、頭の中がごちゃごちゃなんだ」

「わたしも、そうだ」

 ユーリーンの方は、死体と壊獣を殺したことで随分すっきりしたのだけど。

「話しをしよう」

 ユーリーンが言った。

「私たちには、互いを近しい関係だからと、ライはわかってくれるだとか、ライには話したくないだとか、そんな風に考えて呑み込んできた言葉がたくさんあったはずだ。それを残らず話してしまおう」

「……いいよ、でもなにから話そう?」

「私は、最初に話したいことは決まっているんだ」

「……うん、僕も実は最初に話そうと思い浮かべたことはあったんだけど、ちょっと照れ臭いなって」

「私も少し照れ臭いことなんだ。どうせなら同時に言ってみようか?」

「そうだね」

「じゃあ」


「僕はユーリーンが好きだよ」

「私はライが好きだ」


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