ラ・シン=ジギ=ナハル 1
ユーリーンが目を覚ましたのは翌日の早朝のことだった。ライの寝台を確かめ、まだ寝息を立てていることを確認する。先日のように婦女子の尻を追いかけていないことに安堵した。
部屋を出てみると、兵舎の庭でハリグモが先の日のように偃月刀を振るい、見る者もおらず舞を披露していた。偃月刀の重さを微塵も感じさせない太刀運びに、ユーリーンは完成された武を認める。根本的には自分とは違う力だと感じる。
ユーリーンは軽く、速い。小さく、短く戦う。
ハリグモの武は重い。遠目にはゆったりとして見えるのは動きが大きいからだ。近づいてみればその動作が驚くほど鋭いことがわかるだろう。長い間合いを支配して自在に戦う。女性であるユーリーンには真似のしようもない強さだった。
こちらに気づいたハリグモが舞を止めた。偃月刀を背に戻す。傍にかけていた手ぬぐいで裸の上半身から汗を拭う。優雅な笑みを浮かべる。
「覗きが趣味か。『毒龍』の娘」
ライにも同じことを言われたことを思い出して、ユーリーンは渋い顔をした。
「そうではない。たまたま貴様がいたのだ」
「そういうことにしておくか」
かかか、と笑ってハリグモが服を羽織る。分厚い筋肉が薄布に包まれる。
無造作に晒しておくよりも却って色気があった。
「あの将、貴様の叔父とはどういう人物だ?」
「……お前のほうこそ、それを聞き出すために私を待ち受けていたのではないか」
「それほど期待はしていなかったがな」
ハリグモは暗にそれを認めた。
ユーリーンは呆れ返る。
「知らん。最後にあったのは私が四つの時だ。あれから十余年も経っている」
「構わん。話せ」
「……元は河の国の人だ」
「む、お前の父はたしか灯の国の者だな?」
「そうだ」
ユーリーンが住んでいた屋敷は父の生家だ。
覇王に召し抱えられてからは王の国に身を寄せていたが、元々は灯の国の人だ。
「血縁はないのか」
「ああ。叔父が子供の頃に、祖父が身柄を引き受けたらしい」
「どういう人物だ」
「先に知らぬといっただろう。私は叔父が父とちびりちびりと酒を飲んでいる姿を朧気に覚えているにすぎん。確か宮廷の武芸指南役を長く務めたのちにラ・シンの教育役に付いたはずだ」
ハリグモは少し考える。
十余年前に宮廷にあり、あの武芸の技があったならば権力と資金のある他王子からの勧誘をひっきりなしに受けただろう。身を立てる手段は幾らでもあったはずだ。皇帝が擁立されたいまでさえ、王の国は混乱しているのだ。覇王の没の直後がどれだけひどい混乱の中にあったかは想像に難くない。その中でテン・ルイはラ・シン王子を、当時わずか八歳の少年を選んだ。王の国を捨て、小さく弱い国だった草の国に身を寄せた。才知を見込んだか、ただ覇王に託されたかはわからない。しかしテン・ルイに見捨てられれば、ラ・シンと草の国の今日の隆盛はなかっただろう。兄王子達の暗殺の魔の手にかかっていたかもしれない。
「……義の人だな」
生半可な懐柔策は通用しないだろう。
場合によってはユーリーンを人質にとれるのではないかとも思っていたが、血縁がないのでは通用しそうもない。ハリグモは浅知恵を巡らせることを諦めた。美丈夫の表情が濁る。その様子にユーリーンが微笑み、彼女が思ったままのことを口に出した。
「貴様はそうして沈んでいる顔のほうがよく似合っているな。張り付けたような笑みよりもよほどらしい」
「さすがはあれの臣下だな。嫌味の吐き方がよく似ている」
ライを引き合いに出されて、ユーリーンはたじろいだ。自分はライほど性格が悪くないはずだと自分を励まそうとする。
「よもやお前の方が性格は悪いのか?」
ハリグモは自然に尋ねた。そのことが却ってユーリーンを打ちのめした。愕然とした表情を浮かべる。ハリグモは小首を傾げる。まるで自覚がないとは思っていなかった。
「ねえ、なに話してるの?」
寝ぼけ眼を擦りながら、ライが部屋から顔を出した。
「いや、別に」
「貴様の臣下は性格が悪いという話をしていた」
「ああ、完全に同意」
「!?」
「自覚がないとこがヤだよね」
「そうだな」
ライとハリグモは顔を見合わせて、頷きあっている。
ユーリーンはかつてないほど打ちのめされた。十八年間生きていて、これほどの衝撃を受けたことはなかった。
ぱらぱらと兵士たちが起きだしてきた。ハリグモが歩きだし、馬の様子を確かめていく。軍馬には前日の疲労が色濃く残っている。戦闘があったのが痛手だった。
「もうしばらく休ませてやりたいところだが」
頬を撫でる。
「悪いな。いましばしお前の脚を借りる」
応じるように高い声で鳴き、首を摺り寄せてくる。ハリグモは使い捨てた自分の愛馬を思う。自分の代わりに矢を受けて血を吐いて倒れた白馬。いまハリグモの手に触れているのは配下の馬だ。
「……」
戦い続ける限りはこの馬もいつかは殺してしまうことになるのだろう。そのことを惜しむ感情が浮かぶ。ハリグモは舌打ちを一つした。
「らしくもない」
口に出して、自分の中に浮かんだ感情を切り捨てる。
テン・ルイが兵舎を訪れ、ハリグモが兵を集めた。馬車を引く馬だけはテン・ルイが新しい馬を用意した。
テン・ルイの先導で草の国の本国に向けて出立する。ハリグモは胸甲を身に着けていなかった。馬の負担を減らすためだ。ろくな防具を身に着けていないために、先頭を他の兵士に譲っている。どこまでも田園地帯が続いていた。無駄にする土地はないとも言いたげな光景だった。
(城跡があちこちにあると聞いたことがあったが……)
草の国の周辺は平原がどこまでも続いていて、攻めるに易く、守るに難い。それゆえに歴代のこの国の王は城砦を築いて土地を守ろうとした。だが失敗した。建設を嗅ぎつけられてはその前に攻められ、打ち壊された。そもそもできた砦が、他国すれば玩具のようなもので兵を食い止めることができなかった。
民は砦の建設のための税で苦しみ、王の威信は失墜した。点在された砦の痕跡は田畑を広げるのを阻んだ。
ラ・シンはおそらく壊獣を使って砦の痕跡を取り除いたのだろう。ハリグモは小さく舌打ちした。どこまできても壊獣の利便性や恐ろしさを思い知らされる気がした。
そのうち大きな城壁が見えてきた。
テン・ルイが門番と話し、大きな門が開く。
ハリグモたちは草の国の本国に入る。どこまでも質素な建物が並んでいた。官庁や兵舎と思われる大きな建物まで、豪奢な修飾はない。飾り立てるための金がないのだ、とはハリグモは受け取らなかった。飾りたてることを無駄として嫌ったのだ。豪奢な宿舎の齎す権威に頼らずとも、自身の雷名に十分その力があるとラ・シンは判断した。実際ここにはその雷名による庇護を求めて、様々な種族の人々が揃っている。枯草色の髪と若草色の瞳を持つジギ族をはじめとして、頭髪が黒くこげ茶色の目をした東のラキ。極西に住まうイナ族は肌が赤く、水晶のような澄んだ瞳をしている。ハリグモと同じヤグの姿もあった。彼らは骨格が分厚く、背丈が一回り大きい。大陸中央部を占拠するアズ族は目つきが細く口元が鋭い。どことなく狐を思わせる顔立ちをしている。いずれも流民であろうが、その数は少なくない。
王宮とて質素なものだった。ハリグモの目にはただ大きいだけの建物にさえ見えた。多くの文官、武官を収容するための機能をもつ、ただそれだけの建物。灯の国の本国にあるロクトウの豪奢な宮殿とはまったく異なっている。名家であるロクトウのジジュ家はだいだい財を投じてその宮殿を巨大に、そして豪奢に飾り立ててきた。それらの装飾品は、いまはロクトウの手によって売り払われ、軍備の拡大に充てられている。
ハリグモはラ・シンの住まうこの王宮が、簡素であるにも関わらずある種の美を備えていることを認めざるを得なかった。機能美。それは実際的な力を尊ぶ武人であるハリグモの内側に強く響く。
(天はなぜこいつに壊獣などという過ぎた玩具を与えたのだ?)
ラ・シン=ジギ=ナハルは壊獣など持たなくともこの国に君臨していただろう。彼にはそれだけの才覚がある。いまほどでなくとも、この国に安寧と繁栄を齎したはずだ。ロクトウの灯の国に届きえない程度の。灯の国を脅かさない程度の繁栄。
それならばなにも問題はなかった。ロクトウが野心を燃やし、大陸を南下すれば、草の国などという脆弱な基盤は平呑してしまえた。ラ・シンもまたロクトウに召し抱えられてよく働いただろう。
だがこの現実はどうだ。
軍事、政治における諸問題を喰の魔法の力によって強引にねじ伏せて、ラ・シンは天の高みに昇りつつある。ロクトウの頭を踏み台にして、その高みからユウレリア大陸を見下ろそうとしている。
「シン王に取り次いで参ります。少しばかりお待ちください」
テン・ルイが言い、ハリグモが頷いた。
「ねえねえ」
ライが馬車を降りてきた。
「どうするの」
「なんだぶしつけに」
「あの叔父さんがいる限り、シンの暗殺なんて土台無理だよね?」
「貴様は本当に嫌なガキだな」
「ロクトウからの無茶振りなんて放り出して、僕と遊びに行かない?」
「どこへ」
「歓楽街。ハリグモがいると女の人いっぱい寄ってきそうだなって」
「かははっ。そりゃあいいな」
ハリグモは声をあげて笑い、ライの隣で自分を睨みつけるユーリーンに気づく。首を振る。
「だが遠慮しておこう」
「ちぇっ」
ライが拗ねた声を出す。
テン・ルイが戻ってきた。「先にユーリーン殿、それからライ殿とお会いになるそうです」「私?」ユーリーンが驚く。ハリグモを見る。ハリグモは長い息を吐き「俺は別に構わんが」と言った。
使者を遠ざけて、供物の方に先に手をつける。明らかに礼を失した振る舞いだった。
ラ・シンはとことんロクトウをおちょくっているらしい。
「申し訳ございません。気まぐれな方ですので」
テン・ルイが眉を下げる。
内心でハリグモを小ばかにしてほくそ笑んでいるのではないかと邪推するが、テン・ルイの表情は心底申し訳なさそうだった。
「じゃあ、行ってくるよ」
ライがハリグモに言う。「ああ、いけいけ」ハリグモはしっし、と犬でも追い払うように手を振った。
テン・ルイに連れられて、ライとユーリーンは王城に登る。「武器を預かります」門兵が言い、ユーリーンが剣を預けた。例によってライは武器らしい武器を何ももっていない。
門が開き、玉座、と呼ぶのははばかられるような質素な椅子があった。銀で出来た蛇の意匠が巻き付いているのが唯一それを玉座だと主張していた。腰かけた青年がライとユーリーンを睥睨する。左右にはそれぞれ一頭ずつタンガンが丸まって眠りについていた。
ラ・シン=ジギ=ナハル。覇王譲りの甘い顔立ちは、すっかり彼に馴染み精悍さを醸し出している。枯草色の髪と若草色の瞳。命を奪う冬の色と、命の芽吹く春の色が青年の中に混在しているようだった。身に着けている衣は王だというのに質素なもので、そこいらの商人の方が上等なものを身に着けていそうだった。
ライは、シンの隣に立つ、同じような簡素な衣装を身に着けた目つきの鋭い小男に視線を移す。身の丈は五尺程度だろうか。歳の頃は三十はいっていないだろう。狐に似た顔つきをしている。衣服の裾から伸びた手足は青白く、妙に痩せている。
視線をシンに戻す。
「はじめまして。で、いいのかな。ラ・シン=ジギ=ナハル」
「ああ、直接の顔を合わせるのはこれがはじめてのことだ。ニ・ライ=クル=ナハル。俺の弟」
「む」
どうしてライの正確な名がわかったのか。
問いただす前にシンが答えてくれた。
「泥の魔法をあれだけ派手に使えば、親父を知るものなら誰でもわかるさ。ロクトウにもわかったんじゃないか」
「え、ほんとに」
ライはロクトウに対して礼を払わなかった自分を少し恥じた。覇王の末の子に対して、ロクトウなりに慮ってくれていたのかもしれないと今更思い至る。「……次に会ったら謝っておこう」あまりこの地位を振りかざすことを、ライは好んでいなかった。
シンは隣のユーリーンに視線を移した。
「ユーリーン=アスナイだな? よく今日までライを守ってくれた」
ユーリーンは両手をあわせて軍礼をした。
「それから、まあ一応紹介しておこうか」
シンが傍らに立つ目つきの鋭い男を指す。
「キ・シガという。我が軍の軍師だ」
「お見知りおきを」
存在感のない、透き通った声で言う。
「ジギを殺した我らを処罰するために呼んだのではないのですか?」
ユーリーンが訊ねた。シンが軽く手を振って答えた。
「ああ、別に構わんよ。不問にする。そんな些事で弟を処刑する兄がどこにいる」
「いままでジギ族を殺して送られてきた人は、どうしたの」
「無論、殺したが」
ライが訊ねると、シンはさらりと言う。
「そうでなければ嫌がらせにならんだろう?」
おそらくは意図して、邪悪な笑みを見せる。豊かな田畑や質素な都市、国の繁栄に騙されてはならない。この人の本質は邪悪だ。目的のためならその道中のすべてを地獄に送り込むだけの強かさがある。ライは強く胸に刻んだ。
「お前を呼びつけたのは他ならない。士官の話がしたかったのだ」
「士官?」
「ああ、俺に仕えろ。望むなら一城くれてやってもいい。しばらくは補佐をつけるが、お前が土地に馴染めば一人で政治を行えるようにしよう」
「なんでまたそんな急な話を?」
ライが怪訝な表情になる。はっきり言ってライはいまのところただの俗物であり、ライ自身がそれを自覚していた。ロクトウやシンのように為政者として振る舞う知恵はなく、またその覚悟もなかった。
「はっきり言って人が足りんのだ。こいつや」キ・シガを指す。「テン・ルイは有能だが、他がどうもな。制度を改革して人を募っているのだが成果が出るのは何年後やら。最初は攻め落とした敵城から適当に登用すればよかろうと思っていたが、どうも上手いやつがいない」
「で、なんで僕なのさ?」
「調べたが、お前、街中の女を口説いて回っていたらしいな?」
「……」
「何人も情婦を作っていたのだとか。ヤグやクルに限らず、ジギにラキにイナまで。民族問わず幅広く。口説かれていない女の方が少ないと噂になっていた」
ユーリーンの目が三角になってライを睨みつける。
ライは思わず目を逸らした。
「俺が求める人材がまさにそれなのだ。草の国はこれからどこまでも膨張する。多民族国家になるだろう。多民族を纏めるためには為政者が差別的であってはならない。どの民族であれど平等に口説けなければならない」
「……あなたは次の覇王になるつもりなんだね」
「ここよりもう少し拵えのいい椅子には座るつもりだ」
シンは長い息を吐いた。
「だというのに、俺のところにいる人材ときたら頭が硬くてな。どうあっても自分の民族を優先したいらしい。まあこの数百年、そういう考えが根付いてきたわけだから無理もないことだが」
「あなたとて、ジギを優遇しているではありませんか」
キ・シガが扇子をぱちんと鳴らして開いた。
口元を隠し、くすくすと笑う。
「あなたは兵・農・工・商の身分制度を打ち出された。護国のために命を捧げる兵が最も位高く、糧を生み出し兵を支える農を次に置く。生み出されたものを加工し道具を仕立てる工が三番。そして工や農が生み出したものを売り歩き、自身はなにも作らない商が最後。一見合理的に見える制度ですが、兵の大半を占めるジギを優遇する制度であることはご自分で理解なされているでしょう?」
「職業選択は自由としている」
「御冗談を。農の子は農、工の子は工、商の子は商となるしかないのが現状です。高い位から低い位に落ちるのは簡単ですが、逆はなかなかに難しい。ああ、徴兵に応じるというのが、唯一の抜け道でしたか。ジギでないものは訓練もそこそこに最前線に送られるのでしょうね。いと哀れ」
シンが舌打ちする。
「話の腰を折るな、キ・シガ。貴様は本当に俺の意に添わんやつだな」
「そういう輩をあなたが望まれたから、私がここにいるのですよ。シン王。耳の痛い諫言を嫌うならばご自分の意に沿うだけの輩を置かれればよろしい」
「違いないがな」
シンは長い息を吐き、ライの顔を見つめる。
「どうだ? 俺に仕える気はないか」
「ちょっとだけ考えさせて」
ライが言い、シンが頷いた。
ライは仕えても構わないかな、と思っていた。別にライにはいまのところ守るべきものがなにかあるわけではない。
草の国の王、シンは国を富ませている。彼の存在は大陸に大きなうねりを起こすのは間違いない。だが王の国は既に不正の横行する役人達のための地となっている。皇帝にこれを止める力はなく、民は重い税に苦しんでいた。ラ・シン=ジギ=ナハルこそが、大陸のために必要な嵐かもしれない。だけど、どうしても一つだけ引っかかっていることがあった。
「聞きたいんだけどさ」
「なんだ?」
「灯の国でのジギ族の動きを、あなたは関知していたの?」
「していた」
「町民を襲って、殺せと指示していたの?」
「いいや、それはしていない」
ライは安堵の息を吐いた。
ならば、この人の元に身を委ねてもいいかもしれない、と思う。
「じゃあ、あれは彼らの独断専行だったんだね」
「それは違う」
「?」
「もっと派手に動けと命じていた。あわよくば将の身内を浚ってロクトウを焚きつけろとな。そのために壊獣を与えていたのだ。戦果があれだけとは。雑兵は所詮雑兵だな」
「……」
「まあお前をここに引き込めたのだから、結局それに勝る成果はなかったわけだが」
「そっか。そうなんだね」
ライは微笑んだ。シンの邪悪が、ライには好ましかった。
それでこそ、打ち倒す価値がある。
「士官の件だけど、断らせてもらうよ」
はっきりと言う。
シンの瞳がどろりと濁る。彼の性質の中の闇が表に現れる。
「なぜだ?」
「君がユミさんを殺したから」
「俺の刺客が殺したのはお前の知己か?」
頷く。
「もしあなたがそのことをまったく関知していなかったのなら。それが彼らのまったくの独断だったのなら、あなたに仕えてもいいかなと思ったんだ。殺していたのがまったく僕の知らない人でも、たぶん僕はあなたの下についたと思う。でもね、君はユミさんを殺したんだ。僕の持ち物に手を出したんだ」
「女一人のために棒に振るには、過ぎた話じゃないか」
ライは首を横に振る。ゆっくりと自分で確かめるように口に出す。
「そう、君にとっては女一人。でも僕にとっては大事な人だったんだよ。まあ僕には大事な人がそこそこたくさんいるのはこの際一先ずおいて置こう。とにかく僕は君を許さない。そう決めたんだ」
「そうか」
シンの隣でキ・シガがくくく、と低く笑った。
ゆらりとライが手をあげて、人差し指をシンに向けた。
「ラ・シン=ジギ=ナハル。お前の築いたものを全部ぶち壊してやる」
「言うのは簡単だな。やってみろ。草の国の王、ラ・シンがお前の挑戦を受けて立つ」
シンの無感情な瞳がライを見据える。
「聞いてみたいんだけどさ」
「なんだ?」
「どうして嘘をつかなかったの? “俺は知らなかったんだ、あいつらが勝手にやったんだ”、そう言い切ってしまえば、間抜けな僕はきっとそれを信じてあなたに傅いていたよ。どうしてそうしなかったの?」
「簡単だ。騙して得たものは一夜で失われる。俺の意図をお前が知った時、お前はもっと致命的な形で俺を裏切っただろう。俺は何ら陰りがない形でお前が欲しかったのだ。叛心を秘めたまま仕えさせたのでは何の意味もなかった。それだけさ」
ずいぶんと高く買ってくれていたらしい。
知ったことではなかったけれど。
「行こう、ユーリーン。ここにはもうなんの用事もない」
「御意」
ライが身を翻す。ユーリーンがシン達に警戒を割いたまま下がる。キ・シガが、ライ達が聞いているにも関わらず「タンガンをけしかけないのですか」と尋ねた。シンは首を振る。
「泥の魔法を前に正面から挑む気にはなれんよ。後ろにいるテン・ルイを使ってなお、相打ちがやっとだろう。わりに合わんよ」
「泥の魔法とはそれほどの?」
うんざりしながら頷く。
「親父が諸侯をねじ伏せて覇王となることができたのは、泥の魔法があってこそだ」
「ほぅ」
興味深そうにキ・シガが頷いた。
「ではあちらがあなたをこの場で殺さないのは?」
「あちらも相打ちではわりにあわんからだろうよ」
「なるほど、明快ですね」
キ・シガの声音はどこまでも楽しそうだった。
二人が話し続けるのを背後にして、ライが門を出た。
「ふう、緊張した」
どの口が、とユーリーンは思った。