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死ノ国  作者: 月島 真昼
五章
84/110

ラ・シン=ジギ=ナハル 17

 


 シンが引き連れてきた壊獣たちを展開する。

 押し寄せる屍の兵にサンロウ達が襲い掛かる。タンガンが腕を振るって死体の胴体を薙ぎ払う。

 屍兵たちは数こそすさまじいが動きは生きている人間よりも緩慢だ。

 人間よりも強靭な壊獣の前に数を減らしていく。

 シンは砦に登る。傍らにはスゥリーンがいる。

 見晴らしのいい場所で壁に背を預けて微睡んでいたアゼルを見つける。アゼルが薄目を開けた。

「きたんや?」

 シンはすこしだけこの場でアゼルを殺すことを考えた。アゼルはかつてないほど疲弊している。スゥリーンと連携を取れば殺せないことはないだろう。だが屍の魔法を相手にどれだけの戦力を見込めばいいのか定かではなかったので、渋々と殺意を収めた。アゼルを殺すならばそれはこの戦いが終わったあと、ないし終わる直前のことだ。

「あれ。普通にやっても死なへんけど、頭焼いたら動かんようになったよ」

「わかった。しばらく引き受けてやる。体調を戻せ」

「そうするわ。あとおねがいね」

 立ち上がろうとして、ふらついて転倒しそうになる。「リクコン」シンの胸から這い出した黒い触腕がアゼルを支える。「部屋まで連れていってやれ」触腕がまともに歩けないアゼルの手を導く。

 シンは地平線を見る。

 アゼルの魔法によって燃え上がった大地の上を屍の兵達が行進してくる。燃えて、焼けて、ぐちゃぐちゃになった仲間の死体を踏みつけながら。無数の血と体液の足跡ができている。人間が死んでいる。死にながら生者に牙を剥いている。

「……」

「シン、楽しそう」

 スゥリーンがぽつりと言った。

「ああ、少し楽しい」

 自分の魔法があれならよかったのに。と、シンは思った。

 子の死体に親を殺させる。親の死体に子を殺させる。親しい友人に。恋人に。恩師に。その時、人間はどんな顔をするだろう? その点において、自分の魔法もなかなかに優秀だった。人知を超えたバケモノに食われる人間の顔もなかなかの見物だ。が、あちらのほうがよりおもしろそうだと思う。より感傷的だと思う。

 シンは自分が屍の魔法に対する鬼手となる魔法を持っていることを惜しんだ。

 どうせなら『喰』の使い手を殺して、この『屍』の行方を見てみたかった。これはほんとうに大陸の全土を飲み干すのだろうか? 傍観してみたい、という衝動に駆られる。

 けれど王の国と翅の国がこの屍の兵隊に呑み込まれてしまえば、シンの手にすら余るようになるかもしれない。

 大陸の全土を自分が支配するためには、ここで『屍』の魔法を食い止める必要がある。

 ふとシンは、なぜ自分はこの大陸を欲しているのだろう、と考えた。

 なにかそれらしい理由があったはずなのだが、いまはもう思い出すことができなかった。より多くの凄惨な死をかぶりつきの席で見られるから、とそんな理由が思い浮かぶ。

「シン、あれ」

 スゥリーンが指さす前に、シンも気づいた。

 壊獣が屍の群れを平らげていく中で、東側の一角でだけ壊獣の死骸が大量に転がっている。サンロウが切り裂かれて内臓を晒している。ゴエイが群れごと真っ二つになっている。

 殺戮の中心にいるのは、栗色の髪の毛を血まみれにした二十代後半ほどに見える長身の男。

 シンは人差し指を立てた。男の握る剣の大きさがどうみてもおかしかったから縮尺を測ろうとした。おおよそにして三メルトルはありそうな長大な剣だった。それが凄まじい速さで一閃してタンガンの首を斬り落としたのが見えた。

 男がこちらを見上げた。

「……『剣』の魔法」

 シンは知識としてはその魔法を知っていたが、すでに実在していない魔法だと聞かされていた。少なくともあの年齢の男が持っているはずがない魔法だった。

 なぜならそれは、従軍の末に命を落とした一番目の王子、覇王の最初の息子、シン達の長兄、ナタ・タク=クル=ナハルに宿っていた魔法だったからだ。

 遠くを見ていたシンの視界の中に、影が飛び込んできた。

「!」

 五メルトル以上はある砦を、一足で登ってきた黄色い髪の少年。

 右手が紫色の光を放つ。「シン、下がって!」「下がるのはおまえだ」シンは前に出ようとしたスゥリーンの首の後ろの掴んで引き戻した。「リクコン」短くその名を呼ぶと、シンの胸から這い出した触腕が手近にいた護衛の兵士を二人掴んだ。「え」「な」少年の前に兵士が放り出される。

 少年の右手から放たれた光が、ばりばりばり、とすさまじい轟音をあげながら空中を疾走した。光は兵士を焼き殺し、リクコンの触腕を焦がした。シンとスゥリーンにまでは届かない。

「『雷』の魔法。サイハテ=クグ=ナハルか」

 絶縁体である空気が弾ぜる轟音から、シンはその魔法の正体を導き出す。

 二十五番目の子供、十一番目の王子。

 ツギハギの、同じ胎から生まれた弟にあたるはずだ。

「おまえがラ・シン=ジギ=ナハ――」

 言いかけた途中でスゥリーンが飛び掛かった。舌打ちしたサイハテが雷でそれを迎撃しようとする。直前でスゥリーンが高く跳躍。回避されて稲光が砦の端で爆ぜる。空中でスゥリーンが剣を引く。サイハテも剣を抜いて斬撃を受け止めようと構える。スゥリーンはサイハテが構えた剣の上に斬撃を叩きつけて、さらにその上から蹴りを放った。『蹴』の魔法によって強化された蹴撃を受けてサイハテの小さな体が吹き飛ぶ。砦から落ちて行く。「任せる」シンが言うと、スゥリーンがこくりと頷く。サイハテを追って砦から飛び降りていく。

「っっっ……」

 落下の途中でサイハテが雷の魔法を使う。スゥリーンは空中を蹴って逃げる。サイハテの放った雷は落下しながらでは照準があわずに脇を抜けていく。

(威力は人間二人を焼き殺すのに充分。でも『炎』の魔法ほどの攻撃範囲はない)

 スゥリーンは相手の戦力を分析する。

(攻撃の速度が異常に速い。でも予備動作があるから先読みできる)

 典型的な魔法に溺れて地力を磨くことをしなかった輩。

 結論。よわい。ころせる。かんたんだ。

 ……自分と対峙していた姉はこんな気分だったのだろうか、と思う。

 スゥリーンは口の端に笑みを浮かべた。落下の途中で、空を踏んで停止。

 サイハテが空中に立つスゥリーンを見上げる。稲妻を放つ。予備動作を先読みしてスゥリーンが空中を蹴って稲妻を躱す。さらに蹴って接近。あの雷は連射できないらしい。

 サイハテが後方跳躍。電磁力の操作で足元と自分を反発させて、弾かれたようにして跳ぶ。けれど空気抵抗の少ないように体勢を流線形にしたスゥリーンの方が速い。間合いが詰まる。「くっ……」苦し紛れにサイハテが稲妻を身に纏う。スゥリーンは様子見に左手で短剣を抜いて投げた。完治していない左手の傷がひどく痛んだが、無視した。

 短剣がサイハテの纏う稲妻に触れた瞬間に電熱で刃が溶解する。びちゃりとサイハテの腕に融解した鋼がはりつく。皮膚から蒸気が上がる。火傷を負いながらもサイハテが手を伸ばす。右手に光が集まる。稲妻の予備動作。読めていたのでスゥリーンは空中を蹴って回避。

(“ばちばち”を身に纏うのをなんとかしないと、こっちの攻撃があてれない)

 短剣を投げ続ければいつかはあちらが根を上げるかもしれないが、スゥリーンは早くシンの元に戻りたかった。ここは戦場で、どんな危険があるかわからない。それに。(よくやったなって、頭撫でてもらいたい)魔法使いを退けることにはそれくらいの価値はあるはずだ。

 はやくころそう。

 スゥリーンが間合いを詰めると、サイハテは馬鹿の一つ覚えのように雷を身に纏って接近させまいとする。スゥリーンは地面に降りると、手近にいた屍兵を蹴り飛ばした。それはサイハテにぶちあたって電力を激しく消耗させる。死体の体液が沸騰して湯気が上がる。蛋白質の焼ける嫌な匂いが満ちる。再度、跳躍してスゥリーンが間合いを詰める。サイハテが斬撃を受けるために剣を掲げる。スゥリーンは剣を置くようにして右手から離した。腕だけを横薙ぎに振るう。衝撃がこないことを不審に思ったサイハテを、——スゥリーンが左手で掴みなおした剣による下からの、逆袈裟の斬撃が一閃した。「二燕ふたつばめ」というアスナイの技だ。

 腹から入った斬撃が肩までを駆けあがった。血に混じって、なにか白いものが飛んだ。

 怯んだサイハテの腹に、スゥリーンはさらに前蹴りをたたき込んだ。サイハテが派手に吹き飛んで屍兵を巻き込んで転倒する。

「く、……そ……」

 サイハテが半身を起こす。

 まだ息があるのか、とスゥリーンはすこし驚く。入りが浅かったのだろうか? 左手の傷が二燕の斬撃を甘くしたか。感触はよかったのだけど。『蹴』の魔法を使うスゥリーンの蹴撃には本来タンガンを一撃で殺す破壊力がある。人間が直撃を受けて耐えられるものではない。

「勝てないか。一度、引かせてもらうよ」

 彼の命令にも従うようにできているのか、屍兵達がスゥリーンを阻むように、緩慢な動作で向かってくる。

 スゥリーンはサイハテを見た。サイハテの腹は肋骨が砕けて、内臓破裂を起こしている。傷口からは黒い血がだらだらと流れている。それに混じってたくさんの、小さな白い線状のものが零れ落ちている。白いものは微かに動いていた。スゥリーンはその白いものをよく見た。蛆虫だった。この少年は既に。

「……あなた、気づいてないの?」

「じゃあな」

 サイハテが屍兵を盾にして、逃げ去っていく。

 シンの元に戻ろうと、スゥリーンは膝を撓めた。




 シンは砦の上で、目を閉じた。

 『喰』の魔法を使う。壊獣たちは普段は独立した生物として成立しているが、『喰』の魔法の所持者にはそれらへの指揮権がある。神経を集中させれば、さらに細かな操作が可能だ。シンの脳裏に無数の光景が浮かぶ。壊獣の見ている景色だ。その中から、あの血まみれの男の周辺にいた壊獣を探りあてる。……居た。

 ナタ・タクの周囲にいた壊獣が一斉に動きを止めた。「!」ナタは異変の前兆を感じ取り、なにがあっても即応できるように構える。ナタが生前と遜色のない動きができているように思うところを見ると、屍の魔法も喰と同じように操作の精度に強弱があるのだろう。最初に飛び掛かったのはサンロウだった。六匹のサンロウが一度に疾走。そのうちの三匹が跳躍。高さの違いから一撃では薙ぎ払えない。

 『剣』の魔法の能力はナタの握っている刃の長大化である。性質としては『爪』の魔法に近い。破壊力こそ高い強力な魔法だが、『炎』や『水』のような絶大な戦力は持たない。

 ナタは左手で握る長剣で空中にいる三匹のサンロウを薙ぎ払うのと同時に右手で短剣を抜いた。踊るように体を回転させながら、長大化した短剣の一撃が地を這う残りの三匹を斬り殺す。剣を振り抜いた直後の隙を狙ってタンガンが甲高い唸り声をあげながら襲い掛かる。ナタは真横に跳んでタンガンの長い腕を躱す。同時に剣を一閃して、タンガンの首を刎ねる。足元に衝撃。

 子供ほどの大きさの小剣を持った蜥蜴、ゴエイがタンガンの影から這い出して、ナタの足に剣を突き立てていた。すでに屍であるナタは痛みを感じなかったが、肉を掻きまわされて肉体の統制が崩れる。そこへさらにサンロウの群れが襲い掛かる。ナタは剣を振り回してサンロウを殺すが、微かに動きの均衡を欠いている。踏み込みが甘くなる。振った剣を引き戻すのがわずかだけ遅い。その隙間を縫って、サンロウの牙がナタの屍肉に届く。左大腿の肉が食い破られる。ゴエイが背中側の死角を狙って飛び掛かる。長剣が一閃してゴエイを殺すが、足元から這い出した別のゴエイの小剣が腰の骨を削る。

 シンによって指揮された、恐怖を持たない壊獣が獲物に食らいついていく。

 数の力を正確に運用すれば、個人の武勇など容易に抹殺できる。

(殺した)

 そう思った瞬間に「シンっ!」どこかでスゥリーンの声がした。

 シンは自分の体になにかの衝撃を受けて、壊獣との接続を断たれた。視界の中から長剣を持った男が消えて、シンが元々立っていた砦の上の景色が戻ってくる。そこには顔色の悪い、細身の男が剣を振り抜いた姿勢で立っていた。背後にはシンを守っていた兵士達の死体が転がっている。いずれも正確に急所を突かれて最小の一撃で殺されていた。自分も殺されかけていたらしい。傍には、寸でのところでシンを掴んで横転したスゥリーンが土埃に塗れて転がっている。スゥリーンがすぐに起き上がる。

 シンは男を見上げた。

 黒い髪と茶色の瞳。闇に溶けるような漆黒の衣服。無感情な瞳。

 昔、少しだけ見たことがある。この男は。

「ツギハギっ!」

 と、スゥリーンが言った。

 ……ああ、そういえばスゥリーンはそんな勘違いをしていたな。

「シチセイ」

 シンの服の中に潜んでいながら広所を嫌うシチセイは名を呼ばれても出てこようとはしなかった。「そんなに死にたいか?」シンが命令権を行使して右手を強く握ると、締め上げられたシチセイがぎいい、と低い悲鳴をあげた。七つ星の紋様のある銀色の蛇が三匹、しぶしぶと服の間から這い出して黒い服の男と対峙する。

「リクコン、無事か?」

 胸に手を当てる。人差し指ほどの大きさの髪の長い少女の壊獣が弱弱しくシンの胸を叩く。男に立ち向かおうとしてなんらかの毒を受けたらしい。個体数の少ないリクコンを失わずに済んだのは幸運だった。

 黒い服の男がシチセイとスゥリーンを一瞥して、敵わないと踏んだのか、砦から飛び降りた。靴の裏と刃を壁に突き立てながら減速して、高い壁を無傷で滑り降りる。屍に紛れて逃げて行く。

 スゥリーンは周囲に視線をやってもう敵の気配がないことを確認してから残心を解く。剣を鞘に納めてシンの傍まで歩く。

「シン、大丈夫?」

「ああ、手間をかけた」

 頭を撫でてやると、スゥリーンは目を細めてその手の感触を喜んだ。

「一応正しておくが、あれはツギハギではないぞ」

「え」

「あれの名は、ルウリーン=アスナイという」

 ユーリーン=アスナイの実父、先代の『毒龍』だ。

 ようやく一つの謎が解けた。ユーリーンの元で継承が途絶えているはずのアスナイの技を、どうやってスゥリーンに伝えることができたのか? 継承しきれなかった徒弟達が伝えたにしてはスゥリーンの体の技は完璧すぎた。

 すべての技を身につけたルゥリーンの死体を用いたのだ。

 あれの力量は少なく見積もってスゥリーンと同じか、それ以上。いいや、確実にスゥリーンよりも上だろう。スゥリーンは心の技のすべてを身につけることができておらず、それを身につけたユーリーンに敗れているのだから。

 まったく、ナタ・タクといい、ルウリーンといいどこからあんな死体を見つけてきたのやら。



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