キ・シガ 1
ロクトウが率いる十万の軍隊が草の国へと南下していく。
キ・シガが防衛のために軍隊を展開したが、数に差がありすぎたためにあまり意味がなかった。キ・シガは抗戦を避けて、進撃路にあった村々の人民を下がらせて、そこにあった物資をすべて焼き捨てた。
現地での徴発をさせないためだ。
「しかしまあ自国の物資を焼き捨てるというのはあんまり気分のいいものではありませんねえ」
主要な街道にも藁を撒いて油を撒いて火を放つ。あぜ道を通らせて進撃の速度を遅らせようとする。河があれば橋を落として、小舟を破壊する。壊獣を繰り出して川岸で敵を足止めする。夜にサンロウに吠えさせて敵の安眠を妨害する。時には火矢を放つ。
こうした努力は大した成果をあげなかった。
だからわずかな騎兵だけを連れて疾風の速さで王の国から引き返してきたシンが姿を見せたときにはさすがのキ・シガも安堵の息を吐いた。
「その子は」
シンの腕に縋り付くようにして腕を巻き付ける少女を見て言う。
「スゥリーン=アスナイという」
「アスナイ」
キ・シガが呟く。敵軍の捕虜を手懐けている最中なのだと判断する。
「おまえは理解が早くて助かるよ。状況は?」
「灯の国の軍はもう五日もすればここに達するところまで来ています。敵の最後衛にはロクトウの姿もあるそうです。もう少し帰ってくるのが遅ければ逃げ出していたところでした」
扇子で北を指して言う。
「ああ、逃げ出さずにいてくれてありがとう。追って首を刎ねる手間が省けた」
シンはカラカラと笑う。
「ヤツマタの用意は?」
「永江の上流に隠してあります。守るならあそこでしょう?」
「親父の軍師ですらおまえほど手回しがよくはなかっただろうよ。戦いが終われば褒賞を取らせる」
「それまで国が残っていればいいですがねえ」
「永江の付近まで防衛線を縮小する。帰還した兵には少し休ませる。遅滞行動を継続してくれ」
「ええ? まだ私がやるのですか」
キ・シガは露骨に嫌な顔をした。彼女は軍略家ではあるが、戦争屋ではない。兵の指揮は畑が違うし、将校達との折り合いもはっきりいってよくない。
「なんだ。ゼタと戦った方がよかったのか。前に言ってくれればそうしたいたのだが」
「意地悪を言いますね。ええ、やりましょう」