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死ノ国  作者: 月島 真昼
五章
88/110

ローゲン 4

 


 ココノビが屋根の上を跳ねて逃げる。

 エ・キリは部屋に残してきた。おそらく無事だろう。

 ローゲンが屍を斬り殺しながら追う。

「わたしがシンに愛されているのがそんなに気に食わないんだ?」

「ああ、気に食わない」

 切り裂くような声でローゲンが答える。

「私はお前が気に食わない」

 ローゲンが爪を振るう。ココノビが尾で打ち払うが、その尾の内三本がすでにずたずたに引き裂かれて出血している。爪の魔法を前にして力負けしている。

(ニ・ライ=クル=ナハルが来ているなら、シンはあれを用意しているはず……)

 なりふり構っていられずにココノビはコカインやヘロイン、アンフェタミンを主成分にする死の霧を放出する。ローゲンは呼吸を止めた。人間が動きながら呼吸を止めていられる時間などたかが知れている。追いながらローゲンは死の霧を吸い込んでしまう。ココノビは一瞬、(勝った)と思うが、ローゲンはなにごともなかったかのようにココノビを追い続ける。

(こいつ、最初から狂ってる……!)

 そういう人間に対してココノビの麻薬は効力が薄い。

 似たような性質を持っていたハリグモ=ヤグにも随分と手こずった。ココノビの麻薬作用はなにかしらの「こうしたい」という願望を強力に育てあげるものだ。ハリグモの場合は彼が持っていた「ユーリーンと決着をつけたい」という願望を強力に育てあげて手駒にしたのだが、それには随分な種類の麻薬を大量に使わされた。

 通常は怯えや恐れに付け込んで、なにもわからないような酩酊状態にさせてからココノビの思想や命令を吹き込むのだが、ハリグモはそもそも怯えや恐れを持っていなかったのだ。ローゲンも同じ。まともな人間の思考をしていない。むしろ麻薬成分を吸い込んで、より一層鋭敏になった感覚でココノビへの殺意を研ぎ澄ます。

 ココノビは放出した麻薬成分によって操作した人間を使う。ローゲンの右脇から飛び出した男が腕を伸ばして抱きすくめようとした。ローゲンは一切の躊躇いなく爪を振って男を殺した。五本の爪が頭と首と肩と肘と腰と足に真横の線を引く。輪切りにされた男がべちゃりと地面に張り付く。

「っ……」

 ローゲンには通常人間が持っている殺人への躊躇いがない。

 魔法を持って生まれたローゲンは剣奴として育てられて、教育よりも先に人間を殺す手段をたたき込まれて育ったからだ。ローゲンを育てた者たちは彼女に倫理観を与えなかった。それは「人狼」には邪魔なだけだった。

 ココノビは操った人間を片端からけしかけるが、ローゲンの長い爪はそれらを容易に薙ぎ払って殺す。ココノビにはローゲンが人間を殺すことを楽しんでいるように見える。こいつの本質はシンや自分とそう変わらないのだと思う。

「タンガン、サンロウ」

 人間では埒が明かないと感じて、麻薬成分を沁み込ませた壊獣を操る。

 通路の正面からタンガンの巨体がローゲンの前に立ち塞がる。ローゲンは手刀を作って、五本の爪を纏めてタンガンの一つ目に向けてぶち込んだ。頭蓋骨を貫いた爪が後頭部を突き抜ける。爪を引き抜くと、脳漿をぶちまけてタンガンが倒れる。ずんと重い音がする。

「死ね」

 ローゲンが左手を振り上げた。射程圏にココノビを捉える。爪を降り下ろそうとした寸前で、右目側の死角からサンロウが飛び掛かった。「!」咄嗟に体を捻ってサンロウの牙を躱す。が、爪が右腕を掠めて出血する。右手を振ってサンロウを殺す。次々に右側の死角をとったサンロウの群れがローゲンに襲い来る。元より市街地で建物が生み出す死角が多い。この地形で敏捷性に優れるサンロウへの対処は難しい。

「貴様にはタンガンよりもこちらか」

 余裕をなくして少女らしかぬ声と口調になったココノビが呟く。九本の尾を揺らしながらローゲンを睨みつける。逃げきれないと考えて、ココノビは足を止める。操られたサンロウの群れがローゲンを取り囲む。総数でニ十匹ほどだろうか。「ゆけ」サンロウ達をけしかける。

 薄気味悪くローゲンが笑う。口角が吊り上がっている。

 ローゲンの左手側から二匹、右の死角から三匹のサンロウが走る。左手を振って二匹のサンロウを殺す。右手側を見ないまま腕を振ると一匹のサンロウが爪の餌食になるが残り一匹が伏せて爪を躱し、もう一匹の前足を掠めただけ。後方と前方からさらにサンロウが走る。ローゲンは左へ跳びながら踊るように体を回転させて、長い爪で襲い来るサンロウを迎撃する。三匹が爪に引き裂かれたが、残りは建物の影を利用して身を潜めてやり過ごし、残りは跳躍して爪を跳び越えて躱した。ローゲンの肩に一匹のサンロウが食らいつく。牙が肩の骨にまで食い込む。右足に牙が突き刺さる。肉が抉れる。「ひひっ」喉奥から引き攣った声を出したローゲンが、意にも介さずに自分の肉体に食いついた二匹のサンロウの首を刎ねた。

(こやつに薬を使ったのは過ちじゃったか)

 麻薬の類には鎮痛作用がある。痛みを受容する神経の機能を阻害してしまう効力がある。ローゲンにはいま、痛みの感覚が熱と同時に来る甘い陶酔に変わっている。

 背中側の死角からサンロウの牙がローゲンの腰へと食いついたが、もうローゲンは気に留めてさえいなかった。出血しながら、サンロウをぶら下げたままでココノビに迫る。ココノビが尾を広げて、人狼を迎え撃つ。

 人狼が爪を振るった。

 その爪が、空中で掻き消えた。

 ローゲンの腕が空振る。指の先から伸びていたはずの長い爪が、なにかの結晶になって、空気抵抗に負けてぱらぱらと空気に溶けていく。結晶が光を反射して大気が光る。『塩』の魔法だ。ライへの対処のための、シンの切り札。魔法の無力化の能力を持つキテラの魔法が、ローゲンの爪を無力化していた。ローゲンは少し遠くで忘我の表情でぽかんと空を見上げているキテラを見つける。麻薬成分を吸い込んだらしい。

 一方で魔法から生まれたココノビやサンロウも塩の魔法の効果領域の中で無傷ではいられなかった。ローゲンの肩と腰に食らいついていたサンロウがぼとりと落ちる。他のものも前足が塩になって立てなくなったり、感覚の違和に戸惑っている。距離が近くて一番大きく効果を受けたサンロウは塩の彫像となって固まっていた。ローゲンは即座に自分が殺して屍が持っていた槍に飛びついた。「遅い」ココノビの尾がローゲンの大腿部を穿った。肉が千切れて撥ね跳ぶ。

 『塩』の魔法は強力な魔法を無力化しきれない。外部に放出する麻薬成分には影響してしまうが、ココノビ自身にはさほど影響がなかった。

 ローゲンの腿の肉が抉れて、膝をつく。同時に左手でココノビの尾を掴んだ。引き寄せる。右手に槍を構える。ココノビは引き離そうとさらに尾を放ったが、ローゲンはぎりぎりまで引き付けて頭を振って尾を躱した。槍の穂先が太陽の光を反射してぎらりと光った。ココノビの小さな体に、銀の光が吸い込まれる。ココノビの胸がぶち抜かれて背中から先端が突き出た。

「う、そ……?」

 ココノビが崩れ落ちる。ココノビの敗着は、キテラを巻き込んだことだろう。『爪』の魔法を無力化できれば対処は容易いとローゲンを侮った。だがローゲンにとって『爪』は武器の一つに過ぎない。別にそれでなくとも戦えるものだ。そもそも爪の魔法は、『炎』や『雷』などと違って遠距離から魔法の力だけで戦えるわけではない。使いこなすために高い身体能力を要求する。

 ローゲンは念を入れるように、倒れたココノビの小さな頭蓋を踏み潰した。



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