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死ノ国  作者: 月島 真昼
三章
62/110

渡谷 昇 2



 目をあける。蒼い空が最初に視界に移る。ライはぼんやりと天を見上げる。それほど時間は経っていないようだ。むしろ意識を失っていたのはほんの一瞬だったらしい。痛みはなかった。妙な違和感だけがある。右手を見る。泥で汚れてはいるけれどそれだけだ。けだるい気分で左手側を見る。

(ああ)

 左腕がなかった。千切れてばらばらになってもう少し遠くに落ちていた。肩から骨が露出している。左足が穴だらけになって潰れていた。口端から赤い液体が流れ出る。肺にも損傷を受けたようだ。あまりにも大きな痛みがやってきたから、痛覚が麻痺しているらしかった。

(だめだな、これ、ぼく、しんだかも……)

 ユーリーンはどうしているだろう?

 キョウさんやヨキさんはいまなにをしているのだろう。

 シンが攻め込んできて、灯の国を制圧して、無理なことをさせられていないだろうか。

(まっててよ……いまたすけにいくから……)

 朦朧とした意識でそんなことを考える。

 そうだ、いかなければ。

 立ち上がらなければたくさんの人が死ぬ。

 戦車の暴威によって。

 シンの邪悪に触れて。

「うう、ぅぅうぅうううう」

 泥がライの傷を覆っていく。骨に似た形を作り、肉に似た形を作る。左足の穴が塞がり、左肩と腕が新たに形作られる。

「ああああぐうううう」

 吠え声をあげながらライは体を持ち上げた。ライを引き潰そうと接近してきた戦車が目の前にある。泥の壁が戦車を押し留める。粘りのある泥が戦車を覆い、受け止める。鋼の巨獣の速度を殺す。上部にある開閉口のわずかな隙間に泥が差し込まれる。ぎりぎりと削るようにして隙間を広げ、ついに抉じ開ける。開閉口から雪崩れ込んだ泥が、戦車内部の人間を殺した。

「はぁ、はぁ、はぁ」

 ライは泥で出来た自分の手足を見る。

 それについてあまり考えないようにする。

 肺から登ってきた液体をげろげろと吐き出す。ライは気づかなかったが、血だと思っていたそれも、赤茶けた泥だった。

 膝をついて、蹲る。少し体を休める必要がある。

「み、みんなは……?」

 遠くを見る。

 どこかで火薬が炸裂して、砲弾が吐き出された。





 キ・ヒコは軍旗を掲げて、残った騎兵を連れて走る。事実上の翅の国の総大将は彼だ。キ・ヒコを討てば、この戦いは終わる。一台の自走式戦車がキ・ヒコの乗る馬を追う。速度はそう変わらないが、旋回性能が違った。騎兵達が方向を変えると、戦車はそれに即応できない。方向転換のために時間をかけてしまう。

(あれとて万能の兵器ではないらしい)

 キ・ヒコは振り返って自走式戦車を見る。現状では追いつかれていないが馬はそのうち疲労する。どこかで速度が緩む。対してあの鋼の巨獣には疲労という概念があるのかどうか。おそらくないのだろう。もしもあったとしても生物のそれとは違うもっと別の概念のはずだ。このまま追走が続けば先に息を切らすのはきっとキ・ヒコ達のほうだ。

 けれど、追いかけっこに痺れを切らしたのは、戦車の側だった。騎兵達を追うことをやめて、並んだ歩兵達の方へと進路を変える。突進していく。歩兵が逃げ惑う。気をよくした戦車が歩兵を追いかける。

そうして、歩兵達がその体を壁にして隠していた掘りかけの落とし穴に気づかずに猛烈な速度でその中へと突っ込んでいった。寸前で気づいたが、旋回性能の低い戦車では方向転換が間に合わなかった。がしゃん。自重に耐え切れず戦車の装甲がへしゃげる。次々に歩兵達が穴の中に飛び込む。装甲の隙間に槍を突っ込む。何人もの人間が力を込めて溶接された鋼を引き剥がす。中の戦車兵を引きずり出して、殺す。

(残り二台)

 遠くで砲塔がキ・ヒコ達に向いていた。咄嗟にそれに気づいたキ・ヒコが周囲の部下を引き連れて落とし穴の中に飛び込んだ。一瞬遅れて、轟音。土煙。キ・ヒコは耳を抑える。自分の精神も砲撃の音と威力に煽られて随分と擦り減っていることがわかる。

「ギ・リョク氏に飛び切りのを紹介してもらわねばわりにあわんな」

 小さく呟く。

 それから近くの兵に「君らもどうだね? わたしが奢ろう。娼館でも貸し切って散々に騒ごうではないか」と言った。呆気に取られて彼らは口を開ける。その顔に少しだけ生気が戻る。緊張を緩和させるには、それ以外のことを考えさせるのがいいのだという。キ・ヒコはそのことを経験として知っていた。けれど大部分の兵は、精神を直撃するあの砲撃の威力と爆音から立ち直れずにいる。

 キ・ヒコは近くの兵から馬を譲り受けて、再び戦場を走る。

 頭の中で勘定する。ライが二台の戦車を落とした。そのどちらも砲撃を放っている。落とし穴に突き落としたものは砲塔が破損していなかった。あれの中にはまだ砲弾が残っているはずだ。それにさきほどの一発と、最初の一発。計五発がすでに放たれている。これ以上の砲撃は既にない。であるならば。

 こちら側の本陣近くに小さく、明るい炎が飛んでいくのが見えた。

 火矢。

 それは本陣を襲おうとしていた自走式戦車の近くの地面に落ちて、その周囲に仕掛けられた藁と油に火をつけた。一斉に燃え上がる。戦車が火だるまになる。履帯に絡みついた油に火がついて消えない。砲塔に残った火薬に火がつく。密閉の甘いガソリンに火がついて、爆発、炎上する。

 自走式でない他の多くの戦車も炎に巻き込まれている。

 矢を放った人物を乗せた馬がキ・ヒコに近づいてくる。

 その人物、ユーリーンが構えた弓を背に戻す。

「俺を送迎屋代わりに使うとはいい度胸だな」

 馬を駆る男が顔を顰めてぼやく。

「ついでに拾ってきてやったぞ、感謝しろ」

 キ・ヒコに向かって青い顔をしたライを放り投げる。ライは随分と衰弱していた。全身、特に手足が泥にまみれている。

 相当な無理をして魔法を使ったことがわかる。

「すまない、恩に着る」

 ユーリーンが馬から降りる。砕けた肋骨が肉を掻きまわしてユーリーンが膝をつく。脂汗を流す。

「せ、戦況は?」

 ユーリーンは声を出すのも辛そうだった。負傷が重い。こちらも随分無理をしたようだ。

「戦車さえなんとかできれば、押し切れる、のだが」

 あと一手がない。

 いいや、本当はあるのだ。問題の敵はたった一台。キ・ヒコは兵隊達を振り返る。相手がいかに強大でもたった一台ならば、数の力で抑え込める。相応の犠牲を出しながらならば。

 それだけの士気が兵達に残っているだろうか。

 あの戦車の猛威を見たあとで立ち向かえるような。

 それには少なくとも、将校が先陣を切って挑んでいく必要がある。勇気を示す必要がある。兵達を狂気に巻き込む必要がある。自分にその勇気は残っているだろうか。キ・ヒコは内心に問いかける。勇気が足りない。四十を迎えるキ・ヒコにその蛮勇はない。

「ライくん」

 荒い息を吐いていたライがどうにか瞼を開ける。

「わたしの頬に接吻をしてくれないかね。そうしたらもう少しがんばれそうな気がするのだが」

 ライは心底嫌そうな顔をした。それがまたキ・ヒコの嗜虐心を煽る。ユーリーンがキ・ヒコを睨みつけたが、わき腹の痛みのせいでろくに動けない。キ・ヒコは優しいまなざしでライを見つめる。

 ああ、なんと美しい少年だろう。

 この少年を抱くことができれば他のなにも、命すらいらないのに。

 心の底から思う。

 キ・ヒコは同性愛者だ。少年趣味である。キ・ヒコの性的嗜好は、人権のろくに定まっていないこの時代においてもほとんど禁忌のものとして忌み嫌われている。けれどキ・ヒコだって望んで同性愛者になったわけではない。少年趣味となったわけではない。ただ生まれたときからそうだったのだ。ずっと違和感を持っていた。あるとき、自分が異性を愛せない人間なのだと気づいてしまった。同じ年齢の人間に魅力を感じなかった。侮蔑や差別、偏見の声はキ・ヒコが何もしなくても起こった。侮蔑や差別をねじ伏せることができるようになるまで、キ・ヒコは自分を鍛える他なかった。

 ライが諦めたように息を吐いた。キ・ヒコの首に手を回した。引き寄せる。

 甘い声が囁く。

「一回だけだよ?」

 中年男のくたびれた肌に、少年の唇が触れた。おまけとして舌がほんの少しだけキ・ヒコの頬を濡らした。離れる。

 ユーリーンが打ちひしがれたような表情でそれを見ていた。

「……元気、出た?」

「ああ」

 キ・ヒコはライを腕の中から降ろし、立たせると、槍を掲げて号令をかけた。

「見よ! 最早敵軍の戦車はあの一騎のみ。あの一騎を駆逐すれば勝利は我らのものだ! 翅の国の勇敢な兵達よ、我に続け!!!」

 槍の先で彼方を示す。軍旗を掲げたキ・ヒコが馬を走らせる。

 兵達が歓声をあげる。キ・ヒコに続いて駆けていく。



 戦車が人の体を撥ねる。馬体を撥ね飛ばす。撥ねる。撥ねる。撥ねる。

 その都度、運動エネルギーを消費し徐々に速度が鈍る。

 キャタピラを回す車輪に向けて兵が槍を突き込む。ホイールの回転力は脆い槍をばりばりと砕いて回る。

 けれどもそれが何本も何本も突き立って、破片がまじり動きが鈍くなる。

 アクセルを踏み込むが、すでに最初のような速度は出ない。

 歩兵が取り付く。何人もすがりついて車体重量が増す。重量が増せば動かすのにより大きなエネルギーが必要となる。エンジンがエネルギーを供給しようとピストン運動を繰り返す。ガソリンが激しく燃焼する。

 弱弱しく戦車が走行する。槍がホイールに突きこまれる。

 数百本の槍が突きこまれて、ホイールがついにそれを砕くだけの回転力を無くす。

 最後の自走式戦車は兵士達の数の力の前に敗北して、ゆるやかに停止した。




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