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死ノ国  作者: 月島 真昼
四章
72/110

イ・シュウ=アズ=ゼン 3

 

 同じころ、河の国の東側ではハリグモ=ヤグの率いる“突撃兵”達が港の付近の人間を静かに皆殺しにしていた。港の埠頭に切り刻まれた死体がいくつもいくつも転がっている。口元を吊り上げた女が、すでに死んでいる船乗りに何度も何度も、楽しそうに刃物を振り下ろしていた。

 彼女はキリクという名の、草の国で有名だった殺人鬼だ。

「いまの俺には似合いの軍隊か」

 ハリグモが優雅な笑みを浮かべて呟く。

「いくぞ、雷河で戦っているユ・メイの軍の裏を取るのだ。ここでの“遊び”はほどほどにしておけ」

 女はハリグモを見上げて露骨に嫌な顔をした。

「はぁ? なんであんたにそんな命令されなきゃ――」

 言い終える前に偃月刀が一閃した。女が飛び退く。寸でのところでその刃は届かなかったが、ハリグモが「別に死んでも構わない」と考えて武器を振るったことはわかった。

「次は斬る」

 女はしぶしぶとハリグモに従う。

 突撃兵達の多くは犯罪者だ。山賊の長や辻斬りの下手人。強盗や殺人の罪で死刑を宣告されていたものを拾いあげた。戦う能力はあれど人格的にはおおよそ破綻している。隊規など守りようもない連中だ。それを力だけで纏め上げる。

 なるほど、ハリグモに意外には難しい仕事だろう。船から降ろした馬に騎乗する。槍を掲げた男がハリグモの隣に立つ。

「よもやあなたが、シン王につくとは思いませんでした」

 ア・クロという名のその男はシンへの抵抗を目論んで人々を纏めていた灯の国の侠者だ。話したことはなかったが、ハリグモのことは知っているし敬意を払っていた。

「ああ、俺もこうなったことにいささか驚いている」

 シンから与えられた部隊を振り返る。船を介して送り込めた数は決して多くはなく、総数にして千にも満たないが、個人個人の戦闘能力は雑兵に遥かに勝るだろう。

 最後尾についている、真っ白な髪の少女に目を止める。歳の頃は十五、六だろうか。痩せた体、背は低くハリグモの胸よりも下。軍服が似合っていない。戸惑ったような、困ったような表情をしている。キサラという女。おおよそ戦うものには見えない装いだ。——魔法使い。あれがハリグモ達の切り札だというのだから、おもしろくないと思う。

「伝令です」

 先遣に遣わしていた掏りが出自の、目立たない男がハリグモの元へ戻ってきた。

「河の国の軍がこちらに急行しています。数はおおよそ二千」

「ほう」

 おそらくは不意をつける、とシンが言ったこの東周りの道に気づいたやつがいたのか。

 ハリグモは口端を吊り上げる。「蹴散らしていくとするか」部隊に戦闘の準備を命じる。

 弱い頭痛がした。頭の中にわずかに霞のかかるような感覚がある。振り払うように頭を振り、ハリグモは半ば無意識のうちに「ココノビさまのおおせのままに」と呟いていた。






 河の国の東端の街へと軍を率いたシュウがやってくる。同じ馬車にライとユーリーンが乗っている。正直言って、本当にこの先にシンが遣わした軍勢がいるのかどうか、ライとユーリーンには半信半疑だった。しかしそこで起こった戦闘の痕跡。逃げ惑う住民たちの姿を見て、ようやく二人は血相を変える。

 住民達は頑丈な石造りの役所の中に飛び込んで、一般人だろうが構いなく殺していく突撃兵の暴威から逃れる。建物を兵が取り囲んで、火がつけられようとしている。ライが近くにある建物に手をついて、それを崩した。泥へと変えた。泥で出来た剣や鎌を放つ。振り返ってライに気づいた兵達がすぐに散開して泥の魔法の間合いから逃れる。反応は素早く、位置の悪かった一人が泥の剣に刺し貫かれただけだった。シュウが率いる騎兵達が逃げた兵を追い立てる。

 敵歩兵は嘲笑うかのように建物の隙間を縫って逃げていく。そうして今度は唐突に顔を出して、小回りの利かない騎兵の命を出会い頭に狩った。喉から血を噴き出して河の国の騎兵の一人が死ぬ。敵の歩兵は、そしてまた狭い路地に身を隠して逃げていく。

 通常の兵の戦い方ではない、とシュウはすぐに彼らの違和を感じ取る。

 命令や指揮の元に戦っていないように見える。それぞれが独立して「人を殺す」ために動いている。軍よりも野盗や山賊の戦い方に近い。そんな印象を受ける。

 おそらく彼らにとって障害物の多い市街戦は得意中の得意なのだろう。狭い街路によって軍はばらけてしまう、集中した運用が難しい。

 かといって見過ごして守りを固めれば、彼らは容易に一般の民に手を掛ける。シュウ達がそれを見捨てられないことを知っているからだ。志の高い軍人ほど「民を戦から守る」ために戦っている。痺れを切らして民を助けに動いた軍隊を市街戦に引きずり込んでぼろぼろにする。

(ボクがここに気づいたこともシン王の計算の内なのだろうか)

 シュウは心中で舌打ちする。

 気づかなければユ・メイの裏を取れてよし。

 気づいて救援を送れば、得意とする市街戦で削り殺せてよし。

(……いいよ、ボクの力を見せてやる。そうそうおまえの思うようにはいかないことを教えてやる)

 シュウは軽く息を吸い込んだ。

「ここは僕が守るよ。シュウさんは行って」

 ライは人々がすし詰めになっている役所を振り返って言う。

 ユーリーンが脇に立ち、弓を背中から取る。

 シュウはライの声が聞こえていないように、目を閉じて座り込んだ。

「どうしたの?」

 シュウは頭の中で地図を広げた。ぶつぶつと呟きながら指で地面の上に、簡単に地図を投影する。目を閉じたまま「リ・ザイさん。二の四番区の敵兵を排除、建物の上に警笛を持たせた一人を残してきてください」と命じた。「ア・サガさん、四の三番区の敵兵排除、東回りでここに戻ってきてください」、「ニ・ナクさん、六の三番区の建物の上に警笛を持たせた一人を残して。西回りで街の中央へ」と指示を出していく。

「しゅ、シュウ殿……?」

 急に番地を言われても、それが頭の中にない兵長たちが戸惑う。というかそもそも、この騎兵は急に集めて連れてきただけでシュウの管轄ではないというのに、それぞれの名前が完全に頭に入っているこの軍師の頭脳に戸惑う。兵達の一人が役所の中から地図を借り受けてくる。

「急いで」

 シュウは変わらずにぶつぶつと呟きながら現実の地図を見ずに頭の中の地図と向き合い続ける。

 その地図が少し古いことを知っているからだ。工事の仕様書などを頭の中に入れてある自分の脳内の地図の方が新しい。シュウは河の国のすべての街々の地図をほぼ完全に覚えている。

 現実の地図を見て言われた番地を確認した騎兵達が動く。

「ミ・ハクさん。港にいって大型の船の船尾に糊で火薬をひっつけてきてください」

 シュウが指示を出し続ける。八の八番区からの敵兵排除を言い渡し、七の九番区に警笛を持たせた兵を残す。四の三番区に騎兵を向かわせる。

 ライはふと、イ・シュウ=アズ=ゼンはきっと天才というやつなのだろうと思う。

 他にも優秀な人間はたくさんいるし、ライはそのうちの何人かを知っている。例えばギ・リョク。彼女が優秀なのは、流人の師に教えを受けて、この世界にはなかった知識を得ているからだ。その知識を活用できるだけの実際に運用するだけの手腕を伴った彼女は素晴らしい秀才だ。けれどシュウはそうではない。この世界の理しか持ちえない。

 にも関わらず、彼はあきらかにこの世界の人間とは異なっている。

「ライさん、最後に動いてもらいます。いいですか」

 熱に浮かされたような声でシュウが言った。

「うん」

 ライは答えた。こんなやり方は、軍隊ではない一般に住まう人々を無差別に殺すようなやり方は、ライには認められなかった。それから同時に強い違和感を抱く。——シンはこんな人ではなかった。と、思う。

 確かに残酷なことができる人だった。シンは邪悪だ。目的のためならすべてを地獄に送り込むだけの強かさがある。けれど、きっとこれは違う。シンのいまこの場での直接の目的はユ・メイに戦争で勝つことのはずだ。この街で人を殺すことが、戦争に勝つことに繋がるとはライにはどうしても思えない。わからない。

 シンに触れたこともあったはずなのに、いまはその感触を失っている。その意図がつかめない。別の人間を相手にしているようにさえ感じる。狐につままれた、ようにさえ思う。

 こんなのはおかしい。

 不意に誰かがこっちを真っすぐに見ているのを感じる。どこからだろう。ライはユーリーンを見上げる。ユーリーンは凍り付いたような無表情を、懸命に顔に貼り付けているように見えた。彼女の視線の先には。優雅な笑みを浮かべてこちらを見ている、偃月刀を背負った男がいた。

 ハリグモが通りの向こうに姿を消す。誘っているようだった。

 ユーリーンがのろのろと体を起こした。

「わたしを、呼んでいるらしい」

「十中八九罠でしょう。ここにいてください。最後の一手のためにあなたも必要です」

 シュウがすべてを見通したような声で言う。ユーリーンはライを見た。自分にもどうすればいいのかわからない、そんな顔つきだった。ライは首を横に振った。

 ライには、そんなのは嫌だった。ユーリーンとハリグモが殺し合うなんて。

「いきましょう」

 シュウは地面に描いた地図を手のひらで擦って消した。



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