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死ノ国  作者: 月島 真昼
五章
81/110

ナ・カイ=クル=ナハル 3

 



 そのうちにシンがやってきた。

「ご機嫌麗しゅう。姉上。ラ・シン=ジギ=ナハル、参上いたしました」

 妙に気のない声で言う。

 さほど興味がなさそうにライを一瞥して、カイに視線を戻す。腕にはスゥリーンが巻き付いている。背後に立つローゲンの隻眼が鋭い視線で室内を見渡す。ローゲンはユ・メイに負けたそうだが、目立つような負傷はなかったようだ。

 ライはシンを見て、なにか違和感を抱く。依然のシンとはなにかが違うように思う。

(……瞳の色?)

 曖昧にしか覚えていないけれど、シンの瞳はあざやかな緑色だったように思う。

 けれどいまのシンの目は、枯草の色。黄味のかかった薄い茶色をしている。

「シン。君は十番目ツギハギのことを知ってたんだね? だから王の国からさっさと引き上げていって、残していった兵を回収することすらしなかったんだ」

「なんのことですか」

 シンは笑いをこらえるような顔をした。シンはスゥリーンから馬の国にツギハギがいることを聞いているし、なんならツギハギの魔法の全容まで把握している。が、露骨に関わる気はないという態度を示している。

 カイは薄くため息を吐く。

「ツギハギ=クグ=ナハルが屍の魔法を用いて王の国に牙を剥いている。ボクに力を貸して欲しい」

「断る」

「……」

「いまの貴様は帝どころか王とすら名乗っていないのだろう? 皇帝印があったから義理として来てはやったが、帝ではない貴様の命令を受ける責務は、俺にはない」

 為政者としての声だった。

 シンは別に王の国が滅びたあとになってからツギハギと戦っても構わないのだ。むしろそうした方がシンは得が大きいと考えている。王の国を取るために厄介なあのアゼル=ヤグ=ナハルを相手にせずに済むのだから。

「胎を潰されたやつが帝なんて名乗っても誰も納得しないでしょ」

 カイがぼやく。弱弱しい顔をする。

 この世界の王位は血統によって子々孫々に伝えられるものだ。子供を作れないカイには、次の王を産むことができない。カイには王を名乗る資格がない。

 カイはその解決策――“の、ようなもの”を思い描いてはいる。

 その国の国民が一人一人の意思で投票によって王にふさわしい人物を選ぶのだ。(カイはそのやり方を知識として知っていたわけではなかったが、)流人の世界で「普通選挙制」と呼ばれているやり方で為政者を選ぶ。

 それが成されれば、勿論様々な思惑が働いて別の争いを産むかもしれないけれど、覇王の一族にだけ権利が集中して王子達が血で血を洗う争いを繰り広げることはなくなるだろう。

 だがそれほどの大きな制度の改革はカイの生きている内になされない。カイは自分がそれほど優秀ではないことを知っている。

「俺を動かしたいならば相応の飴玉を並べてみせろ。俺の気が変わるやもしれん。まあ、貴様に並べられる褒賞などたかが知れているのだろうがな」

 シンの言う通りだった。王の国はまだ復興の最中にある。他国になにかを与えられるような余力など、この国にはありはしない。カイは片眼鏡を外して眉間を揉み解した。それから「あるよ、飴玉」と力なく言った。

「ほう。言ってみろ」

「ボクの首」

 二人の話をただ聞いていたライが顔をあげてカイを見た。

「暫定で皇帝の位置にいるボクが死ねば、君は随分やりやすいだろ? あとはキミとアゼルとライで、好きにこの椅子を取りあえばいいさ」

 投げやりな口調だった。

 実際、王の国はカイの首を賭けてでもシンの助力が得られなければ滅ぼされる瀬戸際にある。アゼルが懸命に食い止めているが、そのうち限界が来る。

 ライには、シンが言葉に詰まったのがわかった。ほんの一瞬だったけれど、目元が泣きそうに歪んだのが見て取れた。なにを言おうとして、けれどシンはすぐに口元を吊り上げた。目元は嘲笑うようになった。邪悪な笑みを作ってその表情を覆い隠してしまった。

 スゥリーンがシンを見上げる。

「二言はないな?」

 カイが小さく顎を引く。

「いいだろう。貴様の首と引き換えに俺の壊獣を貸してやる」

「ありがとう」

「……よく礼が言えるな?」

 カイは、ボクはキミとは違うからね。と言いかけたのを呑み込んだ。

 ボクの命にはキミほどの価値はないんだよ。

「そんなのだめだよ」

 ライがぽつりと溢す。

「だって、シン。あなたはそんなやり方を自分で望んでないじゃないか」

 シンは失笑した。

 カイがいなくなれば、王の国には政治的な空白が生まれる。彼女には子供がいない。カイの親族の中でいま一番有力なのは、ラ・シン=ジギ=ナハルその人だ。アゼルの悪名は王の街の人間の中ではかなり知れ渡っている。

 シンの方が支持を得られるだろう。

 これほど都合のいい状況を、俺が望んでいないとはどういう意味だ?

「だいたい、このところのあなたはどうしたの? 草の国では、同性愛者や重い病気、それからイナ族の人たちは、それだけで処罰の対象になるんだよね? どうしてそんなことを決めたの?」

 カイがライの前に手をあげて、割り込んだ。

「いいよ、ライ。これでいいんだ。シンが手を貸してくれるならそれ以上の結果はないんだよ。キミがなにを思ったのかはわからないけれど、ボクらの邪魔をしないで欲しい」

「ほんとうに?」

「ほんとに」

 ライは奥歯を噛んだ。

 自分がなににそんなに腹を立てているのかいま一つよくわからない。けれど、なにかが間違っていると思った。こんなのはおかしいと思う。シンを見上げる。

「おまえの問いに答えてやろう」

 淡々とした声でシンが言う。

「利益を産まないからだ」

「……同性愛者や、病気の人達が? イナの人が?」

 頷く。


「同性愛者は国に子という資産を残さない。

 病を持つものは子に病を遺伝させて、負債を残す。

 イナは見てわかる異民族だ。草の国には馴染まず犯罪率がやや高い。

 どれも俺の国にはいらん」


 ライの心臓に血が登ってきて早鐘を打った。

 激情が視界を真っ赤に染める。

 この人は本当に、本気でそう言っているのだろうか?

 ライは様々な人にあってきた。女の人が好きな女の人や、手足に痺れのある人。戦争によって手足を失った人。愛する人を喪ったあまりに精神の均衡を崩した人。ライは灯の国でたくさんの女の人と接してきた。ライと深く関わった人の多くは夫を戦争に取られた未亡人だったり、孤独だった人だった。同性愛や病を持つ人々がその中には数多くいた。イナ族の人、赤い肌を持つ人がいた。

 ライは彼ら、彼女らが“いらない”と言われていい人間ではないことをよく知っている。

 それぞれ自分の人生を必死に生きる、価値ある命だった。

「まあそれはもちろん建前だ。格差を作るためだ。政治の不満や日常の鬱憤、そういったものを、人間は自分よりも地位が下の人間にぶつけて解消する傾向がある。だから一般の市民よりも、身分が下の者を」

 差別を。

「意図的に作り上げたのだ」

「どうしてっ」

 ライは思わず立ち上がって叫んだ。

「あなたはわるい人だったよ! でも少なくとも、公正な人ではあったはずでしょう!?」

 だって、ライは見てきたのだ。

 草の国で心穏やかに暮らす人々を。シンは土地を豊かにするために壊獣を使った。法をよく整備して犯罪を取り締まって人々の暮らしを整えた。従来の制度を改革して実力が身分に反映されるようにして成果を上げた人間を採り上げた。

 それは大陸を制覇するだけの国力を得るためだったのかもしれない。

 けれどきっとそれだけではなかったはずなのだ。

 自分を頂く人々に対しての愛と慈しみがなければ、あんなことはできないはずなのだ。

「どうしてそんなことになっちゃったの!?」

 シンは元より邪悪だった。

 ライはその邪悪の全貌は知らない。灯の国で垣間見た一端しか知らない。

 シンは八歳の頃に、自分の母親の子宮を抉り出してサンロウの胎につないだ。以来、シンの用いる壊獣は母の子宮を使ってサンロウの胎から生まれている。自分と敵対する六人の兄弟を惨殺した。ニ・アギ=ジギ=ナハルという自分の姉にすら容赦はしなかった。長く拷問して他の王子の魔法を吐かせたのちに殺した。だからシンは大抵の兄弟たちの魔法を把握している。ツギハギの魔法を知っていたのも、他の兄弟を拷問して口を割らせたからだ。

 草の国の王に上り詰めた際にも、多くの政敵を残酷な手段で殺している。

 でも、少なくとも為政者としてのシンは善い王だった。

 大陸の東側の楡の国や衣の国の民が最終的にはシンに恭順を示したのは、シンが善政を行ったからだ。

 人々の生活を整えたからだ。

 これまでシンは理性と善性の仮面を被り、邪悪な本質を覆い隠すことをしてきた。

 けれど、いまのシンはその仮面を脱ぎ払ってしまった。

 いまの草の国では、公然と差別が行われている。

 多くの人々の生活はこれまでと変わらないが、少数の人々が貶められ、生活を困難にしている。

「おまえこそなにを勘違いしている?」

 シンは邪悪な笑みを浮かべた。狡猾の滲む嫌な笑みだった。

 そこに理性と善性の仮面は、最早見当たらなかった。

「俺はただ殺すのが好きなだけだ」

 ライは愕然とした。後退るようにして椅子につまずく。

 力が抜け落ちて椅子の上に体を落とす。

「あなたは、ほんとうに、シン……?」

「俺が俺でないというならば、ここにいる俺はいったい誰だ」

「あなたは、誰……?」

 ぽつりと呟く。

 ほんとうに、わからなかった。目の前にいるのが、以前にあった人と同じ人物だとは思えなかった。

 あのとき、シンを倒そうと思ったのはライの私情だった。親しい人を殺されたから。いわばその報復でしかなかった。

 でもいまは違う。大陸に生きるすべてのおおやけの人のために、この邪悪な怪物を殺さなければならないと、ライは思う。

 でなければ、大陸の全土が“こうなって”しまうのだろう。

 同性愛や病を得ている人。

 それから肌の色が違う人。

 ほんのすこしだけ“他人”と違うという性質を持っている人たちが、貶められて、辱められる。

 そんなあってはならない国に、この大陸のすべての国々が堕ちてしまう。

 ――殺そう。

 ライは殺意を強く握り締めた。

 なにがあっても、なにが起こっても、この人を殺そう。

 この人の作ったものをすべて壊してしまおう。

 固くそう決意する。 


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