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死ノ国  作者: 月島 真昼
二章
53/110

ラ・シン=ジギ=ナハル 14

 


 草の国、北部


 大きな川を前にして、フェイ・ロフは足を止めた。流れはさほど速くはない、水深も浅い川だ。場所を選べば十分に徒歩で渡河できる範囲のもの。が、水棲の壊獣が潜んでいた場合に視界の悪い水中は危険が大きい。フェイ・ロフは自分が指揮する灯の国の軍勢を振り返る。それから川を挟んだ逆側の岸を見る。

 対岸にシンの軍勢が布陣しているのが朧気に見える。だがあちらは王の国からの強行軍で疲労していて兵達の動きは鈍い。まだ対岸を完全に抑えることができていない。騎兵を突撃渡河させ強引に打ち破れば一挙に戦いを決めることのできる可能性はある。

 しばらく考えたのちにフェイ・ロフはその案を捨て去る。やつらは馬の国のゼタが率いる騎兵を打ち破っている。条件が多少違えど迂闊な攻撃は行うべきではない。長い距離を南下してきた強行軍は灯の国の兵達も同じことだ。

 そもそも草の国の軍はここに至るまでに後方に残された物資を持ち出し、持ち出し損ねたもののことごとくを焼き捨てるだけの余裕があった。ここで陣地の設営に手間取っているのも不自然だろう。突撃を誘っているのかもしれない。

 結果的には、フェイ・ロフのこの慎重な考えがシンを救った。

 シンは本当に布陣に手間取っていたし、それはテン・ルイの不在とローゲンの負傷、それから兵士の疲労によるものが理由で、ここで襲い掛かられれば随分な被害を受けただろう。

 後方に残る物資の持ち出しと焼き捨てが早かったのは、戦が始まる前からそれが必要になると踏んでいたキ・シガが事前に手配を済ませていたからだ。

 またゴエイという蜥蜴に似た姿の水棲の壊獣は確かにいたが、それほど数を揃えていたわけではなかった。シンはあくまで陸戦、タンガンを戦力の主軸として考えていたためだ。

 フェイ・ロフは幕営に戻り、慎重に準備を進める。

 動かすときは全軍を一挙に動かし、敵を粉砕する。

 足の遅い歩兵と輜重隊が後方から合流してくるのをしばらく待つ。




 ゴエイの群れが気持ちよさそうに水の中を泳いでいる。逆にサンロウやタンガンは水を怖がって川岸に近づかない。

 シンの傍らでそれらをスゥリーンがおもしろそうに眺めている。近づいてきたサンロウの頭を恐る恐る撫でる。サンロウがスゥリーンに鼻を摺り寄せる。舌を出して少女の手を舐める。スゥリーンがくすぐったそうに笑う。

(テン・ルイとローゲンの双方を欠いているのは痛いな……)

 飛車角落ちと言ったところだ。遅滞戦闘のために散々働かせた金将キ・シガをこれ以上酷使することはできないだろう。あとはナラの使いどころか。

 シンは近くの丘から彼我の戦力を検める。ゼタとの交戦で、五万を数えていたシンの軍勢の中で交戦可能な者は三万前後まで減っている。いままでのところはナラがよく纏めてくれているし、キ・シガがどうにか穴を埋めてくれている。だがナラの性質は直接の戦闘よりは工作や輜重隊の管理などの戦前の手回しの方だ。キ・シガに至っては「兵隊の指揮? 無理無理。誰も私の言うことなど聞きませんとも」と言った有様だ。よく遅滞戦闘をこなしてくれたものだ。

 他の将校達もよくやってくれてはいるが、やはりテン・ルイに比べれば数段格が落ちる

 壊獣の方も百五十ほどいたタンガンが約半数まで減らされた。元々数の多いサンロウなどは運用にそれほど気を使わなくてもいいだろうが、タンガンの数が整っていないのは相当な痛手だ。

(俺はあの男にまるで頼り切りだったのだな)

 改めて思う。

 同時にテン・ルイが一人欠けた程度で閉ざされる道ならば、最初から自分には天の座に登る資格はなかったのだろうと考える。

 ロクトウの軍勢が対岸に続々と集結していく。数日もしないうちに攻撃してくるだろう。その総数はおおよそ五万から六万といったところか。シンの軍勢から倍する数の兵だ。いかに壊獣の力を用いても地力では負けている。足の鈍る渡河中にどれだけ叩けるか、キ・シガが川の上流に隠したというヤツマタをいつ切るか。

「シン」

 スゥリーンがシンの袖を引いた。折れているシンの鎖骨が痛みを発したが表情には出さない。

「なんだ」

「疲れてる?」

「そう見えたか?」

 スゥリーンが小さく顎を引く。

 疲れている、そうかもしれない。額を揉み解す。少し目を瞑る。

「大丈夫だよ」

 笑みを作る。自分でも少し頬が強張っているのがわかった。

「私、シン、助ける、薬飲めば、戦える」

 シンはスゥリーンを見た。少しの愛情に似たものをちらつかせればあっさりと自分に靡いたこの少女を思う。いったいどれだけ愛に飢えていたのだろうか。この少女にアスナイの戦闘技術を仕込んだものは、どのように彼女を扱っていたのだろうか。腹の底に煮え滾る感情を収める。

「しなくていい」

 スゥリーンの頭に手を置く。スゥリーンは駒に例えるなら桂か。他の駒を飛び越えて仕掛けることのできる桂馬は、使いどころによっては戦況を一変させる攻撃力を持っている。だがシンはスゥリーンを使うわけにはいかない。

 俺はおまえが麻薬など飲まずに済むような世界を作るために戦っているのだ。

 それを口に出さなかった。

「し、シン王」

 後方からの伝令の兵がシンを呼んだ。

「ナラ様が、戦死なされました」

「……何?」

 シンの駒台から銀将が滑り落ちた。




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