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死ノ国  作者: 月島 真昼
一章
6/110

ハリグモ=ヤグ 2


 ユーリーンが部屋に戻ると、ロクトウの奥方がいなくなっている代わりに、ほかの婦人が増えていた。四人ほどでライを取り囲んでなにやら楽しそうに話し込んでいる。ユーリーンが目を三角にしてライを睨みつける。

「ああ、ユーリーン、紹介するよ、こっちは」

「いい。午後から出立だそうだ。私は部屋に戻って休んでいる」

 ここにいても邪魔になりそうで、なにやら惨めな気持ちになりそうだった。ユーリーンは小さく纏められた自分の荷物をとって、一度も入っていない自分に与えられた部屋に向かった。引き戸を開ける。寝台の横に化粧台を見つける。道具も揃っている。長い息を吐く。寝台に体を横たえる。別になにもしていないのにひどく疲れた気分だった。

 ユーリーンは化粧のやり方もしらない。あまり興味もなかった。ユーリーンは武家の跡継ぎとして育てられてきたし、彼女自身それでいいと思っていた。今更自分を他の女と比較していることに気づいて、愕然とする。

 またハリグモの武力を見せつけられて、それとも比較してしまう。正面からの衝突ではとても敵わないだろう。ユーリーンは自分を世間知らずの小娘に過ぎないのではないかと思い込む。無論、彼女のことをわずかでも知る人間がその自己評価を知れば「ふざけんな!」と尻を蹴り飛ばしていたのだが。ライがまるで彼女を必要としていないように振る舞うことが彼女の自己嫌悪に拍車をかける。といっても他の女のようにライを手の中に抱く自分をうまく想像できるわけでもなかったのだけど。

 しばらくの間、目を閉じて自己嫌悪に浸っていたユーリーンを、控えめに扉を叩く音が現実に引き戻した。

「もしもし」

 ライの声。返事を待たずに引き戸が滑る。

「なにしてたの」

「や、休んでいた」

 ライは無遠慮に部屋の中を見渡し、椅子を引いて座った。

「いろいろご婦人方に話を聞いてきたんだけどさ、ロクトウの家臣団は大将軍派と宰相派で真っ二つに割れてるみたい。大将軍派は主戦派だ。ハリグモもこの派閥なんだって。ただし壊獣への対抗策に関しては曖昧な部分が大きくて、一歩踏み出すには材料が足りてないらしい。対して宰相派は穏健派で、いまは国力の充実に力を費やすべき時期だと思ってるみたい。でもこっちはこっちで、時間と共に壊獣の数が増えていくことを懸念しているらしい。結局のところ、鍵はシンと壊獣なんだよね」

「……」

「どうしたの?」

 単に夫人に囲まれて戯れに興じていたのだと思っていたユーリーンは、ライを正視できなかった。小首を傾げながらライが「そろそろ時間だよね。準備は出来てる?」と言う。

「あ、ああ」

 元々大した荷物など持ってきていなかった。

 二人は揃って部屋を出て、迎えに出てきたハリグモと合流する。ハリグモは背中に偃月刀を差している。胸甲と脚甲を身に着けて簡単に武装していた。全身鎧ではないのは長距離を移動するためだろう。鎧では重量がありすぎる。同じように簡単に武装している騎兵隊が二十人程追随している。同じ数の馬が控えていた。ユーリーンはそれをぐるりと見渡す。どれも体つきが太く、よく育て上げられた軍馬だった。その傍に立つ兵士達も、精悍な顔つきをしていた。服の下の肉は分厚い。ロクトウの軍は見て取れるほど精強だった。敵がラ・シンの率いる人外の壊獣共でなければ、瞬く間に蹴散らしていただろう。

 ライとユーリーンは馬車に誘導される。窮屈な車内に並んで座る。

「いいぞ、出せ」

 ライは馬車の小窓から外を覗いた。すぐそこにハリグモがいる。精強な白馬に乗っている。馬車を中心に錐行の陣を作って一団が駆けだす。ライは外から視線を外し、ユーリーンへと戻した。

「さっきの話の続きだけど、勢力自体は主戦派の方が強いみたい。大将軍フェイ・ロフはそういう派閥争いが得意な人みたいだ。ただロクトウ自身が穏健派寄りの思想だから、どうにか均衡が取れているらしい。フェイ・ロフもロクトウの頭越しになにかできるほどの権力はないんだって」

「危ういな」

 ユーリーンが言い、ライが頷いた。

「僕もそう思う。もしなにかあってロクトウが死んだら、フェイ・ロフを止めれる人はいなくなる。ロクトウの息子のア・トイはとんでもないぼんくらだって噂だよ。評判的には僕といい勝負じゃないかな」

「それはひどい」

 ユーリーンは真顔で言った。

 市勢でのライの評価を思い出す。

“街一番のヒモ”。

「……僕が悪いんだけど、なんか腑に落ちない」

 半目でユーリーンを睨む。ユーリーンはロクトウの傍らにいた老齢の文官を思い浮かべる。名しか知らなかったが、あれが灯の国の宰相、ク・エンだろう。長年ロウトウの補佐に付き、灯の国の内外の政務に携わってきた。彼がいなければ、灯の国が草の国に対して軍事的に拮抗できるほどの実力を持つことはなかっただろう。抗議の視線が受け流されたと感じたライが感情のやり場をなくして小窓のほうへ視線をやった。その窓の外が、大きく揺れた。「!」違った。馬車そのものが揺れていた。ライの小さな体が振られる。頭を打ちつけかけたのを咄嗟にユーリーンが手を伸ばして庇う。ライを抱きとめる。二、三度大きく振れる。ユーリーンが強く背中と頭を打つ。ついに馬車が転倒した。腰の鞘ごと叩きつけられてユーリーンがわき腹を痛める。ライはユーリーンの庇われたおかげで手足に擦り傷を作った程度だった。顔を出しかけたライを「出るな」ハリグモの声が強く制した。

 馬車の外には矢が降り注いでいる。硬い屋根がそれを防いでいる。車体を引いていた馬が運悪く急所に矢を受けて転倒していた。騎兵の何体かもすでに矢を受けて同じように倒れている。兵士が地面に投げ出されていた。

 彼らは左手前方に位置する林に身を隠した賊から奇襲を受けていた。

「進路転換、十時の方向、進め」

 ハリグモの声に従い、騎兵達が弓矢の飛んでくる方向へまっすぐに向かっていく。矢の雨に向かって錘行の陣形が進む。ハリグモは敵の練度がそう高くないことをすぐに見抜いた。奇襲をかけるならば馬の方向転換が困難になり、また無防備にもなる横腹、九十度に近い角度から狙うべきだ。だがこの相手は斜め前方の四十五度に近い角度から仕掛けてきた。方向転換にさほど時間を掛けずとも馬の突撃衝力が十分に生きる範囲内だ。おそらく兵の統制が効き切らずに一部の兵士が逸って撃ってしまい仕掛けざるを得なくなったのだろう。この練度の相手からならば逃げ切ることも可能だと感じたが、ハリグモはそれを選ばなかった。戦い、殺すことを選んだ。

 ハリグモは姿勢を低くして、前の騎兵を盾にして進む。敵の数はそれほど多くなかった。せいぜい三十から四十の二列程度の横隊。ハリグモの前の馬が、足に矢を受けて転倒した。ハリグモが手綱を引いた。彼の乗る馬が足を撓める。制動をかけた軍馬が、高く跳躍して転倒した馬と兵士を飛び越えた。彼の白馬が弓矢の斉射を受けて血を吐いて落命する。代わりにハリグモが、弓兵達の間に飛び降りた。背中の偃月刀を握り、凄絶な表情を浮かべる。戦場にいて、ハリグモは笑う。恐怖を塗り隠し、戦意を高揚させるために。またその狂気を味方に伝染させるために。

 銀の光が半円を描いた。四人の弓兵が腕から胴を抜けて腰までを両断される。黄色い脂肪の層と桃色の筋肉がすぐに鮮血によって真っ赤に染まる。半拍遅れて近くの木々があざやかな断面を見せて倒れた。弓兵達からハリグモに弓矢が向けられ、近いものは剣を抜いて迫ろうとした。ハリグモは身を低くして死体を蹴り上げる。死体がハリグモの代わりに矢を受ける。無残な死に顔に矢が突き立つ。

 舌打ちして弓から剣に持ち替えた男がハリグモに襲い掛かろうとする。それよりも早く偃月刀が閃いた。林の中での戦闘に適した小ぶりの剣を、それよりも遥かに大きな重量を持つ長大な刃が、くしゃりと紙切れのようにへし折る。その男の首から刃が入り左肩を抜ける。斜めにずれた男がべしゃりと地面に張り付く。そのまま振り切られた刃がついでのように背後からハリグモを襲った男の側頭部を砕き、逆側に抜けた。脳漿をぶちまけて死ぬ。潰れた眼球が血の上を跳ねた。側面から襲い掛かった賊の剣がハリグモを突く。ハリグモが斜に構えて胸甲で剣を受けた。矛ならば貫ける程度の胸甲だが、正しく刃筋の立たなかった細身の剣の刃が鋼の上を滑る。ハリグモが腕を振って裏拳で敵の側頭部を殴りつける。転倒した男に向かって、偃月刀の石突きを突き下ろす。肋骨をぶち破って心臓を突き抜ける。鮮血をぶちまけて男が死ぬ。

 一拍、遅れて騎兵が雪崩れ込んできた。接近された練度の低い弓兵無勢に、ハリグモの率いる精鋭の騎馬隊に抗う力はなかった。瞬く間にこの場が「戦い」から一方的な「蹂躙」へと変わった。弓兵達が武器を捨て、林の中に逃げ込んでいく。ハリグモの部下達の追撃は実に見事だった。軍馬が木々をすり抜けるように疾走していく。追いついて、殺す。

「一匹か二匹程度は生かしておけ。事情を聞く」

 ハリグモが大きな声で言う。冷たい響きのする声だった。ハリグモが戦闘の興奮から醒めていく。部下の馬を借り受け、来た道を引き返す。途中で脱落したものを気に掛ける。人間のほうはいずれも比較的軽傷だった。手足に矢傷を受けたものはいるが致命傷ではない。しっかりと傷を癒せばまた戦えるようになるだろう。反面、馬の方は半数近くが使い物にならなくなっていた。

「……」

 ハリグモは一人の兵士の前で立ち止まった。運悪く喉に矢が刺さり、頸動脈を抜けている。致命傷だった。足掻いた末に傷口が広がり、喉から空気が抜けてひゅぅひゅぅと苦しそうな息を立てている。それはハリグモが先導させて矢の盾にした男だった。ハリグモが手をあわせて男のために祈ると、背に戻していた偃月刀を抜いた。男の胡乱な目がハリグモを見た。震える手が、裾を掴もうとする。指が震えて、うまくいかない。死にたくない。言葉にならない声が漏れる。

 なにもいわず、ハリグモは偃月刀を振り下ろした。

 首が落ち、男の目から光が消える。部下に命じて、首を預ける。故郷へ帰して弔ってやらねばならない。もう一度、手をあわせて男のために祈る。「……」感傷的な気分に陥りかけて、ハリグモは小さく首を振った。ロクトウの刃に過ぎない彼にその感情は許されていないものだ。返り血が頬に垂れてくる。掌で拭う。

「終わったぞ」

 ハリグモが横倒しになった車体に向けて言った。

 ライが歪んだ扉をこじ開けた。横倒しになった車体をよじ登り、体を引き上げて車外に出る。ユーリーンに手を貸して、彼女を引っ張り出す。ライはあたりに視線をやる。無数の矢。倒れた馬たち。負傷した何人かの騎兵。首のない一人の兵士。そして遠目の林の中に散見する、賊の死体。最後にハリグモを見る。全身に返り血を浴びて真っ赤に染まっている。

「……ひどい恰好だね」

 ライが言う。ハリグモは優雅な笑みを浮かべた。

 もしも鬼神というやつがいるならこういう姿をしているのかもしれない、とライは思う。

「襲ってきたのはジギ族なの?」

「おそらく違うな。壊獣がいなかった」

 弓兵と壊獣の混成ならば、もっと凄絶な戦いとなっていただろう。

 ハリグモは内心の中で部下の死が一人で済んだことを喜ぼうとして、失敗する。

「じゃあただの盗賊の類?」

「に、しては装備が割に上等だし統一されている。また盗賊には、俺たちの編隊を襲う理由もなかろうな。やつらが襲うなら商家の馬車だ」

 要領を得ない回答にライは眉を顰める。

 ハリグモが「蒼旗賊だろう」と言った。

「蒼旗賊?」

「ハクタクという男を頭領にした反国家組織だ。得体の知れない宗教を掲げて“病を治す水”とやらを民衆にばら撒いて勢力を増やしているらしい。灯、草、王、鉄、河、翅の国々に跨って活動している」

「なにそれ」

 大陸の北東部に位置する「灯の国」、東部の「草の国」、そして大陸の中央から北部に伸びる覇王が都を構えていた「王の国」、中央からやや西部に位置する「鉄の国」、南部に位置する「翅の国」、東南部に位置する「河の国」。

 おおよそ大陸の半分以上の地域で「蒼旗賊」とやらは活動していることになる。とてつもない規模だった。ハリグモが「総数は十万を超えるのではないかと言われているな」と付け加えた。

「十万……」

 ライには想像がつかなかった。現実離れした数だと思う。しかしロクトウならばそんなライの様子を見て鼻で笑ったのだろう。政治を取り仕切り、すべての決定権を持つ王である彼は百万の人間の命を握っている。ロクトウにとって十万とはそれほど巨大な数字ではなかった。そのことに思い至り、ライは顔を顰めた。ついでにロクトウと自分を比較する必要もまったくなかったことに気づいて、視線を彷徨わせる。ライの視線はわき腹を手で押さえているユーリーンに停まる。「痛む?」「少し」なんだ、意外とやわだね。と、そんな風にからかおうとしてライはユーリーンが自分を庇って負傷したことを思い出してその言葉を飲み込む。「ごめんね」小さく溢した声を、ハリグモが「なんだ。意外とやわだな」と口を開けて嘲笑ったのが掻き消す。

 ライが馬車の車体から飛び降りた。ユーリーンにも手を貸して、不安定な車体の上から土の上に降りる。「治療は必要か」ハリグモが言う。ユーリーンが首を横に振る。「ただの打撲だ。問題ない」「強がってないよね?」ライが訊ねる。「ああ」ユーリーンが脂汗を浮かべながら短く答えた。ユーリーン自身の感触として骨は折れてはいないはずだった。痛みはあるがそのうち引くだろうと考えていた。

「……」

 ライはハリグモに視線を移した。

「どうするの? 一旦帰るかい」

「いいや、このまま負傷者を残して、無事な者だけで草の国に向かう」

 ハリグモが屈みこみ、横倒しになった車体の下に指を掛けた。全身の筋肉に力籠り一回り分厚くなる。横倒しになった、百キロを優に超える車体が徐々に持ち上がり、やがて立ち直った。べったりと赤い手形が車体に残る。

「……ねえ、ユーリーン。きみ、あれ持ち上げれる?」

「できない」

 ユーリーンがもしも同じことをやるならば、下に鉄材か何かを差し込んで梃子の原理を使うだろう。ハリグモの膂力は常人離れしている。壊獣が相手でも正面から戦えるかもしれない。

ハリグモの太い手が倒れた馬から、四肢から胸にかかっていた馬車を引くための縄を外す。「繋げ」部下に向かって投げる。無事な馬から体の大きなモノが選ばれて、縄が繋がれ直す。

「乗れ」

 ハリグモが顎で馬車を示した。

 ライが先に。それからユーリーンがライの手を借りて乗り込む。

 ひび割れた小窓から外を覗くと、兵士達が無事なものと負傷したものに分かれて軍馬を再編成している。無事なものに優先して馬が割り当てられる。足を負傷したものや負傷の重かった兵にも馬が与えられ、腕などの別の場所を負傷したものに引かれてゆっくりと街のほうへ向かう。厳めしい顔の中年の男が負傷組の指揮をとっていた。幸いにも動けないほど負傷の重いものはいなかった。敵の練度が低かったせいだ。ただ馬の数が損なわれたのが痛かった。そのせいで無事な兵士も何人か返さなければいけなかった。

 無事だった兵団は結局八人しか残らなかった。それを纏めて、馬車を中心にしてハリグモが先導して走り出す。馬車の車輪がゆっくりと回り始める。車内のユーリーンの体が振られる。

「大丈夫かい?」

 ライが言う。ユーリーンは頷いて見せるが、こめかみのあたりを押さえている。負傷組と一緒に街へ帰したほうがよかったかもしれないとライはいまさら思う。判断が遅かったことを悔やむ。同時にユーリーンと離れることに不安を覚えている自分にも気づいた。いまとなってはライを王子として扱うものはユーリーンとその私兵達しかいない。ユーリーンがいなければライは王子足りえないのだ。それでいいと思っていたし、むしろ王子という肩書を不要に思っていたライにとって枷の一つだと思っていたのだけれど。ため息を吐きそうになって、どうにか飲み込んだ。

 ユーリーンが先の時にライにしたように、ユーリーンを抱いてその体を支える。胸に頭を押し付けさせて肩と背中に手を回す。

「ラ、ライ。あの……」

「文句禁止」

 ユーリーンには自分の心臓が早鐘を打っているのがわかった。これは非常に体調によくないのではないかと思うが、胸を叩いて抗議してもライは離してくれない。そのうち頭痛よりも心臓の鼓動の方が気になってくる。あまりにも大きな音を立てているように聞こえるので、その音がライにも届いているのではないかと不安になる。顔を見上げる。

「どうしたの」

「な、なんでもない」

 諦めて顔を埋めた。少年の高い体温がユーリーンを包む。(……なんだか非常にまずい気がする)頬が紅潮していく。まずいとは思うのだけれど安堵と幸福がユーリーンを包んで離さない。気づけばそのまま微睡んでいた。「お嬢様」と呼ぶ声が聞こえた気がするが、瞼が重くて目を開けることができなかった。

「こちらの数と私兵の数を同じにしろ」

 馬車を覗き込んでハリグモが言う。

 ライはハリグモを見る。いつもの優雅な笑みだが、多少の陰りがあるように見える。

「脱走されると困るから?」

「平たく言えばそういうことだ」

 ライが召使と視線を交わす。召使が頷く。

「八名、適当な人を選んで」

「承知しました」

 八名ずつ、両軍で十六名。

 この場における最大の勢力を持つものは十一名いるジギ族だということになる。もちろん彼らは壊獣を剥ぎ取られ、武器を奪われている。手を縛られて荷馬車にまとめて放り込まれている。全員で挑みかかったところでハリグモ一人にさえ勝てないだろう。

 だが先刻のように何者かに襲われ、彼らが解放されて武器を与えられれば。

 ハリグモの提案は良策とは言い難かったが、彼としてもライ達に主導権を譲るわけにもいかなかった。妥協点としては仕様のないところだったのかもしれない。ハリグモとしても同数というのは相当に妥協している。同数程度であれば不意を打てば十分に打ち勝てる。ハリグモ達は神経を張り詰めなければならなくなる。

 召使によって八名の私兵達が選ばれた。年老いている召使自身を除けばいずれも精悍な顔つきの若者達だ。

(さすがは覇王の懐刀と言われたアスナイ家の兵士。歩兵としての練度では俺の部下を上回るか?)

 ハリグモの兵士達は騎兵として特化した訓練を受けている。歩兵としての訓練も勿論施されているし、彼らはその中でも高い適性を示した精鋭達だ。それでいてなおハリグモはアスナイの兵士を自分の兵に比肩し得る、またはそれに勝り得る存在だと評価した。同数というのは妥協しすぎたかもしれない。

 合流を果たし、草の国に向かう。灯の国側の小さな砦に似た関所を通り、若干名の兵隊を徴発して接収した。これで人数の上での不安は一先ず消えたが、普段の指揮系統の違う部隊の兵がどれほど役に立つものか。

 関所を越える。両国の緩衝地帯に入る。多少整備のされた森林が続いている。馬車がやっと通れる程度の道だ。

 この道を壊獣は通れない、とハリグモは考えた。少なくともタンガンの巨体が通れるほどの道幅が用意されていない。あれがこの道を通ろうと思えば、周囲の木々をなぎ倒す必要がある。賄賂を貰って関所の兵がジギ族を通しているのではないかと疑うものが、ロクトウの配下には若干名いたのだがどうやらその説は間違いらしい。どこかしらに密入国の道筋が開かれている。

「楽しいねえ」

 ぼやく。この一帯は両国の緩衝地帯だ。ゆえに大きく軍を動かせば国境を脅かそうとしていると見られて草の国を刺激してしまう。今回動かしている兵数が三十名を割っているのもそういう理由がある。兵を使ったこの森林の大規模な調査は行えない。ジギ族はそれを承知で仕掛けてきているのだろう。厄介な話だった。

「ねえ」

 ライが小窓を開けた。

「密入国のことを考えてるの?」

 ハリグモが先導を他の兵に任せ、速度を落として馬車に歩調をあわせる。

「嫌な餓鬼だな貴様は」

「灯の国の関所のある場所から東に行った先の、村の中だよ。手数料をとって村ぐるみで出入り口を隠してるんだ」

「なんだと」

 ハリグモは思わずライの顔を見つめた。

「なぜそれを知っている?」

「前に仲よくなったラキ族の女の人が教えてくれた。草の国経由で関所を通らずにきたんだって」

 ラキ族は草の国と河の国の一帯に広く点在している民族だ。灯の国の内部にはごく少数しか存在していない。少し考えてからハリグモは関所から連れてきた兵士にライの語った内容を伝え、来た道を引き返させた。

「貴様の言が真実ならなんらかの褒美を取らせる」

「ありがと。じゃあニコさんが欲しいな」

 さらりとロクトウの妻をくれと言う。

 ハリグモが声をあげて笑った。

「あのような年増でなくても器量のよい娘は幾らでもおろうに。聞いたのが俺でなければ貴様、不敬で斬られているぞ」

「ハリグモ。ニコさんは美人だけど、そもそも人間は年齢や見た目じゃないよ。あの人は頭がいいし、なによりロクトウの妻として弁えてる。誰の悪口も言わなかったし、大事な話はなにも教えてくれなかった。派閥のことやらなにやらべらべらと喋ってくれたほかの人の奥さんと違ってね。僕はニコさんをとても魅力的な人だと思ったよ」

「なるほど。俺も嫁を選ぶときは参考にするとしよう」

「未亡人にはしないであげてね」

「気を付けよう」

 ハリグモは小窓を覗き込み、ライの胸に抱かれて寝息を立てているユーリーンを見る。

十七か八程度の幼い娘の顔を晒していた。

「しかし貴様、あまりそれを弄んでやるなよ」

「冗談! 僕とユーリーンはそんな関係じゃないよ」

「ほう。……では例えば、俺がそれを貰っても構わんわけか?」

「む。それはなんか嫌だなぁ」

 ハリグモはカラカラと笑い声をあげた。

「そういうことだ。ならばせいぜい大事にしてやれ。くれぐれも使い潰すなよ」

 馬の尻を叩く。速度を上げた軍馬が先頭に躍り出る。



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