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死ノ国  作者: 月島 真昼
四章
68/110

イ・シュウ=アズ=ゼン 2

 


 ライとギ・リョクが書状を持って翅の国へと帰ってしばらくが経った。

 草の国から河の国に向けて紫色の煙に似たものが空を流れていった。

 灯の国の全土を食い荒らしたシエンという壊獣である。蝗に似た虫の姿の壊獣が何万という数、飛び立っていく。

 河の国の空が紫色に染まる。ぎゃりぎゃりという耳障りな羽音が一国を覆い尽くす。

 あらゆる植物に憑りつき、喰らい尽くす。

「すげえな。なんだこりゃあ」

「シン王からの攻撃です!」

 気を抜くと口の中に飛び込んできそうな虫の大群の中で、その羽音に負けないようにシュウが叫ぶ。

「はぁん。これあいつがやってんのか」

 ユ・メイが感心する。水の魔法によって生み出された龍が自分の体内に飛び込んできたシエンをばりばりと噛み砕く。シュウを手招きして水龍の守る内側に導く。自分の胸元にシュウを抱き寄せる。ユ・メイとシュウは身長がほとんど変わらない。シュウの方が少し低いくらいだ。背中に右胸があたり、耳元に口を寄せられてシュウはぞくりとした。(こんなときに僕は何を……)少し自嘲する。

「これほっといたらどうなる?」

「国内全土の植物が死にます。食料がなくなって飢餓状態に陥って統制が取れなくなって河の国が滅びます」

「そーかよ。そりゃまずいな?」

 あまりまずいとは思っていなさそうな口調だった。

 シュウは奥歯を強く噛んだ。ギ・リョクにシエンのことは聞いていたけれど、ここまでの威力を持っているとは思っていなかった。その気になればシンはこれ一つだけで大陸全土を制することができるかもしれない。

 実際に用いなくてもちらつかせるだけでいいのだ。それだけでシンの言うことに逆らえなくなる。(河の国と灯の国はシエンの威力を見せつけるための生け贄というわけですか) 抗戦を強く唱えていたシュウも、この惨状をみてしまえば抗うのは難しいかもしれないと考えてしまう。

「シュウ、みんなに家の中に入るように言ってくれ。これ全部ぶち殺すからよ」

「はい? はい!?」

「頼んだぜ」

 ユ・メイはシュウの背中を押して、水の護りの外へと押し出した。自分は馬の背に飛び乗って雷河の方へと駆けていく。

 シュウはすぐさま全軍に指示を出す。人々に「この虫を駆除するから家の中に入り決して出ないように」と馬を飛ばして呼びかける。

 ユ・メイが雷河の傍に立つ。淵に腰かけて、足を河に浸す。冷たい水の感触を味わう。なんとなく向こう岸を見る。

 大陸でもっとも水量の多い雷河が『水』の魔法の干渉を受けて徐々に干上がっていく。流域面積にして1800000平方キロメルトルを持つ雷河が、中流から下流にかけても水をほぼほぼ失う。莫大な量の水が空へと登っていった。

 雨が降り出した。馬穴をひっくり返したような。刺すような強い雨だった。雨粒の一つ一つが龍から成っていた。それはシエンの翅に食いつき、地面に撃ち落す。のたうつシエンの頭を食い千切る。そうしてその死骸を運びながら支流まで這っていき雷河へと帰っていく。膨大な量のシエンの死骸が外海へと流れて行く。

 ユ・メイが水の魔法によって成したこの雨が河の国の全土を覆った。その雨は河の国に押し入ったシエンのすべてを打ち殺した。屋内にいち早く逃れたものですら雨粒が屋内までその姿を追跡して噛み殺した。

 卵までが食われる。あるいは雨の中で腐り落ちる。

 一匹残らずシエンは河の国から駆逐された。

 雷河から戻ってきたユ・メイはいつになく青い顔をしていて、「俺は少し眠る」と言ったきりで宮殿の中から長い間出てこなかった。目や鼻から出血した痕があった。限界を超えて魔法を行使したのだ。疲労があって当然だった。

 シュウはあらためて思う。

 ユ・メイの力は決してシン王に劣るものではない。

 明確な差があるとすれば、臣下であるシュウ達の実力の差。

(やってやろうじゃないか)

 敵は怪物かもしれない。

 大陸の全土を支配せしめるだけの実力を持つ新たな覇王なのかもしれない。

 けれどこの河の国の地だけは自由にさせはしない。

 ユ・メイ=ラキ=ネイゲルだけは守り通して見せる。

「あーやだやだ。僕は戦争なんて大嫌いなのに」

 言葉とは裏腹にむしろ笑みを浮かべてシュウはぽつりと呟く。

「わざわざ僕に殺されにくるんだから、勘弁してほしいよ」





 その後、正式な宣戦の布告があった。

 送られてきた使者をユ・メイが指さして「こいつは殺していいのか?」と言った。

 シュウは「できればやめてください」と言ったが「おう」と答えたユ・メイはさらりと剣を抜いた。恐怖から青褪めた顔をしているその使者を一刀の元に斬り殺す。頬に飛んだ血の飛沫を手の甲で乱雑に拭う。先のシエンの件といい、舐められっぱなしのユ・メイにはいい加減我慢が効かなかったのだ。

 誰もユ・メイの行いを咎めなかった。草の国の放ったシエンは、早い段階で駆逐されたとはいえそれでも甚大な被害を齎していた。先に手を出したのはあちらだったし、誰もが舐められっぱなしは気に食わなかったのだ。もしもユ・メイと河の国が陸戦に秀でた軍隊を所持していれば、草の国に向けて打って出ていただろう。

 それから翅の国からライとユーリーンが、多くない軍隊と多くの輜重隊を引き連れてやってきた。

「ギ・リョクはもっと小出しにしろって言ってたんだけど、できるだけたくさん持ってきたよ」

「助かります」

「河の国が負けちゃったら次は僕らの番だからね」

「……やはりシン王は、西回りの道は通っていないのですか?」

 シュウが怪訝そうに眉を顰める。

 ライは頷いた。

「うん、キ・ヒコが国境に張り付いているけど、いまのところその兆候は見えないって」

 シュウは唇に手をあてる。

 シン王は陸戦を諦めたのだろうか? 雷河の向こう岸には、あまりにも距離があるのでうっすらとしか伺えないがたしかにシン王の軍勢が陣地を築いている。大型の船が出番を待っている。水戦の用意がなされている。

 もしもシュウがシンの立場であれば、むしろ総力をあげて翅の国を落としてなにがなんでも西回りの道筋を取る。陸戦を挑む。ユ・メイの水の魔法に対して水戦に挑むのは無謀だ。ユ・メイはゼタとの戦いの時にシンの前で水の魔法を用いている。シンはユ・メイの魔法を知っている。シンが彼女の力を失念しているとは、見誤っているとは到底思えない。

 もしもユ・メイがいなかったとしても、河の国の歴史は雷河との戦いだ。この国の住民は古くから河の恵みに授かり、また荒れ狂う河に押し流されまいと戦ってきた。流域の近くでは交易路を襲う河賊が出没し、彼らとの水戦が河の国の軍隊を育ててきた。

 水戦を知らない北の軍隊が、水戦を挑んでこの河の国の軍勢に敵うとは思えない。仮に数に任せてどうにかできたとしてもその被害はとてつもないものになる。大陸全土の平定を見据えるシンがここで莫大な兵を無為に消費するわけにはいかないはずだ。

 シンの考えが読み切れない。

 必ず手を回しているはずなのに。不利な水戦ではなく得意な陸戦を挑むために。

 だけど、どこから?

 難しい顔をして考えに沈んでいたシュウに向かってライが「ねえ、ユ・メイはどこ?」と尋ねた。

「少し休んでいます。お会いになられますか」

「うん、ちょっと話したいことがあるんだ」

「取り次いできますね」

 シュウがライ達の傍を離れ、ユ・メイの寝室を訪ねる。こんこんこん、と扉を手の甲で叩く。「大将。入りますよ」声を掛ける。返事はない。「大将?」声をかけながらシュウが扉を開いた。

「よお。シュウか」

 ユ・メイは着替えの途中だった。前の服を返り血で駄目にしたのだ。傷だらけの裸身がシュウを振り返る。「なぁ、どれがいいんだ? 俺は着れたらなんでもいいと思うんだが、公務だ―、宰務だ―、ちゃんとした服装をー、ってガクのやつがうるさくてよぉ」姿見の前で体にあわせていた青い着物と衣装棚に残る他の物を見比べる。よく筋肉のついていながらすらりとした長躯がシュウの視界に飛び込んでくる。

 シュウは扉を閉めて目を覆った。

 扉越しに「み、緑のやつがいいと思います」と言った。

「そーか、ありがとよ」

 衣擦れの音がする。聞いているのがなんだか堪えきれなくてシュウは両耳を覆って座り込む。現状に関する纏まりそうもないことを考える。

「おまえなにやってんだ?」

 ユ・メイが部屋から出てきた。

「あ、えっと、大将、ライさんが挨拶をしたいと。庭のほうで待っています」

「おう、いまいく」

 ユ・メイはいつになく重い足取りでのろのろと歩く。

「…………」

 シュウにはシンが水戦を挑んできた狙いが一つだけわかった。「ユ・メイの疲労」だ。魔法による消耗の度合いは個々の性能によって大きく異なるが、一般に強力な魔法ほど疲労が大きい。そして『水』の魔法は状況に能力が大きく左右されるものの最強の魔法の一つだ。

 シンという人はユ・メイのことを実によくわかっている。

 ユ・メイは必ず前線に出張ってくる。それが己の得意とする水戦であればなおさらだ。

 シエンとてユ・メイを疲労させるための一手だったのかもしれない。

 ユ・メイが倒れ、水の魔法が失われたら河の国の攻略は随分易しくなるだろう。

(他にも狙いがある)

 それがなんなのかはまだわからない。

 早馬が駆け込んできてシン王の軍勢に動きがあったと伝える。

 少数ながら船団がこちらに向かってきている。攻撃の用意が成されている。

「おう、すぐいくぜ」

 暴力的な笑みを浮かべて言ったユ・メイをシュウが押し退けた。

「僕が行きます。大将は出ないでください」

「……は?」

「足手纏いです。大将、ふらふらじゃないですか。しばらく休んでいてください」

「言ってくれるじゃねえか」

 殺意の籠った目でシュウを睨む。シュウはユ・メイの肩を軽く突き押した。

 それだけでユ・メイは床に倒れて尻餅をついた。ユ・メイはそのことに自分で驚いてシュウを見上げる。

「大丈夫、任せてください。うまくやりますよ」

 自信に満ちた視線を向ける。

 実際に水戦に慣れないシンの軍勢を手玉に取るだけの自信がシュウにはあった。

「それに、知らなかったんですか? 王様っていうのは、あれこれ全部自分がやらなくても、他人にあれをやれ、これをやれって命令してもいい人なんですよ」

 シュウの物言いに幾分は毒気を抜かれながらもユ・メイは不機嫌な様相を崩さなかったが、結局折れることにした。自分の判断よりもシュウの判断の方が大抵正しいことを知っていたからだ。

「シンの軍勢をぶっ殺してこい。ただシンの野郎はまだ殺すなよ。俺が殺る分を残しとけ」

「承りました、我らの王、ユ・メイ=ラキ=ネイゲル」



 シュウは近くにいた者にライをユ・メイの寝室まで連れていくように言うと、自分は馬に乗って北の方へと飛び出していった。

「よお、ガキんちょ。なんの用だ?」

 寝台の上から、ユ・メイはいつもの調子で言ったが、その声に張りがないのがライにもわかった。

「ええと、スゥリーンのことなんだけど」

 ユ・メイを見る。ひどく疲れているように見える。

「日を改めようか。休んでいた方がよさそう」

「いいや、退屈でしょうがねーんだ。なにか話してくれ。なんだ?」

「シンの麾下にスゥリーン、前にゼタのところにいてシンの筆頭の武人を倒した女の子がいるみたいなんだ。で、その子は河を越えてくることのできる魔法を持ってる」

「ああ、なんかそんなのがいるってのはシュウが言ってたな。そいつが俺を狙ってるってのか?」

 返り討ちにするだけだ、とユ・メイは思う。

 実際攻撃範囲の広い『水』の魔法は、格闘戦に秀でるスゥリーンの『蹴』の魔法との相性は決して悪くない。近づけさせずに圧倒できるだろう。

 どれほどスゥリーンの技量が優れていても、五分以下の戦いになるとは思えない。

「うん、僕も最初はそう思ったんだ。ユ・メイを狙うんじゃないかって」

「?」

「スゥリーンが狙うのはきっと――」





 シュウは馬に乗り、雷河の方へと駆けていく。

 既に布陣を終えた河賊達が展開していて、命令を待っていた。

「大将は?」

「来ません。僕が指揮を執ります」

 シュウが答えると、男は少し不満そうにシュウを見る。シュウがにっと笑って返す。河の国の事実上の指揮をユ・メイではなくこの若い小男が取り仕切っていることは周知の事実だったので、男はなにも言わなかった。

「敵艦の数は?」

 双眼鏡をとって自分で敵を見ながら尋ねる。

「二十隻、全部大型船でさぁ」

 まだ足りない。もっと呼び込む必要がある。

 シュウは風と波の高さを見る。風は北西から南東に向けて、草の国側から河の国に向けて吹き下ろしている。

「先ずは一撃、正面からの会敵で叩き潰しましょう。我々の水戦での強さを見せつけます」

「できますかい?」

「できますよ」

 シュウはすぐに答えた。

「やつら、水戦を舐めてます」


 船の鼻先をぶつけるようにして、河賊達が敵の船に乗り込む。

 するとシュウが言っていた意味はすぐにわかった。槍を構えた草の国の兵が河賊を突き殺そうとして、船の揺れに足を取られてよろめいた。揺れに慣れている河賊は逆に揺れを使って強く甲板を蹴る。加速する。剣を振って喉を掻き切る。揺り戻しを使って体を引き、敵の間合いを外す。突き出された槍が空振る。

 槍を用いていることからして陸の常識を引きずっている証拠だ。足場の安定しない船の上では刃渡りの大きな剣の方が好ましい。揺れのせいで下半身の力が伝わりにくい船の上ではある程度上体の力だけでも振るうことができる得物の方が向いているのだ。槍の間合いの長さは相当な熟練者でなければ生かしきれない。

 河賊達は反りの大きな湾曲剣を装備している。突き殺すことよりも切り裂くことに長けた剣だ。

 さらに呆れるのが、草の国の兵士達は少なくない数が船酔いを起こしていた。足元をふらつかせて満足に戦えていない。

 河賊達が暴威を振るう。首を刎ねる。心臓を切り裂く。敵の槍をかわす。ほとんど損耗らしい損耗がないまま戦いが進む。

 ニ十隻の大型船と屍の山は瞬く間に血の河の中に沈んでいった。



 勝鬨をあげて勝利に酔う河賊達の中で、シュウは一人浮かない顔で黙考する。

(こんなのが本命の攻撃のはずがない)

 益々確信を深める。

 シュウはゼタを破ったシンの力を知っている。騎兵を蹂躙した壊獣たちの威力を目撃している。万全のシンと陸の上で会敵すれば、河の国が一月と持たないことを理解している。

 いかに敵の不慣れな河の上とはいえ、こんな一方的な戦いはあり得ない。



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