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死ノ国  作者: 月島 真昼
二章
39/110

ラ・シン=ジギ=ナハル 11



 王の国――東部の平原。シンの本陣。


「だれ?」

 と、ライを見てアゼルが小首を傾げた。

 ライの方もアゼルを指さして「ねえ、このおばさんだれ?」とシンに尋ねた。アゼルは表情を変えなかったがおばさんという単語に目の奥が血走ったのがシンにはわかった。くすりと笑いながら、シンはアゼルに向けて「ニ・ライ=クル=ナハルだ。俺たちの末弟。親父の最後の子供だ」と言った。

「ライ王子? 嘘やろ。だって、あんたは」

 アゼルはなにかを言いかけて、そっと口元を手で覆い隠した。

 シンは次にライに向けて「こちらはアゼル=ヤグ=ナハル。俺たちの姉。ちなみにロクトウにとっては孫娘にあたる」という。

「へえ、アゼルおばさん。どうぞよろしく」

「ええかげんにせーや、くそがき」

 アゼルはライが握手のために伸ばした手を無視した。しっしっ、と追い払うように手を振る。

「?」

 ユーリーンはライの態度を不審に思う。アゼルは顔立ちの整った肉感的な美女だ。眼差しは鋭く、口元は皮肉気だが、顔立ちや姿形がライの好みから外れているとは思えない。そもそもライは初対面の女性を「おばさん」と呼ぶことはほとんどない。ユーリーンは一度ライが六十を超えた女性に対して「おねえさんおねえさん!」と声を掛けているのを見たことがある。

 そのライがアゼルに対して自覚的な敵意を用いている。

 それはなんだか奇妙なことに思えた。

 アゼルの方は難しい顔をしてなにかを考え込んでいる。

 ユーリーンはなにげなく幕舎の中を見渡し、ローゲンに視線を留める。

(衣の国の“人狼”……シンの麾下についていたのか)

「それで、おまえなにをしにきた?」

 シンがライに尋ねた。

「ユーリーンの妹さんがゼタの陣営にいるらしいから、会いにきたんだ。名前はスゥリーンだって聞いてる」

 シンは顔を顰めた。

「なんだそれは。そんなものどうやって見つけようと」

 そう言いかけて、思い当たった。

「ひょっとすると、あれはおまえの妹か……?」

 自分を襲った少女。兵や壊獣をものともせずに、テン・ルイさえ上回ったあの凄絶な腕前を思い出してシンが呟く。宮廷暗殺家、アスナイの技が魔法と融合としか結果ならば、なるほどあの結果はありえない話ではないと考える。

「知ってるんだね?」

「ああ、テン・ルイを殺して俺の骨を砕いてくれたからな」

 シンが左肩を押さえる。リクコンによって動かないように固定されている。リクコンが“さわらない方がいいよ”と服の下でシンの腹をつつく。手を離す。

 ぴくりとユーリーンの眉が動いた。

「……叔父が死んだ?」

「既に一戦交えたのですね」

 イ・シュウが尋ねた。

「ああ、ここへ展開している総数はおおよそ三万といったところだろう」

「どうでしたか、ゼタの軍勢は」

「手強いな。はっきり言って俺の兵だけでは雲行きが怪しいと感じていたところだ。助力を感謝する。イ・シュウ殿」

「いいえ、敵は帝の逆臣。おおやけの敵です。我々が力をあわせるのは当然のことです。この敵を打倒すために名乗りを上げなければ河の国とユ・メイ=ラキの名は地に堕ちます」

 シンはしばらく黙ってシュウの顔を見ていた。

「なにか?」

「……いや、どこかで見たことがあると思っていたのだが、貴方は三年前に王の国の士官学校を首席卒業したイ・シュウ=アズ=ゼンか?」

「げっ」

「優秀な人なの?」

 ライが訊ね、シンが答えた。

「学校始まって以来の麒麟児と言われていた才人だ。当時の講師に卒業生の士官の伝手を橋渡しして貰っていた時に名前が出た。俺も狙っていた人材だったのだが、遠目に少し顔を見ただけで正式に会う機会がなくてな。どこか別の伝手で士官の先を見つけたのだろうと思っていたのだが」

「しばらくは河の国で役人の端役をやっていました」

 大将に誘拐されるまでは、と口の中で呟く。

「貴方ほどの人がなぜそんなところに?」

「ま、まあいいじゃないですか、僕のことは。いまする話ではないでしょう」

 シンが、俄然気になるがそれもそうか、という目をする。

 人の嫌がることが大好きなアゼルが「その子やったら知ってるよ? 鳴り物入りでうちのとこの陸軍に入ったんやけど、蒼旗賊が反乱起こした初期の頃に、投げやりな上官の指示に意見出して、軍議の場でこてんぱんに論破して上の立てた作戦を非難したんよ。腹いせに地方に左遷されたんやっけ? うちも聞いとったけど、あんたが正しかったねあれは」と言った。

「うぐ……」

 古傷を抉られたシュウが呻く。

「若かったんですよ。大将には内緒にしててください」

 視線を逸らす。力のない笑みを唇の端に浮かべる。

「本題に戻ろうか」

 シンがライを見る。

「おまえにそのスゥリーンとやらは任せていいのか」

「うん。あなたに使われる気はないけれど、それだけは引き受けるよ。拘束したら身柄も任せてほしい」

「誘き出す。俺の指示通りに動け」

「む。……まあそういうことならしょうがないかなぁ。でもどうするの?」

「俺自身を囮に使う。ゼタとて俺とロクトウとユ・メイの三軍が揃い踏んだいまとなっては、正面からの会敵が良策ではないと思っているはずだ。必ずどこかでスゥリーンとやらを動かしてくる。ガ・ナイとユ・メイを先に殺しにくるかもしれないが」

「大将は殺しても死なない人ですよ。こちらのことはこちらで対処します」

 シュウが言い、シンが頷く。

「うちの兵はせいぜい五千ほどですから、さすがにゼタの全軍がこちらに傾けば捌ききれませんが、シン王はその隙を逃さないでしょう?」

「もちろん」

 自信にあふれた口調でシンが言う。

「それから、そうだな。スゥリーンとやらの情報は共有しておこうか。性別は女。年齢は十二から十四と言ったところだ。額から頬にまで大きな傷の痕がある。髪は肩までで、色は黒。剣を使っていた。それから空を翔ける能力のある魔法を使う」

 話ながらシンはふとあることに気づいた。スゥリーンのぎょろりとした無感情な瞳。少しこけた頬。短い単語だけで話すあの口調。語彙の無さ。貧民街で同じような顔をした男を見かけたことがあった。あの男は確か――

 話しても意味がないと思い、そのことを胸にしまう。

「空を翔ける能力?」

 ライの問いがシンの思考を引き戻してくれた。

「俺は最初、それが『風』の魔法なのだと読んだのだが、どうやら違ったらしい。やりあっているうちにだいたいの見当はついたが」

「というと?」

「やつは奇襲で俺の肩を砕いた。だが初撃で俺の命を取ることができなかった。それで俺は最初やつの魔法は破壊力に欠けたものだと思ったのだが、対照的に“蹴り”によってタンガンを一撃で殺している。それから地面を蹴って高速移動、高速跳躍。やつの能力はどれも脚部に関するものだった。

テン・ルイを殺した剣の一撃は、鋭くはあったが常識の範囲を出ていないものだった。それに対してタンガンを殺した蹴りの威力はあきらかに常軌を逸している。まあ仮として『蹴』の魔法とでも呼ぼうか」

 シンがローゲンを見た。実際に相対したローゲンの見解を求める。

 ローゲンは小さく頷いてシンの見解を肯定する。

 それからユーリーンに向けて問う。

「アスナイにはこれに類する魔法が伝わっているのか?」

 ユーリーンは小さく首を横に振った。

 アスナイは魔法を使わない。

「そうか」

 シンが頷き、シュウに向き直る。

「サンロウを一匹連れていってくれ。危急の時の伝令に飛ばせば馬よりも正確に俺の元に辿り着く」

「助かります。それでは、僕はこれで失礼します。大将に任せておくと、陣形がめちゃくちゃだから早く戻らないと」

 礼をして、シュウが幕舎を去る。出口の近くで、一度振り返った。

「お話、とても有意義でした。みなさまの武運を祈っています。またお会いしましょう!」

 やわらかい口調で言い、出て行く。

「なぜあれがあんな粗暴な王に付き従っているのだろうな」

 シンがなにげなく溢した。

 ユーリーンがこっそりと頷いた。

「ユ・メイさん、いい人だったよ?」

 ライが小首を傾げる。

 ユーリーンはなぜ妙に勘のいいところのあるライの目が時々こうも節穴になるのか疑問に思う。ユーリーンの目にはユ・メイのことが、血の臭いと殺意の沁みついた獰猛な獣にしか見えなかった。その女の近くにライがいることに気が気でなかったし、ユ・メイの手がライに触れる度に心臓が飛び跳ねた。獣臭い吐息がライにかかる度に身の毛がよだった。

「それで、スゥリーンを誘き出すってどうするの?」

 問われて、シンはローゲンを見て「おい、貴様。前線で指揮を執れ」と言った。

「はい。ですがその間のシン王の身辺は。後衛についているナラを呼び戻しますか?」

「こいつらに任せる」

「……」

 ローゲンは苦虫を百匹纏めて噛み潰したような顔をした。

「あのさ、シン。わかってると思うけど、僕だってあなたを殺そうと思ってるんだよ?」

 ライが呆れて言う。

「なんだ。“おまえの築いた物をすべて壊してやる”と言っていたあの啖呵は、ただの法螺だったのか。そうかそうか、ならばおまえの器も痴れたものだな」

「ったく、君って……」

 シンはライに対して妙な信頼を置いているらしい。

 ユーリーンはシンがこちらを侮っているうちに寝首を掻いておいた方がいいのではないかと考える。

 それに気づいているのかいないのか、シンは微笑して言葉を続けた。

「具体的にはこうだ。先ずソウヨクを飛ばす。空からの捜索、陣形の把握は奴らも嫌なはずだ。排除のためにスゥリーンを繰り出してくる可能性は高い。その近くに単独でいれば俺はの姿は嫌でもやつの目につく。場所はそうだな、北側にある高台の藪の中。貴様らが姿を隠すにも好都合だろう」

「誘き出せなかったら?」

「サンロウを走らせて虱潰しだな。リクコンの身体に残っていた毒の臭いを覚えさせた」

「わりと行き当たりばったりだね」

「そうか? 俺はそこそこ成功すると思っているぞ」

「どうして」

「消去法だ。スゥリーンの魔法はどうも消耗が激しいらしい。ローゲンが足の痛みに怯んだのを見ている。要所でしか切れない札だということだ。それを差し向けるならば、俺か、ユ・メイか、ロクトウの軍団を指揮しているガ・ナイの三つのうちのどれかだ。その中では、俺が最も殺せた時の影響力が大きい。なにせ連合を呼び掛けた本人だからな。そしてこれがより大きい要素だが」

「何?」

「俺が一番弱い」

「……なるほど」

 『喰』の魔法は壊獣という怪物を生み出す能力だ。生み出された壊獣の戦闘能力は極めて高い。が、魔法の術者本人を強化する類の能力ではない。シン自身の運動能力は決して低くはない。それでも戦闘に特化した魔法を使うもの達や、ハリグモやユーリーンのような生粋の武人から比べれば相当に格が落ちる。

対して、ユ・メイの使う『水』の魔法は水龍を生み出して本人と一体となって戦うことができていた。そして傷だらけの風貌が示す通り、ユ・メイは数多くの戦で陣頭に立って自ら戦ってきた。百戦錬磨の猛者だ。

 ガ・ナイ=ヤグはロクトウの懐刀だ。ハリグモが北方平定の英雄と呼ばれるようになった、北から侵攻する異民族を食い止めた戦で総指揮をとったのがガ・ナイだった。幾分人格に問題はあるものの、兵法と武力に長けた生ける武神の一柱。

「お前達にも幕舎を貸してやる。攻撃を始める二日後まで、疲れを癒しておけ」

「途中から船に乗れたからそんなに疲れてはないんだけどね。ありがとう」

 ライが言い、ユーリーンを促して出て行く。

 アゼルがその後ろ姿を見つめる。

「どうかしたのか」

 シンがその様子を怪訝に思い、アゼルに尋ねた。

「ううん、なんでもないんよ」

 口ではそう言いながらも、アゼルの表情には動揺が隠しきれていない。

「うちも休むわ。あんまりキリを一人にしときたないし」

 アゼルがひらひらと手を振って外に出る。少し歩いて、不意に空を見る。ライを思い出す。

 誰にも聞こえないくらいに小さな声で呟く。


「だってあんたは、うちが焼き殺したやん」




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