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死ノ国  作者: 月島 真昼
五章
89/110

ユーリーン=アスナイ 6



 西側に空いた穴の対処にあたったのは、ユーリーン=アスナイと翅の国の戦車兵だった。

 キ・ヒコから事情の説明と兵の追加の要請、それからライと自分は王の国に残る旨を記された書状が届き、ユーリーンはいてもたってもいられなくて兵と一緒に駆け付けたのだった。

 カイは屍兵が国内に入った時点で既に王の国の土地を捨てることをさえも視野に入れていたから、開門して城壁の外に出来得る限りの住民を逃がしていた。入れ替わりに門の外で待っていた翅の国の戦車兵を街の中に導き入れて、ことの対処にあたらせた。

 ユーリーンの剣が屍兵の首を断ち切る。右肩が以前砕けたままで、ギプスによって固定されていて、彼女はいま左手しか使えない。けれど、鈍重な屍兵の隙間を縫うようにして、踊るようにしてユーリーンは首を切り裂いて屍兵を殺していく。宮廷暗殺家アスナイの技が死の嵐を巻き起こす。ユーリーンはひどく場違いな居心地のよさを感じた。ユーリーンを満たしたのは全能感だった。

 ハリグモを倒したときと同じ感覚。

 鍛え上げた自分の技が他人を圧倒する時の優越感。

 相手は死体だ。すでに命は失われている。だからどんなにユーリーンが技を振るおうが、ユーリーンが殺したことにはならない。彼女はローゲンやシンのような、命を殺めることに最初から抵抗のない人間とは違う。スゥリーンのような、殺めた命の重さを他人に預けることのできる人間ともまた違う。ユーリーンは殺めた命の重さを感じて罪悪感を覚えることのできる類の人間だった。彼女がずっと感じていた殺した時の罪悪感が、この場にはない。ユーリーンは存分に身につけた死神の技を存分に振るうことができる。

 楽しかった。

 ずっとここにいたかった。

 ずっとこうしていたかった。

(あぁ……)

 ユーリーンは思う。

(ずっと、ずっと死体を殺していたい)

 きっと自分は殺すのが好きなのだろう。身につけた技で相手を圧倒することに喜びを感じる人間なのだ。けれど悲鳴は嫌いだ。殺すのは好きでも死なれるのは嫌だという矛盾。誰かの命を摘んでしまうのは。その可能性を奪い取るのはつらかった。

 でもここにあるのはもう終わった命ばかりだ。

 ユーリーンがどんなに残酷な殺し方をしても悲鳴をあげることはない。

 ユーリーンが死体を殺す。首を斬り、腕をへし折り、腹を掻きまわして内臓が零れる。

 敵は死ぬ。ユーリーンは生き残る。死神が偽りの命を刈り取っていく。

 喉の奥から哄笑が漏れる。気持ちよかった。この時間が終わらなければいいのにと思う。

 屍の兵が無限に沸いてくればいいのに。

 

 そんなユーリーンの姿を遠い建物の屋根の上から見下ろしている、一体の屍がいた。

 ルウリーン=アスナイが自分の娘の姿を見つめている。ルウリーンの脳裏に幼い日のユーリーンとの思い出がやってくる。昔から聡い子だった。武の技に関しては天倫があった。ルウリーンの与えた殺しの技を、乾いた紙が水を吸い取るように身につけていった。

 いまにして思えばユーリーンの殺しの技を与えたのは間違いだったと思う。

 それは心根の優しいユーリーンを苦しませるだけだった。

 純粋で無垢な一人の娘を、ルウリーンは死の色に染めてしまった。

 何色にも染まる美しい白を圧倒的な黒で塗り潰してしまった。

 あの子は、きっとその手が奪った命の重みに苦しんできただろう。

 あの子の苦しみを終わらせてあげなければならない。

 同じだけの技を身につけたならば、筋量と体重の関係で女よりも男の方が強い。性差を跳ね除けるユーリーンの技も、ルウリーンにだけは通用しない。ルウリーンは顔の横まで右手を持ち上げて、ぱちんと指を鳴らした。ルウリーンの世界から色が消え、雑音が消える。極限の集中がルウリーンに訪れる。死神が彼の肉体に憑りつく。両の眼がユーリーンの姿だけを捉える。ルウリーンが屋根から跳んだ。

 屍の群れの中に姿を隠してユーリーンに接近する。

 存在を知られていない一瞬で、一撃で仕留める。

 なるべく痛みのないように終わらせる。

 屍の間を縫うようにして動いて、ユーリーンの背面を取る。

 ユーリーンは正面の屍に気を取られて隙を見せている。このまま心の臓を貫けば終わる。

(……剣はどこだ?)

 ルウリーンは目を瞠った。ユーリーンは薙刀を握っている。屍から奪い取ったものだ。さきほどまでは確かに剣を握っていたのに。武器の使い方は一通り教えた。ユーリーンは剣を好んで使っていたが、薙刀術、それから槍術、斧術、棒術や杖術にも精通している。乱戦の中で長物に持ち替えたのは不自然ではないが、これだけ敵が密集していれば刃渡りの長い剣の方が有効に思える。ただでさえユーリーンはいま片腕で長物を扱いづらいはずだ。なぜ持ち替えた? どこへ消えた? 答えはルウリーンの頭上にあった。

 低い姿勢でユーリーンを伺っていたルウリーンの頭部に天空から剣が降ってきた。

 ルウリーンの後頭部から入って眉間に切っ先が突き出す。

 脳幹を貫かれてルウリーンはうつ伏せに地面に倒れた。屍がルウリーンの亡骸を踏みつけていく。

 『隔世』の世界には色がない。影の濃淡を判断できない。ただでさえ屍の影にいたルウリーンは放り投げられた剣の影に気づけなかった。狙うならここだろう、と判断したユーリーンがわざと背面に隙を見せてルウリーンの位置を誘導したのだ。ユーリーンは屍の影に隠れたつもりのルウリーンをとっくに見つけ出していた。

「アスナイのものだな?」

 と、ユーリーンが屍を相手にしたままでルウリーンを見もせずに言う。

「徒弟の誰かが利用されたか。案ずるな。アスナイの奥義は、この程度の輩に穢されるものではない。安らかに眠れ」

 ユーリーンは気づいていない。

 自分の技量がアスナイの技を。

 覇王の右腕と呼ばれた先代のルウリーンの技量を優に超えていることに。


 わたしは、あの子になにをしてしまったのだろう?

 あの子をなににしてしまったのだろう?

 あの子は誰も立ち入れないほどの武の領域で、ただ一人どこに行こうとしているのだろう?


 最後にルウリーンは閉じる間際の意識でそんなことを考えた。

 目から一滴の涙が零れて、ルウリーン=アスナイが二度目の命を落とした。



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