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死ノ国  作者: 月島 真昼
四章
66/110

ユ・メイ=ラキ=ネイゲル 6

 

 草の国から訪れたグ・ジル=ヤグと名乗ったヤグ族らしからぬ細面のその男は儀礼的な口上をそこそこに切り上げてシンが書いた書状を差し出した。読み書きができないユ・メイの隣で、シュウがその内容を読み上げる。

 周囲は静まり返っていて、シュウの声だけが淡々と響く。

 グ・ジルは口元だけがにやにやと笑んでいる。シュウは気に食わないなと思う。

 やたらと仰々しい言葉で書かれた書状の内容を聞いていたユ・メイがシュウを遮って「わからねえ」と言った。

「つまり先方はなにが言いたいんだ? 簡潔に言ってくれ」

「降伏勧告です」

「はぁ?」

「“自分に恭順すれば命だけは見逃してやるぞ”、要約すればそういうことです」

 ユ・メイの目がぎろりとシンからの使者を睨む。

 腰を浮かして剣の柄に手を掛ける。シュウがその柄を押さえた。

「灯の国の惨状は知られておるでしょう? この河の国を同じようにしたくなければ、わかりますね?」

 ジルの口から唾が飛んだ。意図してのことではないのだろうが。

「わからねえよ」

 ユ・メイはシュウの手を払い、玉座から立ち上がった。

「灯の国がなんだってんだ? 河の国がどうなるってんだ? 言ってみろ」

 目を見開いてジルを睨みつける。傍にいるシュウが自分に向けられたものではないにも関わらず身を竦ませるほどの殺気が場を満たす。シュウが薄くため息をついた。止めようとは思わなかった。ジルを見る。(大将を挑発したのはそちらですよ?)ようやく事態に気づいたジルが怯えを見せる。

「待て、交渉のための使者を手にかければ、シン王の河の国に対しての怒りは決定的なものに」

 ユ・メイが本気だとわかり、ジルが後退りする。足を縺れさせる。仰向けに転倒する。しゃおん。ユ・メイが剣を抜いた。口元に暴力的な笑みを浮かべる。人を殺し慣れている女の笑みだった。シュウが場を見渡す。家臣達の表情を見る。ガクをはじめとする文官達がユ・メイとは違う考えを持っているのがわかる。けれど彼らはユ・メイの殺気に割って入る蛮勇を持てないらしい。シュウは仕方ないなぁと内心で呟き、「大将、ちょっと」と声をかけた。

「あん?」

「重要な案件です。みなさんにもお話を聞いてから決めませんか」

「……おまえがそういうなら」

 ユ・メイがしぶしぶと剣を収めた。

 最後にもう一度ジルを睨みつける。ジルはすっかり震えあがった。下腹部が濡れている。

 シュウが口元に薄い侮蔑を浮かべながら「グ・ジル殿は一度客室へどうぞ。我々は少し内々の話をしますので」と言い、ジルを謁見の間から連れ出す。


 ユ・メイの家臣たちはほとんど混迷していた。

「ユウレリア大陸の北半分を手に入れたシン王の軍勢はどれほどのものとなるのだ」

「それが一挙に南下すれば、この河の国はどうなる? 本当に対抗できるのか。恭順した方が被害が少ないのではないか」

「シン王は灯の国で苛烈な政治を行っていると聞く。我らはともかく民にそれを受けさせるわけには」

「抗戦だ」

「いや、降伏だ」

 ひどく醒めた目でユ・メイが混迷する家臣達を見ている。

 シュウがジルを客間に置いて、世話役を残して戻ってくる。

 ユ・メイの隣に立つ。ユ・メイは声を落として尋ねる。

「なぁ、シュウ。俺はどうするべきなんだ?」

「やりたいようにやればいいと思いますよ、僕はあなたのやりたいことを補佐するためにここにいます」

「……」

 ユ・メイは頬杖をつく。自分がなにをどうしたいのか考えてみようと思ったが、そんなのは考えるまでもなく明確だった。

「俺は舐めた口を利いたシンの野郎をぶっ殺してやりてえ」

「はい」

「けど、こいつらはそうじゃなくて、俺は王様なんだろ」

「そうですね」

「こいつらがシンに頭下げろって言ったら、俺は頭下げるべきなのか」

「それもあなたが決めればいいんです。僕らはあなたの手下ですから、手下の意見を重用する必要はありません」

「……」

「ただ一つ付け加えるならば、」

 シュウは息を吸い込んだ。

 謁見の間全体に聞こえるように大きな声で言った。

「戦えば勝てます!」

 断定的な声だった。託宣を得た預言者のような。自信に満ちた声だった。

 水を打ったように場が静まり返る。

 ガクがシュウを見て、両手をあわせた。

「お尋ね申し上げます。シュウ殿」

「はい!」

「シン王の軍勢はいまとなっては十万から十五万と言われておりまする。我らの軍勢はどれほど搔き集めたとて三万。この兵力差をいかようにいたすつもりか」

「シン王の軍勢が南下する限り、雷河を避けることはできません。その軍勢がどれほどの数を誇ろうとも、彼らは水戦に慣れておらず水上で自在に身動きを取ることができません。北方の大河、永江は広く浅い河です。浅瀬を選べば徒歩で渡れるほどです。シン王の軍勢は船の取り扱い、その戦術に関してまるで無知です。我々が最も得意とする水戦であれば打ち破るのは容易いこと。そして我々には大将の『水』の魔法があります。兵力の差はまったく問題ではありません」

「シン王には、人狼ローゲン、ハリグモ=ヤグ、そのほかにも勇名を馳せた豪の者が多数おりますがこれをいかがなさるか」

「同じことです。陸の上での武勇など水戦においては役に立ちません。揺れる足場、刻々と変わる傾斜、陸の上の戦に長けたものほど振り回されます。対してわが軍ほど水戦に慣れた軍勢は他にいないでしょう。ハリグモ=ヤグなど水の上ではわが軍の兵卒にも劣る。

 シン王の軍勢は長距離の移動によって疲弊しています。先の大戦で大量に備蓄してきた兵糧を大部分を吐き出しました。水戦を制して戦線を停滞させれば、兵糧に不足のある敵に打てる手は限られます。

 我々はただその手を踏みつければよい」

「シン王が翅の国を経由する西方からの陸路を取ってきた場合はいかがか。我が軍は確かに水戦には長けているが、陸戦においてロクトウの軍勢を撃破したシン王の軍勢は大陸で最強とも言われる。陸戦となれば我々の不利は明白」

「翅の国と共同でこれに当たります。翅の国は長年の間、軍隊を不可侵としてきましたが鉄の国がついにその不可侵を破り、かの国に侵攻しました。翅の国のニ・ライ=クル=ナハル王子とその軍勢が鉄の国の戦車隊を打ち破っています。陸戦においては信ずるに足る戦力です。我々はすでにその約束を取り付けています」

 ガクは次の問いを発しようとして、周囲の空気が最初と違っていることに気づく。

 降伏を説いていた人々が息を呑んで、自分達を励ますよどみのない、力強い言葉を待っていた。

 ガクはユ・メイを見上げた。目を閉じて、続く言葉を呑みこんだ。信じてみようと思う。

 暴力を信じる粗雑で愚かな我らの覇王。

「俺は、」

 ユ・メイが口を開いた。静まり返った場に酒焼けした声が響く。

「俺は舐められるのが我慢ならねえだけだ。勝算なんざ知ったこっちゃない。暴れるだけ暴れて殺せるだけ殺して、“舐めんな、これがユ・メイ=ラキ=ネイゲルだ”、そう突き付けてやれば、例え俺が死んだとしてもそれで満足できる人間だ」

 剣を抜く。自分の配下達の顔を見渡しながら、剣を床に突き立てる。

「やつらは俺を舐めた。河の国を舐めた。侮って恭順しろなんざ抜かしやがった。蔑んで唾を吐いた」

 口元に暴力的な笑みが浮かぶ。

 暴力と殺意の王、ユ・メイ=ラキ=ネイゲルが宣告する。

「だから殺してやる。細けえことは知らねえよ。俺を敵に回すことがどういうことか、全身全霊に刻み込んでやる。反対するやつは前に出ろ。この場で切り捨ててやるからよ」

 シュウが両手を合わせて膝をついた。

 ガクがそれに倣った。文官達がガクに倣った。

 河賊の手下たちが膝をついて忠誠を示した。


 草の国と河の国の。

 ラ・シン=ジギ=ナハルとユ・メイ=ラキ=ネイゲルの。

 大陸の覇権を問う戦いが始まる。




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