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死ノ国  作者: 月島 真昼
三章
57/110

ギ・リョク 7



 翅の国


 鉄の国からの宣戦布告があった。貿易赤字に対する責任を問い立てる内容のそれは、シ・ジズにとってはまるで寝耳に水であった。

 降伏か、開戦か。

 どちらも選ぶことができずに王の国に使者を走らせる。実質的にいまの王の国を取り仕切っているナ・カイに鉄の国を止めるように要請を送る。返ってきたのは拒絶の言葉だった。当然のことだ。王の国とて、先の馬の国の戦乱から未だ立ち直っていない。内容を一新する形でどうにかこうにか新しい制度が回り始めようとしていたが、未だに多くの部分は混乱している。そんな中で他国の面倒までは見切れなかった。

 ジズは途方に暮れた。自分の国を見渡す。豊かな土地と優れた文化に恵まれた美しい翅の国。

 どうしてこの国を戦火に晒すことができるだろうか。鉄の国の無法者共はこの国をどう凌辱するのだろうか。眩暈がした。立っていられずにへなへなと座り込んだ。

 降伏。そう、降伏しよう。

 こうべを垂れて跪けば、少なくとも民は無事でいられるはずだ。自分だって殺されずに済むかもしれない。もしかしたらそのままこの国に封ぜられるのではないか。下手に為政者を変えるよりも、その方が鉄の国にとっても利益になるはずだ。

 ジズはほとんど願望でしかない一縷の望みを繋いだ。

 これから続く長い戦争のための重税を課されて、属国とされたこの国の民が奴隷のように扱われることを意図的に考えないようにした。

 わなわなと震えながらも、立ち上がる。不意にライ達の一派の存在が脳裏に浮かんでくる。降伏のために邪魔となるであろう、この非暴力を至上とする翅の国にふさわしくない、武力を振るうことを躊躇わない野蛮な輩。……除かなくては。でなければ彼らは開戦を主張し、民を惑わす。

 翅の国に戦火を持ち込んではならない。

 この美しい肥沃な土地を踏み荒らさせてはならない。

 シ・ジズは彼らを排斥するための方便を考える。文官達を集めて、知恵を求める。ジズは議場を見渡して、彼ら文官達の顔つきが妙に鋭いことに気づいた。自分を見る目に棘がある。宣戦布告の件を持ち出して会議を始めようとしたとき、「ジズ様、少しよろしいでしょうか」一人の男が手をあげた。

「なんだ」

「この場にお招きしたい方がおります」

「時が惜しい。早く済ませろ」

 議場の扉が開き、血の色を思わせる赤い長髪の、大柄な女が入ってきた。

「自己紹介はいらないだろうが、一応しとくぜ。金貸しをやってるギ・リョクだ。世話したこともあるから他の連中も知ってるだろう」

 礼節の欠片も伴わない口調にジズが眉を顰める。出て行きたまえ――と言うのを制するように、ギ・リョクは右手に持っていた分厚い紙の束を机の上に叩きつけた。

「よお、王様。あんたに解任要求リコールのお知らせだ」

 ジズの目が紙の表面をなぞる。一番上の物は貸借対照表だった。資産と負債を分けていまどれだけの資産を保有していて、どれだけの負債があるのかまとめたものだ。下の膨大な書類は工事のための仕様書や覚書だ。

「水増し請求、中抜き、贈収賄、各省庁に指示を出して利益は全部自分のところに集まるように。よくもまあここまでやったもんだなぁ」

「な、なな、なんの証拠があって」

「そいつが証拠だ。目ぇ通せよ」

 ぱん、軽く紙の表を叩く。

「ちょっと訊いたら各省庁のやつらがげろげろあんたの不正を吐いてくれたぜ。もうたくさんだってよ」

「この女をつまみ出せ!」

 ジズは叫んだが、彼の声に従うものは誰一人としていなかった。

 全員が冷めた視線でジズを見ている。ジズはたじろいだ。

「我々は」

 文官の一人が静かに言う。

「民はあなたが私腹を肥やすための道具ではない」

 その場にいる全員がすでにギ・リョクによって懐柔されていた。

 元々誰もが薄々と勘づいていたジズの不正は、実際に調査してみれば誰もが予想していたよりも膨大な量に登った。外部の人間であるギ・リョクが呆れ返ったほどだ。それほどの金をなにに使っていたのか、調べてみると何人もの女を囲っていたことがわかった。ただでさえ王である彼は正妻の他に側室を持っている。それでは飽き足らずに外部にまで手を出していたらしい。七十にもなる老人の精力に恐れ入る。それから投資の失敗で出来た借金の返済にもあてられていた。ギ・リョクがジズの不正を掴んでいたのは、元々はこの部分だった。

 ジズはまだなにかを叫んでいたが、全員がジズのことをいないものとして扱った。

ギ・リョクが「さあて。本題に入ろうか。あたしのとこの皇子様が鉄の国の連中とやりあうと言っている。時間がない。支援を寄越せ。予算を寄越せ。警邏隊を、他の人員を使わせろ。この国を守らせてくれ。賛同するやつは拍手を頼む」と言った。

 よく通る声だった。

 ぱちぱちぱちぱち、と室内が手を打つ音で満ちる。ギ・リョクは一通り室内を見渡して、手を打っていない人間がいないことを確認する。抗戦の意思はこの場にいる全員にあった。降伏など考えていたのは元よりジズ一人だったのだ。

「ありがとよ。じゃあ具体的な手段に触れて行くぜ。あたしらが仙莱山で遭遇した敵の主力兵器、鉄の国東部の蒼旗賊を殺戮した新型戦車についてだ。対策は単純だ。落とし穴を掘る。とにかく人手がいる。集めてくれ」

 国の外周に穴を掘る。

 それで出た大量の土砂で傾斜を作る。

 ライ達はユーリーンが撃破した戦車を一騎、鹵獲している。ギ・リョクはその構造を簡単に分析して、説明して見せる。厚さ八ミリの鉄板でこの時代のあらゆる通常兵器を無力にそれに対して「来るのがわかってりゃ対処は容易い」と断言した。



 会議を終えたギ・リョクが部屋から出てきた。

 どうだった、と訊こうとしたライの胸倉をギ・リョクが捩じりあげた。ユーリーンが引き離そうとするのを、ライは手をあげて制した。

「よお、よくもあたしの家、燃やしてくれやがったな。賠償請求してやるから覚悟しやがれ」

「いい気分転換になったでしょ?」

「なるか、ボケ。そもそもあたしの家に火ぃつけられるのはこれで七回目だ。借金の証文はバラして保管してあるから、燃えたのはごく一部だ。あたしはまだ金の玉座の上さ」

 保険組合の連中はひいひい言ってたがな、とギ・リョクは意地悪く微笑む。

「え、じゃああんまり意味なかったんだ。なぁんだ、やり損だ」

 ライは残念そうに言う。

 ギ・リョクは「意味はあったさ」と言いかけたのを飲み込む。意味はあった。自分のこれまでの価値観が燃えていくのをギ・リョクは確かに目にした。金よりもあなた自身が欲しいという言葉を確かに耳にした。それはこれからのギ・リョクを大きく作り変えてしまった。

 そんなふうにして乱暴に自分が変えられてしまったことに、なんだか腹が立ったので口には出さない。家を燃やされたのだから、ギ・リョクはむしろライを憎むべきなのにそうできない自分にひどく戸惑った。ほんとうにこれまでの自分に飽き飽きしていたのだなと思う。

 まあそんなことはどうでもいい。

 いまは目先のことを考えなければならない。

「戦争だ。わかってんだな?」

「うん」

 ライは曖昧に頷いた。納得はできないけど理解はしている、そんな頷き方だった。

「じゃあてめえに引き合わせとかないといけないやつがいる」

「へ? だれ」

「ついてきな」

 ギ・リョクが案内したのは、彼女の新しい庵だった。使われていない別荘を買い取ったものだ。屋敷にいた使用人達は変わらずに働いていて、既に元の屋敷とほとんど変わらない様相を見せている。

 使用人たちはライを見て棘のある視線を向ける。自分のやったことのせいだとはいえ、それらの視線が痛くてライは俯く。

 ガンガンと乱暴に扉を叩いて、返事を待たずにギ・リョクが部屋を開けた。

 なかには中年の男が一人で膝を立てて座っていた。下着しか身につけていない。随分鍛えこまれた肉体が晒されている。……どこかで見覚えがある、とライは思った。無意識に体が竦んだ。

「やあ、ギ・リョク殿。それから少年」

 男が人のいい笑みを見せる。

「紹介するぜ。こいつはキ・ヒコという。元々は草の国の将校だ。東部戦線で活躍したが、負傷して後方に下げられた。どさくさに紛れてこっちに亡命してきた。あたしの友人だ」

 ライは記憶を探りあてる。

 すぐにわかった。

 ギ・リョクの友人でライにとっても見覚えがある人物。

 そして草の国の将校。

 該当する人間は決して多くない。

「……同性愛者で、少年趣味の、好事家の?」

 おそるおそるライが訊ねる。ギ・リョクが頷く。キ・ヒコがにやりと笑う。性欲の見え隠れする嫌な笑い方だった。ライは後退りながら自分を抱いた。体が妙な震え方をしている。ユーリーンが前に出てキ・ヒコとライの間に立った。別にキ・ヒコがなにかをしようとしたわけではなかったが、あいだに壁があったほうがいいだろう。世の中には視線だけで相手に悪影響を与えることができる人間がいる。

「この国には戦争の専門家は少ない。特に実戦を経験してるやつなんざ、てめえと」ユーリーンを指す。「キ・ヒコくらいのものだろう。ハリグモ=ヤグがいなくなったいまとなっちゃ、こいつを使わない手はない。だろ?」

「ハリグモ=ヤグには及ばないが、手を尽くすことを約束しよう」

「えっと、その、見返り、は?」

 キ・ヒコが指先でライを指し示した。ユーリーンがそれを阻むように立つ。

「きみ、と言いたいところだがね、私も皇族を買おうというほど豪気ではないよ。この国の官僚たちに私を売り込んで、それなりの地位につけてくれたまえ」

 ライは頷く。思っていたよりもこわい人ではないのではないかと思う。

「ああ、もしもその気になったならいつでも私の庵に来てくれて構わないよ」

 前言をすぐに翻す。この人はギ・リョクと同じくらいにこわい人だ。

「いいなぁ。私は怯える少年に一つ一つ悦びを教えていくのが好みでね」

 ギ・リョクが「そのへんにしとけ。こいつは売り物じゃねえ。てめえには適当なのをあとで見繕ってやる」と口を挟んだ。

「……商売男には商売男のよさがある。諦めるとしよう」

 キ・ヒコが名残惜しそうにライを見る。首筋を視線が這う感触がライを追い詰める。

 ライは手近にいたユーリーンに縋り付く。ユーリーンはライの肩を抱いてやる。

「ハリグモがやってた兵士の教導は」

「いまはわたしが引き継いでいる」

 ユーリーンが答える。

「女だと舐められただろ?」

「十何人か叩きのめしたら大方黙ったが」

 それから夜陰に紛れて何人かで襲ってきたのを死なない程度の傷を負わせて返り討ちにしたあとは誰も何も言わなくなった。

 ギ・リョクは理解不能なものを見る目でユーリーンを見た。

「兵の教導はキ・ヒコにやらせる。いいな?」

「了承した。ありがたい申し出だ。私は私の仕事に徹したい」

 ユーリーンはキ・ヒコを横目に見る。

 その仕事がライを守ることだと解釈したキ・ヒコは「どうも私は信用されていないようだ」と愉しそうに呟く。警戒しているものを篭絡するのが愉しいんだ、というような顔つきのキ・ヒコを見て、ユーリーンはさらに警戒を強める。ライはほとんどユーリーンの後ろに隠れている。

 ギ・リョクが怪訝な顔でユーリーンを見る。

「それにしても、おまえの言う陥穽の計については、自信たっぷりに連中に話しておいたが、ほんとにあんなのでなんとかなるのかい?」

 ユーリーンは「ライの魔法ありきではあるが、少なくとも戦車で進むことはできなくなる。人間対人間の戦いに持ち込むことはできる」と言った。抑揚のない、感情のない声だった。事実を淡々と話すときの声だ。ギ・リョクが一番信じることのできる性質の声だ。軍事に疎いギ・リョクは自分の認識と、ユーリーンの示す認識の違いに頭を掻いた。はっきり言ってしまえばギ・リョクは「降伏派」なのだ。中途半端に争うよりも土下座した方が被害は少なくなると思っている。ただしその選択を取ることになれば彼女自身は財産を抱えてさっさと他国に亡命しているだろうが。

果たして本当にうまくいくのだろうか。




 ライはそれから長らくの間、穴掘りに駆り出された。実際に掘る作業は翅の国の集めた人々がやるのだが、地盤をやわらかくするために泥の魔法を広範囲に渡って行使した。国の周囲に長大な堀を築く。随分多くの人員を割いたので作業は滞りなく進んだ。そうしてその上をまた泥の魔法によって固めた土で覆う。草を被せて目立たないようにする。人間が何人立っても崩れないことを確認する。

 それらの作業は昼夜を徹して行われたし、何日も続けて行われた。なのでライは終わった頃にすっかりへとへとになっていた。

 その代わりに、例の戦車がすっぽり二台は収まるほどの幅を持つ大きな長い掘りができた。

「なにを休んでいる」

 ユーリーンがライに向けて言った。彼女自身も円匙を抱えていて土で汚れている。

「だってこれで完成でしょう……? さすがに疲れたよ」

「まだ一つしかできていないではないか。一定の間隔を置いて同じものをあと二つ作るぞ」

「…………え?」

 国防のために必要なのだと言われれば、つかれただの、もうつちはみたくない、だのと愚痴りながらも動かざるを得なかった。ライの代役は誰もいないのだ。結局三つ目は完成する前に時間切れとなった。

 大量の土砂をライが回収した。膨大な質量を腰布に収まるくらいに大きさに圧縮して纏め上げる。最初は傾斜を作って戦車の威力を弱めるつもりでいたのだが、もっと有効な使い道を思いつく。

 その石ころを拾って持ち上げれるのではないかと兵の一人が軽い気持ちで掴んだが、それは大きさのわりに重くてまるで動かなかった。むきになったその兵は腰を痛めた。

 ユーリーンが体から土の汚れを落とす。

 敵兵が迫っているとの報告を聞く。

「キ・ヒコ。あなたに兵の指揮を委ねたい。構わないだろうか」

「よいとも。任せたまえ。しかし君はどうするのだね?」

「『毒龍』の、私の仕事をしてくる」

「きみは人を殺すのが嫌いだと聞いたが?」

「この有様ではそうも言っていられまい」

 ライには言うな、と付け足す。

 ユーリーンは自陣を見る。初陣の兵ばかり。誰も彼もが不安そうな目をしている。

 数にしておおよそ五千あまり。対して敵は一万はいるだろう。

 彼我の戦力差はあきらかだった。いかに戦車が無力化できたとしても、兵隊の地力で大きく劣っている。勝利は容易ではない。鉄の国の王、ゾ・ジュゾを早い段階で討ち、指揮を乱す必要がある。そしてそれができるのは、ユーリーンだけだ。ライは魔法によって戦線を支えなければならない。ハリグモはいない。ユーリーンがやらなければ、これまでのギ・リョクやライの努力が水泡に帰してしまう。

「わたしにはそれができる。ほかのものにはできない。それだけの話だ」

 葛藤がないわけではない。けれど自分の感情と現状を天秤にかけたときにどちらが重いか、というそれだけの話だ。

「切り込むというのなら、退路は考えているのかね」

 キ・ヒコが尋ねた。

 ユーリーンはなにも言わずに、ただ歩き出した。


 鉄の国の兵が進撃してくる。

 これは戦争なのだ。ユーリーンは自分に言い訳をする。

 そしてそれが言い訳に過ぎないことに自分で気づいている。

 だからせめて殺した者たちに自分の命で贖えればいい。

 そう願った。


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