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死ノ国  作者: 月島 真昼
三章
61/110

渡谷 昇 1

 



 ユーリーンが極限の集中から醒めていく。肋骨の砕けた痛みが全身を貫いて、膝をつく。うまく息が吸えない。負傷したあとに無理に放った一撃が尾を引いている。

 ユーリーンの周囲を多くの兵士が取り囲んでいる。凄絶な一騎打ちに割り込むことはできなかった兵達が、いまのあきらかに異常を来したユーリーンの様子を見て、勇気を奮い立たせる。じわりじわりと包囲を狭めてくる。

 まともな将校が近辺にいれば捕虜とされたかもしれない。

 けれどユーリーンの凄まじい技量を前にして恐怖に駆られた彼らには、ユーリーンを殺戮する以外の選択肢はなかった。

 もっとも捕虜にされたところで見目の美しい女のユーリーンがどのように扱われるかは想像に難くなかったが。

(……ここまでか)

 せめて死ぬまでは抵抗してやろうかと思ったが、結局ユーリーンは薙刀を手放す。

 道連れを増やすこともあるまい。

 既に総司令官を討ったのだ。ユーリーンの目的は達成されている。指揮は乱れ、戦場は混乱するはずだ。あとはライとキ・ヒコがうまくやるだろう。

 全身から力を抜く。座り込んで自分の膝に凭れ掛かるように頬をつける。

 ユーリーンは頭の中を空っぽにして目を閉じた。

 煩わしい殺意や敵意を手放して、馬の背に自分とライを乗せて駆けた草の国の広大な草原を、風の匂い、広がる風景、蒼天の美しさを思い出す。

 自分は本来そういう人間だったのではないかと思う。

 戦うことなどよしとせずに自然の営みをただ美しいと思う、そんな人間だ。

 ユーリーンは人を殺めることに抵抗があった。最初こそ自分の技に得意になったが、年齢を重ねるうちにそれがどんなに恐ろしいことか理解した。理解したころにはユーリーンの両手はあまりにも多くの血に塗れていて、取り返しがつかなかったのだけれど。

 ユーリーンは多くの人間を殺した。ライを連れて灯の国に逃れた父、ルウリーンが、そのときの矢傷が元で病を発して亡くなるまでの間、ユーリーンは父が買い付けた死刑囚を相手にほとんどすべての殺しの手段を学んだ。

 毒を飲ませ、急所を抉り、血を抜き、炎で焼いた。

 屍の上に『毒龍』は生まれた。

 そうしていま、ユーリーンはようやく報いを受けている。

 報いを受けることができている。


 だが、この地獄は、決してユーリーンを終わらせてはくれなかった。


 陣地の後方から騎馬隊が雪崩れ込んできた。

 ユーリーンを包囲している兵を稲妻のような速さと力で貫く。

(誰だ? キ・ヒコか? いいや、彼ならば方角が逆のはず……)

 敵の後方には広大な大地が広がっているだけ。

 キ・ヒコがどれだけ見事に兵を操ったとしてもこのような奇襲が可能だと思わない。

 飛び込んできた人物は、偃月刀・・・を振るって周囲の兵をまとめて斬り伏せると、分厚い戦士の手でユーリーンの襟を掴んで強引に自分の軍馬へと手繰り寄せた。

 そのまま疾走して、敵の陣地を斜めに切り裂く。

 精強な騎馬隊がそれに続き、蹴散らすだけ蹴散らして切り抜けていく。

「おまえは……」

 その男は抱き込むようにしてユーリーンを自分の前に強引に座らせる。

「様子を見てこいと言われただけだったのだが、見知った顔があったので捕えた方が手早いと思ったのだ。なにがどうなっている?」

 男は偃月刀を背に戻し、口元に優雅な笑みを浮かべて尋ねた。





 ゾ・ジュゾ=クル=ラオルが倒されたことは、すぐに敵陣地を駆け巡った。

 大きな動揺が走る。指揮が乱れ、戦意が崩れる。

 元より戦車兵達は一方的な立場からの蹂躙を楽しみにきたものが多かった。泥の魔法によってぬるかんだ足場で戦車の足が止まった状態での殺し合いなど、望んでいない。

「指揮を引き継ぎます」

 鉄の国の将校の一人、ワ・タヤが言う。

「少し早いですが、あれを出しましょう。用意はいいですか」

 返答の代わりに、ぐるうんぐるうん、という重低音が鳴り響いた。

 それが動き出す。

 エンジンに火が入った。ガソリンが燃焼し、タービンが回転を始める。モーターが動き出し、ギアとベルトが各機関に動力を伝える。マフラーが一酸化窒素などの排気ガスを吐き出す。先ずは緩やかにホイールが回転する。ハンドルを握った総舵手がホイールの向きを調整する。キャタピラが草を引き潰していく。

 鋼色のボディがゆっくりと進む。

 その上方には握りこぶしにも似た大きさの88ミリ弾を放つための砲塔が据えられている。

 戦車、だった。

 だがこれまでのものと違い、馬によって牽引されていない。

 この大陸の人間には決して理解できない機構の力によって動いている。


 流人、渡谷ワタヤ ノボルの生み出した「自走式戦車」が唸り声と共に目を覚ました。


 その数はたった五台しかない。いかに流人が関与しようとも、この時代の技術などたかが知れている。製作にこぎつけただけでも奇跡的な代物だった。

 渡谷は元々四つ菱自動車に勤務する設計技師だった。来る日も来る日も残業の毎日。無理なノルマ。無能な上司。苦労を分かち合いながらも手のかかる部下達。手柄を奪い合い、足を引っ張りあう同僚。すべてに嫌気がさしていた。家に帰ると倒れるように眠りにつく。自分はなんのために国内最高といわれる大学を出て、この会社に勤務しているのか、よくわからなくなっていた。

 そんなある日、渡谷は急な中国への出張を命じられた。飛行機に乗る中でぱたりと気絶するように眠りについた。いまにして思えば過労死しかけていたのだと思う。そうして次に目を覚ましたら、この大陸にいた。目の前に広がる原始的な大地。農耕を元にした文明の欠片もない生活。思わずカバンを手繰り寄せた。中には渡谷が設計している最先端自動車の設計書が入っていた。

 目の前が真っ暗になった。自暴自棄になった。破壊的な気分になった。

 ――いっそ本当に壊してしまおう。

 渡谷は鉄の国で自分の技術を売り込み、兵器開発に手を貸す。拙い技術をどうにか整え、新兵器を作り出す。それはこの時代の人間ではまったく太刀打ちできないものだった。自分が全能の王になった気分だった。それになによりも、この世界にはないものを新しく作ることが楽しくて仕方なかった。

 そうして渡谷が作り上げた彼の技術の粋が、この自走式戦車である。

 キャタピラの広い履帯が機体の重量を分散させて地面に伝える。

 戦車はやわらかい泥の上を駆け抜ける。これまでのもののように沈みこまない。

 その様子を渡谷は高台から見下ろす。

 ライが驚愕しているのが遠くに見える。

「きみの魔法は仙莱山で見せてもらいましたから、当然、対策は立てましたよ」

 時速にして40キロメルトルほどだろう。遅くはないが、渡谷の知る時代の戦車と比較すれば決して速くもない。十分な設備もなく油田から汲み上げて蒸留しただけの粗製の荒いガソリンでは十分なトルクなど得ようもない。

 けれどもこの世界の兵隊を蹂躙するならばそれで十二分だった。

 時速四十キロで疾走する膨大な重量と鋼の装甲を持つ戦車を、誰も止めることができない。「ひっ」ぐしゃり。凄まじい重量を持つ戦車に引き潰されて、百の兵が容易く死ぬ。

 従来型の戦車は「視界の悪さ」という弱点があったが、自走式戦車は前面の一部を分厚い半透明の硝子で覆うことでその欠点をある程度補っている。「馬」という不要な部品を取り除くことで、従来型の戦車が持っていたほとんど弱点が消えてなくなっていた。

「キ・ヒコ!」

 ライが騎馬を駆るキ・ヒコを呼ぶ。

 キ・ヒコは方向を転換し前線にいたライを拾い上げて自分の馬に乗せる。

「一台は僕がなんとかする」

「一台は誘い込んで火責めにするとしよう」

「残り三台は……」

 キ・ヒコは戦車から離れるように馬を動かしつつ、顎に手をあてて少し考える。

「作りかけで放置した陥穽がある。なんとかやってみよう」

 それでも残り二台。

 見通しが立たない。

 ライは奥歯を強く噛む。振り返って遠い自走式戦車を。それが織りなす暴虐を見る。流人だけが持つ技術の鋭刃。想像以上だった。だが、ライはまだ自走式戦車の力をあまく見積もっていたのだ。戦車の砲塔がライの方を、キ・ヒコに追走する騎馬隊に向いた。

「なに?」

 呟きとほとんど同時に、なにかの破裂する音がした。それは火薬の爆ぜる音だった。

 戦車の砲塔の後部で発条仕掛けによって打ち出された撃鉄が、雷管を叩いた。火花が散り、火薬に火が点る。狭い砲塔の内部でその威力が爆ぜる。砲塔の先端への一方向にしか力の逃げ場がなく、丸い筒の中を88ミリの鉛の塊が火薬の威力に押し出されて滑る。光。ず、どおおおおおん。轟音。土煙。衝撃波に吹き飛ばされながらもキ・ヒコがどうにか馬を統制する。どうにかその場所から離れたあとに、キ・ヒコは振り返った。彼の率いていた騎兵が、文字通りにばらばら引き裂かれて転がっていた。馬や人間が内蔵を晒して死んでいる。直接砲弾があたらなかった者も飛び散った石の礫で負傷している。生き残ったもののほとんどが、虚ろな表情で放心していた。

 88ミリ戦車砲の威力が精神を砕いた。

 一方で砲弾を放った戦車も無事ではなかった。火薬の威力の炸裂を抑えきれずに砲撃の機構が破損してしまっていた。煙をあげて、形が歪んでいる。あの砲撃は一台の戦車につき、一発しか放つことができないらしい。

 それでも残り四発。

 ライとキ・ヒコに新たな戦車が迫ってくる。

「キ・ヒコ、あとはお願い」

 ライは馬から飛び降りた。

 戦車の前に立ちはだかる。おおよそ百メルトルほどの距離、あれの速度からすればほとんど一瞬で間合いが詰まるだろう。

「少年!」

 キ・ヒコは一瞬振り返ったが、足元の地面がざわつくのを見て取ってすぐにその場を離れる。

 戦車が停止し、その砲塔がライを見る。動きながらでは軌道がずれる。砲撃を放つには一旦動きを止める必要がある。

 ライは生まれてはじめて、「泥の魔法」を全力で行使した。ライを中心として半径五十メルトル、深さ五メルトルほどの地面が泥へと変わっていく。それが大きく持ち上がる。

「うううううああああああああああ」

 泥の津波が自走式戦車に襲いかかる。それは同時に周囲にいた牽引型の戦車を多く巻き込んで呑み込んでいく。戦車砲の砲弾が泥の津波に向けて放たれた。砲弾は津波の中に食い込んで、しかしその質量と体積の前に敗北する。運動エネルギーを吐き出しきった砲弾が停止する。戦車がアクセルを全開にして泥の津波の中に突っ込む。

 80ミリメルトルの分厚い前面装甲は泥の威力に耐えた。表面に無数の傷がつくけれどそれだけだ。キャタピラが津波に乗り上げようとする。だが車体底面のわずかな隙間から侵入した泥が、ギアの間に砂粒を噛みこませ、ベルトに傷を入れた。ギアが割れる。ベルトが千切れる。エンジンの動力を各機関に伝えるそれらの部品が破損して、戦車が停止する。津波の威力に押し流されてきりもみになり、泥の中に埋まる。

 一台の戦車が魔法の威力に敗北して停止する。

 ライは膝をついた。荒い息をつく。体力を大きく消耗していた。

 そこへ、ぐるうんぐるうん、と低い音を立てて、ライの左手側からもう一台の戦車が迫ってきていた。


「魔法使いはおそろしい。自走式戦車の威力をもってしても一台では敵わないかもしれません。よって魔法使いを見つけたときは、二台、三台でかかりましょう」


 砲塔がライを見た。

 光。轟音。88ミリの砲弾がライに向けて発射された。

 咄嗟にライが構築した泥の壁を、造作もなく貫いた。

 ライは意識を失った。



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