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死ノ国  作者: 月島 真昼
二章
42/110

スゥリーン=アスナイ 2

 ローゲンの活躍によって敵の前衛が大きく崩れる。

 だがゼタの軍勢も機動力を生かしてタンガンによって守られていない弱所に食いつく。

 戦況が乱戦にあれば、あとは試されるのは派手さのない地力だ。

 互いの数がじりじりと削れていく。屍だけが増えていく。


「頃合いですかね」

 イ・シュウが双眼鏡を下げた。

「ようやく出番かよ。待ちくたびれたぜ?」

「はい、行きましょう。我々の武勇を天下に示すときです」

 ユ・メイがぱきぱきと肩を鳴らした。

 手近な馬に適当に跨り、待機している軍団の前に駆ける。

 おもむろに剣を抜き、大きく息を吸い込む。

「っしゃぁ、野郎共! 俺たちに手向かったらどうなるか思い知らせてやれっ! 塵も残すな! 芥共を焼き捨てろ! 女は犯して男は殺せ! 行くぞぉぉぉ!」

「おおおっ!」

 河賊たちの熱狂的な声がそれに答える。

 先頭を走るユ・メイに続いて、約五千の河賊の群れが駆ける。

 南方から攻め上った河賊達は、ゼタの軍団の横合いを突く。

 同時にガ・ナイもまた軍勢を率いて北側から襲い掛かる。

 三方からの同時攻撃に、ゼタの軍勢はしばらくのあいだ持ち堪えて見せた。

 機動力を生かして一番弱い場所を見つけて、そこを食い破ろうと全力を差し向けた。最も数に劣っているユ・メイの方へと兵士と騎馬がなだれ込む。しかし彼らを待ち受けていたのは、『水』の魔法による圧倒的なまでの蹂躙だった。

 全長100メルトル以上もある龍が人垣を蹴散らしていく。空を泳いでその莫大な質量と速度を用いて敵を撥ね飛ばす。受けた人間が全身の骨が砕けて死ぬ。ユ・メイはただ一人で津波に等しかった。

 シンと壊獣達が散々に苦戦した騎馬の精兵達はたった一頭の龍に蹴散らされて無為にその命を散らした。

 数日の後にゼタの先陣は連合に降伏した。





 ユーリーンが傷口を洗浄して、軟膏を塗る。清潔な布で覆う。

「大丈夫?」

 ライが訊ねると、ユーリーンは軽く微笑んだ。

「ああ、トリカブトのようだが、致死量からは程遠い。今は多少気分が悪いが、少し休めばよくなるだろう」

「だったらいいけど」

「それよりも」

「うん」

 二人は並んで幕舎の中に入った。中ではシンが待ち受けていて、ローゲンが二人を鋭い目つきで見ている。小さな女の子——ココノビがシンの傍でしげしげと興味深げに寝具の上を見ている。寝具の上には手足を拘束されたスゥリーンが横たわっている。

「来たか」

「身柄は我々が優先、そういう約束だったな」

 シンがこくりと頷く。ローゲンがじれったそうにシンを見る。早く殺しておくべきだ、とその目が語っている。シンは軽く手を振ってその視線を受け流す。

「起きなよ、とっくに目を覚ましてるんでしょ?」

 ライが言う。スゥリーンがぼんやりと目を開けた。ひどく眠たげな顔でライを見る。

 その隣のユーリーンを見て、ぴくりと体を震わせる。怯えている、とライは思った。

「名は」

「スゥリーン=アスナイ」

「戦い方は誰に習った」

「ツギハギという人」

 シンの眉がぴくりと動いた。

「そいつはどこにいる?」

「馬の国、ここにはきていない」

「知ってる?」

 ライがユーリーンに尋ねた。

「いいや」

 ユーリーンがそう言ったので、今度はシンに視線を向ける。シンは何も言わずライの視線に気づかない振りをした。何か知っているようだが教えてくれるつもりはないらしい。ユーリーンがそのことに気づいておらず、シンに聞き出そうとしてもしらを切られるだけのように思えたのでライは口を噤んだ。

「そのツギハギなどという輩が、アスナイの真似事をして生まれたのがお前か」

 スゥリーンの顔が怒りに歪んだ。

「真似事?」

「ああ、真似事に過ぎん」

 打ち砕くような口調でユーリーンは言った。

「お前はアスナイに値しない」

 スゥリーンは体をゆすった。拘束を逃れようとする。

 だがシチセイたちはしっかりと体を固めていて、少々の力ではびくともしなかった。

「お前の体の技は素晴らしい。私や叔父に匹敵する。あるいは凌駕するだろう。だがアスナイの奥義は心の技にこそある。薬に頼ることでしか恐怖を克服できなかったお前など、端から論外なのだ。叔父とて年齢による衰えがなければ、貴様などに敗れはしなかっただろう」

 正確には、テン・ルイとてユーリーンの言う心の技を完全に会得していたわけではない。それができたのはユーリーンと、彼女の父であるルウリーンだけだった。けれどテン・ルイは恐怖と折り合いをつける手段を学んだ。恐怖を飼い、時には楽しみ、勇気によって克服した。

 薬によって押し殺したスゥリーンとは違う。

「出来損ないめ。せいぜい余生を愉しむのだな。どうせアヘンに蝕まれた貴様の身体は、長く持ちはしないだろうが」

「ああああああああうううううううう」

 半狂乱になったスゥリーンが身を捩る。拘束が彼女の手足を締め付ける。

「ライ、行こう」

「もういいの?」

「ああ、私の求めたものは、ここにはなかった」

 不意にユーリーンは自分が求めていたものが、いったいなんだったのかわからなくなった。

 スゥリーンがいったい何であれば満足だったのだろうか。血を分けた姉妹? 同じ技を継いだ同門の徒弟? それとも。

 きっとなんらかの、自分を肯定する存在であって欲しかったのだと思う。

 唯一シンだけがその感情をなんとなしに理解していた。

 ユーリーンとライが幕舎の外に出て行く。

 錯乱して叫び続けるスゥリーンの手をシンがぎゅっと握る。

「……と、さもお前が未熟であるかのようにあいつは言っているが、俺はそうは思わん」

 出し抜けに言う。

「テン・ルイを殺したお前の技は素晴らしい。価値あるものだ。是非俺の元で働いて欲しいのだが、どうだ」

 シンはスゥリーンの手の拘束を解き、震える肩を抱きしめる。足の拘束を解くのはさすがに『蹴』の魔法が恐ろしかったが、せめて緩めてやる。スゥリーンは過呼吸を起こしていた。シンはその背中を撫でる。

「ゆっくりと息を吸え。別にここに恐ろしいものなどありはしない。……おっと、訂正しよう。ローゲンの顔は恐いな?」

 ローゲンが色のない右目でぎょろりとシンを睨んだのを無視して、シンは落ち着いた声でルゥリーンに語りかける。耳元で遅く浅い呼吸をする。自分の真似をするように言う。息の仕方を思い出させる。シンは要領を得ない声を上げ続けるスゥリーンに辛抱強く話しかけ続けた。やがてスゥリーンの過呼吸は少しずつ収まっていった。

「いい子だ」

 頭を撫でてやる。

 スゥリーンの全身からくたりと力が抜ける。びっしょりと汗をかいていた。

「話を戻すが、俺の元で働かないか。給料はゼタの二倍出すぞ」

 スゥリーンは戸惑った目でシンを見る。

「でも、わたし、くすり」

 力のない声で言う。

「ココノビ、おまえ、アヘンならば吸い出せるな?」

 こともなげにシンが言った。

 スゥリーンの体を見る。体つきは細いが、重度の中毒患者の肉が削ぎ落ちた骨と皮だけの身体ではない。長期の服用には至っていないのだ。おそらく実戦に投入されたのが最近だったせいだろう。

「えー、気が進まないなぁ」

「頼む」

 ココノビは少し考えたあとに「なでなでとぎゅー、それぞれ一回ずつ」と言った。

 シンは苦虫を噛み潰したような顔をした。それから汚物に触れるように嫌々手を伸ばし、ココノビの美しい黒髪に触れる。なでる、というよりは擦るようにして小さく動かす。すぐに手を離して、汚いものを払うようにぷらぷらと振る。

「むー、ひどいなー」

 ココノビは頬を膨らませながら、「しょうがないなぁ。ぎゅーもあとでちゃんとしてよ」とぼやいてスゥリーンを見た。

「あなたに治すつもりがあるなら、わたしが手伝ってあげるよ」

「なお、る? でも、ツギハギは、ずっとこのままって」

「長くかかるよ。難しいよ。つらくはあるよ。でもちゃんと治るよ」

 スゥリーンは困ったようにシンを見上げる。

 シンは微笑んでやる。

「わたし、なおしたい、くすり、いやだ」

 幼い瞳から涙が零れた。握った手が熱い。

 シンはきっとこの娘に必要だったのは、アヘンなどではなく彼女の身をきちんと案じてくれて、慮ってくれる、愛情を注いでくれる誰かだったのだろうと思う。

 もしかしたら人を殺させるべきではないのかもしれない。

 どんなに武の技に優れていようと。魔法という才能に恵まれていようと。

 テン・ルイの代わりをさせようと思っていたのだが、宛が外れたな。シンは心中でこっそりと溜め息を吐いた。ぼろぼろと大粒の涙を流し続けるこの幼い女子を、戦わせようとはすでに思えなくなっていた。

 そしてきっと、愛情を注いでくれる誰かを欲しているのはスゥリーンだけでなく、姉の方も同じなのだろう。ライはそのことに気づいているのだろうか。



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