ユーリーン=アスナイ 5
こうした河の国の優勢の元での小競り合いが何度か続いた。
敵の狙いのもう一つがようやく見えてくる。敵の多くは新たに徴兵された新兵だ。東部の平定、ゼタやロクトウとの激戦を経験した古強者は水戦に参加していない。
どうも新たに徴兵した兵士を船に慣れさせて実戦の中で鍛えようとしているらしい。数戦を経てみると、敵の装備は河の国の物と似た湾曲剣が中心になり、船酔いで足元がおぼつけないものはいなくなって行った。
だからと言って水戦に慣れた河賊達と、陸の兵の差が埋まったわけではない。
未だほとんど一方的な戦いが繰り返されている。
その最中、突然のことだった。
天空からシュウの元へ影が落ちてきた。
『蹴』の魔法によって天空を駆けてきたスゥリーンが、頭上から奇襲をかけたのだ。咄嗟のことでシュウには反応できなかった。振り下ろされた剣の一撃がシュウの頭を捉えかけて、横合いから誰かが投げつけた大鍋で剣の軌道が歪んだ。なんとかシュウが身を引いて、スゥリーンの剣が空振る。
大鍋を投げつけた誰かを睨みつけて、スゥリーンが舌打ちする。
「お姉ちゃん」
ユーリーンが剣を抜いた。
シュウがユーリーンの後ろまで下がる。
——……僕がシンならあなたじゃなくて、シュウさんを狙う。
シンの狙いを見抜いたのはライだった。
「ユーリーンに護ってもらうのがいいと思う。ユ・メイが動けないなら、他の人だと相手にならない」
「うちにも腕の立つのはいるよ?」
ユ・メイは河賊の何人かを思い浮かべる。
「その人たち、魔法持ち相手に単騎で立ち回れる?」
「そんなの俺やおまえ以外無理だろ」
魔法持ちを相手にするには魔法持ちでなければならない。
ユ・メイは当たり前のことを口にする。
「だってさ」
ライがユーリーンを振り返る。
「……引き受けよう」
ユーリーンが嫌そうに言う。本音としてはなにが起こるかわからない異国の地でライの傍を離れたくはなかった。わき腹に触れる。肋骨の骨折は他の部位に比べて完治するのに時間はかからないが、おおよそ八割方治ってきたといったところだ。
それにしても。
(どんぴしゃか)
スゥリーンを目の前にして、ユーリーンはシンとライの思考はよく似ていることを思う。
河の国の事実上の要は、王であるユ・メイではなく、それを支えるシュウの方なのだ。シュウさえ消してしまえば、文官達の信頼のないユ・メイのようなならず者に国家を統制することなどできはしない。
「もっと下がれ。視界から消えろ。兵も邪魔だ。さがらせろ」
ユーリーンはぱちんと指を鳴らす。
肉体の技ではスゥリーンはユーリーンと同じだけの技量を持っている。庇いながらではうまく戦えない。こくりと頷いたシュウが兵を連れて引いていく。
「ああ、いまならわかるよ。お姉ちゃんがどうして私より強いのか」
スゥリーンがにこりと邪気のない笑みを見せた。
「尋常に」
真っすぐに剣を構える。
殺気ではなく静かな闘気を漲らせてスゥリーンが立つ。
「なめるな」
ユーリーンは抜き払った剣を、あえてもう一度鞘に納めた。剣の柄に手をあてる。腰を落とす。左手で鞘を固定する。半身になって構える。
スゥリーンが踏み込む。一歩で加速し間合いの内に踏み込む。ユーリーンが抜剣と同時に一撃。捻った全身の力を開放して、鞘の中を刃で滑らせ、加速させる。居合斬り。剣が交じる。腕力ではわずかにユーリーンが上だが、スゥリーンは魔法を行使した踏み込みの勢いを加えてよく剣に伝えていて威力は互角。互いにわずかに弾かれる。スゥリーンの身体が宙を舞う。『蹴』の魔法の力でユーリーンの頭上を取る。上からの斬撃をユーリーンが転がって躱す。離れ際にユーリーンが腰布に触れる。短剣を抜いて、投げる。スゥリーンが空を蹴って短剣を回避。そのまま空中に足をついて、空を蹴る。突っ込んでくる。
「知ってるよ? 誤魔化してるだけでほんとは私の方が速いんだよね」
ユーリーンにはスゥリーンの動きが止まって見えている。
極限の集中力は時間を超越する。けれどスゥリーンは先の戦いの時と違って、深くは切り込んでこない。隙を突くことができない。
そしてスゥリーンの言う通り、単純な動きの速さでは魔法の補助のあるスゥリーンが上だ。
今度はスゥリーンが短剣を投げる。ユーリーンは左手を横に振って、飛来する短剣の柄をそのまま素手で掴んだ。避けるか剣で払うかで幾らかの体勢を崩せると思っていたスゥリーンが驚く。スゥリーンが振るった横薙ぎの斬撃の途中でユーリーンの下からの剣が合流し軌道を真上に跳ね上げる。
「自惚れるな」
ユーリーンの左手が帰ってきた。その手に握られた短剣がスゥリーンの首元に向けて振るわれる。スゥリーンが跳躍して短剣を避ける。読んでいたユーリーンが右足のつま先を真上に跳ね上げる。スゥリーンはみぞおちに突き刺さりかけたつま先に、咄嗟に手のひらを挟んで衝撃を和らげる。衝撃を堪えて蹴りの威力にあえて押されるようにして、スゥリーンは逆さまになりながらユーリーンの背面を取る。空中で体を捻り。剣を振るう。ユーリーンは真後ろに向けて地面を蹴った。背中から体当たりする形になる。間合いが潰されてスゥリーンは剣を振れない。
「おまえの技など児戯に等しい」
ユーリーンの左手が小さく振られて握られた短剣が真後ろにいるスゥリーンの喉を裂こうとする。(こっち見てもないのに……!)スゥリーンは左掌で短剣を受ける。刃が肉と骨を貫通して激痛が走る。スゥリーンは逆さまのまま蹴りを繰り出してユーリーンの頭を狙うが、ユーリーンはしゃがんで蹴りを躱す。
スゥリーンは空中を蹴って一旦間合いを取る。
ユーリーンがようやく振り返ってスゥリーンを視界に納める。
「強いね」
左手に刺さった短剣の柄を歯で噛んで、抜き取る。放る。からんからんと音を立てて短剣が地面を滑る。左手から血が流れて地面を濡らした。
「いまならわかるよ、お姉ちゃんがなんでそんなに強いか」
「……」
「ライって子がいるからでしょ? 愛する人のためなら、恐怖なんて感じなくなるんだね」
背後が騒がしい。兵をさがらせろと言ったのに、大勢引き連れてきたようだ。
「私も見つけたよ。あの人のためなら命を懸けて戦えると思える人」
スゥリーンが足を撓めた。
「今日は引く。次は負けない。あの人のために、私は貴女を殺す」
『蹴』の魔法で空を駆けて、スゥリーンが去っていった。遥か後方に用意されていた船に小さな影が飛び込むのが朧気に見えた。
ユーリーンは集中を解いた。負傷している肋骨の痛みが戻ってきて、膝をつく。
スゥリーンは強くなっていた。前の時よりも遥かに。
彼女は彼女なりの恐怖と戦う手段を見つけたのだ。
いまの戦いもぎりぎりだった。次に戦うときははたして手に負えるかどうか。
『愛する人のためなら、恐怖なんて感じなくなるんだね』
「……わかったような口を利く」
ライがいるから。
おそらくそれは違う。ユーリーンは生粋のアスナイだ。『毒龍』だ。愛していなくても、守るべきものがなくてもユーリーンは戦える。ユーリーンにはそんな言い訳は必要ない。ユーリーンは自分の意思で殺している。自分がライの力になりたいから。命令されたわけでも、考えを委ねたわけでもない。
だって、きっとライはユーリーンを愛していない。少なくともユーリーンだけを愛してはいない。そう考えると、わき腹よりも心の痛みの方が大きかった。
あの人のためなら命を懸けて戦える。
そう言い切ってしまえるスゥリーンが少し羨ましかった。
前線に張り付いているシュウと、体を休めていたユ・メイの影で、ガクの元を訪れた男が
いた。
「私はシン王からの使いの者です。内密に、お話があります」
「……ユ・メイ様やライ殿には聞かれてはならないことかね?」
男が頷く。
ガクはその男を部屋に招き入れる。