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死ノ国  作者: 月島 真昼
四章
76/110

ユ・メイ=ラキ=ネイゲル 9

 


 致命傷だと判断して、騎兵がライの背中から槍を引き抜く。ライが膝をつく。

「キ、サマアァァァッッ」

 ユーリーンが剣を抜いてシュウに斬りかかろうとした。が、砕けた肩の痛みが稲妻のようにユーリーンを貫いて、ろくに動けずにべちゃりと転倒する。殺人を嫌う彼女らしかぬ殺気に満ちた目でシュウを睨みつけ、撥ねるようにして立ち上がる。河の国の兵がシュウを守るように立つ。満身創痍のユーリーンにはそれを突破することができない。それでもなお突き進もうとして、捻じ伏せられる。

「ライ! ライッ!」

 ユーリーンは半狂乱になって泣き叫ぶ。

「待って、ユーリーン。大丈夫だから」

 ライがユーリーンに向けて左の手のひらを向けた。逆の手で槍に刺し貫かれた胸の傷に触れる。そこからは血ではなく、赤茶けた泥が流れ出していた。

「だっ、だいじょうぶなわけがっ」

「大丈夫なんだ」

 ライはなにごともなかったように立ち上がる。胸の傷が泥によって埋まっていく。手足を失ったときと同じように。自分はもしかすると人間とは異なるバケモノなのかもしれない、とライは思う。覇王の捏ねた泥の人形。ライは泥の魔法を使って、ユーリーンに対峙する兵を押し退けた。泥から成る無数の剣と鎌が、シュウを取り囲む。

「……魔法の力は本当に常識を超えていますね」

 シュウが力なく呟いた。

 ライはなぜシュウが自分のことを殺そうと思ったのか、少しだけ考えてみる。自分がそんなに大した価値を持っているとはライには思えなかったが、翅の国から皇族を取り除けるというのは、シュウや河の国にとって利益が大きいことなのだろう、と思う。

 ——実際のところ、ライが死ねばギ・リョクは翅の国への協力をやめて一商人に戻るだろう。キ・ヒコだって興味の中心はライにある。ライが死ねば在野に戻る。彼ら二人が中枢から離れてしまえば、現状の蒼旗賊を前身にする兵達を取り纏める人間はいなくなる。翅の国は壊滅し、混乱の末に易々と河の国へと併呑される。シュウにはその未来が見え切っていた。

 この状況ではライを殺しても、草の国の軍勢と争った末に死んだのだと言い訳が効く。騙し討ったという汚名を着ずに済む。ライが殺しても死なないバケモノでなかったら、有効だったのだ。

 いまさらライはギ・リョクが兵糧の量を小出しにしろと言っていたことを思い出す。一度に大量に持ち出したがためにシュウにとってライは用済みになってしまった。必要がなくなってしまった。小出しにして、兵糧が常に不足する状況に追い込んでおいて、常に翅の国の支援を必要とするようにしなければならなかったのだ。

 ライは怒りに任せてシュウを縊り殺すことはできた。

 周囲の兵隊だって、ライの魔法ならば雑作もなく殺すことができる。

 けれどそうする意味もなかった。

 ライは冷めた目でシュウを一瞥して「貸し一つってことでいいよね?」と言った。

「ええ、はい」

 シュウが曖昧に頷く。

「あとで書面にしてもらおっと」

 ギ・リョクが「約束をするときは必ず書面に残せ」と言っていた。

 彼女の言うことはよく聞いておこうといまさら思う。

 ユーリーンの元へ歩いていく。「大丈夫、僕はここにいるよ」震えるユーリーンの身体を抱きしめる。緊張の糸の切れたユーリーンが、ライに縋り付くように左手を回す。

 大声をあげて泣く。







「はははっ! どうにもならんな!」

 雷河の北側で、水龍を見上げてシンが笑う。

 水量の多い場所での水の魔法による圧倒的な蹂躙によって、草の国の軍勢は粉砕されていた。同じ魔法使いであるはずのローゲンが吹き飛ばされて地面を這っている。骨でも痛めたのだろう。サンロウを走らせて服を咥えさせ、強引に離脱させる。

 ユ・メイがシンの元に迫る。その傍らには、大河をそのまま持ち上げたような巨大な水龍が侍っている。

「よお、ラ・シン=ジギ=ナハル! 俺の国で随分好き勝手やってくれたじゃねえか!」

 ユ・メイは哄笑しながら暴力的な笑みを浮かべる。

 人を殺し慣れている女の笑みだった。

 ユ・メイはブチキレていた。自分ではもっと冷静なつもりでいたがどうにもシン当人を視界にいれると収まりが付かなかった。そのことを少し意外に思う。

 昔のユ・メイならばこうはならなかっただろう。ユ・メイは金が欲しかった。食べ物が欲しくて、衣服が欲しくて、家が欲しかった。――……自分を虐げない国が欲しかった。ただそれだけだった。

 だがいまは、この国に対して愛着を抱いている。

 俺の物だ、とユ・メイは強く思う。

 誰にも奪わせはしない。この国は俺の物だ。

 寒風の吹く貧しい村に生まれて、生きるために幼少の頃から賊に身を窶すしかなかった。奪い取り、奪い取り、奪い取って、ようやく手に入れた安住の場所。

 シンは「ヤツマタ」と呟いた。近くにあった丘が三つ、首を擡げて立ち上がった。地に伏せさせて、隠しておいたシンの切り札は、だがしかし。

「……時間稼ぎにしかならんだろうな」

 巨大な水龍に、複数の縄が固まったような形の胴体を食い破られる。死ぬ。

 人間を殺すヤツマタの毒の血は、水から成る水龍になんら影響を及ぼさない。巨体の放つ打撃も水の身体に沈み込むだけ。硫酸を主成分にした吐息が周囲を焦がすがユ・メイは水龍に護られてまるで無傷だ。

 ヤツマタではユ・メイを倒せない。

 おそらくココノビでも同じことだろう。分厚い水幕はココノビの能力を完全に遮断する。コカインやヘロイン、アンフェタミンを主成分にする死の霧は、ユ・メイには届かない。

 ユ・メイの後方に続く軍の方は幾らか混乱するだろうが、それが充分な効果を発揮する前にユ・メイはココノビを殺せる。

 シンは撤退の命令を出してさっさと離脱する。

 誘い込んだユ・メイを叩くために相応の準備を進めていたつもりだったが、実際に水量の多い場所の水の魔法の暴威はシンの予想を超えていた。

 というか、ユ・メイは抑えの効かないあの性格上、雷河での小競り合いに出張ってもっと消耗するだろうと踏んでいた。が、実際はシュウがユ・メイを休ませたことで彼女はまったく消耗せずに決戦に臨んでいる。

(誰かに考えを読み切られたらしいな)

 苦笑する。

 翅の国への侵攻ののちに西回りの侵攻路を進言したキ・シガの機嫌を取らなければならないと思う。シンは西方の霧の国に隣接する翅の国には触れたくなかった。あの恐るべきツギハギ=クグ=ナハルの魔法に触れるのは、相応の準備を終えてからにしたかった。

 まあそろそろ誰かが西方諸国の現状に気づく頃合いだろう。

 欲を言えば大陸の東側の制圧を完全にしてから「あれ」には挑みたかったものだが。

 ちっ。とシンは短く舌打ちする。

 以前は敗北に奇妙な喜びがあった。壊獣を、決して人間の敵い得ないようなあのバケモノたちを、人間の知恵と力が打ち破ることに痛快ささえを感じていた。

 けれどいまの自分にはその感情が失われている。

 ただ思い通りにならないことへの苛立ちがあるだけだった。

 河の国を攻略するのは、大陸のあらゆる地点を制覇したあと、最後のことになるのだろう。





 ユ・メイ=ラキ=メイゲルと河の国の軍勢はシンを退けた。

 それは草の国の王がシンに変わって以来、はじめての大局的な敗北だった。




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