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死ノ国  作者: 月島 真昼
二章
41/110

スゥリーン=アスナイ 1



 シンはわずかな兵だけを連れて高台に登り、俯瞰的に戦場を見下ろした。

 遠く離れてみると自軍の綻びも敵軍の綻びもよくわかる。その場で書き綴った手紙をサンロウに咥えさせる。「いけ」サンロウを走らせて前線指揮官に指示を出す。

 ソウヨクを飛ばし、更なる情報を得ようとする。スゥリーンが来ないならば天から齎される情報を活用して更に優位に立てる。

 風がシンの頬を撫でた。自然の流れに逆らった、魔法で生み出された風。薄気味が悪いと思う。

 しばらくシンはそこでサンロウを使い指示を与え続けていた。ソウヨクが上空を舞い続けている。サンロウ達は縦横に駆けてシンの支持を戦場に届けている。背後の藪の中にはライとユーリーンが潜んでいる。

 あきらかに状況は不自然だ。シンがこんなところで一人でいるはずがない。罠の可能性が最初から透けて見える。けれどシンはスゥリーンが来ないということは考えていなかった。というよりも罠の可能性について、きっと気づきもしないだろうと考えていた。

 そうして案の定、ソウヨクが一刀で斬り殺された。スゥリーンが眼下にシンの姿を見つける。シンも空を渡ってくるスゥリーンの姿を目視する。シンは森の中に逃げ込んだ。スゥリーンがそれを追って飛び込んでくる。身体能力を強化する類の魔法を持っているスゥリーンの方が圧倒的に速い。まるで森を遊び場にして育ったかのように自在に木々を掻い潜り、シンを追い詰める。あとわずかで剣が届く位置まで迫る。樹上から最後の一歩を蹴ろうとする。

 だがこの場所でなら、シンも伏せ札を使うことができる。

「シチセイ!」

 シンの頭上から七筋の銀色の雨が降ってきた。広い場所を嫌うという性質を持つシチセイだが、森の中のように日の光が届き辛く、障害物が多く、湿度の高い場所はむしろ好んでいる。

 木々に絡みついて、その影の中に潜んでいた七匹の銀色の蛇が尾を振るい、スゥリーンを迎撃する。その体躯は細くしなっていて、刃のように鋭い。太い木の幹を鋭利な体で切断して、七筋の銀閃がスゥリーンに迫る。受けるのは危険だと判断したスゥリーンは、咄嗟に左へと逃げる。木の幹に着地する。枝に足をかけて体勢を維持するが、すぐにその木も根元の方をシチセイによって断たれる。さらに左の木に飛び移る。シチセイの長い尾がスゥリーンの影を切る。

(さすがにシチセイは数を揃えれば通じるか?)

 スゥリーンは木を蹴って、途中で太い枝を掴んで制動をかける。遠心力によってスゥリーンの身体が半円を描いて方向転換。スゥリーンを狙っていたシチセイの尾が、その動きについていけずに空振る。奥の木の幹を蹴ったスゥリーンの剣が、攻撃が空振ったためにすぐに次の動作に入れなかったシチセイの頭を貫いた。液体金属の血を流してシチセイが絶命する。正面から別のシチセイが尾を振るってスゥリーンを狙う。スゥリーンは枝に着地し、瞬き一つせずに尾に向かって前進しながら頭を下げた。尾が掠めて耳が微かに切れる。髪が一房落ちる。だが致命傷には程遠い。突き出したスゥリーンの左足が、シチセイの頭を踏み潰す。

 真上、スゥリーンの死角から三匹目のシチセイが尾を振るった。同時に枝に絡まった四匹目のシチセイが横薙ぎに尾を振るう。スゥリーンは木の幹を蹴って踊るようにその場で半回転し、剣を振り下ろした。すると垂直にいたシチセイの尾がスゥリーンの身体をすり抜けた。スゥリーンの服の背中がわずかだけ切れている。完全な見切りで、最小限の動作で回避したのだ。枝に絡みついていた方のシチセイの身体が真ん中から断たれて、力を失い地面にべちゃりと張り付いて絶命する。

 シチセイの支配する刃の森の中でさえ、スゥリーンは倒せない。このままでは無用に残存のシチセイを失うだけだと判断したシンは、残り四匹のシチセイを自分の元まで引き上げた。

「強すぎるな、なんだおまえは」

 シンは頬を引き攣らせる。テン・ルイを倒したのはまぐれでもなんでもなかったことを改めて思う。

 スゥリーンが樹上から落下、着地。

 さらに一歩踏み出してシンに襲いかかろうとして、不意に足を止めた。

「まあともかく、“平面で戦わせろ”という貴様の注文は果たした。あとは任せるぞ」

「ああ」

 木の影からユーリーンが進み出る。

「!」

 あたりの木々はシチセイが暴れまわったせいで倒壊していた。

 倒木だらけの不安定な足場が組み上がっている。

「さて、いろいろと話したいことはあるが、先ずは名乗っておこう」

 ユーリーンは落ち着いた声で言った。

「私はユーリーン=アスナイ。当代の頭首だ。おまえは誰だ?」

「アスナイ……、頭首……?」

 スゥリーンが小さく呟く。

 なにを言われたのか呑み込めないようだった。少しして理解が追い付く。全身が細かく震えだす。

「おお、お、おねぇちゃん!?」

 途端にスゥリーンは両手で頭を押さえた。小さく蹲る。髪が乱雑に掻きむしられる。

「おねえちゃん、おねえちゃんおねえちゃん」

「おまえは」

「ころしてやる」

 血走った目がユーリーンを見た。

 シンに向けた透明な冷たい殺意とは違う、沸騰するような真っ黒な殺意だった。

「待て、話を」

「おねえちゃん、おでえちゃん。おねえちゃんが私をこんなバケモノにした。許せない。許さない、許さないぃ! 殺してやる。コロシテヤルゥゥゥゥ! おばえだけは、おばえだけはじぇったいにぃぃ」

 口から白泡を噴いている。派手に唾が飛び散る。呂律もあやしい。口が満足に回っていない。尋常な様子ではない。

 ユーリーンにはその正体がすぐにわかった。こけた頬。生気のない肌。言語の不良。

 ————アヘン中毒の症状。

「そうか、おまえは。おまえは私がなんの違和にも気づかずに日常として過ごしたあの日々を」

「あああああああああ」

 スゥリーンが跳んだ。不安定な足場を避けたのだ。ユーリーンに向かって、空中をさらに蹴り、まっすぐに襲い掛かる。

「父がどうにか耐え抜き、叔父が逃げ出したあの日々を。父母や徒弟から常に命を狙われ続けるというあの地獄の日常を、おまえは感情を殺し、肉体と精神を擦り減らし、アヘンに頼ることでどうにか生き抜いたのだな」

 ユーリーンは敵の攻撃に対して怯まない。瞬きさえしない。スゥリーンも同じだ。

 なぜなら彼女らにとって、それは日常でごく当たり前に起こり続けたことだからだ。それがユーリーンに対して始まったのは三歳の頃からだ。父はユーリーンの目の前で鼻先三センチメルトルのところで刃物を振り回した。時には頭の横の一ミリも離れていない場所に振り下ろしさえした。五歳になってからは半ば本気で殺そうとした。訓練には真剣を用いたし、避けなければ死ぬ攻撃を何度も繰り返した。ルウリーンが死んでからは“召使”がそれを引き継いだ。七歳から毒殺が始まった。わずかな臭いや味の違和感に気づいて吐くことができなければ数日は激しい下痢や嘔吐に苦しむことになった。九歳からは訓練に徒弟たちを交えた。ユーリーンを殺せば免許皆伝を貰えた徒弟たちはいつも本気でユーリーンを殺そうとした。ユーリーンにとって死の恐怖は日常の中にあるもので、不吉な隣人に過ぎなかった。取り立てて騒ぐほどのものではなかった。はじめて人を殺めてからは、死刑囚などをどこからか買い付けてきてユーリーンに殺し方を教えた。ユーリーンは人体のあらゆる急所を知っている。どこにどのように毒物を与えれば絶命するかを知っている。殺したことがあるからだ。自分で毒を飲み、またそうした死刑囚達に飲ませたからだ。

 ユーリーンはすべての子供たちが同じように育てられているのだと信じていたし、それが父母の愛情から来るものだと思い込んでいた。耐えるという意識すらなかった。それが本当に普通だったのだ。日常だったのだ。

 だけどスゥリーンにとっては違った。ただ地獄の日々だった。麻薬に頼らなければ生き抜けないほどの。

 ユーリーンには天倫があった。日々を笑って過ごすことができた。

 ルゥリーンにはそれがなかった。だがユーリーンという前例が。成功例が彼女に地獄の日々を強要した。

「いいだろう。私がお前を終わらせてやる」

 スゥリーンが左脇から振り抜いた剣を、ユーリーンは抜剣と同時に切り上げることで軌道を逸らす。追撃の左回し蹴りを側転して躱す。すぐに体勢を立て直す。勢い余ったスゥリーンが倒木を破砕して木くずを被る。

 ユーリーンが憐れみを込めた視線でスゥリーンを見た。

 怒りに取りつかれて薬に蝕まれて、スゥリーンは幽鬼のような表情をしている。

「生き残ったところでおまえは禁断症状と薬物依存に延々と苦しむことになるだろう。おまえはあらゆるものを不幸にしてただ壊れていくだけだ。だから」

 ユーリーンはスゥリーンの姿に自分を重ねた。

 なにかわずかでも歯車が狂っていれば、ユーリーンこそがこうなっていたかもしれない。ユーリーンは目を細め、自分の内側にあるなにかを切った。

「おまえをここでころしてやる」

 指をぱちんと鳴らす。途端にユーリーンの世界から色が消えた。雑音が消えた。すべての神経が研ぎ澄まされる。不必要な情報の全てが遮断され、瞳孔が開き、ぼんやりと敵を見る。表情が窪む。体は自然に脱力し、次の動作に備えている。

 己の身体の全ての機能を戦闘に特化させる、アスナイの奥義の一つ。

 この瞬間、ユーリーンのすべての機能は敵を殺すためだけに存在した。

「……って」

 スゥリーンが動いた。

 ユーリーンにはその動きが呆れるほど遅く感じた。極限の集中力は時間すら超越する。右薙ぎの斬撃を初手にすることがわかっていたから少しだけ体を引いた。それだけでスゥリーンの剣が空振る。スゥリーンの体勢が崩れる、と見せかけての体を半回転させた左後ろ回し蹴りが本命。それも見えていたから、ユーリーンは蹴りが加速する前に太ももの裏側を蹴った。そのまま足をかけてスゥリーンの足の上に立った。「え」魔法の力を帯びた蹴りが空振る。踏みつけるようにユーリーンがスゥリーンの胸を蹴る。軽量のスゥリーンが背中から地面に叩きつけられた。

「……、……って」

先の尖った木材がスゥリーンの肩を貫く。スゥリーンがその痛みに怯んだほんのわずかな隙間のうちに、ユーリーンが馬乗りになり膝でスゥリーンの両腕を封じる。呆れるほど単純にスゥリーンの動きが封じられた。シンを翻弄し、テン・ルイを殺した「速さ」は、時間を止めることのできるユーリーンにはまるで通用しない。

「しね」

 ユーリーンが首筋に剣の切っ先を振り下ろした。

「待ってってばっ!」

 その剣を横合いから放たれたライの泥が弾き飛ばした。

 思ってもみなかった事態に虚を突かれてユーリーンの集中が解ける。その一瞬の隙を見逃さなかったスゥリーンが両足で強く地面を蹴った。『蹴』の魔法によって左足が跳ね上がりユーリーンの背中を膝で強く蹴る。両腕の拘束が緩む。地面に両手をついて下半身をさらに持ち上げる。右足を巻き付け膝の裏をユーリーンの喉に充てて、反動と重力を使って地面に引き倒そうとした。ユーリーンは力の流れに逆らわずに首を傾けて少し曲げた。顎にかかっていたスゥリーンの膝が外れ、耳を掠めて頭の丸みの上を滑る。ユーリーンは側転してその場から逃げる。同時に手を伸ばす。スゥリーンの裾を掴む。スゥリーンが放った投剣がユーリーンのわき腹を掠めて地面に突き刺さる。ユーリーンは掴んだ裾を引き寄せた。スゥリーンの身体が引っ張られる。ユーリーンはスゥリーンの顎を膝で蹴り上げた。投剣の直後で身を守る準備の出来ていなかったスゥリーンはその一撃を防げなかった。

 スゥリーンの全身から力が抜け、糸の切れた操り人形のように、ユーリーンの身体に覆い被さって倒れた。

「……はぁ」

 ユーリーンがじと目でライを見た。

「い、いや、結果うまくいったんだからよしとしようよ?」

「自分は人を殺すくせに、私の殺人は止めるのだな」

 ユーリーンが仰向けに地面に倒れる。

 集中したせいか、ひどく体が疲れていた。

「だって、姉妹は仲良く、ね?」

 ライがおどけて言う。

 だって、ユーリーンは本当に辛そうに人を殺すから。

 殺したくないことが傍にいればすぐにわかるから。

 ユーリーンは目を閉じた。なんだか馬鹿らしくなる。短剣に塗られていた毒が体に回っているのがわかる。痺れ薬の類だろう。掠めて傷口から入るような微量ならば致命的なものではないはずだ。

「すこしねむる。あとはまかせた」

 ユーリーンは意識を落とした。

「え、ちょっと」

 ライは折り重なって眠っている二人を前にして、途方にくれる。

「どうしろっていうのさ……?」

 二人を運ぶには、ライの身体は小さすぎた。

「終わったか」

 途方にくれていたところに、シンが戻ってきた。折り重なって眠っている二人を見る。

 スゥリーンを見下ろして二匹のシチセイを這わせる。

「殺さないで」

「殺さんよ」

 シンはすぐに答え、スゥリーンの両手と両足にシチセイを巻き付けさせた。シチセイはそのままの姿勢で体を固める。手枷と足枷の役割を果たす。シンがスゥリーンを抱き上げる。スゥリーンの身体はおそろしく軽かった。まだ子供なのだ。未成熟な少女を戦場に送り込んだゼタを心中で怒りを覚える。ため息を吐いて、同時に怒りの感情を吐き出す。歩き出す。

「どうした。置いていくぞ?」

「……あ、うん」

 まるで兄のような、自然なシンの振る舞いにライは少しの間、呆気にとられた。

 自分よりも背丈のあるユーリーンを背負い、重たい足取りでシンの背中を追う。

「ねえ、代わってくれない? 僕にはちょっとユーリーンは重たい」

「それに触ると突然目を覚ましたそれに俺が殺されそうだから嫌だ」

 ありえるかもしれない、と思ってライは少し笑った。



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