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死ノ国  作者: 月島 真昼
三章
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ゾ・ジュゾ=クル=ラオル 2

 

 ライ達はもう一つの落とし穴を使って先程と同じことをした。敗走、撤退する振りをして敵を引きこみ、戦車をハメる。巻き込むことができた数は最初のときよりもずっと少なかったけれども、戦車の数を削ることに成功する。救出作業を行う者たちに弓矢を射かけて妨害する。死者よりもむしろ負傷者が多くなるように戦う。

 同時にライ達がこの戦いのために用意した作戦はこれで尽きてしまった。

 戦車の数はおおよそ半分程度には減ってくれていたが、それでもまだ二百両を越えている。

「あとは僕がどれだけ踏ん張れるかだね」

 あらためて隊列を整えて進撃してくる戦車に向けて、ライは歩き出した。

 この時代の通常兵器は、あの四角い鉄の塊にはまるで通用しない。いまこの国にいる魔法使いはライ一人だけだ。

「待ちたまえ」

 キ・ヒコがライを呼び止める。

 ライがちょっと嫌な顔をして振り返る。

「なぁに」

「ギ・リョクの見解をきみに伝えておこうと思う」

「?」

「あの戦車は流人の手によるものだ。この時代にあんな合板技術、設計技術はありえない」

 頷く。それはライも薄々と勘づいていたことだ。

「であるならば、もう一つ、なにかしらの切り札があると見るべきだと思う。戦車の製造技術をさらに発展させたような。流人だけが持つ、我々が決して持ちえない技術の鋭刃が」

 ライはハクタクを思い出した。

 薬学のあらゆる知識を持ち、人間の体を切り開いて病巣を取り除く。

 この時代の技術からすれば魔法をも超える神の御手としか言いようのない秘技。

「覚えておくよ。ありがとう」

 前線に辿り着いて、ライは地面に手をあてた。

 泥の魔法を使う。行軍が容易な平原をやわらかい泥地へと変えていく。ただし随分と範囲を広くとったために、仙莱山の時のように泥の中へと沈め切るには至らない。せいぜい行軍の速度が落ちる程度だ。

 けれどあのときと違ってライは一人ではない。

 突撃衝力を失った戦車に盾を掲げた兵が取り付いていく。狙いはもっぱら馬だった。牽引する馬を殺せば、動力を失った戦車はただの四角い鉄の塊に過ぎなくなる。弓矢には大盾を貫通する威力はない。次々と襲い掛かり、馬の首を切り裂いていく。

 泥の領域を避けて側面に回った戦車から矢が放たれる。横合いから撃たれて盾で防ぐことができずに人々が矢で撃たれて死んでいく。キ・ヒコが騎兵隊を率いて側面に回った戦車を叩こうとする。戦車を牽く馬を、キ・ヒコの一撃が切り裂いた。だがそんな真似が正確にできるのはキ・ヒコだけだ。大半は戦車の強度の前に屈する。

 防矢屋根に守られた馬を接近戦で叩くしかないが、敵は分厚い装甲に守られた奥から正確に狙いをつけて矢を放つことができる。盾を装備できない騎兵との相性は悪い。

 ライの側での殲滅が終わるまでに注意を引き付けておくことができれば充分。

 そう考えて、キ・ヒコは騎兵を使い捨てる。

(それにしても……)

 歯を噛む。

 本来は弓矢という武器は、味方を巻き込んでしまいやすいため接近戦になれば用いることができない。ある程度犠牲を覚悟で突き進み、剣や槍の間合いに持ち込みさえすればどうとでもなる。

 だがあの新型戦車は、装甲によって味方からの誤射も防ぐことができる。ライ達の上には間断なく弓矢の雨が降り注ぐ。味方がいる場所に対しても矢を射かけることができる。歩兵が次々と倒れていく。ライ自身への矢は泥の魔法が防いでいるが。

 十全の威力を発揮したときの弓矢――遠距離武器の恐ろしさを思い知る。

 いずれは進化した弓矢が歩兵や騎兵と言った概念を駆逐するのだろうと考える。

「だがしかし、いまはまだ騎兵の時代だよ、君たち」

 キ・ヒコが騎兵を率いて馬を走らせる。

 相応の犠牲を出しながら突撃し、それ以上の犠牲を与える。

 弓兵達を蹴散らす。



 鉄の国の王、ゾ・ジュゾは現状を愉しんでみていた。

 絶大な力を誇る戦車に対して小勢が策を弄して足掻く。魔法使いが装甲に爪を立てる。

 大陸に覇を称えるにはこれからも永劫と続く光景であろう。だがそんなものは「あれ」を前にすればなんの意味も持たないのだ。

「ジュゾ様」

 若い女兵士が書簡を携えてジュゾの元へ跪く。

「ワ・タヤ様よりの伝令です。担当の者が流矢を受けたため私が参りました。お受け取りください」

「タヤからか」

 ジュゾはなんの疑いもなく書簡に手を伸ばした。手に取ったその瞬間に。その女兵士が、鉄の国の軍服を身に纏ったユーリーン=アスナイが懐に呑んだ短剣を抜いた。あまりにも自然な動作で少しの殺気も感じられなかったため、ジュゾは反応できなかった。短剣の一撃がジュゾの胸を突いた。かきん。硬質な音が鳴る。ジュゾが衝撃でよろめく。が、短剣の切っ先には血がついていない。刺さっていない。

(鎖帷子……!)

 衣服の下に纏う軽量化の施された鎧の一種だ。

 ジュゾがにやりと笑う。後退する。事態に気づいて周囲の兵が叫ぶ。薙刀を手にした兵がユーリーンの元へと駆けてくる。ユーリーンは大腿部に差した短剣を抜いて、左右両の手でそれぞれ抜き払い、投げた。短剣は空中を泳いで吸い込まれるように兵士の喉へと刺さった。倒れる。ユーリーンは倒れた兵の手を踏んで握っていた薙刀を手放させ、拾い上げた。別の兵が突き出した槍を半身になってかわし、薙刀の石突きを喉に向けて突き込む。首の骨が折れる感触がした。

 刃を振り下ろし、逆側から迫ってきていた兵を一刀の元に斬り伏せる。

 あまりにも鮮やかな一連の動作に、残りの兵達が怯えた目でユーリーンを見ていた。飛び掛かることを躊躇っている。迂闊にしかければ先に死んだ兵の二の舞、三の舞になることは想像に易かった。

「下がれ」

 低い声でジュゾが言う。兵達を下がらせる。

 ユーリーンは八相に構えて、ジュゾを見る。

 ジュゾもまたユーリーンを見据える。

「逃げ出すならばいまだと思うが」

 追うのは面倒だと思っていたユーリーンが溢す。

 逃げる? なぜ? とジュゾは思う。

 このゾ・ジュゾ=クル=ラオルが望んでいた死の匂いが色濃い戦場が目の前にあるというのに、逃げ出す理由などなにひとつとしてないだろう?

 ジュゾの脳裏にいにしえの戦場が帰ってくる。ジュゾは覇王の左腕だった。数多くの戦場を駆けて多くの敵を屠った。大陸の東北部、現在の草の国や灯の国が存在する場所は、ジュゾが攻め落として覇王に献上した土地である。かつてのジュゾは炎の魔法の暴威と戦い、喰の魔法の怪物たちをねじ伏せてみせた勇者だった。

 そうして戦が終わったとき、ジュゾの元にはなにも残っていなかった。虚ろだけがあった。戦功に対する褒賞として鉄の国を与えられ、それなりに真っ当に王として立ち振る舞い、民衆の感謝の言葉を聞いてもジュゾの心はなにも動かなかった。

 もしもジュゾをハクタクに診せれば「心的外傷後ストレス障(PTSD)害の一種、戦争後遺症だ」と診断を下しただろう。ジュゾの脳は戦場での恐怖を忘れるために、多幸感を与えるエンドルフィンや興奮物質のドーパミンを出し続けた。あまりにも多くの量をあまりにも長い時間、出したためにジュゾの脳は脳内麻薬の数々に慣れきってしまった。そうして少量のそれらに対してなにも感じなくなった。

 ジュゾは「幸福」という感情を失ってしまっていた。

 こうして戦場に立っているときを除いて。

 他のなにをしていても楽しくなかった。再び戦場に立つことを、そうしてそのための準備を練っているときだけ少しだけ感情が動く気がした。日常がつらくて何度も自死を考えた。だが覇王が倒れたのちに、また必ず乱世が訪れるはずだと信じて今日まで生き延びてきた。

 そしていま、ジュゾは四十年以上もずっと待ち望んだ戦場に立っている。待ち望んだ死神が彼の前に立っている。

 幸福だった。天にも昇れそうなほどに。

 ジュゾは槍を手に取った。鎖帷子を脱ぎ捨てる。ユーリーンの技量を見て取ったからだ。この娘の技ならば帷子の隙間を突くことなど容易いし、半端に重い防具を纏っていてはその動きについていけない。

 六十歳を超える老人に似つかわしくない、恐ろしく鍛え上げられた肉体が大気に触れる。


 勝利を。

 あるいは劇的な敗北を求めて。


 ゾ・ジュゾ=クル=ラオルが一歩踏み出した。

 彼の前で若い女の姿をした死神がぱちんと指を鳴らした。




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