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死ノ国  作者: 月島 真昼
五章
85/110

ツギハギ=クグ=ナハル 1

 


 壊獣たちは屍兵の侵攻を抑え続けていた。

 そこへ翅の国の戦車隊が加わってさらに状況は一時的に好転する。

 しかし尽きることを知らない屍の兵は昼夜を問わずに押し寄せてくる。壊獣は疲労の概念がなく己の不調に気づかないまま延々と戦い続けていた。戦車兵達は交代で休息を取っているとはいえ徐々に摩耗していく。消耗戦は不利だ。どこかで大きく打って出て状況を打開しなければなければならないと、シンも、ライも感じ取る。

 シンはローゲンが本国に残した壊獣を連れてくるのを待っていた。

 それからアゼルが回復すれば護りを彼女に任せて切り込むことができるかもしれない。

 ライは屍の魔法の術者はどんな人で、どんな気持ちで百万もの人間を殺して屍に変えたのだろうと思う。

 あきらかに軍人だけではない、ごくふつうに街で暮らしている商人や、田畑を耕している農民がいた。ツギハギは彼ら、彼女らをどのように考えて殺したのだろう? 躊躇いはなかったのだろうか? 王の国を滅ぼすことをどう考えているのだろう?

 ツギハギは非情な人なのだろうか? 例えばシンのような。

 ライは西の空を見上げた。





「姉さま、ごめん」

 サイハテが傷ついた体を引きずりながら、姉の胸に縋り付いた。

 覇王の十番目の子供、六番目の王女、ツギハギ=クグ=ナハルが優しい目をして弟の陽光に似た金色の髪を撫でる。弟の覇王譲りの美しい顔を眺めて、姉弟でこんなにも似ないものか、と紫がかった髪を持ち、顔の半分が焼け爛れているツギハギは幾度となく思ったことをもう一度思い浮かべる。

 ツギハギには全身に火傷の痕がある。ツギハギの火傷はニ・アギ=ジギ=ナハルという更に上の姉に焼かれたものだ。それはカイが受けた傷と同じ種類のものだった。

 民衆は王に完全を求める。威厳や知性、容貌もその一つだ。

 王たるもの民衆に晒されて恥のない体を持っていなければならない。そんな風に考えて、ニ・アギはツギハギの顔を焼いた。体を焼いた。誇りを焼いた。

 ツギハギの父はクグ族の奴隷だった。ツギハギはアゼルと同じで覇王と血が繋がっていない。些細な粗相をした母が、刑罰のように、魔法を持つ奴隷を宛がわれた末に生まれたのがツギハギだ。母は精神の均衡崩してツギハギを忌み嫌っていたし、ツギハギは兄弟達や周囲からも疎まれていた。

 カイへの処遇が子宮を潰して片目の弱視までに留まっていたのに対して、ツギハギが全身を焼き、女性器を焼き塞がれるまでに至ったのは、奴隷の血を引いているという血筋が原因だろう。覇王だけが魔法を継いで生まれたツギハギを愛していた。ニ・アギは魔法を持たなかったので、覇王の愛を受けられてなかったが故に、その嫉妬もあったのかもしれない。

 結局ニ・アギは弟のシンまでその手にかけようとして、返り討ちにあって殺された。

 ツギハギは報復の対象を失って、暗い情念を奥底に溜め込んで馬の国へと逃れた。

「ねえさま?」

 傷口から零れる蛆を気にも止めずに、弟が無垢な瞳でツギハギを見上げる。

 ツギハギは針と糸を取る。

「大丈夫よ、いま姉さまが治してあげる」

 弟の傷口に針を突き刺す。糸を通して、皮膚を引き付けて縫い合わせていく。

「ん、んん」

 サイハテは擽ったそうな声を出した。サイハテが感じていた感覚は性的な快楽に似ていた。それが腹の傷口から、心臓の方へと少しずつ這い上がっていく。

「あ、はっ……ぅぅ……」

 サイハテは自分の左手を噛んで、絶頂しそうになるのを堪える。

 火傷に塗れた姉の手が腹からわずかずつ登っていく。傷が縫われていく。

「ねえ、サイハテ。わたしは人間がきらいだよ。人間がこわいよ。みんな死体になればいいと思っている。そうすれば、誰にも怯えずにいられるのに」

「う、うん。そう、そうだ、ねっ……」

 少年が身を捩る。

「ね、ねえさま、僕ら以外は、みんな殺してしまおう。ずっと、ふた、二人だけで生きてい、こう」

 荒い息を吐きながら、少年が口元から蛆虫を溢す。

 ツギハギはサイハテの髪に向けて手を伸ばした。

「うん、そうなれば幸せだね。ずっとお前と二人だけで生きていければいいね」

 傷口を縫い合わせていた手を止めて、火傷に塗れた女が美しい少年の頭を胸に抱く。女の胸の中で少年が身を震わせて、絶頂した。蛆が零れ落ちた。





 疲れ果てて眠ってしまったサイハテを自分の傍らに寝かせて毛布をかけてやる。

乱雑に扉が叩かれたあとに、開く。入ってきた栗色の髪の男が、サイハテを一瞥する。

「俺も手傷を負った。修繕を頼む」

 ナタ・タクが椅子を引き寄せてサイハテの傍に座る。足を伸ばす。

 ツギハギの視線がナタの足と腰の傷をなぞる。

「兄さまともあろうおかたが随分と傷を負いましたね」

「強かった。あれは、『喰』の使い手はなんというのだ? 俺の死後に生まれた王子らしいが」

「シンですね。ラ・シン=ジギ=ナハルといいます」

「シンか。良い名だ。親父の名づけではないな」

「ええ。父が名をくれたのは、私とサイハテだけです」

 それも気をやった母が名をつけなかったから、仕方なくのことだった。

 ツギハギが愛おし気に弟の髪を撫でる。

 ナタが見咎めて険しい目をする。

「人形遊びはほどほどにしておけよ。壊れた時がつらいぞ?」

「重々承知しています。ですが慰めがこれしかないものですから」

「そうか」

 ツギハギが針と糸を取る。ナタの傷を縫い合わせていく。ナタは三十年以上前に死んでいるが、肉体は山中の氷洞に作られた氷の墓の中に保存されていた。状態がよかったために、サイハテの体のように虫に食い荒らされてはいない。

「兄さまは」

 ツギハギはなにかのついでのように尋ねた。

「私を殺そうとはしないのですね?」

「なんだ。殺されたいのか」

「……罪の意識はあります」

 ナタは小さく笑った。

「せっかく現世に舞い戻ったのだ。楽しまねば損だろう。俺を殺したあの小癪な『炎』をもう一度相手にできるのだ。此度の使い手こそ、俺が仕留めてみたい」

「そう、ですか」

「それにしても、大陸の人間を百万殺した女が、罪の意識か。そんなものがもしもあるのなら、俺なら自死を選んでいるだろうな」

 ナタは無遠慮にツギハギの火傷のあとに視線を這わせた。

 この女にはこの女なりの、大陸の人間を百万殺さなければならなかった理由があったのだ。

「では、俺は貴様の望みを阻むべく、この現世の一時を謳歌するとしよう」



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