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死ノ国  作者: 月島 真昼
二章
46/110

レ・ゼタ=クグ=バウル 3

 

 遠くに高い城壁が見える。

 シンは王の国、皇都の目と鼻の先まで軍勢を進めていた。

「組み立ては?」

「大方、終わりました。残り二割ほどです」

 ナラが答えた。それからシンの左手に取りつく幼子に視線をやる。その幼子、スゥリーンは顔に入れ墨のあるナラの顔を怯えた目で見上げる。

「シン王、その子は」

 シンの目の中に疲労を認めて、ナラが尋ねた。

「少し事情があってな。なにせ俺から少しでも離れると泣くわ喚くわ暴れるわ……」

 仕方なくこうしてずっと手を繋いでいる。「シン、わたし、きらい? みすてる?」スゥリーンが目の端に涙を一杯に貯める。シンはため息を吐く。スゥリーンの髪を優しく撫でる。

「嫌いじゃないし見捨てん。草の国の王、ラ・シン=ジギ=ナハルの名にかけてな」

 スゥリーンは満面の笑みを浮かべる。

 ココノビがその様子を見て「泥棒猫泥棒猫泥棒猫泥棒猫」と繰り返し、布に噛みついて感情を発散させている。

 シンにはキ・シガの声で幻聴が聞こえた。ああ、たしかココノビを見たときにこんなことを言っていた。

「メンヘラを抱き込むとあとが恐いですよー? メンヘラの対処はお・は・しです。お・思わせぶりな態度を取らない。は・早めに縁を切る。し・死ぬまで放置! 覚えておいてくださいね」

 ……参考までにしておこう。

「ナラ、おまえにはなにかと苦労をかけるな」

「労いは前線に立っているローゲンの方にかけてやってください」

 さらりと言い、ナラは作業の指揮に戻る。

 ゼタの兵隊達が城壁の上で様々な準備を行っているのが見て取れる。

 この時代の攻城戦は、魔法を用いるのでなければ数に任せて梯子をかけて強硬突破するのが主だ。防衛側は梯子を無理矢理外してしまう、矢を射かけ、上から石を投げ落とし、熱した油をかけて、敵兵を追い払う。敵はそういった戦いを想定している。

 が、シンの方はそれに付き合う気はさらさらなかった。

 木組みの大きなからくりが複数組み立てられている。縦長の造りで、大きな棒の片側に石が乗せられ、もう片側には重りと紐が垂れ下がっていた。

 シンは弓の射程外ギリギリで軍を止めた。敵はどうやら籠城戦を選んだらしい。門前の平原はシンが押さえている。左右はそれぞれユ・メイとガ・ナイが押さえていて、奇襲を受ける心配すらない。拍子抜けするほど簡単な戦いになりそうだと思う。

「ゼタ、このままでは自慢の騎兵は出番すらないぞ」

 先陣の方が手ごわかったくらいだ。

 ナラが工作の完了をシンに伝えた。

 シンは邪悪な笑みを浮かべて、攻撃の開始を命じた。

 木組みのからくりの糸を複数人が同時に牽いた。すると押さえつけられて均衡を保っていた重しが引かれた側に向けて回転する。それに引っ張られて、長い木の棒が振られ、その先端に乗せられていた巨石が城壁の方へ向けて投げつけられた。ぐしゃりと何人もの兵士が石の下敷きになって死ぬのが遠目にわかった。

 投石機。

 キ・シガに言わせれば「原始的な仕組み」だがこの世界においては最新鋭の兵器だ。弓の届かない距離からの一方的な攻撃。しかも敵は狭い城壁の上でろくに逃げ回ることもできない。おまけに腹を括ってこちらに突撃することもできない。いい的だ。

「弾着修正、次の修正が終われば本命だ」

 再度巨石が用意され、投擲。

 シンの側からしても組み立てることのできた投石機はそれほど多くない。せいぜい三十程度だ。石の用意もそれほど多くない。万を数える軍隊に対して、本命の火力にするには数が足りない。だが壊獣と組み合わされれば話が変わる。

 投石機の棒の先にタンガンが据えられた。

 紐が引かれる。城壁の上へと、その巨体が投げつけられた。

 ゼタの兵士達は、最初茫然とその一つ目の化け物を見上げていた。「え」と間抜けな声をこぼす。次の瞬間、巨大な腕で薙ぎ払われて上半身と下半身が分かたれる。

 次から次へとタンガンが投石機に据えられ、城壁の上へと投げつけられる。幾らかは弾着の修正に失敗し、壁の向こうへと、あるいは手前に堕ちる。だがうまく城壁の上に落ちたタンガンが暴威を振るう。タンガンの戦力は一体で兵士三十ほど。団結して立ち向かえば倒すことはできなくはない。だが防衛戦を用意していたゼタの兵隊達は突然現れたタンガンを前に面食らった。混乱して指揮がめちゃくちゃに乱れた。そんな中でタンガンを倒すことは不可能だった。

 そしてシンはその混乱を最大限に利用する。

 梯子を持った歩兵を走らせて城壁に取りつく。よじ登る。タンガンに混じって歩兵達が城壁の上を侵略する。

(さあ、次の手を打て。さもなくば鏖殺だぞ)

 シンは門を注視する。なにかが起こるならば、それを引き起こすのは騎兵だと確信している。タンガンを翻弄したあの練度。あれにしか脅威はない。

 初手はこの上なくうまくいったが、シンは知っている。ゼタとはこの程度で倒れる輩ではない。であれば諸侯の連合を相手取る可能性のある国盗りなど仕掛けはしない。

 不意に一陣の風が吹いた。呼吸すらできないような大風だった。城壁の上のタンガンが風を受けて何匹も転落した。地面に叩きつけられて首を折って死ぬ。そうならなったものも脚や腰の骨を折って使い物にならなくなる。

 門が開いた。装飾のついた兜と鎧を身につけた大男が先頭に立って、馬上から大剣を掲げている。傍にいた歩兵を一刀の元に斬り殺す。

(レ・ゼタ=クグ=バウル!)

 自ら最前線に立つその偉丈夫の姿を見つける。

「おおおおおおおおおお!!!!」

 雄たけびをあげて、ゼタの率いる騎兵がシンの歩兵に襲い掛かる。梯子をかけて城壁によじ登ろうとしていたものたちは、横合いから騎兵による襲撃を受けて成す術なく打倒される。縦横無尽に騎兵が暴れまわる。無双の軍団が暴虐の限りを尽くす。タンガンを多数上に回していたために、すぐには対応できない。

 シンもすぐさま騎兵を動かす。障害物のない平原で騎兵に対抗できるのは騎兵だけだ。

「ローゲン」

「はい」

「行け。俺の軍の威容を示してこい。食い散らせ。お前の爪牙を持って敵の体に恐怖を刻め」

「御意」

 ローゲンが出陣する。

 ゼタの率いる騎兵が先ず食いついたのは、軍団の最も弱い部分――数で劣る河の国の河賊達だった。突撃力を生かして河賊達に迫る騎兵を、ユ・メイの『水』の魔法が待ち受ける。

「龍がちいせえ」

 ユ・メイが呟いた。小さい、とは言っても20メルトルはゆうに超えている。このところ続いた雨は地脈の中にたっぷりと水分を含ませていたし、空にはまだ薄くはない雲が浮かんでいる。とはいえ先陣を相手にした時のような100メルトルを越える全長を持つ大龍ではない。河が遠いからだ。

 水龍を放つ。龍は長大な体躯で騎兵を蹴散らす。が、すべてとはいかない。補い切れなかった部分から騎兵が侵入し、河賊達を殺す。乱戦を得意とする河賊達だったがゼタによってよく統制された騎兵達は水龍を相手にしても乱れない。場が乱れなければ、ただの歩兵の群れに過ぎなかった。一方的とは言わないまでも、死体の数は河賊達の方が多い。

 ゼタが大剣を振り上げてユ・メイに迫る。ユ・メイも剣を振り上げ、同時に水龍を手元に引き戻す。「かははっ!」突進してくるゼタの左手側から水龍を投げつける。自身は突っ込んでくる馬体の正面に立つ。

「『風』の魔法」

 ゼタは左手を水龍に向けて叩きつけた。炸薬が弾けたような大きな音がして、水龍の首が吹き飛んだ。左手の周りに集めた圧縮空気の塊を叩きつけて破裂させたらしい。水から成る龍は首を吹き飛ばされても死ぬわけではない。が、再構成には少し時間がかかる。

 ユ・メイは暴力的な笑みを浮かべた。突っ込んでくる馬体の真正面に立ち、体を落として低く構えた。十分に引き付けたあとでゼタの利き手と逆の側に素早く潜り込む。

「!」

 ゼタが大剣を振るう。しかし馬の首が邪魔でうまく振るうことができずにユ・メイには届かない。引き換えにユ・メイは馬体を避けることができずに突撃をまともに喰らう。撥ね飛ばされ、転倒して後ろ脚で肩を踏みつけられる。鈍い音がして左肩の骨が折れたのがわかる。

 ゼタの愛馬が数歩を駆けたのちに、ぐらりと揺れた。鮮血をぶちまけて倒れる。首元から胸に入ったユ・メイの剣が分厚い胸筋と幾つかの骨を切り裂いて心臓に達していた。硬い胸骨を無理矢理叩き切ったために刃がねじ曲がっている。ユ・メイが剣を捨てる。

 肩の痛みを堪えながらユ・メイが水龍を再構成する。死んだ兵士が握っていた剣を龍に運ばせる。ユ・メイが剣を握りしめる。

 馬を捨ててゼタが斬りかかる。雄たけびをあげてユ・メイが応じる。

 魔法の力ではややユ・メイが上。水龍を空気の炸薬で弾く度にゼタはわずかに隙を見せる。剣腕では体格の差からかゼタが上回る。肩を潰されていることもあって、数合ののちにユ・メイの手は痺れて感覚を失う。

「はっ!」

 ユ・メイは楽しんでいた。河の国の王となってからは命の取り合いからは離れて久しい。それが当然だったころの感覚から遠ざかっていた。陸の敵は脆弱で、いつもユ・メイを落胆させた。それがいま、ユ・メイが全力を尽くしてなお敗色濃い敵が目の前に立ちはだかっている。

「粘るな。お前の他にもまだ殺さねばならんやつが大勢いるのだ」

「俺は前座かよ! 言ってくれるじゃねえかっ」

 ユ・メイが水を集める。地脈と雲からではない。戦いが始まってからこの戦場に増え続けている水を――血を集める。ゼタは風の魔法を使ってそれに対抗する。空気を集める。ユ・メイが赤龍を放った。ゼタが空気の炸薬で龍をねじ伏せようとする。その瞬間、再構成された水龍が背後からゼタを襲った。二頭の龍による前後からの同時攻撃。

 ゼタは後方からの龍に圧縮空気を叩きつけた。前方からの血から成る龍を剣の一撃で叩き切った。ユ・メイの魔法はあくまで水を操るもの、不純物の混ざった血で出来た龍のほうが脆いと踏んだのだ。そしてそれは正しかった。両方の龍が崩れる。

「いい判断だ。が、これはどうする?」

 ユ・メイ自身が三手目としてゼタに躍りかかる。喉に向けて剣を突き出す。捨て身の一撃。避けきれないと判断したゼタは体勢を保つのをやめた。力を抜くと圧縮空気を炸裂させた反動がゼタを襲う。体がめちゃくちゃに振られる。ユ・メイの剣は狙いを外す。ゼタの鎖骨に突き刺さる。体が振られながらもゼタが前蹴りを繰り出す。腹を蹴られてユ・メイが吹っ飛ぶ。ずしゃりと地面に転がる。砕けた肩が激痛を生む。

 ゼタは鎖骨に突き刺さった剣を引き抜き、ユ・メイを殺そうとする。不意に殺気を感じて振り返る。ゼタの背後から馬の背を蹴って跳躍したローゲンが両手を振るった。十本の爪が射程内のすべてを薙ぎ払う。ゼタは圧縮空気の塊を投げつける。空気圧の威力で爪の軌道が歪む。ゼタを外して近くの地面が抉れる。

 ゼタはローゲンの後方を見た。騎兵の死骸で道ができていた。彼女がどれだけの数の敵を斬り殺してここまで突き進んできたかが一目でわかる。

 ユ・メイがゆらりと立ち上がり、剣を構えた。その顔つきはほとんど狂気じみている。吊り上がった口角、血走った目。頬がぴくぴくと震えている。

 ローゲンがすぐさま体勢を立て直し、仕掛けようとする。

 さらにガ・ナイ=ヤグが駆る騎馬が突っ込んでくる。

 ゼタはそれを睨みつけ、天に向けて剣を掲げた。

 垂直の気流が一帯に降り注いだ。ぐしゃり。とユ・メイと彼女の操る水龍が地面に叩きつけられた。ガ・ナイが落馬する。武器に頼らない軽装のローゲンだけが、なんとか立っている。爪を掲げようとする。「おおおあああっ!」満身の力を込めて腕を振るう。しかしそこには普段のキレはまったくない。ゼタの剣が易々と爪を打ち払う。

 垂直の気流はゼタだけを避けている。なにもかもが地面に叩きつけられる空間の中でゼタだけが普段と変わらずに動くことができる。

(風の魔法とは、これほどの……!)

 殺される。

 ゼタの怜悧な視線がローゲンを捉える。ゼタが剣を振り上げた。

 その後方で。


「なんや。風、止んでもうたなぁ?」


 城壁の上にいたゼタの兵士達が一斉に燃え上がった。

 青白い炎が端から逆側の端までを一気に駆け抜けた。絶叫があがる。幾千の人間が一瞬で燃え上がる。蛋白質の焼ける嫌な匂いが降ってくる。

 アゼル=ヤグ=ナハルの『炎』の魔法。

 これまでゼタが常に吹かせていた逆風によって封じられていた彼女の魔法が、ゼタが自分の戦いに集中したがために解き放たれた。炎は城壁の上を一掃しただけに留まらず、そこから焼け落ちていく死体を通して城壁の下に展開していた騎兵達に向かう。

 ゼタの意識がほんのわずかだけ城壁の方に向いた。その瞬間、地脈の中を通った水龍がゼタの足元から、その右足に食らいついた。「!?」膝から下を食い千切る。骨がねじ切られて、筋肉が裂かれる。痛みと動揺が一瞬、風の魔法を途切れさせる。その一瞬でローゲンが爪を振るう。片足を失った不十分な体勢のままゼタが剣を振るい、急所への爪撃を弾く。弾き切れずに胸甲や脚甲を爪が貫いて鮮血が舞う。体勢を崩す。倒れそうになる体を、風を使ってなんとか制御する。ガ・ナイが槍を突き出す。ゼタの肩を貫く。ユ・メイが迫る。ゼタは迎撃しようと剣を振り被った。

「お、おおおおっ!」

 ゼタが裂迫の気合と同時に放った斬撃は、身を伏せたユ・メイの髪を掠めた。

 ユ・メイが横薙ぎに振るった剣がゼタの心臓を切り裂く。

「お、おお、……お」

 喉奥から声を絞り出し、どうにか意識を保とうとしたゼタを。

「よお、おまえ、なかなか楽しめたぜ」

 天空から舞い降りた水龍が粉々に噛み砕いた。


 馬の国の王、レ・ゼタ=クグ=バウルは全身を粉々に砕かれて死んだ。



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