表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
死ノ国  作者: 月島 真昼
二章
52/110

ハリグモ=ヤグ 5

 

 ハリグモ=ヤグと彼の指揮する一団が翅の国と草の国の国境に辿り着く。

「さて、関所をどう抜けるかだが」

 ハリグモ達は商人風に装っているが、ハリグモ自身が戦の匂いを消せていない。ろくな結果を招かない浅知恵だろうとは彼自身がわかっていた。

 関所に近づいてみて、ハリグモはそこがやけに静かなことに気づく。

 もう少し近づくと城壁から叩き落された兵隊が何人か首を折って死んでいた。門は開いている。その近くで数十人の兵隊が指揮官らしき、大男と一緒に酒盛りをしていた。

 ハリグモは少し迷ったがそのまま進むことにした。

「やあ」

 門前で酒盛りをしていた大柄な男がハリグモに向かって盃を突き上げる。

 頬にまだ乾いた血が張り付いている。

「ハリグモ=ヤグだね」

 聞き覚えのある声だった。前にこの関を通ったときに、ギ・リョクと話していた、たしかキ・ヒコという男だ。ハリグモは荷馬車の中でその声を聴いていた。

「この関は」

「通りたまえ。我々は翅の国に流れることにしたのだよ。シン王のやり方にはついていけない」

「それに反対した兵を殺したのか」

 ギ・リョクの手引きだな、とハリグモは思う。ハリグモがこの関所を通れるように取り計らったのだろう。あの女、反対していたわりには余計な真似をする。むしろ厄介払いをされたのかもしれない、と少し苦笑する。

「ああ、それから倉庫の中に我々の軍服のあまりがあるはずだな。どうせ我々が使うことはもうない。あのままでは埃を被るだけだろうな」

 キ・ヒコが言い、立ち上がって腕を伸ばした。

「さぁ、諸君。そろそろ出立しようか」

 周囲の兵を促す。男達が酒を飲み干し、立ち上がる。

「使わせてもらう。感謝する」

「私もギ・リョクと同じ意見で、君は引き返したほうがいいと思うがね」

 ハリグモは優雅な笑みを浮かべて、キ・ヒコを見た。

 キ・ヒコが両手をあわせて軍礼をした。

「武運を祈る」

 ハリグモは倉庫を漁り、草の国の軍服、それから予備の武器の幾らかを手に入れた。他のものはあらかた持ち出されていた。キ・ヒコが奪っていったのだろう。逆にいえばハリグモのためにこれだけは残していてくれたようだ。

 草の国の将であるキ・ヒコの裏切りはハリグモを快い気分にはさせなかった。我欲を優先し時勢の流れを見てすぐに主を変える、ハリグモのような愚直な武人とは決して相いれない輩だ。が、あれはあれで機の先が読める有能な男なのだろう。ともあれ障害を一つ抜けたのだ。

 ハリグモはさらに北を目指して歩を進める。

 ギ・リョクのいた国境近くの街を素通りして首都に向かう。敵兵の服を着ているとはいえ、ハリグモは面が割れている。下手に街に近づけば顔に覚えのあるものも増えるだろう。仕掛けるなら一撃で、致命傷を負わせなければならない。

 数日をかけて首都まで移動する。

 門に辿り着き、門兵に向かう。

「我々は南の関を守るキ・ヒコ様からの伝令である。翅の国に奇妙な動きがあり、報告に参上した。門を開けられたし」

 門兵がハリグモ達を検分する。しばらくして門が開いた。

「ナラ様の元へ」

「ご苦労」

 馬に乗ったまま堂々と門の内に侵入する。ハリグモの将校らしい背筋の伸びた立派な態度に、誰もが草の国の将の一人だと疑わなかった。仮にギ・リョクのような者が見ればハリグモの偽装を一度で看破していただろう。簡単なことだ。「てめえのそのバカでかい得物はなんのためのもんだ?」と言って。草の国は偃月刀を正規の規格の武器として採用していないのだから。

 うまくいきすぎて拍子抜けするほどだった。戦時の混乱とシンの不在が兵を浮足立たせていたのだ。ましてや味方の軍服を着ているものを疑うことなど、門兵達は考えもしなかった。ハリグモはしばらくの間、ただぐるりと街の中を見て回った。

 ふと茶屋で働く大柄な若い男と目があった。ハリグモが優雅な笑みを浮かべる。男がハリグモに近づき「茶でもどうですか?」と言った。それは潜伏するように命じていたハリグモの部下だった。

「いいや、いまは忙しい。遠慮しておこう」

「そうですか、では気が変わりましたらご贔屓に」

 男がハリグモの手に燐寸箱を押し付ける。ハリグモもそれと交換に小さな紙片を男の手の中に残す。

「そのうちにな」

 ハリグモが言い、男が離れていく。

 ハリグモが手渡した紙片の中には穀倉庫を焼き討ちする手筈が書かれている。男の用意した燐寸箱の中には、潜伏していた八名の中から、失敗した三名が処刑されたこと。残り五人への連絡は自分が担当することが書かれていた。ハリグモは表情に出さずに、静かに強く奥歯を噛んだ。悔恨を噛み殺して、いまやらなければならないことを考える。

 シンの城を訪ねて、門前で言ったことを繰り返す。

「ナラ殿は、どこに?」

「ご案内します」

 中肉中背の特徴のない体つきの兵が言い、ハリグモを兵舎のほうへと導く。

(ナラ=ジギ=ジンハは灯の国内で長く諜報活動に携わってきたシン王の腹心。一度だけ見たことがある。顔に入れ墨にある男だったはず。あれだけ目立つ容貌ならば先手はとれる)

 ハリグモは頭の中で算段を組み立てる。おそらくナラにはハリグモの面は割れているだろう。見つけ次第、案内の兵を殺して、即座に襲い掛かる。ハリグモの率いる兵は弱い。兵と兵で争う余裕はない。増援が来る前に抹殺しなければならない。

 思慮の浅いハリグモには、諜報役として顔を覚えられてはいけないナラがわざわざ目立つ部分に入れ墨をいれている意味に気づけなかった。

 自分を案内していた兵がハリグモの死角側に手を回して、短剣を抜いたことに気づけなかった。兵がハリグモの右足に短剣を突き込んだ。「!!?」刃が厚い布地と皮膚の弾力性を越えて肉に食い込む。咄嗟に偃月刀に手を伸ばし、切り伏せようとするが、それよりも山刀に似た剣を抜いた男がハリグモの乗る馬の首を斬り飛ばす方が速かった。

 兵が駆けだす。懐から取り出した笛を口にあてて、強く息を吹き込む。緊急事態を報せるその笛の高い音が上がり、準備もそぞろに兵達が這い出してくる。

 ようやくハリグモは先ほどの兵に見覚えがあったことに気づく。

 彼こそが、ナラ=ジギ=ジンハその人だった。

 もちろん、いまのナラの顔には入れ墨がない。ナラの入れ墨はなにかで描いていたもので、肌に直接刻んだものではなかったのだ。特徴のある人物ほど、その特徴を剥いでしまえば見分けがつかなくなる。人に紛れやすくなる。目立たない容貌のナラは特徴を作るためにわざわざ顔に入れ墨を載せていたのだ。

 ともすれば、門兵の態度からしてそもそも怪しく思えてくる。

(俺は誘い込まれたのか)

 ちらりと考えるが、兵舎から這い出てくる兵士達がまともな武装ができていない。武器だけを引っ掴んで飛び出してきたといった印象だ。ナラだけがハリグモに気づいて、咄嗟に一芝居打ったに過ぎないらしい。

 ハリグモは背中から偃月刀を引き抜いた。左足で強く地面を蹴り、ナラの背中を射程に捉える。右足を突いて体重を乗せた。血が噴き出て激痛が走り、視界が明滅したが、ハリグモは偃月刀を振り切った。

 ナラが咄嗟に山刀を背中に回してその刃を防ぐ。高い金属音があがる。背中を強く打たれて、ナラが転倒しそうになるのをどうにか堪える。ナラは振り返ってハリグモと対峙した。このままでは逃げ切れないと断じたのだ。

 ハリグモが偃月刀を構え直し、小さく息を吸い込んだ。目を見開いてナラを見る。口元には微笑が浮かぶ。心と意、意と気、気と力、手と足、肘と膝、肩と股。内意三合と外意三合をすり合わせる。必要な脱力と必要な緊張を自然に行う。深く集中すると右足の痛みはすぐに感じなくなった。ハリグモが動いた。

 ナラは手首だけで鋭く山刀を投擲した。心意六合のすべてを備えたハリグモを前に、正面から戦って勝てる相手ではないと判断した。時間が稼げれば増援のある自分が有利と見ての一手だった。わずかにでもハリグモが怯めば、逃げ遂せるはずだと考えた。

 ハリグモは前進しながら構えた偃月刀の柄で、回転しながら飛来する山刀の峰を受け止めた。山刀の刃の方を止めようとすれば、木製の柄が折れてしまう。かといって偃月刀の刃で止めれば次の一撃を即座に繰り出せない。狙ってやったことだった。弾かれた山刀が地面に落ちる。二人の間の間合いが詰まる。ナラの表情が一瞬、驚愕と絶望に染まる。

 ナラが懐から取り出した短剣を投げようとしたが、それよりもハリグモの一撃の方が速かった。武器を手放したナラに防ぐ術はなかった。

 死が降ってきた。

 肩口から入った偃月刀の長大な刃が骨を砕き、心臓と肺を一度に両断して逆側の腰へと抜けた。シンの腹心の配下、ナラ=ジギ=ジンハが一撃のもとに命を絶たれた。

 ハリグモの右足の痛みが戻ってくる。駆けつけてくる敵兵を見据える。(万事休したか) 敵の武装が完全に整っているわけではないとはいえ、この怪我でそれなりの数を相手にすることはできないだろう。

 斬れるだけ斬って終わりとしよう。ハリグモはあっさりと、そんなふうに自分の命を割り切った。偃月刀を構え直す。

 ナラの返り血で全身を濡らした、鬼神の放つ激烈な殺気を前にして兵士達がたじろぐ。味方の兵でさえも気圧される。挑みかかれば真っ先に自分の命が露と消えることを誰もが理解していた。数に任せてハリグモを擂り潰すようにして殺すことはできるだろう。だが先陣を切ったものが真っ先に死ぬ。その心理的抵抗が、兵士達の足を止めた。彼らを指揮して抵抗を取り除くべき指揮官がその中にはいなかった。それでも、何人かの勇敢な兵が動き出そうとする。

 彼らの逡巡が、ハリグモにわずかな活路を与えた。

「ハリグモ様!」

 馬に乗って駆けてきたのは、この国に潜伏させていたハリグモの部下の一人だった。

 彼は自分の馬をハリグモに与えると、背中から槍を引き抜いて敵兵に相対した。

「兵糧庫の焼き討ちの手筈は整っております。行ってください。逃げ延びてロクトウ様の元へ」

「……ああ」

 ハリグモは馬に乗る。敵兵が襲い来る。ハリグモは逃げ延びようと、馬の尻を叩く。

 戸惑いながらもハリグモを信じてついてきた弱兵達に草の国の精兵が食らいつく。ハリグモが離れてしまえば、あの弱兵達は士気の拠り所とするところを失う。成す術もなく、殺されていく。ハリグモが振り返った。

 ハリグモの中の怜悧な部分が、彼らを見捨てて逃げ去るべきだと告げた。むしろ今ならば人垣が邪魔で敵兵はハリグモに追いつけない。ハリグモは見事逃げ遂せることができるだろう。

 そうしたことを考えながら、しかしハリグモのとった行動は真逆だった。

(やつらは俺を慕ってここまで来たのだろう? それを無下にして逃げ出すのが、ハリグモ=ヤグの成すことか?)

 馬鹿げた考えであることは自分でもよくわかっていた。将と兵の命の価値は違う。鍛錬に費やした時間の重みが違う。指揮のために学んだ軍略が違う。だけどハリグモはもう一度、人垣の群れに足を踏み入れた。弱兵に食いかかる草の国の精兵達の前に躍り出て、偃月刀を振るう。敵が血に沈む。ハリグモの率いる弱兵達の目に意思の光が戻る。

 ハリグモは殿に立ち、力尽きるまで戦い続けた。 




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ