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死ノ国  作者: 月島 真昼
五章
91/110

ツギハギ=クグ=ナハル 2

 


 王の国に屍兵が現れたと聞いて、ライはぎょっとした。ユーリーンと彼女の引き連れてきた戦車隊、それから草の国のローゲンと騎兵、壊獣達が対処にあたっていることを聞かされる。

 すぐにでも引き返したかったが、前線にいるライ達の現状は退却できるようなものではなかった。

「倒しても倒しても……!」

 ライは地平線の彼方までを埋め尽くす屍兵をもどかしい思いで見る。

 シンの壊獣も、戦車兵達もよく働いている。交代で休息を取りながら、どうにか凌いでいるが、「凌いでいる」以上には見えない。

 ライの胸に妙な違和感が去来する。戦場についてからずっと感じていた。「ざわざわ」する。具体的になにか不調があるだとか、心理的な均衡が失われているだとか、そういうわけではないのだけど。なにかが気になる。ライは首を振って、違和感を振り払う。戦場を見る。

 馬を殺されて止まった戦車がいた。鋼の装甲の前で屍兵は成す術を持たずに、戦車の周囲に取り付いて表面を引っ掻くだけだ。屍兵にはなにもできないとわかっていても、中に閉じ込められた兵は強い恐怖に駆られる。ライは泥の魔法を使った。戦車の周囲にいた屍兵の頭部を泥で出来た鎌や剣が撥ね飛ばす。戦車の近くまで寄って、泥の魔法で下の地面ごと戦車を安全な場所まで退避させる。

 足の止まる戦車が増えてきている。どこかで打開しなければこちらが先に潰れる。(アゼルはこんなのを一人で食い止めてたのか)『炎』の魔法のすさまじさを思う。

 ライは知る由もなかったが、その打開のための手段は王の国へと地下を通って侵攻した屍兵によって閉ざされていた。ローゲンは負傷して治療を余儀なくされていたし、アゼルは充分な休息が得られないまま魔法を使ったことで再び倒れている。他の手段としては、シンのヤツマタぐらいだが、ヤツマタは凄まじい巨体ゆえに他国にまで連れてくることができていない。

 どうにかしないといけない。

 思考を飛ばしていたライの傍らを屍兵が横切った。

「!!?」

 近くにいた戦車の車体が死角になって気づかなかった。

 ライは咄嗟に身構えて泥の剣を展開したが、屍兵はそのままライの真横を。ほんのすぐ近くを通り過ぎていった。まるでライのことが見えていないみたいに。

 ……ああ、そうなんだ。

 ライはふと周囲を見る。屍兵と戦車が激しく争っている。

 確かめるために少し前に出る。

 屍兵はやはりライのことが見えていない。

 否、ライを避けて通っていく。

「キ・ヒコ!」

 叫んだ。

 遠くで旗を振られた。声が届いている、という合図だろう。

「ちょっと行ってくる! あとはお願い!」

 ライは屍兵のやってくる方向を、屍と逆向きに歩き出した。どこにいけばいいのかはなんとなくわかっていた。“ざわざわ”をつよく感じる方へ行けばいいのだ。

 戦車とキ・ヒコがライを追いかけようとしたが、まるでライを守るかのように屍兵が彼らの行く手を阻んだ。

 ああ、いまにして思えば、カイが言っていた「キミは知ってると思ったんだ」とはこういうことだったのだ。カイさんはわかってたんだ。

 だから自分は、心臓を貫かれたって死ななかったのだ。

 戦車の砲弾を食らったって平気だったのだ。

 だって。


 ライはとっくの昔に「屍」だったのだから。


 二日ほどかかって、そこへ辿り着く。

 みずぼらしい一軒の小屋だった。

 こんこんこん、と扉を叩いた。「ひっ、ひひっ、ふー、ふー、ふー、は、は、は、ふー」荒い呼吸の音が聞こえる。ライは扉の向こうにいる人の呼吸が落ち着くまでしばらく待った。それは十分ほどかかった。

「どうぞ」

 女の人の声が言う。

 ライは扉を開ける。狭い、質素な部屋だった。顔の半分に火傷の痕がある女が小さく震えながらライを見た。発作そのものは収まったようだが、まだ強い恐怖がツギハギの体の中に残っている。

 ツギハギの症状は、この時代には名前がついていないがパニック障害という。なんでもないようなちょっとしたきっかけで、体の震えが止まらなくなり、まともにものを考えることができなくなってしまう。動悸がして強い恐怖に襲われる。場合によっては過呼吸に陥る。手足の痺れや幻覚を見ることもある。それから広い場所に恐怖を感じて部屋にこもりがちになる。脳内の不安神経が異常を起こしていることが原因だと言われている。

「大丈夫?」

 ライは自然に尋ねた。

 ツギハギは無理をして笑みを作った。

「済まないね、せっかく来てくれたのに。無様な姿を見せて」

 ツギハギが椅子を勧める。

 ライは粗末な椅子に腰を下ろす。

 近くの床で蛆が死んでいた。

「自己紹介はいるかな?」

 ツギハギが言い、ライは頷いた。

「ツギハギ=クグ=ナハルだ。『屍』の魔法を使う。君は?」

「ニ・ライ=クル=ナハルだよ。よろしく」

 ライは薄汚れて埃の積もった小屋の中を見渡して、ツギハギに視線を戻す。

「ねえ、僕はもう死んでるんだね?」

「ああ。君は十余年前の日に生まれてすぐアゼルに焼き殺されたんだ。私は生まれたばかりの君に屍の魔法を掛けた。君の母が哀れだと思ったから。炎で死にかけていて、君を求めて君の身を感じていた。だから君を動かして声を上げさせて、せめて君は無事だと錯覚させたままで死なせてやりたかった」

「……あなたは優しい人なんだね」

「優しい人? 優しい人か」

 ツギハギは口元を引き攣らせる。

「優しい人は、大陸の人間を百万も殺して平気な顔はしていないだろうな」

「なるほど、そりゃそうだ」

 この人が大陸の西側の人間を百万人殺して、大陸の東側の人間をすべて屍に変えようとしている。……ひどい違和感があった。

 袖から覗く火傷を見る。神経が焼けていてだらりと下がって見える顔の半分を見る。なんとなくわかる。この人は自力で立てもしない。下半身の火傷はもっとひどいのだろう。

「あなたは、その、どうしてこんなことをしようと思ったの?」

「こわかったんだ」

「こわかった?」

「堪らなく怖かったんだ。私は生きている人間が、こわくてこわくて仕方なかったんだ」

 ツギハギは自分の顔に触れる。

 生きている人間によって焼かれたツギハギの顔と体。

「聞きたいなら、話すけれどつまらないよ」

 ライは頷いた。

 ツギハギはぽつりぽつりと話し始めた。

 自分の火傷の理由。ニ・アギが彼女の顔と体を焼いたこと。それからそのあとのこと。

 十余年前、シンが王の国を離れたのと同じ頃にツギハギはサイハテと共に何人かの従者の手を借りて馬の国に逃れた。激化する覇王の後継者争いに巻き込まれるのを避けたからだ。ツギハギは皇位になど興味はなかったし、弟がそれに巻き込まれて犠牲になることが嫌だった。馬の国の王、レ・ゼタ=クグ=バウルはろくに動けないツギハギに庇護を与えてくれた。指先で出来る書き仕事を見繕ってくれた。

 けれどゼタの死で事情が変わる。ゼタがいなくなってからツギハギの屍の魔法を軍事に利用しようと考えた輩が彼女の元に押しかけてきた。彼らは彼らなりに東方のシンの脅威や、王の国からの報復を恐れたが故の、国の思っての行動だったらしい。協力を拒むと、彼らはツギハギを捕え、殴りつけた。犯そうとしたが女性器が焼き塞がっているのを見つけて舌打ちした。食事を与えずに牢の中に放置した。彼女の目の前で、サイハテを殺した。男達は泣き叫ぶツギハギの前で哄笑していた。ツギハギの目の前で、サイハテは腐っていった。日に日に腐臭が強くなり、蛆が湧いた。そうしてツギハギは人間に何かを期待することを諦めた。「弟の顔をよく見せてくれないか」男達に言った。男はツギハギの無残な死に顔を格子に押し付けて牢の中にいるツギハギによく見せてくれた。糸が切れた。

 ツギハギはサイハテの屍を使って彼らを殺した。

「次から次へと、私を殺そうという勢力が湧いてきたよ。サイハテを殺したやつらは、どうも新しい馬の国の中枢にいたらしい。しまいには霧の国まで巻き込んで大規模な討伐隊を組んできた。私はそれを片端から屍に変えていった」

 そしてツギハギは、一人で十万の兵との戦いに勝利した。

 殺した相手を屍兵に変えるツギハギの魔法は、多対多数戦において無敵だった。

 人間の軍隊に彼女を殺すことはできないのだ。

 ツギハギの屍兵はその次に、普通に生活している民にまで襲い掛かった。ツギハギが生きている人間を恐れていたからということもあるが、もっと単純な理由もあった。ツギハギの屍兵には「兵」と「民」の見分けがつかなかったのだ。

「こわかったんだ」

 ツギハギは言った。

「新しい勢力が馬の国を支配したとしても、それがゼタのようなものだとは限らない。私はまた追われるかもしれない。いいや、追われるだろう。この魔法は呪われている。この身は呪われている。でも私は死にたくなかったんだ。生者の都合で顔を焼かれて、体を焼かれて、弟を殺されて。それで誰にも噛みつきもせずに“私は呪われているのだから”とこの身を呪ったままで、ただ一人で死んでいくのが嫌だったんだ」

 ライはなにも言えなかった。

 おそらく彼女ほどでないにしても、同じような境遇の、世界のすべてを呪いたくなるような扱いを受けたものはこの世の中に数多くいるのだろう。だけど、彼ら彼女らには、大陸の人間を百万人殺すような真似はできなかった。

 たまたまツギハギはそれができる力を持っていた。彼女は大陸の人間を百万人殺すことができる人間だった。

 ライは一体誰が悪かったのだろう? と思う。

 百万人もの人間を屍に変えたツギハギが? 勿論彼女が一番悪い。だけどツギハギの顔を焼いたニ・アギは? ツギハギの弟を殺して彼女の魔法を利用しようと考えた人々は? そうした人々の台頭を許した社会制度は? それとももっと別の何かが悪かったのだろうか? ……きっとすべてが悪かったのだろう。

 あえて言うならば、巡りあわせが悪かったのだ。

 ライは自分やシンがこうであってもなにもおかしくなかったのだろうなと思う。

 なにか一つでも巡り合わせが違っていれば。

「こわいんだ。わたしは生きている人間を見るだけで、彼らが私の近くにやってくるだけでこわいんだ。だから排斥せずにはいられなかったんだ。本当はこんなことしたいわけじゃなかったんだよ。だけどこわいんだよ。ほんとうにこわくてこわくて仕方がないんだ」

 泣き言のように溢す。

 ライとこうして話せているのは、ライが死体だからなのだなと今更思う。

 あなたの屍に殺された人もこわかったと思うよ、ライはそう言おうかと思ったけれど結局言葉を呑みこんだ。この人はきっとそんなことはわかってる。

「あなたは、これからどうしたいの?」

「怯えることなく暮らせる世界が欲しい」

「だから生きている人を、全部殺すの?」

「ああ」

 ツギハギは自分の手を見ながら言った。

「この世界は私を顧みなかった。だから私も世界を顧みないことに決めたんだ」

 ライは少しだけ考える。

 この人は、どういえばいいのだろうか? 根はそれほど悪い人間ではないのだと思う。

(誰かがほんの少しだけこの人を助けてあげることができたら、こんなことにはならなかったんだろうな……)

 ただ周囲の誰もが彼女を呪ってきた。

 だから呪いを返す以外のことを考えられなくなってしまった。

「でもね、私はきっと失敗するよ」

「……」

「シンが私を止める。今は均衡を保っているように見えても、それはあいつがまだヤツマタを繰り出せていないからだ。シンが国境の隘路を切り開いてヤツマタを繰り出してきたときに私は敗北するだろう」

「負けるのがわかってるのに、戦ってたの?」

 ツギハギが頷く。

「わたしはね、きっと誰かにわたしを止めて欲しかったんだよ」

「止めて欲しい」

「でも私は生者に。シンに殺されるのは嫌だ。それはこわいんだ。ほんとうにこわいんだ」

 ツギハギは机の上から短剣を手に取り、柄の方を向けてライに手渡した。

「私は、君を待っていたんだ」

「……他に方法はないの?」

「ないよ。私は生者が憎い。おそろしい。私自身さえを含めてね。この世界から生けとし生けるものを抹殺するまで私は止まろうとしないだろう」

「……あなたが死んだら屍である僕はどうなるんだろう?」

「私にもわからない。他の屍は術者である私が死ねばただの死体へと還る。君もそうなると考えるのが妥当だが、君のその状態は他の魔法が少なくとも二つ以上干渉した結果に思える。少なくとも“成長する屍”なんて例を私は知らない」

「ん。そっか、わかった」

 ライは短剣を背中に隠した。

「口づけしてもいいかい?」

「え?」

 ライはゆっくりとツギハギの頭の後ろに手を回して顔を近づけた。拒みたいならば拒めるように。額があたる。鼻先が触れる。ライは自分の唇をツギハギの乾いてひび割れた唇に押し当てる。ツギハギの体を抱きしめる。キ・ヒコが教えてくれた。人は抱きしめられると抑圧ストレスが随分減るのだと。愛を受けている間は多少なりとも気分がよくなるのだ。

 ツギハギは随分久しぶりに人間の体温を感じた。

 そうして唇を触れ合わせたまま、抱きしめたままで、ライは短剣でツギハギの首を突いた。短剣を引き抜く。捨てる。血が流れた。ツギハギの体が痛みで震えた。けれどそれはすぐに収まった。

 ライはツギハギが死ぬまでずっとその体を抱いていた。女の体から温度が抜け落ちていくのがわかった。なんだか無性に悲しかった。



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