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死ノ国  作者: 月島 真昼
五章
87/110

ローゲン 3

 




 王の国


 動きがあったのは敵の側からだった。

 そしてその動きのあった場所は、ライとシンが釘付けになっている前線ではなく、王の国のただなか。街の中央部分、広場になっている地面が大きく陥没した。

 空洞でもあったのだろうか? と人々は一瞬戸惑ったが、その穴から無数の屍人が沸いて出てくるのを認めて悲鳴をあげた。屍兵の無尽蔵な体力を用いて地下を掘り進めていたのだ。そして王の国には、それを押し留めるだけの体力はなかった。

「ひっ……」

 地下で作業をしていた屍兵は腕がおかしな方向にねじ曲がり、円匙スコップで誤って刺したのか足からは桃色の筋肉と白い骨が覗いていた。怯えた女が躓いて転んだ。誰も彼もが狂騒のただなかにあって、女を踏み潰さないように逃げるのがやっとだった。引き起こそうとするものは誰もいなかった。

 屍兵が彼女に近づいてくる。その動きは緩慢だが、恐怖に縛られた女は動けない。

「はぁ」

 誰かが大きなため息を吐くのが聞こえたあとに、一拍遅れて屍兵が燃え上がった。炎は奥の穴まで届いて屍兵を地中で焼き尽くす。女の手が誰かに引っ張り上げられた。

「はよにげ」

 アゼルが邪魔くさそうに言う。

 まだ動けないでいた女を「巻き込むで?」と言う小さな声がようやく突き動かした。恐怖の縛りからようやく解けた女が一目散に逃げ去っていく。

 アゼルは口の中に血の味を感じた。さっきから視界が赤い。鼻からなにか液体が垂れている。放っておくのは女としていかがなものか、と思いながらも拭ったところで次のが出てくるだけなので放置する。極度の疲労からあちこちの毛細血管が破裂している。

 死体を乗り越えてやってきた死体を、再度『炎』の魔法が焼き尽くす。

 カイの指示を受けた兵士達がやってきて、瓦礫やら建材やらをぶち込んで穴を塞いでいく。

 が、そうしている間に西側と東側の地点で、また地面に穴が開いた、そこから屍兵が湧き出ている、という報告が入ってくる。アゼルはふらふらとした足取りで東側の穴の元へ向かおうとする。

「あ、アゼル様!?」

 転倒しかけたアゼルを兵の一人が咄嗟に支える。

「離して。いかんと」

「し、死にますよ!? どうしてそこまで……」

 この兵士には、ガ・レン=アズ=ナハルを見捨てて逃げた女が、こうまでして王の国を守ろうとする理由がわからなかった。

「東には、キリがおるねん……」

 譫言のように呟きながら、アゼルが倒れた。



 中央へ最初に空いた穴に向かって兵を動かしていたので、東側と西側の穴に関して最初は手薄になっていた。対処がままならない間にエ・キリの元にも屍兵が達する。エ・キリは壁に背をつけて震えていた。ココノビがじっと屍兵を見上げる。

 脳機能がまともに働いていない屍に対して、ココノビの麻薬は効果があるのかどうかわからなかった。仕方なく、ココノビは尻から尾を伸ばした。屍兵の胸の中央を、大きなしっぽがぶちぬく。体液と血で尻尾が濡れてしまって、「きたない」と呟く。胸をぶち抜かれた屍兵がなにごともなかったかのように起き上がる。心臓を潰したくらいでは死なない。ココノビは頭部を狙う。頸椎がへし折れて屍兵の頭部が吹き飛んでいって、壁にあたって砕けた。屍兵がただの死体に戻って動きを止める。どうやら頭部になんらかの弱点があるようだ。

「あ、あ、ありがと、う」

 震えながらエ・キリが言う。

「どういたしまして」

 ココノビにとっては、エ・キリにはもう少し生きていてもらわないと困るのだ。

 そのあとならば別に死んでいてくれていいのだけど、いまはまだ困る。

「ここ、危ないね。上にいこっか」

 エ・キリが頷く。二人は手を繋ぐ。

 ココノビが部屋から顔を出してみると廊下はすでに屍兵であふれかえっていた。

「目を瞑ってて」

「え?」

「大丈夫、私を信じて」

 どこか安心感を与えるような声で言う。エ・キリは言われたとおりに目を瞑った。どうせ自分にはこの状況をどうにかすることができないと知っていたから。そうした無力感の中でエ・キリはずっとアゼルに護られてきたから、こんな状況下でも誰かの言いなりになることに抵抗がなかった。

 ココノビの頭部から狐のそれに似た耳が立ち上がる。尻から九本の尾が生える。

 九本の尾が縦横無尽に動いて屍の兵の首から上を断ち切った。廊下の一面が血まみれになる。頬に飛んだ血の飛沫をココノビが手の甲で拭う。「こういうのはわたしの仕事じゃないんだけどなぁ」面倒臭そうに言う。

 エ・キリを抱えて階段を登って二階に行き、ココノビは尾を振るって階段を崩した。二階から屍兵を排除して逆側でも同じことをする。これで動きの緩慢な屍兵が登ってくることは、しばらくの間はないだろう。清潔な部屋を見つけて、その中にいた、屍兵に殺されていたまだ新しい死体を窓から蹴り落とす。

「エ・キリ。もう目を開けていいよ」と言う。

 エ・キリが恐る恐る目を開ける。

「ここは大丈夫。もう安心だよ」

 抱きしめてやる。

 ココノビは他の人間が死ぬ分には一向に構わなかった。

 エ・キリの肩越しの窓の外で屍兵が人間を殺しているのを見つけて、舌なめずりをする。

 人間の数多くいる国の中で屍兵が解き放たれて人間を殺す。ふとココノビは自分が窓から落とした人間がかくかくした奇怪な動きをしながら起き上がったのを見つけた。まだ生きていたのかと思ったがそうではなかった。生きている人間に襲い掛かり始めたからだ。屍兵に殺された人間はしばらくすればまた新たな屍兵となるらしい。あれは感染するのだ。そうして人間が人間を殺し続けて百万もの数へと膨れ上がったのだ。

 無明の地獄にも似た光景だった。

 素敵な光景だと思った。

 ああ、シンはなぜこれと同じことをしないのだろう、とココノビは思う。草の国の中で壊獣を解き放つ。人間を食料とする壊獣は腹を満たすために人々に襲い掛かるだろう。

 草の国の人々は壊獣のことを、生活を守ってくれる隣人のように思っている。戦を引き受けるだけではない。野犬や狸、熊などの害獣を追い払い、自分たちの身や田畑を守ってくれる存在だと思っている。シンがそう思わせてきた。だけど実際の壊獣はそうではない。

 壊獣達はヤツマタやココノビのように人間を殺すためだけに生まれたバケモノだ。

 草の国の多くの民はそのことを知らない。

「……」

 ココノビはぞくぞくとした快感が自分の中を駆けあがってくるのを感じた。

 シンに慮って自分ができないことを、ツギハギが代わりにやってくれているように感じた。嬉しかった。楽しかった。ずっと見ていたかった。

 けれど、ココノビの憧れた光景はつまらない終わり方をする。

 半透明の長いなにかが屍兵の首を斬り飛ばした。

 重装備の騎兵が屍を駆逐していく。

「散開するな。纏まって動け。住民の救護を最優先にしろ。決して死ぬな。お前たちの身のためではない。死んだものが敵になるからだ」

「はっ!」

 駆けつけてきたローゲンとその部下の騎兵達だった。

 そして彼女の引き連れてきた壊獣達だった。

 『爪』の魔法を振るって屍兵を排除していく。騎兵の振るう剣と槍が、屍兵を死体に返していく。盾と鎧が、屍兵の振るう槍や剣、棍棒や鋤を防ぐ。人間の力が屍を駆逐していく。

 ココノビは奥歯を強く噛んだ。

 不意にローゲンの片目が二階から外を見ていたココノビを見つけた。その片目に、獰猛な殺意が宿った。シンはいない。前線に張り付いている。ココノビが単体でここにいる。殺すならば、いま。

 ローゲンが左手を振るった。


 十メルトルはある長い『爪』が建物の二階を吹き飛ばした。



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