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死ノ国  作者: 月島 真昼
一章
9/110

ラ・シン=ジギ=ナハル 2



 しばらく話したあとに、テン・ルイが門を出る。ライとユーリーンが去ったので、ハリグモを呼びに向かったのだ。その床下で黒い外套を纏って息を殺していたハリグモに気づかなかった。

(ここしかない)

 テン・ルイが十分に離れたのを見送ってから、ハリグモは床下から這い出た。門扉の前に踊り出る。二人の門兵が剣を抜くよりも、ハリグモの偃月刀が円弧を描く方が速かった。鎧と剣ごと、二人の門兵の首から肩にかけてが切断されて門の前に転がる。血の飛沫がハリグモの全身を濡らす。息もつかせずにハリグモは門を蹴り開けた。

 シンがすぐに異変に気づく。全身血濡れで偃月刀を構え、凄絶な笑みを浮かべて疾走するハリグモに向けてタンガンを動かす。全身が灰色の体毛に包まれた巨大な獣が、唸りをあげてハリグモに襲い掛かる。タンガンが巨大な拳を振り下ろした。木製の床が砕けて底が抜ける。軽やかに跳躍したハリグモがその腕に飛び乗る。跳躍した勢いを乗せて偃月刀を振るう。硬い体毛と強靭な筋肉、そして太い骨が、偃月刀の一撃を受けて撥ね飛ばされた。タンガンの首がシンの傍に転がる。

「おおっ!?」

 純粋な感嘆がシンの喉を震わせた。兵三十に匹敵する戦力が、ただ一人の人間によって瞬く間に引き裂かれた。もう一体のタンガンが両腕で抱きすくめるように振った。死体の肩を蹴ったハリグモが一矢となって飛んだ。腕が空振る。偃月刀がタンガンの瞳に突き刺さる。大きな瞳を貫かれて、切っ先が頭蓋を抜け、後頭部に突き出す。絶命する。ハリグモが唇を舐めた。生臭い獣の血の味が口内に広がる。一挙に引いて、偃月刀を頭蓋骨から引き抜く。鬼神が口元を歪める。狂気的な笑みを浮かべる。

「ラ・シン=ジギ=ナハル。その首、その命、ハリグモ=ヤグが貰い受ける!」

 キ・シガがシンを見限って、裏口から早々に逃げ出した。

「骨は拾いますから、成仏してくださいね」

 両手をあわせて経文を唱える。

 ハリグモが偃月刀を振りかぶった。

「シチセイ」

 シンが名を呼ぶと、玉座に巻き付いていた蛇の意匠が剥がれた。七つの星が埋め込まれた蛇が立ち上がり、鎌首をもたげた。凄まじい速度で尾を振る。横合いを打たれて偃月刀が吹き飛んだ。中腹で折れた刃が床の上をからからと音を立てて転がる。名刀といえど横腹を打たれては一溜りもなかった。

(銀色の蛇? 金属? 新手の壊獣か!?)

「シン王!」

 テン・ルイが飛び込んでくる。ハリグモは舌打ちして、へし折れた偃月刀の柄をシンに投げつけた。腕を掲げて防ぐ。間髪入れずに、タンガンが開けた床の穴に飛び込んだ。這うようにして床下から脱出する。

「賊が逃げた。追え」

 テン・ルイが自分のあとを追ってきた兵士達に叫んだ。

 再度の奇襲に備えてテン・ルイ自身はその場に残る。

「ご無事ですか」

「無事ではないな。腕が折れた」

 シンが投げつけられた柄を受けて、赤く腫れあがった左手を掲げる。

 テン・ルイの目が惨殺された二頭のタンガン見る。一頭は首を落とされ、もう一頭は眼球から入った一撃が頭蓋骨を貫通して後頭部に抜けている。

「なぁ、テン・ルイ。これができるか」

 流れ出した血が室内を真っ赤に染め上げていた。

「あと十年若ければ」

 テン・ルイは見栄を張った。テン・ルイの学んだ毒龍の技は、技巧の果てを尽くしたものだ。ユーリーンがタンガンを倒す際に、注意を逸らし、両手を塞ぎ、隙を作って打ち崩したように。もしテン・ルイがタンガンと戦うならば似たような方法を駆使するだろう。質量の塊であるタンガンに対して、人間の肉体は脆弱すぎる。

 対してハリグモはタンガンに対して正面から立ち向かった。そこにはなんの工夫もなかった。最少で強力な一撃を持ってタンガンの首を刎ねた。瞳を突いた。テン・ルイには全盛期であってもそんな真似はできなかっただろう。

 もちろん今年で四十六を迎えるテン・ルイにその力はない。

 若いハリグモの力を正面から捻じ伏せるだけの膂力は、既にテン・ルイの体から失われている。

「あいつ、いいな。仲間に引き込みたいものだ」

「あれは草の国の密使と通じた養父の失態でこの死地に送り込まれました。ロクトウとの関係は絶たれているはず。うまくやれば引き込めるやも?」

 いつのまにか傍らに戻ってきたキ・シガが小首を傾げながらぼんやりと言った。

「待て。俺は密使など送った覚えはないぞ?」

 シンの頬が引き攣った。

 こともなげにキ・シガが言った。

「はい。私が送り込み、あれの養父、ガ・ナイと通じさせました。ガ・ナイは普段は実直な人物ですが酒と女にとにかく弱くてね。ハリグモまーじうぜーなー失脚させてーなーと思いまして。あれがいなくなれば北方の蛮族もロクトウをもっと脅かしてくれるのになー、と」

 離間の計。

 シンはその場にへたれこんだ。

 呆れて物も言えなかった。

「貴様、策略を練るなら最低でも俺を通せ。今回ばかりは心臓が縮んだぞ」

「以後はそうする、やもしれませんね?」

 扇子をぱちんと鳴らし、狐に似た顔を隠す。

「この武勇を切り捨てることができるほどロクトウの陣営は厚いのか?」

 キ・シガは首を横に振った。

「いいえ、間違いなくあれが筆頭の武人。ロクトウの陣営どころか、大陸を見渡してもあれほどの力量を持つものはそうはいますまい。かの国の派閥争いのために見捨てられたのではないですか」

 もしもそれが本当だとすれば。

「愚物だな、ロクトウは」

 シンは顔を顰め、吐き捨てた。

 あれほどの勇者が厚遇されないならば、ロクトウはなにを可愛がっているのだろう。

 ……自分の身か。

「追撃なさいますか? ソウヨクを使えば十分に捕捉可能と思われますが」

「そうだな。さすがにあれを生かしておくのは恐い」

「えぇー……」

 キ・シガが残念そうに目端を下げた。こいつはおもしろければ俺が死んでも構わんのだろうな、とシンはげんなりした。それでも傍につけておくだけの価値が、キ・シガにはあるのだが。

「シン王!」

 一人の男が宮殿に駆け込んできた。

大仰に封をされた親書を手にしている。

「なんだ?」

「ガ・レン皇帝の使いのものが、来ております」

「レン兄の? ああ、やっと重い腰をあげたのか。よし、会おう。通してくれ」

「では」

「ああ。テン・ルイ、残念ながら追撃はまたの機会のようだ」

 

 


 王宮を抜け出したハリグモに追っ手の兵士が殺到する。ハリグモは塀の前に待機させた馬の背を蹴って、塀を乗り越えた。驚いた馬がそこから走り去る。塀を越えられない兵士達が歯噛みしながら迂回して門へと向かう。

「ハリグモ様」

 ハリグモは外で待機させていた部下達と合流した。彼らはいずれも草の国の衣服に着替えていた。

「失敗した」

 ハリグモは簡潔に言った。血まみれの服を脱ぎ棄て、草の国で流通している真新しい簡素な服に着替える。濡らした手ぬぐいで顔についた血を拭う。部下の用意していた馬に跨る。

「貴様らは馬を路銀に変えてこの国に潜伏しろ。俺はこのまま門を突破して脱出する」

 顔を見られているハリグモには潜伏する手段も、またその手管もなかった。

「門の突破に我々も」

「いらん。命令だ。いずれお前達を集めるときがくる。その時を待て」

「……はい」

 単身で城門の突破など、いくらハリグモが強くともできはしないだろう。それを察しながらも、彼らには去っていくハリグモの背中を見送ることしかできなかった。やがてハリグモの部下達は散り、草の国に紛れていった。

 ハリグモは速度を上げた。地理に疎いハリグモは入ってきた北門しか外に出るための場所を知らない。速さが勝負だった。声と馬の速度以上では情報が伝達しない。それを上回る速度で駆け抜ければまだ機は望める。

 しかしこの機を逃せば、自分にシンを殺す機会は二度と回ってこないのではないかという予感もあった。千載一遇の好機だった。ハリグモはそれをつかみ損ねた。シチセイ。銀色に光る蛇の壊獣。鉄の硬度を持ち合わせながら波打つようにうねる体躯を思い出す。舌打ちする。一歩間違えば偃月刀ではなくハリグモ自身の首が吹き飛んでいただろう。

 不意にハリグモは自分を追ってくる一団があることに気づいた。

(対応が速いな……、いや)

 大きく背後を振り返ると、見知った顔がそこにあった。背後に八人の私兵団を連れている。馬を駆ってハリグモの背を追っているのは、ユーリーンだった。ライがおもしろくなさそうな顔で彼女の乗る馬の首にしがみついている。

「なんだ貴様らか」

「追っかけられてるの?」

 ライが簡潔に尋ねた。

「ああ」

「手を貸そうか? 僕もシンと喧嘩したんだ。あなたとは仲良くしておきたい」

「……」

 少し考えた末にハリグモは「頼む」と言った。ライが頷いて「じゃあついてきて」と言う。ユーリーンが馬を加速させてハリグモの前へ出る。北門ではなく、東側の門のないただの城壁に向かう。

「おい、どうするつもりだ?」

「僕と喧嘩したらどうなるか、僕がどれくらい厄介か、シンに見せてあげようと思って」

 ライは曖昧に微笑む。

 ろくに警備のいない壁へと辿り着き、ユーリーンが馬を止めた。ライが馬から飛び降りて城壁に手をつく。

「泥の魔法」

 この大陸における主な城砦は、土を焼いて作った石材で作られている。そして土から成るものは泥の魔法の干渉を容易に受ける。ライの魔法が波紋のように城壁に伝達していき、次の瞬間、城壁がどろりと溶けた。ライから左右に向けて五間もの長さに渡って、溶けた城壁が地面を濡らす。その先には広々とした空間が広がっている。町民たちがざわめいていた。

 城が溶ける。

 あまりにも不可解な現象を前にして言葉を失い立ち尽くすもの、逃げ出すものに分かれる。

「さ、行こうか」

 ライがくるりと振り返った。

「小僧、貴様は……」

 目を丸くしたハリグモがなにかを言いかけ、背後から迫る追っ手の気配で言葉を飲み込んだ。ライとユーリーン、彼女の私兵団とハリグモが城壁から外に出る。追っ手の姿が道の向こうに見えた。

「じゃあね、シンによろしく」

 ライは手を振りながら再び泥の魔法を使って、城壁を元に戻した。溶けた泥が瞬く間に壁を構築し、多少脆くなりながらも固まる。

 城壁を前にして、追っ手たちの足が止まる。ハリグモが眉を顰めた。

「とんでもないな、魔法使いというやつは」

「でしょー。こんなの反則だよね。父さんと戦った人たちはやってられなかったと思うよ」

 得意げにライが両手を広げた。

 攻城兵器を持ち出してもなかなか落ちないような頑強な要塞でも、この魔法の前では五秒と持たずに崩落してしまう。いわゆる籠城戦が通用しない。

「だけど多分、シンの『喰の魔法』の方が厄介なんだよね」

 局地戦闘における泥の魔法の優位は疑いようがない。

 だが喰の魔法の真価は直接的な戦闘にはそれほどない。かの魔法の真価はその価値を永続して保存できる点にある。他の魔法は大抵、魔法を解除するとその時点で効果が消え、失われる。しかし喰の魔法で生み出された壊獣は一個の生命体として確立しており、魔法が解除されても消えることはない。シンはあらゆる戦場のあらゆる場所で、その魔法を働かせることができる。そしてシンが生きている限り、壊獣の価値は保存され続ける。

 ただの戦闘においては泥の魔法のほうが強いかもしれない。

 しかし戦争において喰の魔法よりも強い魔法は存在しないだろう。

「もしかして早まったかなぁ」

 ライはぼんやりとつぶやいた。

 別に後悔しているわけではなかったけれど。




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― 新着の感想 ―
[一言] 正直かけらも面白くないです。 小説書いてる時間が、あなたの人生に置いてきっと無駄になってると思うので、さっさと別のことした方がいいんじゃないですか?
2020/06/03 23:13 退会済み
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