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死ノ国  作者: 月島 真昼
一章
5/110

ハリグモ=ヤグ 1


 ユーリーンとライは別々の部屋を与えられたが、ユーリーンは自分の部屋を開きすらしなかった。ライが寝台に体を横たえる。ユーリーンが椅子に陣取る。ハリグモが扉の傍で壁に背をつけて床の上に尻を下ろし、足を崩す。

「お気になさらず」

 ハリグモが言い、「そうするよ」ライが寝返りを打ってハリグモを視界から外した。ユーリーンがハリグモを睨みつける。ハリグモは優雅な笑みでその視線に答えた。一点の曇りもなく邪念もないにも関わらず邪悪な笑みだった。

「勘違いしないで欲しいのだけど、俺は君たちに危害を加えるためにここにいるわけじゃない。むしろその逆だ」

「……」

「ジギ族の元へは俺も同行する。君たちを彼らの手から守るために」

「君は僕らへの刺客じゃなくて、ラ・シンへの刺客なんでしょう」

 ライが欠伸を吐く。布団をかぶって丸くなる。ついでにように言う。

「ジギ族の戦力はシン王子の喰の魔法によって作られた壊獣に大きく支えられている。極端な話、彼一人が死ねばジギ族は無力化できる。そんなやつに近づける機会があれば、そりゃ刺客の一つも送りたくなるよね」

「随分と深読みするんだな、きみは」

「ニ・ライだよ。よろしく」

「二度目になるがハリグモ=ヤグだ。よろしく」

「というわけだからユーリーン。彼を警戒する必要はないと思うよ」

「……承知した」

 口ではそう言いつつもユーリーンにはまるで警戒を解く様子はなかった。ライが寝息を立て始める。「心臓に毛の生えた少年だねえ」そうでもない、とユーリーンは思う。攫われたユミを探しにいったときのライの慌て様を思い出す。ただ自分の身に及ぶ危険に対して鈍感なのだ。

「ところでこれからすることはただの冗談だから、そのつもりでいてほしいのだが」

 なにげなくハリグモが腰の剣に手を掛けた。空気にぴしりと皹が入る。

 優雅な笑みが崩れる。犬歯を剥き出しにして目を見開き、悪鬼のごとく表情を歪ませる。武人の放つ激烈な殺気が室内を支配した。ユーリーンは腰の剣を抜いて、ライの眠る寝台とハリグモの間に立ち塞がる。

「冗談だよ?」

 ハリグモは元の笑顔を顔に張り付けた。剣の柄から手を離す。おどけたように両手を広げて掌を天井に向ける。

「……」

 ユーリーンは剣を下げた。思えば、ハリグモは足を崩して座ったままだ。殺気を見せたところで斬りかかれる姿勢ではない。冗談だ、と言われればその通りだった。

「事情はわからないが、君たちはその子が主で君が従者なんだな」

 ユーリーンは否定しようとした。が、ライを庇って立った自分の姿に視線を落として言葉を無くす。ハリグモがカマをかけたのも、ロクトウとの会談でユーリーンの態度が妙に感じたからだろう。この点についてユーリーンは失態ばかりだった。頬が赤くなる。

「ああ、別に詮索するつもりはないよ。それは俺の役目じゃない。口外もしないさ。知られたらなにか外聞が悪いんだろ」

「手綱をつけたつもりか」

「つけられたら嬉しいね。タンガン四頭を瞬く間に無力化した君たちの手腕を、俺たちは高く買っている。正直言って草の国に売り渡すのはあまりに惜しい」

「俺たち、というのは?」

「草の国と戦争をすることを辞さない連中だよ。物騒だね。やだねえ」

 ハリグモは楽しそうに言う。流行りの歌でも口ずさむような口調だった。

「ロクトウの方針とは反しているな」

「そう。あの方は戦になれば我が国が負けると思っている。負けると思っているから下手に出ている。俺たちはそうは思っていない。だからロクトウ様の頭を踏みつけるラ・シンが我慢ならんのだ」

「方針に反している割に、ロクトウへの忠誠心は高いのだな」

「この国を安定させて、富ませたのはあのお方の手腕さ」

 ハリグモは窓に視線をやった。

 寒冷地で通常の作物が育たず、雨が少なく土地は乾いている。北の山脈から流れて土地を横切る大河のおかげで水不足こそ無縁であることが唯一の救いであった。

 ロクトウは灌漑の工事を行い土地の水はけを改善し、洪水を防いだ。寒冷地に向いた作物を広めて餓死者を減らした。法を敷き、犯罪を取り締まった。軍を率いて異民族の侵略から民を守った。税を軽減し、商人を招いて、物流の滞りを取り除いた。

 それら一つ一つは別段、為政者として特別なことを行ったわけではない。しかし過不足なく執政を執り行うことはそれだけで容易なことではなかった。ロクトウの、少なくとも彼の元にいる文官達の手腕は疑いようもなかった。

「俺には外交も内政もわからん。多少の不満はあれど、この身の振るい方はロクトウ様に委ねている」

 ユーリーンはハリグモに対して猟犬のような男だ、という印象を持った。

 獰猛さと凶暴性を持ちながら、それを主によってうまく抑制されている。

 そしてその軛から解き放たれれば。

「おいおい、これから長い付き合いになるんだ。もう少し仲良くしようぜ」

 睨みつけられ続けているハリグモが渋面になる。

 当然ユーリーンは表情を崩さない。針鼠のように毛を逆立たせている。ハリグモは長い息を吐いた。立ち上がる。「どうやら俺がこの部屋にいるとお嬢さんが安心しておやすみできないらしいね」自分で原因を作っておきながらいけしゃあしゃあとのたまう。心臓に毛が生えているのはライではなくハリグモの方だろう。扉に手をかける。

「また明日な、毒龍(ドゥロン)の娘。次はもう少し楽しい会合になることを祈ってるよ」

 部屋を出ていく。

 室内ではライの寝息だけが小さく響いている。

 ユーリーンは剣を鞘に納め、全身に張り巡らせていた力を抜く。ぺたんと床に座り込む。もしもあの男が本当に全力で自分たちを殺しに来ていたら、ユーリーンはライと自身を守りきれただろうか。少し考え、ユーリーンは小さく首を振った。力の抜けた手で扉に錠を掛け、椅子に深く腰掛けて目を閉じた。





 いつのまにか眠ってしまっていたらしい。ユーリーンは椅子から体を起こして、寝台の中にライの姿がないことに気づいて身を竦ませた。ロクトウにライを殺す理由はないはず。そう思いながら部屋を飛び出す。

「へえ、そうなんだ。おもしろいねえ」

 部屋を出てすぐの中庭にライの姿を認める。その隣には中年の女性が淑やかな笑みを浮かべている。口元に上品な皺が浮かぶ。ライがくるりと回って女性の顔を見上げる。弾むような少年の表情に釣られて、女性の顔も明るくなる。ライは自分の年齢の使いどころを心得ていた。ユーリーンは目を三角にしてライを睨みつける。ライがこちらに気づいて手を振る。睨まれているのを平然と見なかったことにする。「ユーリーン。紹介するよ。こちらロクトウさんの奥方の、ク・ニコ=ヤグ=ジジュさん」女性が控えめに礼をする。「ニコさん。あれは僕の友達のユーリーン=アスナイ」あわててユーリーンは膝をついて両手を合わせた。「楽にしてください」ニコが柔らかい声を出す。幾分うんざりした調子も含まれている。夫の地位を基準にして行動されることをあまりよくは思っていないようだ。「はい」しかしそれに思い至らないユーリーンはあくまで最敬礼を崩さなかった。わずかに乱れた表情から察したライが「ねえ、あっちを案内してよ」と子供の笑みでニコを誘う。「ん、ええよ」ライに手を引かれて、ニコが後宮の方へ進む。当然のようについてこようとしたユーリーンをライは繋いでいるのと逆の手で制した。

「ユーリーンは待ってて」

「え、しかし」

「ハリグモを見てて」

「……はい」

 別の命令を下されるとユーリーンは拒否できない。

 ライがご機嫌な様子でニコと話している。足取り重く、ユーリーンはハリグモを探して歩き出す。

「あの好色王子め。人のものだろうとお構いなしか」

 ぶつぶつと文句を言いながら視線を動かす。ハリグモを探すと、すぐに見つかった。

 兵舎の端の演習場。上半身裸で、偃月刀を握っている。身の丈よりも大きな長柄の武器。先端には人の腕ほどの長さと厚みのある巨大な刃がつけられている。藁で作られた人型の人形を数体、周囲に置いている。すーっ。歯の間から長い息を吐き、口を開き短く吸う。足が動いた。連動して腰が回る。強靭な背筋に支えられながら腕が振られる。大きな刃が藁の束を二つまとめて両断する。重量のある偃月刀が勢いに振られるのを全身の筋肉で食い止める。食い止めた反動を使って前方に突き出す。人形の心臓が破れる。少し振り上げて、次の人形に向けて斬り下ろす。肩口から入った刃が腰までを両断する。最後に手の中で刃を返して、振り上げ気味の一撃が胴体を断ち切り、柄を握るハリグモの左手が肩の位置で止まった。次の斬撃をすぐに繰り出せる位置だった。肺に残る空気を吐き出し、残心を解く。偃月刀を背に戻す。革製の鞘が刃を包む。固定具を止めてからユーリーンを見る。

「よお、毒龍の娘。夕べはしっかり眠れたかい?」

「おかげさまでな」

「俺に会いにきたのか。嬉しいね」

 優雅な笑みを浮かべる。その顔の下の裸身には優男の風貌に似つかわしくない鍛え上げられた肉体がある。二の腕には肉の筋がありありと浮かんでいる。分厚い肩。腹筋は六つに割れている。胸筋が大きく盛り上がっていた。わずかに汗で濡れている。

 ユーリーンは散らばった藁を見渡す。相手が藁の人形でなく、血肉の通った人間であってもこの男の刃は同じように両断して見せるだろう。すべてが迷いのない必殺の一撃。見事な太刀筋だった。

 ユーリーンも鍛えてはいるが、骨格の小さい女性の体である。そもそもの体重が違う。単純な肉の質量に起因する破壊力では及ぶべくもない。この男に対抗するならば速さと小技、それから長弓の間合いを駆使する他ない。(毒龍の技、か) ユーリーンは苦い感情を飲み下す。

「そういえば、ジギ族の死体には弓で殺されたやつはいなかったな」

 男の眼が無遠慮にユーリーンの肢体を這う。

「タンガンを一射で仕留める腕を持ちながら、人間の急所は外れていた。お前、人を殺すのが怖いのか」

「……」

「優しいな。だがその優しさを解してくれる輩が、いったいどれほどいるだろうか」

 ハリグモの一刀にはすべて必殺の意思が込められていた。敵は殺す。彼にとっては当たり前のことだ。殺さなければ、敵の数が減らない。減らなければ際限なく増え続けるだけだ。増え続けた敵はいつか彼を、そしてその背後のロクトウを殺すだろう。だからハリグモは敵を殺す。慈悲もなく許容もなく殺す。

 もしユーリーンが、人を殺す覚悟をまったく持ち合わせていないならばハリグモは彼女を軽蔑していただろう。だがそうでないことをハリグモは知っていた。

 弓という武器は非常に優れている。敵の手の届かぬ距離から一方的に攻撃を加えることができる。刃物によって人を刺し殺すことには強い心理的な抵抗が付き纏うが、弓などの長距離武器による射殺の場合、その抵抗は少ないものとなる。

 ジギ族の死体の中には、タンガンを貫いた矢と同じもので殺されていた死体があった。射殺したのでないことは明らかだった。斜めの軌道で抉るようにねじ込まれていて、矢柄が折れていたからだ。射ったのならば矢は真っすぐに突き刺さっているはずだ。矢柄が折れる理由もない。

 ユーリーンはタンガンを一射で無力化する凄絶な弓技を持ちながら、弓の恩恵をまったく手放して、そのジギ族を殺していた。その違和はハリグモの興味を引くのに充分だった。

「貴様には関係がなかろう」

 鉛を吐き出すようにユーリーンが言う。

「そりゃそうだ。絡んで悪かったな」

 ハリグモが傍に掛けてあった手ぬぐいをとった。

 偃月刀とその固定具を外し、汗を拭い、麻で出来ている、染められていない安物の服を着る。

「今日の午後から出立だそうだ。貴様の家の私兵とは国境の手前で合流する手筈になっている。同じ場所でジギ共も連れていく。準備をしておけ。小僧に伝えるのは、貴様に任せてよいか」

「わかった」

 ユーリーンが硬い声で言い、部屋の方へ引き返していく。

「つくづくあの小僧にはもったいない女だよ、お前は」

 ハリグモは背と腕の筋肉を伸ばしながら、ぼやくように言った。




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